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君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第三章 知りたい君の“Nonfiction”
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Karte-18 約束だから。





 最近、母さんと愛は仲がいい。

 俺の面会に来たはずなのに、気付いたらいつも母さんは愛と顔を合わせて「ねー」なんて言っている。

 愛が言うには、気が合いさえすれば女性は年齢や所属など関係なく仲良くなれる、らしい。ふん、いいもんね。俺は看護助手さんたちと仲がいいから。なんて対抗したくても、そもそも室田おばさんや公野さんたちが暇になってここを訪れる機会はあんまり多くないから、結局いつも俺は愛と母さんが歓談する横で、スマホをいじったり漫画を読んだりするばっかりだ。

 そしてその例に漏れず、今日も母さんはやって来た。あのさ、あんたもう俺目的で見舞いに来てないだろ。


 ヴーン、ヴーン。

 机の上で高らかに鳴動するスマホを手に取ると、SNSにメッセージが届いていた。

「うるさいわねぇ。もっと静かな設定にしなさいよ」

 愛と料理の話で盛り上がっていた母さんが、呆れたような声を俺に投げかけてくる。俺は即、()ねた。

「知らねーよ。つか、俺には今の二人の方がうるさいよ」

「ねえねえ友慈、バレンタインにチョコもらえなかったからって自分で作ろうとして大失敗したって、本当なの?」

「だーっ! 母さん、一年前のこと蒸し返すなよっ!」

 二人はもう大笑いだ。

 ええ、そうですよ、大失敗したのは事実だよ。今年のバレンタインは院内で迎えたから、二年連続で俺は何ももらってないんだよ!

 憤りだか羞恥心だか、区別のつかない感情が、スマホの画面を叩く力を強くした。暗い画面にメッセージが浮かび上がって、そこに映っていたほんのりと赤い俺の顔を消し去った。


 『三年の春のリレーメンバーから、お前を外すことに決めた』


 それは、部活の監督からのメッセージだった。

 パソコンの苦手な監督が書いたからだろう、かなり長かった。要約すると、お前はいつ治るかの見通しがつかない。まして一ヶ月以上も寝たきりだ、リハビリにも手間がかかることが予想される。お前と同期の長距離の選手を試しに走らせてみたら早かったから、少なくとも夏まではお前とそいつを交換する。そんな内容だった。

 すうっと顔が上から青ざめていくのが、はっきりと分かった。

 おい、冗談じゃないぞ。夏までって言うけど、その夏までの間には都大会進出のための大事な大会があるんだぞ。それに俺はもう中三だ。夏の終わりと同時に、俺たちは退部しなきゃならないのに!

 大丈夫です、すぐ治すので交換とか勘弁してください──。急いでそう返信した。明日あたり、山田たちも見舞いに来てくれるって言ってたな。あいつら経由でも説得しておかないと……。

 今までに例のない焦りが、俺を包み込んでいた。俺は治療に時間をかけすぎたんだ。ああ、早く、早く治さなきゃ。まだ効果が出始めてないとか暢気に言っていられる状況じゃないよ。

 とは言え、監督から返事が返ってこないうちは、交渉のしようもない。

 そうだ、気持ちを落ち着かせよう。深呼吸をした俺は、いつも通りのことをしようと漫画の塔に手を伸ばした。

 そして、見慣れない新書が間に混ざっているのに気付いた。


 何だろう、これ。ブックカバーから察するに、愛がいつも枕元で読んでた本か。清掃員さんがここを掃除しに来た時にでも、積んで行ったのかな。

 好奇心は背徳感をあっさり上回った。いいだろ、ちょっとくらい。そう思って、ぱらららっと軽くページを舐めてみる。その時、何かに引っ掛かったようにページが止まった。

 ひとつの言葉に、付箋が貼ってあった。

 『汝 自らの如く 汝の隣人を愛せよ』

 そう書いてある場所だ。

 “汝”? “如”? これ、どうやって読む漢字なの?

 俺には意味すら理解できないけど、ともかく愛はこの言葉が好きなんだろうか。そう思って横を見ると、ちょうど二人は話が一段落したところみたいだった。母さんがこっちにやって来て、俺は慌てて本を枕元に隠す。

「明日もまた、来るからね」

「一日で良くなったりしねーよ、ガンは」

 イライラして口にしたセリフが、そのまま自分にブーメランのように返ってきた。はぁ、と嘆息した俺の頭を優しく叩いて、母さんは微笑んだ。

「焦らないの。お母さんだって焦りたくないから、ここにこうして毎日来てるんだもの」

 意味分かんねーよ、とはさすがに言えなかった。俺がリレーのメンバーから外されそうだと知っていても、母さんはやっぱりあんなことを口にするんだろうか。

 それじゃあね、と母さんは病室を出て行った。賑やかな人が去った後の独特の静けさが、病室にゆったりと漂っていた。室田おばさんが襲来した後は毎回こうなるから、少なくとも一日四回は経験してるわけだけど。


「友慈のお母さんはさ、優しい人だよね」

 愛がドアを見つめながら、ぽつりとつぶやいた。

「優しくないよ」

 俺は吐き捨てた。母さんがいないから、もう好き勝手に言える。

「お節介なんだよ。何でもかんでも俺のため、俺のためってさ。そりゃ、たまに感謝したくなることもあるけどさ、基本はあんなの鬱陶しいだけだよ」

「でも、いないよりはずうっとマシじゃないの?」

「……ん、まぁ」

 変なことを聞くんだな、と感じたのも束の間。例のカメラを棚から取った愛は、それを細い指先でひねくり回しながら、俺に向かって問いかけた。

「昨日、お祖父ちゃんが来てたの、友慈も見てたでしょ?」

「あの怖いやつか」

「その時に私、仲がよくないって説明したじゃない。あれね、本当は少し違うの」

「あれ、いいのか。その話しても……」

 てっきり俺、その話は昨日のうちに流れたと思っていたのに。愛もあんなに話したがらなそうだったから。

「昨日は受け止めるのに精一杯になっちゃって。ちゃんと話すって、友慈と約束したもん」

 愛は俺を見て、ねっ、と笑った。それからまた、カメラに目を落とした。

 横から見た愛のまなざしは、伏せられた睫毛のせいで、なんだかひどく悲しそうだった。


「私はね、あの人から見たら『穢れた血』なの。自分の息子──つまり私のお父さんと、私のお母さんが不倫をして生まれた孫だったから。出産前は中絶を何度も迫られて、出産後は施設に放り込めって言われ続けたって、お父さんが前に言ってたんだって。

しかも私を産み落としたすぐ後に、私とお父さんを呆気なく見捨ててお母さんは別れていった。だから私には、お母さんはいないの。いるのはお父さんだけ。兄弟も姉妹も、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんもいないんだ」


 その瞬間から、愛が母さんと仲良くしていたことを、俺は何も責められなくなった。


 そうか。母親、いなかったんだな。

 だから誰も見舞いに来ないわけだ。父親はきっと忙しくて来られないんだろう、うちみたいに。

「不倫で生まれた孫を可愛がりたくないから、あんな態度だったってことか」

 聞くと、愛は頷いた。

「仕方ないよ。私のせいじゃないけど、私はあの人に養われてるから、何も文句は言えないもん」

「えっ、養ってるのは父親なんじゃ……」

「お父さんは、ここには来られないんだ。自分も寝床にいるから」

 さらっと口に出された愛の言葉が、寒気に変わって俺の身体を通り抜けた。“寝床”っていう言葉の響きは、前に聴いた“別室”の言い回しのそれに、不自然なくらいよく似ていた。

 おい。……それって、まさか。

「お父さんは頭を(わずら)って、入院してるみたいなの。ここじゃない別の病院でね」

 愛は何事もないかのように、真っ白な壁を見つめながら淡白な声で言った。

「私はそう聞いた。聞いただけで、お父さんがどこにいるのか、今はどうしているのか、どうして離ればなれになっちゃったのか、なーんにも知らない。三年くらい前からは、もうほとんど何の記憶も残ってないから」

「……それって、記憶喪失ってことか?」

「うん。だから私、実はお父さんの顔も覚えてないんだ」

「…………」

 愛の抱えるセカイの途方もない深さに、俺はめまいを覚えそうになった。




 夕食までの時間はまだ長い。夕焼け色の光が病室に満ちて、照らし出された愛の横顔は眩しすぎて、表情はよく、分からなかった。

 愛は終始、他人の不幸な身の上話でも語るかのような何気ない口調で、自分の知る限りの今までを語ってくれた。




 そもそも生まれたその瞬間から、愛は歓迎されない子だったという。

 愛が生まれた当時、愛の父親は両親に許嫁(いいなずけ)を決められ、結婚が秒読み段階に入っていたんだそうだ。だけど父親が結果的に愛を重ね、肉体関係を結んでいたのは、その許嫁ではなく会社の同僚の女性──つまり愛の母親だった。

 避妊が上手くいかなかったためか彼女は身ごもり、許嫁との結婚は当然ながら、流れてしまった。それでも夫婦が円満なら、それはそれで幸せな日々が待ち構えていたに違いない。しかし現実には、母親が先に愛想を尽かした。愛を生んだ直後、これでいいでしょ、とばかりに彼女は一切の縁を切って、父親の前から蒸発してしまった。

 かくして、残された父親は一人で愛を育てるシングルファザーになった。実家の援助など望むべくもなく、子供を育てるノウハウも持ち合わせてはいない。それでも父親は『愛』という名前を与えて、十一歳になるまで愛を育て上げたんだ。


「ここまでは、あの人たちから聞いた話なんだけどね」

 一拍置いた愛は、そう言ってうなじを掻いた。

「ここからは、私の知っている話。受け止められた部分も受け止めきれなかった部分もあるけど、話すだけなら、できるから」


 三年前。十一歳の時から、愛の記憶は始まる。

 気が付いた時には病院にいたそうだ。身体中が包帯だらけで、わずかに動かそうとするだけでも痛みが走る有り様だった。狭いアパートでいつも共に寝泊まりしていたはずの父親は、どこにもいなかった。

 やがて医師がやって来て、説明された。君は事故に遭った、お父さんは別の病院に搬送されて治療中だ、君も一命は取り留めたが当分は入院してもらう、と。その時になってようやく愛は、自分が何か大変な出来事に巻き込まれたのだと自覚したそうだ。事故そのものについて教えてもらうことは、できなかった。

 嫌っているとは言っても、放置するわけにはいかない。そんな理由で、入院費は父親の両親が出してくれることになり、入院に関する不安はなくなった。もっとも、失われたものの全体からすれば、そんなものはほとんど砂粒にも等しい存在だった。

 だけど一方で、記憶さえ失ってしまった愛にとっては、入院時から周囲にないものは最初から存在しないのと同じだ。

 父親がたったひとつ、形見に置いていったものがある。それが、事故現場にぽつんと転がったまま、その後に愛の側へと引き取られた一台の一眼レフカメラだった。父親の姿も仕草も思い出せないけれど、そこに取りためられた写真を見ていくと、ふっと父親と過ごした空間が脳裏によみがえることがあるんだという。そしてそんな時、父親はたいてい愛の視界の外にいて、耳元で優しく愛に語りかけてくれるらしい。

 自分の知らない父親の面影を偲びながら、愛は治療を受け、リハビリに励み、そして記憶がついに戻らないまま退院した。愛の受け入れを拒んだ祖父母は、愛を児童養護施設に放り込んだ。そこでの生活も半年と続かず、中学生になってすぐに愛は病気の疑いをかけられ、入院する羽目になる。

 そして、今に至る──。






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