第六話 静かな圧力
役員会議の翌週、数字は予想通りに落ちた。
慣らしロットを含めた評価基準に変更したことで、海外拠点の安定率は一時的に下がる。本社の月次報告書は、赤いマークが並ぶ形になった。
廊下を歩くと、視線がわずかに変わっているのを感じる。
露骨な非難はない。だが、空気が硬い。
「やりすぎじゃないですか」
同じ管理職の一人が、給湯室で小声で言った。
「今まで問題なく回っていたんです。数字だって良かった」
「回っていたように見えただけだ」
吉山は湯呑みにお湯を注ぎながら答える。
「余裕が削られていた。見えないところでな」
「でも、その余裕を削るのが改善じゃないですか」
言葉は責めていない。ただ、不安だ。
吉山は湯気を見つめる。
「削るのはいい。削り続けるのが問題だ」
削るだけ削って、戻す場所がなくなる。
それが壊れる瞬間だ。
午後、経営側から呼び出しがかかる。
「短期的な悪化は想定内だと言ったな」
「はい」
「だが株主説明がある。数字は説明材料になる」
部屋の空気は冷静だ。怒声はない。
「改善は継続中です。ただ、評価基準を変えたことで揺らぎが見えただけです」
「その揺らぎが市場にどう見えるか分かっているのか」
吉山は黙る。
分かっている。市場は揺らぎを嫌う。安定を好む。完璧な数字を好む。
だが完璧は長く続かない。
「半年で戻します」
短く言う。
「戻せなければ?」
「私の責任です」
その言葉は重い。だが、躊躇はなかった。
部屋を出ると、廊下の窓から灰色の空が見える。光は弱く、雲は厚い。
成形棟へ戻ると、湊がログを確認していた。
「聞きました」
顔を上げずに言う。
「数字、落ちましたね」
「ああ」
「怖くないですか」
若い問いだ。
吉山は少し考える。
「怖いな」
正直に言う。
「だが、怖くない選択は、だいたい間違っている」
湊がこちらを見る。
「揺らぎを守るって、そういうことですか」
「そうだ。揺らぎは不安に見える。だが、余裕でもある」
プレス機が低く唸る。振動が床を伝う。
工場は揺れている。止まらない程度に、常に。
完璧に揃ったときが一番危うい。
夜、机に座りながら吉山は資料を見直す。半年で戻すと言った。戻さなければ、責任を取る。
退く覚悟はある。
だが、引いた線は消したくない。
線はまだ細い。圧力がかかれば、消えるかもしれない。
それでも引いた。
灰色の空は、今日も厚い雲に覆われている。
光はまだ差していない。




