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君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第二章 君の不思議な“Sensation”
18/48

Karte-15 特別な関係




「心霊写真じゃないんだよ、これ。コラージュでも、カメラのトラブルでもない」


 野塩さんはそう告げるや、カメラを俺の手から奪還して、それをいきなり俺に向けた。ぱしゃっとシャッター音がしたその瞬間に、野塩さんが今まで一度も人間を撮ろうとしていなかったことを俺は思い出していた。

 果たして、野塩さんがふたたび見せた画面いっぱいには、写真が白くなるほどの光を放つ俺が写っていた。

 ああ、頭が痛い。横になりたいよ。そのまま眠気に襲われて眠りに落ちることができたら、明日の朝には今日のことを夢だと思えるかな。

 早くも現実逃避の算段を始めた俺の前で、野塩さんはさらにカメラを自分の胸の前に掲げる。

 ぱしゃり。

 一秒の静寂を挟んで、俺に向けられた画面に写り込んでいた野塩さんの姿は、ぞっとするほど、暗かった。


「これが、見せたかったんだ」

 ぐったりとベッドに崩れ落ちた野塩さんは、ぽつり、そう言った。

 それから、俺を一瞥した。

「あの夢と同じ光景だ……」

 俺にはそれしか、言えなかった。

 こくんとうなずいた野塩さんは、いつかのようにカメラを胸に抱きしめて、下を向きながら話を再開した。

「竹丘くんが話してくれた、あの夢ね。実は今まで四人、同じその夢を見た人がいるの」

「四人……?」

「私と今まで相部屋だった、合計四人」

 野塩さんは五本の指を立てて、手始めとばかりに親指を折った。本人が痩せてるせいか、親指にしては細かった。

「最初に相部屋になったのは、竹丘くんのご両親くらいの歳の男の人だったよ。入院理由は、急性骨髄性白血病(AML)。感染症を誘発したり、重度の貧血状態に陥っちゃう病気でね。二ヶ月間ここにいて治療をしていた間に、その夢を見たって言った。同じようにこの病室に入って、私に頭を掴まれたんだって」

 よく病名覚えてるな、と思った。

 ……いや、違う。キスじゃないんだな、と思ったんだ。

「二人目は、お爺ちゃんだった」

 二本目が折られた。立てるんじゃなくて折られていくことの意味が、鈍感な俺にも何となく、理解されはじめてきた。

「腎臓癌だったけど、あとになって全身に転移して、脳腫瘍になってからは私のことも段々と、忘れられていった」

「ああ……」

 いつか野塩さんが転移の恐ろしさを説明した時に、その人の話を聞いたような覚えがある。

「お爺ちゃんの時の私は、おでこをくっつけて、ものすごい目付きで睨んだんだって」

 野塩さんは淡々と話し続けている。やめろよ、せめてもうちょっと抑揚をつけようぜ。今の俺には、野塩さんそのものさえも怖いよ。

「三人目は、十歳にさえなっていないちっちゃな女の子だった。インスリン依存型糖尿病──生活習慣病の二型じゃない、生来のインスリン欠乏が原因の一型糖尿病にかかってる子だった。夢の中で私に長い舌を伸ばして舐められたって、泣いてたな……」

「…………」

「四人目は、敗血症患者のお婆ちゃんだった。患者って言っても、最初は竹丘くんみたく検査入院で、敗血症って分かってたわけじゃなかったんだけどね。夢の中で私は──」

「……もういい」

 思ってもみない拒否の言葉が口から落ちて、俺は少し驚いた。

 ……でも、話の続きはもう分かっていた。つまりキスじゃないんだろう。ただ、俺たちに共通しているのは、周囲がみんな光を宿している中でたった一人そうではない野塩さんに、何らかの形で接触されたということ。

「あの光のこと、何か知ってんだな」

 俺は野塩さんに、聞いた。ストレートな聞き方は、わざとだったと思う。

 野塩さんは小さく首を振った。でも、俺が失望の念を覚えるよりも前に、ささやくように口にした。

「確証はないけど、知ってる」

「教えて」

「でも……」

「大丈夫だよ。ちゃんと俺、聞いてるから」

「……うん」


 その直後、野塩さんの座るベッドが急に何メートルも遠ざかったような感覚が、俺を襲った。

 野塩さんはカメラを見て、俺を見て、答えた。




「──生きる、(チカラ)。生命力じゃなくて、生きる力。その正体は、生きたいっていう前向きな気持ちとか思いの強さなんじゃないかって、私は思ってる。その証拠に、あの光は人間が明るい気持ちになっていたり、希望とか夢を持っていたりすると強く明るくなって、反対に生きる意味を見失っていたり、死んじゃいたいって思うと、立ちどころに暗くなるんだ。

他にも特徴があってね。誰か明るい人が近くにいると、暗い人も明るくなったりする。逆も、もちろんあるよ。このカメラを通せば誰だって──ううん、私の目はそれすらしなくても、生きる力の強さを見て、それを写真に残すことができるの」




 伏見先生が言っていたことの意味を、俺はここに至って初めて、心から悟った。

 写真を先に見せられて、よかった。でなきゃこんな話、鼻で笑って流せただろう。中二病かよ、って。

 今の俺には、そんなことはできる自信がない。だって、現物(カメラ)が目の前にあるんだもの……。


「ま、待てって」

 俺は思わず身を乗り出していた。

「それじゃ、野塩さんが真っ暗なのは」

「私にはどうしてか、“生きる力”が何もないみたいなんだ」

 野塩さんは、ふっと自嘲気味に笑う。カメラをその膝に置いて、優しく撫でながら。

「気付いた時にはこうなってた。みんなには生きる力があったりなかったりするのに、私にはどうしても見当たらないの。こうなってすぐに病気にかかって入院して、あっという間に重症化して、ああ、生きる力がないのは事実なんだなって思った」

「じゃあどうして、今日まで……?」

 言いながら、なんて聞き方しやがったんだ俺、と自分を戒めたけど、もう遅い。

 それに何となく、答えが俺には見えていた。夢の中で野塩さんが口にした台詞を、俺はまだ克明に覚えていたから。

「他の“明るい人”のそばで、生きてきた」

 案の定、野塩さんは俺の予想通りの答えを言った。

「理屈は知らないんだけど、私は他の人の『前向きな気持ち』の一部を受け取って、それを自分の力にすることができたの。その証拠に、前向きな気持ちの強い人と肌で接触すると、私の身体も少し、明るくなったりする」

「そんなバカな、熱じゃあるまいし……」

「だから私、同室の人たちがいなくなるたびに、身体を壊して危篤になった。誰かがそばにいてくれないと、私は力をもらえない。そうなったら私、カンタンに死んじゃえる」

 ……死んじゃえる、って。

「死んじゃった方が、いいのかもしれないけどね」

 野塩さんはそう言うと、目元をそっと拭った。

 夕陽が正面から差し込んでいたなら、その頬をオレンジの小さな光が駈け降りて行っていたのが、きっと俺にも見えただろう。

「私と今まで相部屋になって、同じように私に生きる力を吸われる夢を見てきた人たちは、一人残らず別室に移っていっちゃったもん」

「……まさか、霊安室って言うんじゃないよな」

「そのまさかだよ」

「…………」

「私は誰かから“生きる力”を吸い上げて、自分を補完してきた。その代わりその誰かは私の吸った分だけ、“生きる力”を削られていたのかもしれない。だからみんな、みんな……死んじゃった」

 そこまで言ったところで一度、声を詰まらせた野塩さんは、俺に向かって弱々しく微笑んだ。その眉はきれいに八の字に傾斜していて、その表情はひどく、切なかった。

「ごめんね、竹丘くん。私、竹丘くんのことももう、巻き込んじゃったみたいだね……」




 そうか。


 俺、死ぬのか。


 ここで潰えた他の人たちのように、死ぬのか。


 実感のまるでない恐怖が、どくんと心臓を打った。

 疑えるなら疑いたい。野塩さんが言っているのは嘘だ、妄言だって。でも、それをどうやって証明する? 現にすぐそこに存在しているそのカメラを、どうやって否定するんだ?

 俺にはそんなこと、できないよ。まして、悲痛な表情をたたえた野塩さんと、数メートルも離れていない距離で病室を共にしていたら。

 俺は侮っていた。野塩さんにまつわる事実なんか、何だって正面から受け止めてやれる。そんな虚しい自信が、ついさっきまで『覚悟』の周りをぐるぐると取り巻いて強化していた。

 でも今回ばかりは、素直に受け入れるのは、つらいなぁ……。

 なんだよ、俺。俺っていつからそんなに弱気になった。言い様のない絶望にあっさり屈した自分が情けなくて、だけどどうしようもなくて、俺は唇を噛み締めた。




 でも、走った痛みがずきんと心臓に轟いた時、不意に激しい既視感が俺を包み込んだのが、はっきりと感じられた。




 うつむいていた顔を上げると、野塩さんもカメラを抱いたまま、ベッドに腰掛けてうなだれていた。

 なぁ、と俺は尋ねた。

「本当に明るくなるのか、その……試してみても、いい?」

 野塩さんの顔は、ほとんどまばたき一回くらいの時間で上気した。

 ち、違うってば……。やりにくいなって思いながらも、俺は野塩さんからの返事を待った。そうして、こくんと小さくうなずいた彼女の隣へ、そっと座った。野塩さんが必死に身体を小さくしているのが、手に取るように分かった。

 その肩に、俺はそっと触れた。

 ああ、よかった。やっぱりあれは夢だったんだな。野塩さんはこうして見ても暗くなんてないし、冷たくもないよ。

 カメラを取った俺は、それを俺が肩に触れている部分に向けた。ぱしゃりと軽い音が響いて画面に映った野塩さんの姿は、確かに、さっきよりもいくらかおぼろげな光を周囲に漂わせている。

「どう……?」

「言ってた、通りだ」

 何の気なしに答えただけなのに、野塩さんはもう泣きそうだ。

 違うんだよ、と言ってやるべきだったかもしれないな。そうじゃないんだ。俺はただ、その『現象』を受け入れるために、自分の手で試してみたかっただけなんだよ。


「俺、自分の目の前で起こったわけじゃないから、想像でしかものを言えないんだけどさ」

 ついでに隣に座ったまま、俺は正面の自分のベッドを見やりつつ、口を開いた。

「その四人、どのみち死ぬ運命だったんじゃないの?」

「……えっ?」

「だってさ、二人はじいさんばあさんで、一人は十歳にもなってないちびっ子でしょ?決めつけかもしれないけど、なんか体力、なさそうじゃん。体力がなかったら、そりゃ病気にだって殺られるだろ」

「それは……」

「残りの一人は分かんないけどさ。でも何となく、俺は今までの四人とは同じ道をたどらないで済む気がする」


 俺がそう言うことができたのは、皮肉にもあの夢のおかげだった。

 覚えてたんだ。あの時、俺に迫った“野塩さん”が、こんな台詞を口にしたのを。

──『今までの人たちは、すぐに暗くなっちゃったけど。竹丘くんはそんなに簡単には暗くならないように見えるなぁ』

 それはつまり、俺が他の四人の同室患者よりも強く”生きる力”を持っている、ってことになるんじゃないだろうか。

 野塩さんは”生きる力”を、前向きな気持ちって表現していた。俺がこれだけ明るいのは、俺の病気がそこまで重くなくて、しかも一番の山場をすでに越えてしまっていることを、俺自身がよくよく知ってるからじゃないか? さっさと退院して、また部活に励んで、友達と笑い合う当たり前の日常に戻りたい。その思いを、忘れずにいられているからじゃないのか?

 野塩さんからの『死刑宣告』を受けて、俺からそういう思いは消え去ったのか。そんなわけない。まだ死にたくなんてないよ。まだこの胸の奥で、生きたいっていう気持ちはちゃんと燃え続けているんだ。


「俺が諦めなきゃいいんじゃないかって思うんだ」

 カメラをそっと横に置いて、俺は天井を見上げた。

「野塩さんが俺から”生きる力”を吸い取って、それで俺が弱るんなら、俺はその代わりに別の何かから”生きる力”を手に入れ続ければいいわけだろ?」

「……うん」

「だったら、俺が生きることを諦めなきゃいいんだよ。俺のためにも、家族のためにも、友達のためにも。それから──野塩さんのためにも」

 野塩さんのためにも、の部分だけは、目を見てしっかりと言い切れた。

 野塩さんは目をうるませていた。ああ、そうか。覚悟っていうのはここまで含むんだな。今さらになってそう思った。

 いつかこの病院を出て、また自由な世界に羽ばたきたい。そうやって俺が思うことが、野塩さんを守りたいっていう気持ちを結果的に支えてくれる。そうすればいつの日にか、野塩さんもここを出られて、病院の外の世界でまた仲良くやっていけるようになる──。そんな日が、きっと来るんだ。

 どうだ。あの夢と野塩さんの突きつけてきた『宣告』を、俺はこんな風に逆手に持ち代えてやる。


「心配しないでよ。俺、そんな簡単に死んだりしない。野塩さんもろとも、今までよりももっともっと明るくなって、そのカメラの写真が真っ白になっちゃうくらいの“前向き”になろうよ」


 野塩さんは、ぐしゃっと崩れた顔で笑ってくれた。

「よかったぁ……」

「?」

「怖かったんだ……。あんな荒唐無稽な、しかも竹丘くんを追い詰めかねないようなこと言って、腹を立てられて『もう話さない』とか言われたら、どうしようかって……」

 うん、まぁ……そっちの反応が普通だろうな、とは思う。けど、今までの野塩さんとの日々の中で、その“普通”がどれだけ彼女を傷つけてきたのか、俺にも何となく分かるような気がする。

「だから怖くて、今まで誰にも話せなかった。他人に言うのは竹丘くんが初めてだったんだけど、やっぱり、怖くて……」

 カメラにぽたぽたと涙を落としながら、それでも野塩さんは笑顔だった。

 初めて、か……。嬉しいような、恥ずかしいような、でも初めてでよかったような、そんな気持ちでいたら、俺も自然と笑顔になれた。特に意味もなく、笑顔で野塩さんと向き合っていたら可笑しくなったのか、彼女はくすっと可愛い息を漏らした。

 滴で濡れた画面に、さっき撮ったばかりの俺の手と野塩さんの肩が映っている。光がにじんで、いっそうぼんやりと輝くその身体を見た俺は、ふっと、手術前に野塩さんと月を見上げた時のことを思い出した。

「ハレー……、えっと何だっけ。光るものを撮った時に、周りがぼんやり光るやつ」

 突然聞いたからか、野塩さんは返答の前にしゃっくりを一つした。

「ひくっ……ハレーション?」

「あ、そうそうそれだ。……なんかこうやって写真を見てるとさ、それに似てない? 月や星が人間で、周囲が白く光ってる感じ」

「うん。似てる……」

「“生きる力”って書いて『ハレーション』って読んだら、なんか技名みたいでかっこいいよなぁ」

 なにそれ、と野塩さんがくすくす笑った。久々に聞いた、屈託のないありふれた笑い声だった。

 そのありふれた幸せが嬉しくて、恋しくて、俺も釣られて笑った。




 松山さんが再び病室を訪れたのは、日も暮れかけた六時過ぎのことだった。そこで以前みたいに会話を交わして笑いあっていた俺たちを、きっと松山さん、意外に思っただろうなぁ。

 俺は勇気を出して、野塩さんにこんな提案もしてみた。

「あのさ、いつまでも『野塩さん』呼びじゃなんか変だし、その……名前で呼んでもいい? ……俺のことも、名前でいいから」

「実は私も、同じこと言おうとしてたんだ」

 いつものようにベッドから頭だけ出した状態で、野塩さんははにかみながらそんな返事をくれた。

 えっ、っていうことはOK? OKなの⁉

 よかった……。何でだろう、割と気の置けない関係のはずなのに、彼女に何かを提案しようとするといつも俺、変に緊張しちゃうんだよな。

「それじゃあ、えっと……愛?」

「友慈?」

「…………」

「…………」

「……なんか変な感じがするな、名前呼びって」

「……友慈が先に提案したんだよ?」

 なじるように言って笑った野塩さん──いや、愛自身も、いつの間にかシーツを口元までかぶせていた。

 何してるんだろうって思った時、愛の声がぽつり、聞こえた。


「でも、何だか特別な関係みたいで……すごく、嬉しいな」




 特別な関係。

 そうだ、俺たちは特別な関係だ。

 愛の秘密をこうして共有していて、なおかつお互いでお互いを支えてる関係。

 愛は俺の“生きる力”があるから生きられるという。俺の病院生活の心の支えは、愛がいることだ。


 この先も、ずっと先も、こうやってお互いを補完して、二人で生きていけたら。




 昨日より少しだけ大きくなれた、俺たちのもとへ。

 遥か東の彼方から、夜の闇が今日も一日の幕を下ろしに来ようとしていた。









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