第四話 交差点
その日の夕方、吉山は成形棟の一角で足を止めた。
見慣れない若い背中が、三号機の前に立っている。作業着はまだ新品に近く、肩の動きに迷いがある。
「配属、今日だったな」
声をかけると、青年は慌てて振り返った。
「は、はい。後藤です。後藤湊」
まっすぐな目だった。緊張と好奇心が同居している。
「三号機のログ、見てるのか」
「はい。慣らしロットの波形が安定しなくて……条件を数値で追えないかと思って」
吉山は小さくうなずいた。
若い頃の自分とは違う。自分はまず触って覚えた。だがこの青年は、数字から入ろうとしている。
「数字は嘘をつかない、と言いたいところだが」
吉山は隣に立つ。
「数字は、切り取り方で顔が変わる」
湊は一瞬、戸惑う。
「慣らしを含めて見ると、揺れは大きくなる。だが、それが実態だ。安定後だけを見れば綺麗になるが、それは工程の全部じゃない」
湊は画面を見つめたまま、静かに言った。
「でも、全部を見たら評価は落ちますよね」
「落ちるな」
即答だった。
「じゃあ、どうすれば」
問いはまっすぐだ。
吉山は少しだけ考える。
「評価を変える」
「評価を……?」
「慣らしを含めた安定率を指標にする。定時内で完結する工程全体を評価する。無理を前提にした数字は、どこかで破綻する」
湊はゆっくり頷く。
「仕組みを変えるってことですか」
「そうだ」
言葉にすると簡単だ。だが、そこに至るまでの摩擦を吉山は知っている。
プレス機が低く唸り、振動が床を伝う。湊は金型に触れ、そして再びモニターを見る。その動きに迷いはない。
「後藤」
「はい」
「数字は武器になる。だが、刃にもなる」
「……はい」
「誰を守るための数字か、考えろ」
湊は少しだけ目を伏せ、それから真っ直ぐに答えた。
「現場です」
即答ではない。だが、迷いながら出した答えだった。
吉山は小さく笑う。
「それでいい」
夕方の光が成形棟の窓から差し込む。灰色の空が、わずかに橙に染まっている。
湊が去ったあと、吉山は三号機の前に立ち続けた。
若い背中だった。
まだ線の意味を知らない。だが、いつか引く側になるかもしれない。
そのとき、今日の言葉がどこかに残っていればいい。
星はまだ語られない。
だが、線は確かに交差した。




