ハゲだから異世界で増毛したい
人生には失われると返ってこないものが三つある。青春時代、両親、そして髪の毛である。これらは昔から言われてる事実だ。例えば、少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。例えば、樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず。例えば、髪亡びて頭寒し。中国だけではない。日本にも、髪抜けて 頭皮が寒し 秋の風。そんな句があるのだ。
秋風から避けるためという訳ではないのだが、私はぶらりと理容室に入った。
「いらっしゃい」
理容師が私の頭を一瞥して、「こちらにどうぞ」と席を勧める。
「今日はどうしましょう」
どうするもこうするも後ろや横を整える程度しか仕様がないのは誰の目にも明らかである。私はこの白々しい理容師をからかってやるために、こう言ってやった。
「前髪は短めに。後は適当に整えてくれ」
流石に自虐的すぎた。だが、店主の困惑した顔が見れたのだ。十分だろう。
薄い髪を梳かされているうちにリラックスしたのか、私はいつしか微睡んでいた。
意識が闇に落ちたのに気が付き、慌てて顔を上げる。私は眼前の景色に眠気が吹き飛んだ。目の前にあるはずの鏡は無く、後ろに居るべき理容師は居ず、辺りに壁や天井があるべきはずが森の中だったのだ。
戸惑う私の前に一人の青年が現れた。そう、やって来たのではなく、突然現れたのだ。なるほど、私はまだ起きてはおらず、夢の中なのだろう。
「僕は神。あなたから絶望を感じて救いにきました」
ああ、髪の事を考えていたからこんな夢を見ているのか。
「あなたにチート能力として----」
「夢なら髪を増やしてくれないか?」
折角の夢なのだ。神に我儘を言ってもいいだろう。
「いえ、夢では無くて……」
「髪を増やせないならどこかに行ってくれないか?」
「はぁ……それでは、お役に立てなかった様ですみません」
神は申し訳なさそうに消えた。カミが失われたのだ。夢とはいえ、縁起でもない。ただ、神の力を越えた願い事だったことだけは確かなようだ。髪だけに。
さて、起きよう。あまり寝ていても理容師に迷惑をかけてしまう。ところが起き方がわからない。普通なら、「えいや!」と力めばなんとなく起きれるものだが、起きれる気配がない。或は、普段の夢も記憶してないだけで、こんなものなのかもしれない。
仕方がないので、目が覚めるまで辺りを散策しよう。私がそう思っていると、四人の人相が悪い男たちに出会った。だが、この男たちの特徴は人相よりもその異様な恰好である。毛皮の出来損ないの様なものを羽織っていた。仮装のつもりだろうか? ハロウィンはもう終わっているというのに。
「おい、有り金を全部置いて行け」
男の一人が脅してきた。親父狩りという奴だろうか。ただ、恰好からすると追い剥ぎといった感じである。断じて、『おいハゲ』ではない。
「それともコイツの餌食になりたいか?」
男は刃物をチラつかせる。刃物というよりは鉈と言った感じである。仮装ついでに持っているのだろう。しかし、どう見ても銃刀法違反である。最近の警察はどうなっているのであろう。そこまで考えて、ここが夢であることを思い出した。
「どっちか決めろよ、このハゲ」
面と向かって言われると流石に腹が立つものである。
「少し失礼じゃないか?」
「あっそ、じゃあ死ね」
男の一人が無造作に近づいてきた。普段なら関わらないのだが、夢の中だからいいだろう。
私は男の顔面に拳骨を喰らわしてやった。男は堪らずにもんどりを打つ。他の連中が驚いている隙に刃物を拾い、倒れてる男に取り押さえた。
「消えろ。さもないと、この男の髪の毛を毟るぞ!」
人に向かってハゲと言う奴にはふさわしい罰だろう。
男たちの一人がブツブツ言い始めた。考え事が外に漏れるタイプなのだろうか?
『ファイア!』
と、その男が叫ぶと手が光った。眩しさで私の不意を衝くつもりなのだろうか。それともハゲが眩しいとでもからかうつもりか。後者なら、この男の髪の毛を毟ってやる。
私がそんな腹積もりでいると、男が火達磨となり転げ回り始めた。「おい、大丈夫か?」
心配となり近づくと、残りの男たちが恐怖と狼狽の表情浮かべて逃げて行った。火達磨となり転げ回る友人を見捨てるとは最近の若者は薄情である。仕方がなく、私は上着で男を叩きその消火に協力してやった。
気が付けば、私が取り押さえていた男も逃げていた。警察を呼ばれる事を考えれば真っ当ではあるが、人情の無さに情けなくなる。もっとも夢である以上は、私がさも有りなんと思う行動である以上はおかしくはないのだろう。
ようやく消火に成功した私は、その男に声をかけて安否の確認をしてみた。
「意識はあるか?」
「へ、へい」
男は振える声で応じる。救急車を呼ぶために携帯を取り出しながら男に質問を出す。
「ここはどこだ?」
「へ?」
警察を呼ばれると思って暴れられても困る。安心させる一言をかけ忘れていたことを思い出した。
「救急車を呼ぶだけだ」
119にかけようとして気が付いた。圏外である。
人が居る場所に連れて行くか、水場で体を冷やしてやるしかないだろう。
「おい、立てるか? おぶってやるから、川とかの水場か町の方向を教えるんだ」
「ここから少し行けば町が……」
力なく腕を差し出してきた男を私は背中に載せて森を歩いた。
十分もしないうちに町が見えてきた。彼らは町の近くであんなことをしていたのだ。夢とはいえ杜撰である。
「オイラは旦那を襲ったのに、本当に済まねぇ」
背中で男が謝っている。
「……こんなに親切にして貰ったのは始めてだ」
そして泣いてもいるようだった。
そんな男の相手をしているうちに町についた。なんだかゲームに出てきそうな素朴な中世といった感じの町である。私の中にこんな願望があるとは驚きである。
「病院はどっちだ?」
驚いてばかりもいられない。男を病院に連れて行かなければならないのだ。
「病院? 治療院なら、そこの角を曲がった所でさぁ」
ふむ。名称が違うらしいがそこでいいのだろう。
治療院とやらの治療には驚いた。
「ヒール」
医者らしき女がそう言って手をかざすと、男がみるみる元気を取り戻すではないか。
「いやぁ、すいやせんねぇ」
男は全身を擦りながら、私や医者に礼を言っている。
「しかし、旦那の……あの魔法反射? アレはどうやったんでさぁ」
私が知る訳がない。魔法というのだって知らなかったのだ。もっとも『ハゲだから!』なんていう理由だったらとりあえず壁を殴ってドンという音を出すだろう。それよりも気になることがある。
「魔法で怪我を治せるってことは、ハゲ……いや髪の毛が生える魔法もあるのか?」
怪我も『毛が』も似たようなものだ。あるものと信じたい。
「ありますよ」
女医がさも当然と答える。
「かけましょうか?」
もちろん二つ返事をした。
彼女は私の頭に手をかざすと詠唱を始める。
『偉大なる龍王 その炎よりも紅き赤 深淵に住む魔王 その住処よりも昏き黒 天空に住まう天使 その羽よりも輝き白 大海の海王 その肉体よりも蒼き青』
手がわずかな光を帯びる。
『ケガハエール!』
そして閃光。私の前には腕毛がフサフサになった女医が居た。
「キャーーーー‼」
その時、女医の叫びとは別の声が後ろから聞こえた。
「どうですか、チート能力、オートリフレクは?」
自称神の青年がいつの間にかそこにいた。いやな予感を感じ頭を触る。毛がない。禿げたままだ。
「自動的に魔法を反射するので、魔法が強いこの世界では無敵ですよ」
「ふざけるな‼ 私の髪を返せ‼」
私としたことが、つい激昂してしまった。返せも何も元からないのだ。怒るのは筋違いだろう。
「失礼。このオート何とかは外せないのか?」
「外せることは外せますが……二度と付けませんよ」
「構わない。外してくれ」
「ですが……髪の毛なんてなくても、その能力でモテモテになるし、お金持ちにもなれるし、権力だって手に入れられますよ?」
「そんなものは努力すればどれも不可能ではないだろう。もちろん運もあるがその努力こそが尊いのだ。だが、髪の毛だけはどうしようもない! 努力は滑稽であり、その努力も実を結ばなかったのだ!」
「は、はぁ……では外しますね」
青年は腕を振ると「はい。外れました」とあっさりしたものである。
さて、青年を信じるとして、もう一度魔法をかけて貰わなければならない。
「もう一度……」
「嫌です」
頼む前に、腕毛がふさふさしてる涙目の女医に断られた。彼女の気持ちもわからなくもないが、私も引き下がるわけにはいかない。
「この通り!」
私は土下座していた。
「帰ってください」
「オイラからもお願いしやす!」
私の隣で火傷を負っていた男が土下座した。
「この旦那は襲ったオイラを背負ってここに運んでくるほど立派な方なんでさぁ」
「……」
「この通り」
男が床に頭を打ち付け始めた。
「わかった! わかったわよ! 床が痛むし、血で汚れるから止めて頂戴! その怪我を治すのもあたしなんだし」
男の情熱に折れた女医が了解してくれた。男になんと感謝すればよいのか。情けは人の為ならずとはこの事だろう。
『ケガハエール』
女医の言葉と共に頭がムズムズする、そして視界に何かがかかる。……これは毛に違いない! 大学時代以来の再会であった!
「ああ、ありがとう! ありがとう! なんとお礼を言っていいのやら」
私は手に剛毛を感じた。無意識に女医の手を取っていたのだ。
「ま、まぁ……よかったわね?」
彼女は明らかに気圧されていたが、この喜びはハゲ仲間にしかわからないだろう。
「おや? 絶望がなくなりましたね。元の世界に帰りますか?」
喜ぶ私に青年が声をかけてきた。
「ああ、あなたが神か」
「ええ」
「半信半疑で申し訳なかったです。本当にありがとうございました」
「わかって貰えて何よりです。それで、どうします?」
「勿論、帰ります」
家族も仕事も待っているのだ。ふさふさの髪の毛と共に我が家に帰ろう。
「旦那~ さっきから誰と話してるんですか?」
どうやら、青年は私にしか見えないようだ。
「それでは帰しますよ」
その青年が私に声をかけてきた。男や女医には世話になったのだ、一言挨拶だけはしておかないといけない。
「いや……もうお別れだ。短い間ったが世話になったな」
「なにを言ってるんでやすか⁉」
私は涙ぐむ男と呆れ顔の女医に手を振って別れを告げた。それと同時に視界が暗転した。
誰かが肩を揺らす。
「旦那、旦那って」
うん? まだ帰ってなかったのか? いや、あの男とは声が違う。そしてすぐに理解した。例の理容室だ。急に毛が生えてさぞ理容師も驚いていることだろう。
だが、なんて事だろう。鏡の前の私は以前よりも毛が短くなっただけで、禿げたままだった。
「こんなものでいいですか?」
「あ、ああ……」
「なにか失敗してますか?」
私の失望が声に出ていたのだろう。理容師は失敗したかと不安気であった。
「いや。これでいい。ありがとう」
理容室を出た私は考えた。こんな説話を聞いたことがある。夢の中で毛が生えて嬉々としてたが、もしかしたら、禿げてる現実の方が夢なのかもしれないという奴だ。そう『禿頭の夢』。
髪を切り一層薄くなった頭に一陣の秋風が吹いた。