六章
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フィフィはしばらくすると一人で戻ってきた。島内の各集落の人々が集まりつつあって、ラザは対応に追われているらしい。集落の代表者のような地位の高い人だけではなく、屋台に出店する人々や、祭のパレードに参加する楽隊など、祭の裏舞台にたずさわる人々も続々とやってきているのだそうだ。
キューブ流出の件についてはひとまずラザには伝わっている。どのような対策がされたのかは分からないが、そのことについてこれ以上自分が思い悩む必要はなさそうだ。とはいえ、魔法の練習を再開した後も、フィフィは思い出したように「北の奴らって本当に性格が悪いの」「私たち南が竜神さまに近いからってひがんでるのよ」などとぶつぶつ文句を言っていたのだけれど。
よくよく聞いてみると、北の集落でキューブが作られていることは事実でも、彼らがキューブ流出に関わっているという証拠がある訳ではないらしい。不用意な発言でフィフィやここの集落が窮地に立たされなければいいのだけれど、などと、ついつい余計なことを考えてしまう。
(北との確執がフィフィ個人のものなのか、集落単位での根深いものなのか、どっちなんだろう……)
さすがに本人には聞けないので、折を見てラザに質問してみよう、とシェインはこっそりと考えた。
再びラザと会えたのは昼食後のことだった。フィフィにも仕事はあるので、午後からはラザの視察についてまわることになったらしい。ずっと館の中に隔離されているような気分だったので、外に出られることが分かってシェインは何となくほっとしてしまった。
「どうだ、シェイン。ここは一番の高台だから、南の集落がよく見えるだろう!」
外に出たラザは、くるりと振り返ると大きく手を広げてシェインを見た。
午後の陽射しが眩しい。昨日は暗くて分からなかったが、館の前庭からは街の全貌が見渡せた。
空は高く、青い。その青さに負けないほどに美しい街並だった。海へと続く緩やかなすり鉢状の地形に、海老茶色の屋根が渦をまくように連なっている。壁は白く輝くようで、道には黄色い煉瓦が敷きつめられている。
視線を海の方へ向けると砂浜の海岸が広がっていた。岬の向こうには港も見える。移動してきた時に船から見た海は、確かに秋から冬にかけての暗い海だったはずなのに、この島から見る海は、太陽の光を弾いて、碧く輝く夏の海のようだ。竜や魔法が当たり前にある島だからシェインの常識には当てはまらなくてもおかしくはないのだろうが、それでもやっぱり不思議な気がした。
「きれいな街ですね……」
思わず呟くと、ラザは目を細めて「そうだろう」と自慢げに笑った。
「ほら、あそこに広場が見えるだろう? 今から見に行く予定の場所だよ」
街の中心部には道と同じ色の煉瓦で敷きつめられた広場があった。人も大勢集まっている。どうやら屋台の土台を作っている最中のようだ。木製の木枠に、白い布の屋根がかけられようとしている。ここから見ると小人の世界のようで面白い。大工らしき人々だけではなく、出店する食べ物屋やら小間物屋であろう人々の姿も見て取れた。屋台は広場一面に整然と並び、まるで小さな街が作られているかのようだ。屋台は広場だけでなく大通りの両端にもつらなっていて、大勢の人で賑わうのだろうと予想できる。
「そして、こちらが我らが神山イーガスだ」
振り返ると、塔のように屹立した山が見下ろしていた。なだらかな稜線を描く山の中央に白く輝く一際高い山がそびえたっている。どうやら、あれが昨日訪問した竜神さまの住処であるらしい。
「東と北はこの山の向こうに広がっていて、あの港の奥、ここからでは見えないが、あの向こうに平地が続いていて、西の集落があるんだよ」
「――ええと……と、いうことは、ラザ姫は、南の頭領ということで合っていますか?」
「ひめ」
「フィフィからそう呼ぶように言われました」
「全く、仕方のない奴だな」
ラザは困ったように苦笑した。どうやら、ラザ本人は特別扱いされることを好ましく思っていないようだ。
「そう、ここは南の集落だよ。けれど、私は南の集落の頭領であると同時に、島全体の頭領でもある」
「若いのにすごいですね」
「若い、か。確かに、よその頭領に比べると若いかもしれないが、それほど若くもないんだよ」
「――そういえば、昨日から今日まで、若い人としか会ってないような気がするんですけど……まさか、不老不死の島だったりしないですよね?」
ラザは弾かれたようにこちらを向いて、目を見開いた。次の瞬間、腹を押さえるように身体を折って、爆発したかのように笑い出した。あまりにも激しい笑い方だったので、シェインはいつでも逃げられるようにじりじりと後ずさってしまった。
「あっはっは! いや、すまない、面白い発想をするなあシェインは」
ようやく身体を起こしたと思ったら、ラザは指の先で目尻を拭った。涙が出るほど笑ったらしい。そこまで面白いことを言ったつもりはなかったので、馬鹿にされたように感じて少しだけムッとしてしまう。
「いやあ、すまんすまん。気を悪くしないでくれ。いや、よく南の者は若く見えると言われるけれど、不老不死は初めてだったから、面白くて、つい」
「この島のことを知らないんだから、仕方がないでしょう。魔法があるのだから、そういうこともあるかもしれないと考えたっておかしくはありませんよ」
不貞腐れながら文句を言うと、ラザは頭を下げてくれた。
「すまない、笑って悪かった」
「……まあ、俺より年上なんだろうなってことはなんとなく分かりましたけれど」
謝罪を受け入れたつもりなのに、ついつい嫌味な言い方をしてしまった。へそを曲げるのは久し振りだ。機嫌を直すタイミングがよく分からなくなってしまっている。ラザは気にした様子もなく、にこにこと笑いながら敷地の外へとシェインをうながした。
「歩きながら話そう。時間は有限だ」
ラザが背を向けると、淡い緑のスカートがひらりとひるがえった。午後の陽射しが眩しい。一瞬ぼうっとしてしまったのは、きっと暑さのせいだろう。
「お察しの通り、私は君より年上だよ。それも、かなりな」
黄色い煉瓦で舗装された道に、革のサンダルがペタペタと音を立てる。シェインはラザを追いかけて隣に並んだ。
「かなり……というと、まさか、母くらいの年齢だったりするんですか……?」
「何でそんなに極端なんだ。まだ二十一歳だよ」
ラザは肩を揺らして笑っている。何故かまたムッとしてしまい、シェインは唇を尖らせて言い返した。
「別に、それほど離れてないじゃないですか」
「そう言うシェインは? 実際のところいくつなんだ?」
「……俺は今年の春に十七歳になりました。一応、もう成人です」
「四つも下なら、かなり、で構わないんじゃないか?」
「そんなの、五年、十年したら誤差ですよ!」
下り坂のせいで、じわじわと歩く速度が上がってしまう。自分でも何がそんなに気に入らないのか、よく分からなかった。ラザは楽しそうに顎をそらして笑っている。
「まあ、そもそもが南の者は若く見られがちだからなあ。丸顔が多いだろう? 五十代くらいでいきなり老けるんだ。確かにその頃なら四歳差なんて誤差のうちだろうな」
気が遠くなるほど先の話だ。シェインには想像すらできなかった。
「広場に着く前に、他の集落の人たちのことをざっと教えておこう。知らずにいて面倒くさいことに巻き込まれるといけないから」
歩きながら、ラザは視線を港の方へ落とした。舗装された道は馬車や荷車のためのものなのだろう。道は斜面の最短距離ではなく、山肌を撫でるようにゆるやかなカーブを描いている。祭の準備で忙しいのか、役場のある高台まで来る者もいないのか、すれ違う馬車も、歩いている人もいない。
「北の人は背が高く、肌が白い。その分、顔色が悪く見えるから、老けて見えることを気にしている。フィフィは北の前頭領の娘から目の敵にされていてね、そのせいで北に対してあまり良い感情を抱いていない。もしかしたら既に何か吹き込まれているかもしれないが、あまり気にしないように」
「……分かりました」
シェインは苦笑気味に頷いた。キューブ流出の件は北のせいだと決めつけない方がいいということなのだろう。
ゆるやかな坂道は足腰への負担は少ないが、その分、距離が長くなってしまう。何かがあったときのために素早く港まで移動できた方がいいのではないだろうかと思っていたら、少し下がった先に階段が設けられていた。煉瓦の道をまたぐように階段からは小さく広場が見えている。設営が進む屋台の屋根を見下ろしながら、あそこまで降りていくのはなかなか大変だな、と空笑いを浮かべてしまった。歩くのは苦ではないが、高低差のある移動には慣れていない。何だか太ももの裏が張ってきたような気がする。
「西の人も小柄な人が多いから若く見えがちだが、南との大きな違いは身体の色だな。目も、髪も、肌も、色の濃い者が多い。あと、とても陽気だ。祭では歌と踊りを披露してくれることになっているから、楽しみにするといい」
ラザは軽く両手を広げてバランスを取りながら、軽やかに階段を降りている。降りるたびにふわふわと髪が揺れるせいで、シェインは思わず目が離せなくなってしまった。
「大丈夫か?」
「え、ええ。ちょっとつまづいただけです」
足下がおろそかになっていたせいで、うっかり一段、飛ばしてしまった。ガクンと膝が落ちて、転びそうになったが、何とか耐えた。気を付けろよ、と振り返ったラザから言われて、照れ笑いを返す。見惚れていましたなどとは流石に言えない。
「東は朗らかな人が多いな。見た目の特徴はこれといってないけれど、顔を見ると、ああ東の人なんだなとすぐに分かるよ。人の良さそうな顔をしている。もちろん、例外もあるのだけれど」
シェインの足を気遣ってか、ラザは歩みの速度をゆるめてくれた。だが、着地に違和感もないし、特に痛めてはいないようだ。
階段を降りて、煉瓦道を横切り、再び階段を降りる。隣に並んだラザはちらりとシェインを見上げて、明るい笑顔を浮かべた。
「それにしても、シェインは良い時に来たものだなあ。祭の間にもしも行きたいところが見つかったなら、他の土地に行っても構わないよ。どの集落に行ったとしても、この島の民であることには変わりないんだし」
「――……」
ラザの笑顔は優しい。優しいからこそ距離を感じて、胸が詰まった。
軽快な足取りでラザは階段をおりていく。ラザは親切だ。だからきっと、こちらが何も言わなくても、しばらくしたらシェインの様子を確認するために振り返ってくれるだろう。
けれど、ただそれを待っているのは嫌だった。何が嫌なのかを自覚しないまま、シェインは遠ざかる背中に本音を投げかけた。
「あの。親切心で言ってくれているのは分かるんですけれど、お前がいなくなっても構わないと言われているようで、さみしいです」
「……そうか、それもそうだな。言い方が悪かった」
ラザは数段のぼって、シェインに近付いてきてくれた。シェインには自分がどんな表情をしているのかは分からない。
「もちろん、ここが気に入ったのなら、好きなだけ居てくれて良いんだよ」
ラザは不器用な慰め方をして、シェインを笑わせた。その背中を、ラザがぽんと叩く。シェインは手の甲で顔を隠すようにして、笑いながらこっそりと泣いた。
さみしいと口に出してしまったら、今までずっとさみしかったことに気が付いてしまった。居ても良いという許可を与えられるのではなく、誰かから居てほしいと求められたい。それがラザだったら嬉しいだろうなと考えて、シェインは自分の心に戸惑いを覚えた。




