第七話 限界点
トラブルは、静かに始まった。
三号機の振動値が、基準をわずかに超えたという報告が朝一番で入る。異常ランプは点灯していない。停止するほどではない。だが、吉山の感覚は引っかかった。
「ログを全部出せ」
湊が端末を操作する。慣らしロットを含めた評価に切り替えてから、三号機の油温は微妙に高止まりしている。冷却工程を戻した影響で、サイクルタイムはわずかに延びていた。
「許容範囲内です」
若手が言う。
「まだな」
吉山は金型に触れる。振動が指先に伝わる。昨日より硬い。嫌な硬さだ。
昼過ぎ、異音が発生した。
高い金属音が一瞬響き、ラインが自動停止する。作業員が駆け寄る。金型の一部が摩耗限界を超え、欠けていた。
部品の供給は止まる。
海外拠点向けの出荷ロットも、このラインに依存している。
現場の空気が変わる。
「評価基準を変えたからだ」
誰かの小さな声が聞こえる。
慣らしを含めた評価に切り替え、冷却時間を戻し、サイクルを調整した。その結果、負荷のかかり方が変わった可能性はある。
吉山は深く息を吸う。
「原因を切り分ける。憶測は止めろ」
湊が即座にログを遡る。振動値、油温、圧力履歴。三日前から微妙な傾向変化が出ている。
「慣らしを戻した影響もありますが、それだけじゃない。摩耗周期の予測が旧基準のままです」
評価基準を変えたが、保全スケジュールは旧基準の想定で組まれていた。
構造は一つではない。
線を引けば、別の線も動く。
吉山は即断する。
「予備型を投入。三号機は本日停止。摩耗周期を再計算する」
「納期は?」
「守る」
短く言う。
守れる保証はない。だが、守ると言う。
夕方、経営側から連絡が入る。
「重大停止と聞いた。基準変更の影響か」
「直接因果は断定できません。ただ、評価変更と保全基準の連動が不足していました」
「責任は?」
「私です」
沈黙が流れる。
「半年と言ったな」
「はい」
「時間は減った」
通話が切れる。
成形棟では、予備型の調整が進んでいる。作業員の動きは速いが、焦りはない。揺らぎの中で働く人間は、揺らぎに慣れている。
湊が横に立つ。
「怖いですね」
「ああ」
「でも、見えなかったらもっと怖い」
吉山はわずかに笑う。
「それが揺らぎだ」
完璧な数字の裏で、摩耗は進んでいた。見えないままなら、もっと大きく壊れていたかもしれない。
今回、壊れたのは小さな部品だ。
だが線は、確かに試された。
夜、工場の灯りが遅くまで点く。
灰色の空は暗く、星は見えない。
それでも工場は動く。
揺れながら。




