七章
7
広場は活気に満ちていた。広場の周りには細い柱が建てられ、広場全体が贈り物のように色とりどりのリボンで結ばれている。リボンは広場中央に建てられたポールからも放射状に伸びていて、見上げると青空に虹がかかっているかのように見えた。ラザの話によると、日が暮れたあとはこのリボンが昨日の前庭のようにキラキラと光るらしい。
ラザは頭領らしく、設営の進捗報告を受けながら、広場全体の様子を確認している。シェインはラザの後ろをついてまわりながらも、周囲が気になってキョロキョロと辺りに目を奪われていた。
広場には完成した屋台と、まだ骨組みだけのものが並んでいる。こんなに盛大なお祭りは初めてだ。正確にはまだ準備の段階だが、作りかけのものがこんなにワクワクするものだとは知らなかった。屋台の基本の形は同じだけれど、中に飾っている鞄やら装飾品やら、看板の飾りなどで、どんなお店が出来るのか想像がつく。区画ごとに扱うものが大まかに分けられているらしく、その場で食べられる料理のお店の前にはベンチとテーブルが用意されつつある。
事前に教えてもらっていたせいか、働いている人たちがどこの集落の人々なのかもすぐに分かった。服装も各集落でかなり違う。服装に男女差がないのは各集落共通であるらしい。
北の人たちは長袖に長ズボンだ。上着に特徴があって、肘と袖口に紐が仕込まれているらしく、ふくらんでいるように見える。髪も長い。後頭部で一つに結んだり、お団子にしている。少し暑そうだなと思ったが、これでも暑い南に合わせて軽い格好にしているらしい。北からは日用品や工芸品を扱う店が多そうだ。
東の人たちは長袖のシャツにチュニックを重ねて、長ズボンを履いている。顔を見たら分かると言われた通り、普通にしていても困ったような笑顔を浮かべているように見えるのが印象的だった。こちらは果樹や酒造に力を入れているらしい。食べさせる店よりも、小売の店舗の方が多いようだ。
西の人たちの服装は南と雰囲気が似ていて、薄手の金属を縫いつけた布を首や肩に巻きつけている。歩く度にシャラシャラと鳴るので賑やかだ。西の人たちが扱うものは圧倒的に肉が多かった。腸詰めや塩漬けを焼いて、パンに挟んで食べさせる店もある。すでに設営も終わって、魔道具の炉を試運転しているらしい。肉の焼ける良い匂いが健康的なシェインの胃袋を刺激した。
そうこうするうちに、打ち合わせが終わったらしい。ラザが振り返った瞬間に、腹の虫が盛大に鳴ってしまった。
ラザはきょとんとしたあとで楽しそうにからからと笑った。からかうような笑い方ではなかったので、恥ずかしくはあったが、腹は立たなかった。
「まあ、そろそろ夕飯の時間だからなあ。少し寄り道していこうか」
こっちだ、と言って、ラザは広場を抜けて商店街らしき道へ進んでいった。道の両側に屋台が並んでいるが、目的は屋台ではなかった。軒先にぶら下げられた看板を見るに、どうやらパン屋であるようだ。
扉を開けるとカランと鐘の音がした。焼けたパンの、甘く、香ばしい匂いが鼻と胃を刺激する。
小さな店だ。カウンターの後ろには棚があり、いくつかのパンが並べられている。じきに日が暮れるので、店じまいも近いのだろう。
「いらっしゃい――なんだ、ラザか」
「何だとは随分な言い草だなあ。客として来たのに」
鐘の音と同時に青年が立ち上がって、再び座った。大きなつり目がラザによく似ている。ラザのお兄さんなのだろうか。おそらくここの主人であろう。長袖を着てエプロンを身につけていたが、下は南特有のスカートだ。
店の一角には小さなテーブルと椅子が用意されていて、青年の向かいには北の人らしき壮年の男性が姿勢正しく座っていた。痩せこけているが、肩幅は広く、首が長い。総白髪になる途中の灰色の髪は、顎の下で切りそろえている。三白眼気味の瞳は雪山の陰のように薄い青色だ。
ぶしつけに見すぎてしまったせいか視線があって、シェインは顎を突き出すように形ばかりの会釈をした。フィフィの話を鵜呑みにするなと言われてはいるが、北の人に対する先入観はすでに植え付けられてしまっている。月明かりの下で見たら悲鳴を上げてしまいそうだな、などと、ついつい失礼なことを考えてしまった。
「ごきげんよう、ラザ姫」
男はすっと立ち上がると、見た目に反したごく穏やかな声でラザに挨拶をした。座っていたせいで気が付かなかったが、背がものすごく高い。もう少しで天井に届いてしまいそうだ。
「……ごきげんよう、オズマ様」
ラザも膝を折って挨拶をした。今まで見た中で一番姫らしい仕草だったので、シェインは少し驚いた。礼を尽くしたラザの態度から、オズマと呼ばれた男はラザと同格か、ともすれば格上であることがうかがいしれる。
「せっかくの親子水入らずを邪魔しては悪いな。私はそろそろおいとまさせていただくことにするよ」
オズマはわずかに表情を和らげた。どうやら微笑んだようだった。深みのある低い声だ。あまりにも良い声すぎて、妙に胡散臭く感じられてしまう。
(親子?)
聞き間違いだろうか。シェインは眉間に皺を寄せて考え込んでしまった。
「ありがとうな、オズマ。また顔を見せに来てくれや」
ほれ、と青年は紙袋からはみ出るほどのパンをオズマに持たせた。困ったように眉を下げて、オズマはわずかに頭を下げる。
「こちらこそ。次は必ず買わせていただくからね」
「いーって、いーって! たまのことなんだからさ!」
青年は大口を開けてカラカラと笑った。
「君が噂の帝国から来たという人だね。ダカーバへようこそ。歓迎するよ」
「ありがとうございます。……よろしくお願いします」
紙袋を片手で抱えながら、オズマはシェインの方を見た。手を差し出されたので、シェインはそっと握り返した。骨ばった大きな手は、熱くも冷たくもない人肌の温もりだった。
そのまま会釈をして、オズマは静かに店を出ていった。扉につけられた鐘が、ひとりでに鳴ったかのようにいつまでもカラカラと響いていた。
「なんだか雰囲気のある方でしたね……どなたなんです?」
こっそりと聞いたつもりだったのに、ラザは普通の声量で返事をしてきた。
「あの方が北の頭領、オズマ様だよ」
「えっ」
思わず声を上げてしまった。キューブ流出の原因は北の集落にあるとフィフィから聞かされている。オズマは見た目こそ幽鬼のようだが、穏やかで、理知的な人物のように見えた。印象としての判断でしかないが、オズマが主犯だとは考えにくい。
ただ、彼は頭領だ。北の住人が犯人だとしたらオズマにも何らかの責任が問われるのかもしれない。あまりおおごとにしたくなさそうな雰囲気をラザから感じていた理由はそういうことだったのか、と納得した。事態は思ったよりも複雑であるのかもしれない。
「そしてこちらが私の父、ガロだ」
「――えっ⁉」
不意打ちのように紹介されて、シェインは顎を落として青年を――いや、ラザの父・ガロを見た。
「いやあ、シェインはいいリアクションをするなあ。いいぞいいぞ」
ガロンは頬に手を当てて笑っている。笑い方がラザそっくりだ。聞き間違いではなくて、本当に親子だったらしい。シェインは思わず考え込んでしまった。どうして頭領の父親がパン屋を営んでいるのだろう。姫というからには、ラザの父親は王様か、それに準ずる者だとばかり思っていた。そして、姫であるラザが頭領の職についているということは、ラザの父親はすでに亡くなっているものだと。
「……もしかして、頭領って世襲制ではない……?」
「おっ。帝国育ちなのによく分かったなあ。いかにも、この島では血筋で職業を決めなければならないという決まりはないぜ。誰がどんな職業を選ぼうと自由だ」
「だけど、なりたい人が必ずしもなれる訳ではありませんよね。特に頭領なんて島の代表なんですから、相応しい人にしか任せられないんじゃないですか?」
「なかなか鋭いな。頭領だけは自由に選べねえんだなコレが。全ては竜神さまの思し召し……ってなもんでね」
ガロはニヤリと口の端を上げた。挨拶がまだだったことを思い出して、シェインはぺこりと頭を下げた。
「あの……こんにちは。シェインと言います」
「こりゃご丁寧にどうも。俺はガロだ、よろしくな」
差し出された手を握ると、ぎゅっと握り込まれてしまった。力が強い。間近で見ると、淡い緑の目が本当にラザによく似ていた。ただ、確かに顔立ちは若々しいが、よく見れば目の下や首のあたりの皮膚のたるみに年齢が感じられる。手を離したあと、シェインは素直に謝罪した。
「すみません、実はずっとお兄さんなのかなあと思っていました」
「ワッハッハ! そいつぁ若く見られたもんだなあ! リノに聞かせてやりてえや」
笑いながら、ガロはどこか寂しそうに鼻を鳴らした。リノ。誰だろう。また知らない名前だ。助けを求めてラザを振り返ると、ラザは微妙な顔をして肩をすくめた。
「兄は兄で別にいるんだ、それがリノだよ。ただ、ちょっと今は行方不明でね」
ちょっとという言葉では片付けられないような気がしたが、あまり踏み込んでほしくなさそうだ。気にはなるが、シェインはあえて触れないでおくことにした。
「親父殿。オズマ様は何をしに来たんだ?」
「ああ、まあ、うん。――ちょっとな。別に用ってほどのこともねえ。旧交を温めに来ただけだよ」
歯切れが悪い。何かを隠しているのだろうか。
「お前こそ、どうしたんだ。ウチにくるなんて珍しい」
「小腹が空いたから買い食いでもしようと思ってね」
あからさまな話題そらしが気にはなったが、ラザ本人がそれ以上の追求をしないのに横槍を入れるのも違うような気がして、シェインはおとなしく二人のやりとりを見守った。ガロは機嫌良さそうに両手を広げて歓迎の意を示している。
「おう、持ってけ持ってけ。食べやすいように切っといてやるよ。ついでにハムでも挟んでやろうか?」
「え。いいの?」
「遠慮すんな。ちょっと待ってろ」
ガロは厨房らしき奥へと消えていく。どこか楽しそうだ。ラザもそわそわと浮き足立っている。
「父さんのサンドイッチは格別なんだ。きっとシェインも気に入るよ」
しばらくするとガロは小ぶりの紙袋を二つ持って現れた。お礼を言って受け取ると、飲み物も入っているから横にしないようにと注意された。おやつにしては重たいが、食べるのが楽しみだ。代金を支払おうとするラザと少し揉めて、結局、ラザが押し切られる形でガロの店を後にした。
せっかくだから見晴らしのいい所まで登ろうということになって、階段の途中に設けられた石のベンチに座って休憩をした。役場までの道のりは長い。夕陽に照らされて、海は薔薇色に染まっている。
中を開けると、楕円のパンを薄く切って、厚めのハムとレタスと酢漬けのきゅうりを挟んだものと、背の低い水筒のようなものが入っていた。サンドイッチは薄いつるつるした紙に包まれていて、手が汚れないようになっているらしい。
「あ、美味しい」
「だろう?」
一口頬張って無意識に感想が漏れた。ラザは自慢げに笑って、同じように大口を開けてかぶりついている。
咀嚼して飲み込んだ後、ラザは海の方を眺めながらぽつりと呟いた。
「頭領はご神託によって選ばれるんだ。私が選ばれたのは九歳の頃だった。七つ年上の兄は次期頭領だともくされていた……」
夕陽に照らされた横顔が綺麗だった。睫毛が長い。シェインはラザの話を聞いてはいたが、どう返事をしていいのか分からず黙っていた。そのせいでラザの兄・リノは行方不明になってしまったということだろうか。
「いや、つまらない話を聞かせてしまったな。すまない」
ラザは照れたように笑って、再びサンドイッチにかぶりついた。シェインは水筒の蓋を開けて、喉を潤わせる。水筒の中身は甘酸っぱいレモン水だった。
「いつか会えると良いですね、お兄さんと」
一人言のように呟くと、ラザはぴくりと肩を揺らした。二人はしばらく黙ってサンドイッチを食べた。
「……ありがとう」
食べ終わったラザは立ち上がって礼を言ったが、シェインには逆光となって、彼女がどんな表情をしていたかまでは分からなかった。




