第五話 同じ席
海外拠点の再報告が届いたのは、それから一週間後だった。
慣らしロットを含めた実測値。ばらつきは明らかに広がっている。歩留まりも、帳票上では悪化して見えた。
だが、そこには揺らぎがあった。
吉山は資料を閉じ、会議室へ向かう。
扉を開けると、いつもと違う顔ぶれが並んでいた。その中に、湊の姿もある。若手の立場で呼ばれたのだろう。少しだけ緊張した面持ちで、資料を抱えて座っている。
経営側の視線が一斉に向く。
「数字が悪化している」
役員の声は低い。
「改善していたはずだ」
吉山は席につき、落ち着いて口を開いた。
「悪化ではありません。実態が見えるようになっただけです」
空気が重くなる。
「慣らしロットを含めた工程全体のデータです。揺らぎは増えましたが、これは元々存在していたものです」
役員の一人が眉をひそめる。
「なぜ、わざわざ悪く見せる必要がある」
吉山は静かに答える。
「悪く見えるのではなく、隠れていた負荷が見えるようになったのです。今なら手が打てます。完璧な数字のままでは、限界まで追い込まれたあとに崩れます」
その言葉のあと、湊が小さく手を挙げた。
「補足してもよろしいでしょうか」
吉山は一瞬だけ視線を送る。湊は資料をめくりながら続けた。
「慣らしを含めた場合、油温とばらつきの相関が明確に出ています。冷却工程を三分短縮していたことが影響しています。評価制度に合わせた最適化が、工程全体の余裕を削っていました」
室内が静まる。
若い声だが、数字は具体的だった。
吉山は内心で小さく息を吐く。武器の使い方を理解し始めている。
「では、どうする」
役員の問いに、今度は吉山が答える。
「評価指標を修正します。慣らしを含めた安定率を基準にする。定時内達成を優先指標に変更する。残業で帳尻を合わせる文化を止めます」
「それで利益は守れるのか」
「守れます。長期的には」
短期的には数字は落ちるだろう。だが、壊れない。
会議が終わり、廊下に出る。
湊が隣に並ぶ。
「ありがとうございました」
「何がだ」
「発言の機会を」
吉山は首を振る。
「機会は自分で取った。俺は止めなかっただけだ」
しばらく無言で歩く。
「数字を守るんじゃない」
吉山は低く言う。
「揺らぎを守る」
湊はその言葉を反芻するように、ゆっくりと頷いた。
成形棟の窓から、夕方の光が差し込む。灰色の空がわずかに明るく染まる。
まだ星は見えない。
だが、同じ会議室に座った。
同じ資料を見た。
同じ揺らぎを、正面から見た。
線は、少しだけ太くなった。




