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君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第二章 君の不思議な“Sensation”
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Karte-14 覚悟




 その日の夕方、再び野塩さんは、七○五号室へと帰ってきた。

 前回ああして体調を崩した時は、合計で四日間もここを離れていた。それに比べたら今回はずっと短い。俺も何気ない風を装って、野塩さんを出迎えられたと思う。

 野塩さんの表情は超絶に暗かった。おまけにその身体には管が何本も刺さっていて、ベッドの傍らには点滴の台がセットでくっついていた。やっぱり人造人間みたいだよなぁ、ああしてると。

 もっとも俺は、野塩さんがこんな状態であることは承知していたけど。──だって、ここへわざわざ移ってもらったのは、そもそもそれが俺の要望だったからだし。


「私は二人を信用しているからね」

 他の看護師さんたちと一緒にベッドを押して病室に現れた松山さんは、野塩さんと俺に向かって太いクギを打ち込んだ。

「伏見先生経由の頼み事とは言え、彼女の容態から言って本来なら同室にはできないところよ。ついでに言うと、他の看護師にあなたたちを監視させたりもしないわ。反省していると踏んで私がそうしたんだってこと、きちんと胸に刻んでおいてほしいの」

「絶対に、大丈夫です」

 俺も負けじと返事をした。俺だってもうごめんだ、松山さんや母さんの罵声を浴びるなんて。

 っていうか、そのチューブまみれの野塩さんをどうやって外へ出せるっていうんだろう。

 松山さんの返した笑みは、すぐに口の端に消えていった。また、夜に来るわ──それだけを言い残した松山さんは、さっさと病室を出ていった。


 はぁ、と横から嘆息する声が聞こえた。

「なんだよ。疲れてるの?」

 茶化し半分、心配半分のつもりで俺が尋ねると、野塩さんはそっと目を伏せた。こうして見ると、まつ毛、長いなぁ。また新たな発見をしたことに、少し胸が鳴る。

「うん。ちょっと、疲れちゃった」

「俺も疲れたな。母さんが面倒くさくてさー」

「お母さんが?」

「さっきまでここにいたんだよ」

 野塩さんが入室する直前までのことを思い出しながら、俺は頭をがりがり掻いた。

 そう。つい十五分くらい前まで、ここにはあの心配性の母さんが面会に来ていたんだ。追い返すのが間に合ってよかった。野塩さんがここにいたら、あの人、怒りに任せて野塩さんにまで噛み付きかねないし。まさしく字の通りガブッと。

「そっか……」

「お見舞いに来てくれるのはありがたいけどさ、いつまでもくどくど小言を言われたらたまんねーよな。あー、勝手にドアの前に『面会謝絶』とか貼ったら、松山さん怒るかなぁ」

「…………」

「別に誰の迷惑にもならないと思うんだけどなー。野塩さんのところにもお見舞い、ちっとも来ないしね。──二年近く前に告げられた余命、もう過ぎてるんだって?」


 野塩さんが俺を見る目が、確かに変わった。

 そこに塗り込まれているのは怯えか、もしくは畏怖か。どっちでも変わらないな、と思った。

 だってその意識の変化は、俺が意図的に起こしたんだもの。


「話があるんだ」

 姿勢を改めた俺は、真正面から野塩さんを見つめて、そう口を開いた。

「聞いてくれないか」







 重病を患い、もう二年間も入院生活を続けているにも関わらず、見知らぬ俺とも楽しそうに接し、病院内の勝手を一人で突き止め、好き放題に振る舞う少女。

 昼間はとにかく眠って、代わりに夜間の数時間だけを活動時間帯にしている。外部の誰との関わりもなく、食事量も極端に少なく、不可思議なタイミングで発作のような症状を見せる、実は脆くて泣き虫な少女。

 それが、俺から見た野塩愛の、今のところのすべてだった。


 伏見先生に問われた俺は、考えた。俺自身は野塩さんをどう思っているのか。これからどうしていきたいのか。

 でも、考え始めてすぐに気付いた。そんなものはとっくの昔に──外気舎の天井が崩れ落ちたあの時に、固まっていたんだってさ。


 野塩さんは病歴で言っても、病院内の経験で言っても、俺よりも遥かに先輩だ。そして同時に野塩さんは、俺を楽しませてくれた。楽しませようとして、一緒の遊びに誘ってくれていた。

 手術が終わっても、どうせ俺はまだ自由の身にはなれないんだ。この院内で時間を共にする相手を選べるのなら、俺はやっぱり、野塩さんがいい。彼女の隣で、今までみたいに仲良くやっていきたい。野塩さんと過ごした今日までの日々が『楽しくなかった』だなんて、俺にはとても言えないし、思えなかったから。

 ……そして、野塩さんが苦しみに、痛みに耐えているなら、それを支えてやりたい。俺にできることなんてたかが知れているだろうけど、隣にいてやるだけでもいいんだ。独りぼっちになってほしくないんだ。

 そう考えるようになったのは間違いなく、瓦礫に埋もれ、眼前に迫る命の危険への恐怖に泣き崩れた、あの日の野塩さんの弱い姿を目にしたからだった。


 俺は確かに、他人かもしれない。

 たかだか数週間、この病室を共にしただけの、袖が擦り合った程度の縁かもしれない。

 でも俺の心は決まったまま、もう揺らごうとはしなかった。

 先生、覚悟ってこういうことですか。伏見先生の背中を見つめ、そう胸のうちで問いかけたら、自然と声が出たんだ。

──「待ってください!」

 って。




 野塩さんは二度、三度、目をぱちくりさせた。それまで顔を覆い尽くしていたはずの暗い色が、いつしか吹き飛んでいた。

 お、これは好都合かもしれない。変なことを聞くんだもの、気分を理由にして拒否されたら嫌だ。俺が内心にやりとした途端、野塩さんの頬にほのかな赤みが浮かんだ。

「……もしかして」

 はにかみながら彼女は聞き返す。え、待ってよ。なんでそんな表情するの。

「も、もしかして、って」

「前に一度しかけた、その……コクハクの、続き?」

 違ああああああう!

 俺も赤くなった。野塩さんに否定の思いは伝わらなかったらしく、そこに向かい合っているのはもう、両方とも季節外れのトマトだ。

 いや俺、驚いたよ! その話まだ続いてたんだ! というか野塩さん、あのこと……覚えていたのか……!

「…………」

 高まった熱気を冷ますべく、俺はそっぽを向いてぶんぶんと頭を振った。冷静になれ、冷静に。

 これから話すのは、そんな楽しそうな話じゃないんだぞ。


「──真面目な話なんだ」


 俺の切り出しが、部屋の温度をぎゅんと下げた。

 野塩さんがぴくりとした。その面構えからも俺と同じように、およそ熱気らしいものはすっかり失われていた。これで、いい。これでようやく話せる雰囲気になった。

 唇を噛んだ俺の脳裡を、手術中に見たあの夢が流れている。

 忘れるはずもない、あの時、肌で心で確かに感じたあの恐怖。それを言葉に置き換え、順序立てて説明するための心の準備はもう、俺は済ませている。

 すうと吸い込んだ冷たい空気に言葉を乗せて、俺はそれを送り出した。

「手術中に、夢を見たんだ」

「夢?」

「それが、変な夢でさ」


 俺はあの夢の内容や筋立てを、事細かに話して聞かせた。

 どんなところがおかしかったか、どこが怖かったか、俺はきちんと伝わるように話せたんだろうか。少なくとも野塩さんは終始、俺の語る話を真剣な眼差しで聞いてくれていた。そして、話の阻害要因にならない程度に時々、反応してくれた。

 西陽が窓から差し込んで、その眩しい明かりに照らされた病室はまるでオレンジ色に塗装されたようだった。影が目立つぶん、この広い病室に俺たちが二人きりであることが、いつもよりもはっきりと思われたような気がする。でも、真っ昼間や夜でないだけマシだ。特に昼間なんかは……。

 どちらにせよ、俺にはもう、逃げ場はないんだけどさ。

 



「……そんな夢だった」

 やっと語り終えた時、野塩さんはかすかに、そっか、と応えただけだった。

 前の俺だったらきっと、そんな反応じゃ満足しなかっただろうなあ……。俺は苦笑した。手術後の俺のびびり方、今にして思い返しても本当に酷かったもん。

 そんな俺の思いを汲んでくれたように、野塩さんは尋ねた。

「どうして私に、その話をしようと思ったの?」

「克服するためだよ」

 俺は即答した。

 そう、克服するため。あんな夢を見た理由を、野塩さんに求めたわけじゃないんだ。

 かつてみたいに野塩さんと楽しくやっていきたいなら、いちいちあんな夢を思い出してなんかいられない。だから俺はあえて野塩さんに話すことで、あれを完全に『夢』にしようとした。現実の野塩さんに『夢』として話せば、あれが現実になることは絶対になくなると思ったんだ。

「人間がピカピカ光ってたまるかっての。……ましてや、野塩さんだけが闇に包まれたみたいに真っ暗で、俺に襲いかかってくるなんて。あるわけないだろ?」

「……うん」

「だろ?」

 いやいや、否定してよ。もっとこう、明確にさ。別に否定できない話じゃないだろ?

 俺は笑っていたと思う。野塩さんは今は笑いもせず、悲しみもせず、自分が登場するめちゃくちゃな夢の話をされたのに怒りもせずに、俺をじっと見ていた。




「──竹丘くん()、そうなんだね」




 野塩さんの口からは確かに、そんな言葉が漏れ出した。


「…………え?」







 あの時。

 俺の呼び止める声に、伏見先生はその場で足を止めて俺を振り向いた。

 覚悟なら、ある。ここにある。その上で俺は、聞いた。

「あいつのこと、教えてくれませんか。先生が知っている範囲でいいから」

「……どうしても、知りたいか?」

「あいつは大切な共同生活者(ルームメイト)です。大切だからこそ、知っておきたいんです」

 それに直接聞くのは少し、怖いし。

 先生は白衣のポケットに片手を突っ込んで、瞑目した。その姿に、やっぱりやめたとでも言われたらどうしよう、なんて一抹の不安が生まれた。

 と思っていたら、先生はそのままつかつかと俺の方へと歩いてきて、隣に立った。目の前には外気舎の崩れた建物が、ただひたすらに沈黙を保って立っている。

 先生は俺をついに見ないまま、こぼすように言ったっけ。

「──友慈くんは、感じないか。あの子が時々、そこにないはずのモノを感じたり、そこから影響を受けたりしているようには」

 俺は答えなかった。答える云々以前に、先生が何を言っていたのか分からなかった。

「僕はね、診察だとか治療であの子と対面したり、廊下を一緒に歩いている間に、不意にそう思うことがあるんだ。ああ、あの子は今、僕らには見えない何かを見ているんじゃないか、って」

「……それって、どういうことですか?」

 俺たちには見えない、何か? なんのこと? もしかして、院内をただようユーレイとか……?

 今まで目にした野塩さんの映像を、俺はすぐさま脳内で逆再生した。いや、そんな感覚があったこと、俺には一度もない。

 強いてあったとするならば……。その時、肝臓のあたりにぞぞっと寒気が走って、そこから先の想像を俺は無理に遮断した。

 はは、と先生は代わりに笑ってみせた。乾いた笑いだった。

「近代医学を振りかざして頭をいじっている医師が、何を言い出したんだって思うだろう? ところが、その話を本人にしてみたら、信じられないことにその通りだと頷かれてしまったんだ。そして、そんな勘を裏付けるような証拠に、僕は一度だけ出会ったことがある……」

「…………」

「──いや、やはりやめておこう。僕にもあれが仮説の域を出るのか、出ないのか、何とも言えない」


 それ以降、何べんつっついても先生は決して、その『証拠』のことを俺に教えてはくれなかった。




 今、あの瞬間と同じように、俺の腹には不気味な冷気がどろどろと下りてきている。

「そうなんだねって、何? なんのこと?」

 問いを発する口も、今やすっかり乾ききっていた。ああ、だから先生はあんなに乾いた笑い方をしたんだなぁ。知りたくなかったよ、くそ。

 野塩さんは腕を伸ばすと、それをベッドに立てて懸命に踏ん張った。えっ、ちょっと、起きる気なの? そう聞くよりも前に野塩さんは起き上がって、点滴のスタンドを手元へ引き寄せる。まるで、こうして歩くことにも慣れきっているみたいに。

「私のカメラ、どこにあるかな」

 尋ねられた俺は、ベッドの隣の棚を指差した。

「確かそん中に、松山さんが入れてたと思う」

「あ、ほんとだ」

 嘘なんかつけるはずないだろ、こんな状況下で……。

 野塩さんがカメラを手にし、レンズのカバーを外して画面をつけ、一枚一枚と写真を確認していくさまを、俺は黙って見守っていた。途中、何度か指が止まって、そのたびに野塩さんは唇をぎゅっと強く噛んだ。不穏な気配ばかりが、俺の周りで湧き上がる。

 やがて野塩さんは、俺を見た。


「本当はね、小屋が崩れたあの日、あの場所で、これを見せて話そうと思ってたんだ。でも、叶わなかった」


 その台詞で、思い出した。

 あの日、うっかりキスがどうのこうのと口を滑らせた俺を前に、野塩さんは何か意を決したようにして、カメラを見せてこようとしていたんだったっけ。

 『どうしても、どうしても、話さなきゃきゃいけないことがある』……そんな前置きをして。




「いつか必ず、この時が来ると思ってた。この写真、見て」


 言いながら野塩さんは、カメラを俺に差し出した。

 画面は真っ暗だ。俺がそれを覗いた刹那、野塩さんはカメラの電源スイッチを押した。

 ぱっと画面が点灯して、俺は思わず、カメラを投げ飛ばしそうになった。






 そこに写っていたのは廊下だった。

 下の情報表示に、撮影日が書いてあった。俺が来るよりも一年以上も前の日付が、そこには記されていた。


 そして、行き交う人々はみんな──白く白く、周囲に光を放っていた。






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