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君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第二章 君の不思議な“Sensation”
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Karte-07 確定

挿絵(By みてみん)



 懐かしむほど好きじゃなかったわけじゃない学校生活が、ようやく何だか遠い日のことのように思えてくるようになってきた頃。その日は、訪れた。

 そう──俺の脳腫瘍の検査結果が判明する日だ。






 運命の五日目は、朝から雪の舞う寒そうな一日だった。窓から望める下界の景色も心なしか白っぽくて、まるで病院だけがこのぼんやりとした世界を別の場所から見下ろしているみたい。

 昼ご飯の時間も過ぎて、暖かい院内の空気で白く曇った窓を見ていた俺のもとに、松山さんと連れ立って伏見先生がやって来た。あれは確か、十六時くらいのことだったかな。

「お母さんからも、もうすぐ来院されると連絡があったの」

 カルテを胸の前に抱えて、松山さんはやけに優しい声色で言った。

「だから、詳しい話はその後になるわ。まだ時間もあるし、もし友慈くんが聞きたいのであれば、その前に簡単に話をしても構わないんだけど……」

「あ、じゃあお願いします」

 最後まで聞かずに俺は答えた。焦らされるのは好きじゃないからね。遅かれ早かれ、直面することになるんだもの。

 だけど答えた直後、松山さんの表情にさっと影が差した。代わりに伏見先生が進み出てきた時点で、話のおおよその成り行きは見えてしまったようなもんだった。

 こういうのって、なんか嫌だな……。

「検査の結果は、このように出たんだ。この写真を見てほしい」

 伏見先生が取り出した三枚の紙を、俺は順に眺めていく。

「これ、なんですか」

「一枚目の白黒がCTスキャン、二枚目のカラーがMRI、それから三枚目がPETで撮影した、友慈くんの頭部の写真だ。真ん中にどんと在るのが、脳だよ」

 ……“PET”の名前を聞いた瞬間、顔が強張ったのを覚えてる。

 『PET』──陽電子放出(ポジトロン)断層撮影は、CTやMRIの結果を踏まえた上で二日前に俺が受けた検査だ。CTと同じコンピューター断層撮影の一種で、こっちの特徴は陽電子とかいうものを用いて身体の中の細胞の働きを撮影するものらしい。先生が言うには、がん細胞には正常な細胞よりもたくさんのブドウ糖を取り込むっていう性質があるんだそうだ。だから、ブドウ糖そっくりな性質の造影剤『FDG』を注射してそいつをPETで観察すれば、がんの正確なサイズや状態が分かるっていう仕組みなんだとか。頭がいいなぁなんて呑気に考えていたけど、実際のところ検査はけっこう、ツラい。

 ドーナツの形をした検査機械に入って撮影するっていうのは同じだったんだけど、この検査をする時には五時間前から断食しなきゃいけなかったし、検便が必要だったし、造影に使う薬剤を注射してから一時間も動かないようにしていなきゃいけなかったし……。しかも基本原理がCTに近いから、がっつり放射線被曝するらしい。CTとMRIとMRAの悪いところだけを抽出したような検査だ、正直もう二度と受けたくないです。

 ああくそ、注射の痛みとか断食のキツさを思い出したら、口の中に苦い唾が湧いてきた……。そんな俺に、先生は尋ねる。

「大丈夫? ……やっぱり説明は、お母様がいらしてからにしようか」

「いや、何でもないです! 続けてください!」

 そうだよ俺、今は目の前のことに集中しろ。改めて三枚の画像に、俺はまじまじと見入った。


 一枚目のCTは白黒。二枚目のMRIと三枚目のPETはカラーで、どっちかっていうとPETの方が鮮明だ。どれも肉眼では絶対に見ることのできない、俺のお腹の中を切り取った写真なんだ。

 へぇ……。大仰な姿してるなって前から思っていたけど、やっぱりあいつらってすごいんだなぁ。どうしてこんな写真が撮れちゃうんだろう。なるべく素直に感動するように心がけながら、俺は写真をじっと見つめた。




 なるほど、分かる。素人目にも明らかに異質に見える何かが、その脳内に写っているのが。




「残念ながら、友慈くんの脳に腫瘍があることが確定したよ」

 伏見先生は静かにそう告げると、じっと目を閉じた。松山さんも同じだった。


 外で降りしきる雪のせいなのかな。その一瞬、俺たちの病室から、あまねく音が一斉に姿を消した。

 まるで俺に向かって、『時間をやるから現実を受け止めろ』とでも命じているかのように。


 けど、なぁ。

 俺は頭をがりがりと掻いた。それから、思い付いたことを口にした。

「……あの、俺まだよく分からないんですけど、脳腫瘍って要はガンみたいなもんなんですよね?」

「そういう感じかな……」

「ガンってこんなに楽なんですか? 俺、ガン患者ってもっとうんうん言いながら苦しんだり痛がったりするもんだと思ってたから、何かこう、実感がなくて」

 そう、実際その通りなんだ。今の俺には痛みもないし、身体を異常に蝕まれている感覚があるわけでもないんだもの。

「そういう患者さんもいるのよ──」

 言いかけた松山さんを制して、伏見先生は口を開いた。なぜだろう、少し声色が明るくなっているような。

「実感が伴っていないのは、転移が進んでいない証拠だよ。その点は喜ばしい」

「何ですか、転移って」

「成長したガンの細胞は、やがて様々な手段を使って全身に広がるんだ。それが転移で、そうなってくるともう手の打ちようがなくなる」

 思わず、ぞっとした。ガンっていうのはどこまで人間を殺す気満々でいるんだろう?

「こちらとしては、大きな転移が見られない良好な状態のうちに、問題の脳腫瘍の摘出手術を行いたい。そうすれば友慈くんはまだ、十分に助かる見込みがあるんだ」

 伏見先生は俺を見て、笑った。

「お母さんが来たら、本当に手術をするかどうか一緒に相談するといいよ。ただ、なるべく早めに判断を下してほしい。時間切れで取り返しのつかないことになったら大変だからね」




 その後、松山さんの言った通り、母さんが見舞いにやって来た。ついでに例の三人も来てたから、そいつらには待合室で待機していてもらって、先に脳腫瘍の話を二人で受けた。

 まぁ、当たり前なんだろうけど、母さんの受けた衝撃は並大抵のものではなさそうだった。

「そんな……、そんな……」

 ふらふらと椅子にへたり込む母さんの姿は、見ているこっちが憐れみを覚えたくらいだ。

 いや、ほんとはその立場、逆だと思うんだけどな……。患者の俺の方がショック受けてないって、実際どうなのよ。

「ガーン! って感じだよなぁ」

 ベッドに寝転んだ俺がのんびり笑って言うと、母さんはものすごい目付きで俺のことを睨んできた。

 うわっ、怖い。駄洒落くらい見逃してくれたっていいのに。思わずどきりとしたのと、伏見先生がそんな母さんの前にずいっと身を乗り出したのは、同時だった。

「我々からは、手術をお受けになることを強く薦めます。お子さんの脳腫瘍を摘出して、これ以上のがん細胞の増殖と転移を防止するんです」

「それは、確かに効くんですか……?」

「未知数ではありますが、友慈くんの場合は成功の見込みが高いと考えられます。運動部員の友慈くんには体力がありますし、自覚症状もまだ確認されていませんから」

「…………」

 母さんは無言で、再び俺を見た。答えが求められているのを咄嗟に悟った俺は、また笑ってみせた。

「俺は手術、怖くなんてないよ」

「……本当?」

 何だよその不安そうな眼、ちょっとは信用してほしいなぁ。だめ押しのつもりでうなずくと、母さんもようやく覚悟を決めたように、伏見先生に向き直った。

「……よろしく、お願いします」


 こうして、手術は即決したんだ。


 詳しい話と手術に関する相談がある。そう言って、伏見先生は母さんを連れて出ていった。

 代わりに入ってきたのは、山田や中西たち部活仲間だ。というか俺が「入っていいよ」って言ったんだけどね。

「よー、なんか大事そうな話でもあったのか?」

 さっきまで暇潰しにゲームでもしてたんだろう。スマホを片手に中西が、軽い口調で尋ねてきた。

 こいつらにはちょっとオーバーに伝えてやろうか。いたずら心が芽吹いて、俺はわざと表情と声を暗くした。

「……ガン、だってさ」

「え」

 中西の顔が引きつった。山田は目を剥いた。畑の抱えていた漫画は、ばさばさっと音を立てて床に落下した。

 分かりやすいくらいの動揺に、俺の方が苦笑したくらいだった。

「ま、マジで言ってんの……?」

「マジだよ。嘘ついたってどうにもならないだろ」

「じゃあ手術すんのか? 部活は!?」

「することになったよ。部活はまぁ、当分は無理だろうなー」

 母さんの時と同じで、俺よりも周囲の方が俺の脳腫瘍に驚いてる。考えてみたらこれってすごく、不思議なことじゃないのかな。……もちろん、ただ俺が能天気なだけかもしれないけどさ。

 きっと“ガン”っていう単語の持つ脅威は、それほどまでに大きいということなんだろうな。俺だって、例えば母さんや父さんが突然ガン患者になったなんて知らされたら、似たような反応を示すのかもしれない。

 でも今度は違う。俺の未来展望がまだ明るいこと、俺の身体自身が知っているんだ。

 だから俺には、それを発信する義務がある。みんなの心配を晴らすために。

「前にさ、監督に戦力外だと思うなよって伝えてもらったじゃん?」

 さっきまでの偽物の暗い表情を捨て去った俺は、口を歪めて悪役みたいに笑ってみせた。

「……ああ」

「勝手に取り消さないでくれよな、あれ。俺は復帰する気でいるからね」

「でも……」

「俺、お前らが考えているよりずっと、元気なんだぞ」

 そう言うと俺は、畑が床に取り落としたままの漫画に手を伸ばす。

「お、新刊じゃん! 読みたかったんだー、お前もう読んだの?」

「俺たちは読んだよ。お前に貸そうと思って持ってきたんだけど、でも……」

「そう来なくっちゃ! 明日また来いよな、そしたら返すからさー」

「……確かに元気だな、友慈」

「さっきからそう言ってるじゃんか」

 そこまで畳みかけてようやく、三人の顔に少しの安寧が戻ってきた。俺もちょっと、ほっとした。


 心配されるのは正直、面倒くさい。そんな悪い容態じゃないですって、いちいち説明したり態度で示さなきゃならない。

 でも、そうしなければならない状況が続くことって、俺にとって本当は幸せなことなのかもしれない。それはみんながそれだけ、俺のことを気にかけて、大切な存在だと見なしてくれていることの証だと思うから。

 余計な心配をこれ以上長引かせないためにも、手術、頑張らなきゃな。まだ具体的に何をするのかも知らない摘出の手術に、俺は早くも思いを馳せ始めていた。


 呑気に漫画を読む俺を見て、今日ここを訪れた理由を三人はようやく思い出したらしかった。そう、前日にあった陸上の地区大会の結果報告だ。

 リレーチーム、無事に勝ち越したらしい。ま、そうだろうとは思っていたけどさ。いざ結果を聞くと安心感が大きくて、やったじゃんって俺からも言っておいた。

「監督には俺たちから『あいつは死にそうにないです』って報告しとくよ」

 やっと普段らしい調子に戻った山田が、そう言ってくれた。それから母さんが戻ってくるまでの三十分くらいかな、俺たちはいつものように下らない話をして過ごした。

 俺を見つめる松山さんの顔は呆れに近かったような気がするけど、見なかったことにしておこうと思う。俺が呆れられるの、今に始まったことじゃないしね。……誇ることでもないか。




 雪は夜になる前に止んで、空はまた綺麗に晴れ上がった。明日からはまた雪が降り始めて、予報ではそのまま数日間は降り続くらしい。そうでなくても降雪の少ない東京で、しかも二月の下旬にしては珍しい、大雪になりそうだった。

 よく冷えた地面を踏みしめつつ、俺と野塩さんはその日も例の小屋に向かった。

 行かない理由がないよ。手術はまだ先だし、自覚症状とやらが出るまではまだまだ退屈な日々が続くだろうし。

 少し歩いて後ろを見れば、一センチほどうっすらと積もった雪の上に、二人分の足跡が黙々と並んでる。何だか面白くて、何だか新鮮な感覚がした。


「そっか、やっぱり脳腫瘍だったんだね……」

 俺の話を聞いた野塩さんも、うなだれた。午後は完全に眠り姫と化す野塩さんは、俺たちの面会中のやり取りを何も知らなかったんだ。

 さしもの野塩さんでも、こんな反応になるんだな……。相変わらずの実感の乖離のせいで、やっぱり俺は複雑な気分だった。

「ま、でも先生が言うには、摘出しちゃえば大丈夫なんだってよ。母さんとも話し合って、一週間後くらいに摘出手術ってのをしてもらうことになったんだ」

 七並べのためにトランプを切りながら俺は言った。ここまで他人事みたいなガン患者、日本中で俺だけなんじゃないかな。だとしたら誇らしいや、誰か出てきて俺を表彰してよ。

「誰が手術するの?」

「分からないけど、伏見先生がそのままやるんじゃねーかなあ。だって主治医だし」

「なら、安心だね」

 野塩さんは首をちょっと傾けて、微笑む。

「あの人の手術、受けたことあんの?」

「あるよ。だって私の主治医も伏見先生だもん」

 初耳だ。

 そうか、だから俺と野塩さんは同室にされたのかな。松山さんも俺たちの病室の担当みたいだし、同じ主治医なら同室の方がきっと管理も楽なんだろう。

 野塩さんが、くすっと笑ってトランプを手にした。ハートの七を床に置きながら、上目遣いに俺を見る。

「ガン宣告を受けた患者さんって、みんなものすっごく暗くなって、悲観的になっちゃうの。竹丘くんはそうはならなさそうで、よかった」

「なってたまるかっての」

 俺もスペードの七を引っ張り出す。

「今日さ、部活の奴らが見舞いに来たんだ。地区大会の結果、教えてもらった」

「どうだったの?」

「一位通過だよ! 都大会に無事、進出だ」

「おー。竹丘くんの学校、すごいんだね!」

「でも都大会は厳しいよ。エースの俺がいなかったら、きっと関東大会には行けない」

 七のカードをすべて置き終えると、俺はきっぱりそう言った。

 驕りでも自慢でもないつもりだ。。だって以前、監督にそう言われたんだもの。でも、野塩さんが俺を見る目がだんだんとキラキラの度合いを増していくのが感じられて、俺も満更でもなかった。

 もしも調子が良くなったなら、野塩さんにも都大会の会場に来て、俺たちの活躍を見てほしいんだけどな。

 そんなことを考えかけて、俺は顔が少し赤くなってきたのに気付いた。いやいや違うって、これはそういうのじゃないし。照れ隠しのつもりで、ハートの六を七の隣に勢いよく置いた。

 それから、ふっと思い付いて、聞いた。

「──野塩さんはクラブとか部活、何をやってたの?」




 野塩さんの動きが、ぴたりと止まった。


 …………?

 何だろう。俺、もしかしてうっかり何か悪いことでも口にしちゃったか……?

 ともかく謝った方がいいように感じて、俺は硬直した野塩さんに声をかけた。

「……あ、ごめん。俺──」

「ううん」

 野塩さんはそう言って、手に持っていたカードを置いた。

「ごめんね。私ね、部活とかって何も参加したことないんだ。ほら、中学に入ってそんなに経たない間に、もう入院しちゃったから」

 やっぱり俺は地雷を踏んでいたんだと、はっきり俺は思い知った。

 あーあ、口にする前に立ち止まっていれば……。でも謝ろうとすると、野塩さんは俺の前に人差し指を立てて、またいつものように微笑むんだ。

「気にしないで。私、身体が昔から良くなかったから、どっちにしろ部活にはそんなに参加できなかったと思うの」

「…………」

「ほらほらー、次は竹丘くんの番だよ?」

 うわ。すっかり忘れてたよ。




 結局、そのあとは特にその話題を引きずることもなく、俺たちはいつものように夜を明かした。

 七並べは俺の惨敗だった。こういう頭を使うゲーム、苦手なんだよな。どうせ脳筋だしって拗ねたら、私だって強くないよと野塩さんは苦笑していたっけ。野塩さんに言わせればこんなものは慣れの問題で、経験さえ積めば考えるのが遅くても簡単にできるようになる、とか。経験則ってすごいんだな。

 でも帰り際、外に出た野塩さんが白い息を吐きながらつぶやいた一言は、未だに俺の記憶に染み付いて離れることがない。


「──何もかもやり直すチャンスが、その辺に転がってたらな……」


 曇のない透明な夜空から吹き下ろすその夜の風は、とりわけ冷たかった。





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