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君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第二章 君の不思議な“Sensation”
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Karte-11 興味と、恐怖と





 その夜は忙しかった。ICUにいる間、スマホをずっと病室に置きっぱなしだったために、送られてきたメッセージが膨大な量に膨れ上がっていたからだ。

 もっとも、大事な連絡なんてそう多くはないんだけど。そもそも心配のメールを寄越してくれたのなんか、事情を知ってる部活仲間や先輩だけだ。顧問の先生は機械音痴だから、こういう時は何も送ってこない。残る大半はメルマガの通知やら何やら、ごみ箱送りの内容ばかりだった。

 それからニュースのヘッドラインも溜まっていた。一個一個と確認する間はなかったから、冒頭だけをざっと確認した。そしてそれによれば、俺の手術中にスポーツ界では八百長が発覚して、隣国で国家元首が交代して、それから東京ではまた降雪があったらしい。

 累計積雪は四十センチ。過去に類を見ない大豪雪に、小学校や幼稚園で子供たちが遊び回る映像が、ニュースの冒頭を賑わせていたっけ。




 二十二時が来た。


 夕食中に色々と話してしまったせいか、俺も野塩さんもさっきから話題のネタ切れを起こして、特に何もしゃべっていなかった。

 窓の外は銀世界だ。病棟のあちこちに灯る照明が地面をも照らし出して、雪道はぼんやりと薄黄色に見えている。

「…………」

 野塩さんが、ちら、と俺の方を窺ってきた。行くか、行かないか。それを問うているんだろう。

「もう歩けるの?」

 代わりに俺は聞いた。

 野塩さんは、こくんとうなずいた。

「むしろ、術後の竹丘くんがちょっと心配だけど……」

「俺なら大丈夫だよ。こう見えて身体、ピンピンしてるし」

 見栄を張っていない証拠に、俺はさっとベッドから下りて得意の(もも)上げを披露しようとした。待って待って、と野塩さんが制止する。

「大丈夫なのは分かったから、今は無理しないで!」

「へへ」

 俺の照れ笑いが、決め手になったようだった。野塩さんの顔には笑顔が戻って、立ち上がった彼女はコート掛けに向かう。

 俺もコートを取りに行こうと、一歩を踏み出した。




──いいのか、俺。


 その時、理性という名札をつけたもう一人の俺が、心の中へ割り込んできた。

 なにがだよ、と俺は問い返す。

──お前、仮初めにもガン患者なんだろ。安静にしていなくていいのかよ。いくら術後経過がいいからって、調子に乗ってると痛い目に遭うぞ?

 俺はすぐには答えられなかった。理性はその隙をついて、さらに言葉を重ねる。

──大体さ、お前、自分が今どんな状態なのかも分かってないだろ。じっとしているのが嫌なのは、俺にだって分かるよ。でもさ……。

 それでも、と俺は声をわざと重ねた。

 術後だからって何かが変わったわけじゃない。この数日間、一度も外に出て自由に動き回ることを許してもらえなかった。今日くらいいいだろ、野塩さんも何だか楽しそうだし。

 コートを羽織った野塩さんは、今はボタンをひとつひとつはめているところだった。あのなぁ、と理性は呆れたように声を荒げる。

──手術中に見たあの夢、まさかもう忘れたわけじゃないだろうな。


 直後。

 目が眩むような感覚が突然に走って、視界に映る景色が一瞬だけ変容した。


 真っ暗な病室。昼の時間帯ですらない今、病室に届く光は何もない。

 そしてその闇の中にあって、俺の身体から放たれた正体の分からない輝きは、ほんの数メートル先に立つ人影を辛うじて照らしていた。


 おぼろに浮かび上がったのは、あの日この目で確かに捉えたはずの、不気味な野塩さんの姿。




「…………」


 俺はいつの間にか、両の拳を固く握っていたらしい。

「どうしたの?」

 野塩さんに尋ねられて、ようやく俺は我に返った。あはは、何してんだろ俺。そんなような返答をしながら、俺もコートを手にする。

 そして心の中で、念じた。日中ここへ入った時のように。

 いいか、俺。俺は確かめるんだ。あの夢が結局、何だったのかを。

 無根拠な夢だなんて到底思えない。ただの夢が、あんなにも鮮明に記憶に残るはずがないんだ。それに、あんなにリアルな夢にもならないはずだ。それに何より俺の胸には、夢の出来事が夢だけで済まされなかったことを示してくれる証拠が、確かにあるんだから。

 あの光の正体が分からないうちに、ここを出たくはない。中ぶらりんの状態が一番に怖いよ。あの夢に野塩さんが関わっているのかどうか、せめてそれだけでもいいから突き止めたいだろ。

 そんでもって、それをするのが病室というのは、あまりに怖いんだ……。


 理性の声は、いつしか聞こえなくなっていた。







 ざく、ざく、ざく。

 外を歩くとそんな音がした。数十センチも積もった雪を踏みしめるのは、初めての経験だ。

「いっぱい積もったねぇ」

 前を歩く野塩さんも、感動気味にあたりをきょろきょろ見回している。

「野良ネコとかイヌって、どうしてるんだろうね。寒そうだなあ」

「縁側の下とかにいるんじゃない?」

「縁側のあるような家、この辺で見たことある?」

「……言われてみれば、ないや」

 またくすっと野塩さんは笑った。笑って、つぶやいた。

「私もね、外に出るのは今日が久しぶりなんだ。前はいつも一人で来てたのに、竹丘くんが手術で姿を見せなくなったら、急に行く元気と勇気がなくなっちゃって」

「そっか……。じゃあ夜、何してたの?」

「昔のこととか、思い出したりしてた」

「昔のこと?」

 それ以上は答えずに、野塩さんはまたざくざく音を楽しみ始めた。俺も負けじと、野塩さんの横に立って音を鳴らして歩いた。

 野塩さんの胸の前には、あの馴染みのデジタル一眼レフカメラが抱えられていた。心なしかその抱え方は、いつもよりもしっかりとしていたような気がした。


 半分雪に埋もれたかと思うほど、小屋には雪が高く積もっていた。

 でも暖房を焚いてしまえば、寒さなんて敵じゃない。件のヒーターがガンガン仕事をする横で、俺たちはしばらくの間、また以前のようにゲームをしたりして遊んでいた。久々に挑んだトランプは俺が快勝し続けて、野塩さんは悔しそうに笑っていたっけな。

 時おり、外を冷たい風が吹き抜けた。小屋はそのたびに小さくきしんで、まるで山奥に立つ古びた山小屋のような風情があった。山小屋に泊まった経験はないから、何となくだけど。

 でも一時間近く遊んだ頃には、俺も前のように素直に時間を楽しむ感覚を完璧に取り戻して、次はあれやろうぜ、なんて野塩さんに提案できるようになった。

 野塩さんも、寂しかったのかもしれない。遊んでいる途中に横顔を何度も目にしながら、野塩さんに面会者が一度も来なかったのを思い出して、俺はぼんやりとそう考えた。……いや、でも既に入院歴二年を数える野塩さんのことだもの。そんなものはもうとっくに克服している、ってことも考えられるよなぁ。

 二年間の闘病生活か……。

 俺の知らない地獄を見てきたのかもしれないその背中が、ふと、立ち上がった。


「わ、すごい……」

 野塩さんは口を開けたまま、そんな言葉を落とした。

 俺も後ろに立って、その視線の先を見た。風が強く吹いて、木の枝から落下した粉雪がぱらぱらと木立の間を舞っている。

 そしてそこに月の光が差し込んで、舞い踊る粉雪は白く淡い光をまとっていた。

「わぁ……」

 俺も言葉を失っていた。一足早く失語症から抜け出した野塩さんが、あれだね、と言う。

「ダイヤモンドダストみたい」

「何だっけ、それ」

「北国とかで、吹雪いている時に太陽の光が差し込むと、吹雪が光の形にキラキラ輝くんだよ」

「見たことあるの?」

「お父さんが昔、このカメラで撮ってくれたんだ」

 言うなり野塩さんはカメラを構えて、ぱしゃり、とシャッターを切った。撮れた画像を覗き込む目は、さっきの粉雪よりも何倍もキラキラしている。瞳に画像が反射したせいかもしれない。


 俺が言えたことじゃないのは分かっているけど。

 こういう時の野塩さんって、すごく無邪気だ。目の前に現れた何かに純粋な感動を寄せて、そのたび、嬉しそうに顔をほころばせる。

 その背中をじっと見ながら、俺は浮かんだ疑念をもてあそんだ。

 この野塩さんが、あの不気味な野塩さんと同一人物? そんなの、有り得ない。有り得るはずがない。

 でも、だったらあれは何だったんだ。どうして野塩さんの姿をして、どうして俺たちの病室にいた?


 ──“手術なんて夢を見ているようなものだから、怖くないよ”──。


 手術の前日、野塩さんが俺を落ち着かせるために言ってくれたあの台詞さえも、今は俺の恐怖心と猜疑心を煽るためだけに存在しているように思えてしまうんだ。


 直接、聞こう。夢の内容を話して、身に覚えがあるかどうか、もしくは今までに似たような夢を見たことがあるか、質問してみよう。

 そこから先は、その返答次第で考えればいい。


 ぱしゃり、と軽快な音がまた響いた。振り返った野塩さんは俺にカメラを差し出して、首をかしげる。

「竹丘くんも撮ってみる?」

「俺────」

 苦い唾を飲み込んだ俺に、その問いかけに答える気はなかった。

 俺はまっすぐに野塩さんを見つめて、口を開き直した。




「野塩さん、俺にキスってした?」






────!?


 野塩さんの顔が、見る間に下から真っ赤に染まった。鏡がないから見えないけど、たぶん俺も、そう。

 いやいやいや、落ち着けよ俺! なんでよりによってそこから聞いた!? もっと順序立てて説明しろよ! これじゃ俺、野塩さんをナンパしてるのと変わんないよ!!

「いやっ、違……今のはその……っ」

 あたふたするあまり、ろれつがまともに回らない。はじめ真ん丸に見開かれていた野塩さんの目は、今や俺から逃げるように足元へ向かっていく。

「待って、マジで違う! 違うんだよ!」

「き……キス……」

「とりあえずその単語は忘れて! 違うから! 別にしたいわけじゃないし、俺だってしたことないし……!」

「…………」

 弁解すればするほど墓穴が深くなるような気がした。ああ、もう、どう足掻いても絶望だ……。

 野塩さんはカメラをぎゅうと抱きしめ、俺は手持ち無沙汰のまま、俺たちは二人して沈黙の海に沈んでいた。風がだんだん強くなっていくのが、そのおかげであちこちの木の上から雪のかたまりが落下しているのが、その沈黙の中ではあまりにはっきりと聞き取れる。




「……しても、いいよ」


 一分後、先に口を開いてそう言ったのは、野塩さんだった。


 してもいいよ、って……。

 たった今この場で耳にしたばかりの台詞なのに、聞き間違いかと思った。いや、そうであってほしい。でなきゃ俺たちの状況とセリフが、俺たちの関係とセリフがまるで一致しない。

 でも野塩さん自身が、そのセリフを裏付けてしまった。彼女は聞いたんだ。

「軽いの? それとも、その……ディープ?」

「どっちでも……」

 最後につけたはずの『ない』が、声が尻すぼみになったせいで脱落した。

 野塩さんは俺に目を向けた。隅から隅まで真っ赤なその顔が、どうしようもなく可愛かった。

 ああ、元から俺って野塩さんのこと、けっこう可愛いなって思ってたんだったなぁ……。こんな状況でなかったら、こんな関係でなかったら。つくづく不運な自分を、心から俺は呪った。

 分かってるんだ。これは、勢いとか場の雰囲気でしていいことじゃない。理性が顔を出すまでもなく、分かっていたんだ。

 俺と野塩さんの関係は、せいぜい言って友達ってとこだ。身体が触れるくらいは許してくれるかもしれない、でもキスは駄目だ。何があっても、ダメなんだ。

 それをしたが最後、俺たちはもう今までみたいに気軽に遊べる仲には戻れなくなってしまうんじゃないか……それが俺にはただ、ただ怖くて。


 俺が黙っている間に、野塩さんの固めた決意のような何かも、端から少しずつ崩れていったんだろうか。いや、そうじゃなかった。野塩さんはぺたんとしりもちをついて、カメラを見て、それから改めて俺に視線を戻して、言った。

「──いいよ。私、覚悟ならいつでも決められる。キスでもいいし、カノジョにだってなる。竹丘くんがそうしたいなら」

「えっ……」

「でも、待って。少しでいいから、時間がほしい」

 俺はぴくりと動きを止めた。

 しばらく逡巡するように目をあちこち移していた野塩さんの表情からは、いつの間にか赤い色が消え去っていた。


「何でもしていいよ。でもその前に、どうしても、どうしても、話さなきゃきゃいけないことがある……」


 野塩さんの唇は、真一文字に固く固く結ばれている。

 ここから先は浮かれた話では済まなさそうだと、すぐに俺にも分かった。

 そもそもここで俺は、断るべきだったのかもしれない。俺はたださっき、口を滑らせただけだ。野塩さんと口づけを交わすなんて今の今まで考えたこともなかったし、それを受け入れる覚悟もまだ、ないのに。

 でも俺は、黙って先を促した。


 確かな予感が燃え上がったのに気付いたからだった。

 ここから先に野塩さんは、何かを隠している。そしてそれは、俺が手術で見たあの夢につながる真実の欠片を、きっと秘めている。そんな、あまりにも漠然としていて根拠のない、でも不思議と確からしく思える予感だった。




 ごくん。

 息を呑んだ野塩さんは、カメラを手に取った。

 そして。


「見て────」


 その画面を、俺に見せようとした。








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