記憶
10年前、彼はまだ6歳だった。
その時は能力に目覚めたばかりで、自分の意思とは関係なく感応が常時発動しているような状態だった。
そのせいもあり、幼等部とはいえ、人間と機械の違いは理解していたし、人によって表裏があることは理解していた。
また周りの子供たちが無邪気そうにマムにじゃれつく姿を見て、ひどく滑稽に見えた。
どんなに愛情を向けても、どんなに甘えても、マムは心を持たない。冷たくプログラムされた機械でしかなかった。
そんなある日、区画都市はマイグレートを迎えた。初めて経験するマイグレート。都市全体が華やかなムードに包まれ、皆が喜んでゲートに向かう。
新たな門出を都市が祝福し、それに応えるようにマイグレート対象者達が旅立って行った。
都市人口の三割以上をたった数日で失ってしまい、街は閑散としている。
居住区を闊歩する人も、確実に減少しているのが幼子にも伝わってきた。
そしてマイグレートが完了した夜にそれは始まった。
子供たちが静かに寝ている中、微かに声が聞こえたのだ。
『た……て』
眠りに落ちる寸前に響いた声。
ガヤガヤと煩かった子供達の声は今は静かな寝息となっている。
少し気になったものの、眠気には勝てない。
再び瞼を閉じ、眠りに就こうとした瞬間、先ほどよりも明確に声が響いた。
『たす…て』
身体を起こし辺りを見回す。
しかし別段変った様子は無い。
泣きじゃくる子供も居なければ、それをあやすマムの姿も視界には映らなかった。
『たすけて』
不意に頭に声が響いた。
そしてそれは叫びへと変る。
頭が痛くなるほどの絶叫。
毛布を被っても鳴り響く悲鳴。
苦痛に歪んだ声、声、声。
視界すらも覆うほどの幾千、幾万の助けを呼ぶ声。
愛しい人を呼ぶ声。
友を呼ぶ声。
憲兵を呼ぶ声。
それはただただ、助けを呼ぶ声だった。
ありとあらゆる苦しさを凝縮した轟音が脳裏を支配する。
目を閉じても、耳をふさいでもその『声』が治まることはなかった。
何時間経過しただろう。朝を告げるアラームがもうすぐ鳴り響き、夜明けを告げるだろうが少年には、それを知る余裕は無かった。
強い苦しみの感情が、次第に心を侵食し、同様の痛みが身体を襲っていたのだ。
脳味噌に直接電極を繋がれたような衝撃が全身を駆け巡り、身動きが取れない。
幼い少年の体力が尽きる頃、ようやく彼の脳は自身の能力のリミッターを発動させた。
全てが嘘の様に静まり返る世界。
陽光が差す部屋の中で、静かに意識を失っていく間、少年は何千何万という人たちの、苦痛に歪んだが顔が頭の中で流れては消えていた。
それから1年間に渡り少年はこの悲鳴と共に生きることとなった。
感応を遮断したとしても、強い想いが微かに伝わってきたのだ。
その中で少年がとった自衛の策は短絡的であり効果的な方法だった。
涙は流さない。心は動かさない。
つまり何も感じないようにすることだった。
悲鳴は街角で流れるポップスのようなものであり、助けを呼ぶ声は休憩所で流れるBGMのようなものであった。
程なくして少年は心を閉ざし、自閉の殻に閉じ篭るようになったが、数年も経つと普通に生活できる術を身に着けることに成功した。
それは感応を封印し、幼い頃のあの記憶を無かったことにしたのだ。
使えばあの日が蘇る。
使えばあの声が聞こえるかもしれない恐怖。
いつかかならず訪れるマイグレートの日まで目を閉じ、耳を塞ぎ生きることにしたのだ。
自分からは求めない。普通に生きて、普通に最後を皆と迎える。
少年はそう決めたのだった。
区画都市シリウスの住民達の多くがうな垂れている。
座り込んでいる者もいれば、涙を流している者もいた。
子供大人は関係ない。
同様に憲兵すらも呆然としていた。
『私は今から東区側壁にあるマイグレート用のゲートを破壊します。この行為は都市運営をしている黒幕への宣戦布告となるでしょう。間違いなく邪魔が入るし命の保障が出来ない危険な行為です』
追い討ちをかける様にカナメが厳しい宣言を行う。
『しかし、その先には本当の未来が待っている。何度も言うが信じてほしい。そして一緒に戦ってほしい。賛同してくれる人は遠慮なくゲート前に集まってくれ。そこで真実を白日の下に晒し、世界を取り戻そう』
カナメがそう告げるとモニタ映し出された映像は、美しい海原の映像に切り替わった。
民衆は完全に状況に呑まれてしまい、その場から動き出すことは出来なかった。
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