第十一話 経営者の重さ
決算説明会の前日、星崎の机には二つの資料が並んでいた。
一つは市場向けの説明資料。
もう一つは社内向けの内部レポート。
市場向けの資料には、「構造改革」「長期安定化」「評価指標の高度化」という言葉が並ぶ。
内部レポートには、慣らしロットの揺らぎ、保全周期の再計算、現場負荷の増減が具体的な数値で記されている。
どちらも事実だ。
だが、語る相手によって言葉は変わる。
電話が鳴る。
「株主の一部が懸念を示しています」
広報部長の声は抑えられている。
「短期悪化の説明は理解されにくいと」
「分かっている」
星崎は短く答える。
「“戻せばいい”という声もあります」
戻せば楽になる。
数字は整う。
株価も安定する。
だがその代わりに、また現場は削られる。
「戻さない」
即答だった。
通話を切ったあと、窓の外を見る。灰色の空。成形棟の屋根が広がる。
経営とは、選ぶことだ。
全員を満足させる選択はない。
誰かを守れば、誰かの不満を買う。
午後、社外取締役との打ち合わせが入る。
「数字が下がっている」
淡々と指摘される。
「評価基準を変えた結果です」
「市場はそれを理由とは見ない」
正論だ。
「結果は結果だ」
星崎はうなずく。
「その通りです。ただ、これは悪化ではなく、見える化です」
「説明で納得するほど市場は甘くない」
「だからこそ、半年で戻します」
吉山と同じ言葉を、今度は経営の立場で使う。
沈黙。
「失敗した場合は」
「私の責任です」
星崎は迷わず言う。
経営者は責任を引き受ける職だ。
だが、その言葉の重さは年々増していく。
夜、社長室に一人残る。
若い頃の失敗を思い出す。
あのときは、短期数字を守った。
その代償は、翌年に跳ね返った。
人が辞めた。
信用を失った。
数字は戻らなかった。
今回、同じ道は選ばない。
だが正解とも限らない。
机の上に置かれた吉山の報告書を、もう一度開く。
言葉は強くない。
だが、覚悟がある。
湊の相関資料も添えられている。若い視点。構造を読み解く目。
星崎は思う。
会社は、今の数字だけでできているわけではない。
十年後も続くための線を、誰かが引かなければならない。
その線を守るのが経営だ。
窓の外、雲の隙間からわずかな光が差す。
星はまだ見えない。
だが、光は確かにある。
明日の説明会で、何を失うかは分からない。
だが、守るべきものは決めた。
戻さない。
揺らぎを隠さない。
それが、星崎賢治の選択だった。




