五章
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「それで、話というのは?」
三人はラザの執務室に移動した。窓の大きな明るい部屋だ。書類が山積みになった執務机の前には、二人掛けのソファと向かい合わせに一人掛けのソファが二つ、背の低いテーブルを挟んで並んでいる。風通しの良さそうな、蔦を編み込んだソファだ。座面と背面には厚みのあるクッションが置かれている。
ラザとフィフィがそれぞれ一人掛けのソファに座ったので、シェインは二人掛けのソファに一人で座った。下着はもちろん身につけているが、布を腰に巻いただけのような衣類がどうにも落ち着かない。食堂はテーブルが近かったのであまり気にならなかったが、こちらはテーブルも座面も低いので、ついつい気になってしまう。
シェインは何気ない仕草で膝に肘をおいて、自分を守るように両手を組んだ。
「……近日中に帝国が攻めてきます。身勝手なお願いなのは分かっていますけれど、戦争に発展する前にどうにか対処することはできないでしょうか」
「確かに身勝手なお願いだな。それは私たちにではなく帝国の上層部へと進言するべきものだろう」
「それは……そうなんですが」
ちらりと顔を上げると、ラザは顔色も変えずに顎に手を当てた。
「なるほど。帝国では魔法都市がどういうものだったのか記録に残されていない、ということか。たかだか七百年前のことも分からずに侵略行為を繰り返すとは……困ったものだな」
「ええと、それはどういう……?」
シェインは困って首を傾げた。だが、ラザは微笑むばかりで何の説明もしてくれなかった。
「助言には感謝する。帝国の動向には注意を払おう」
ラザは話はこれで終わりだと言わんばかりに立ち上がった。
「フィフィ、シェインに遠話の魔法を教えてやってくれ」
「それは別にいいけど、もしシェインが帝国のスパイだったらどうするの? 戦争をやめてくださいって説得するならともかく、こっちの情報を垂れ流されでもしたら」
「横流しされて困るような情報なんてないよ」
「それもそうか」
苦笑するラザに肩をすくめてフィフィは立ち上がった。二人の様子を見ながら、慌ててシェインも立ち上がる。ラザは優しく首を振った。
「私についていなくてもいいよ。この部屋を使って構わないから、すぐに教えてやってくれ」
「ええー⁉ いまから⁉」
フィフィはぷうっと頬を膨らませた。ラザはなだめるように微笑んで、よろしく頼むと言い残して部屋を出ていった。シェインはどうしたらいいのか分からず、ソファの前に突っ立ったままでいるしかない。帝国が攻めてくることだけではなく、自分が皇帝の弟であることも打ち明けてしまおうと考えていたのに、完全にタイミングを逃してしまった。
そういえば、二日後に祭があると言っていた。もしかしたらラザはそちらの準備で忙しいのかもしれない。
「んもう。ラザったら!」
フィフィは文句を言ったが、任されたことに対してはどこか嬉しそうに見えた。そういえば、ラザのことを姫と呼びなさいと言われたわりに、フィフィ本人はラザと呼び捨てにしている。多分、その辺りのことには触れたらいけないのだろう。シェインはおとなしく黙っておくことにした。
「……それじゃあ、まずは魔法の仕組みから教えていくね。シェインも座って」
フィフィは腕組みをしながらどっかりとソファに座り込んだ。よろしくお願いします、と頭を下げて、言われるままにシェインもソファに座り直す。フィフィは明るくて気安いが、気難しい一面があることが段々と分かってきた。機嫌を損ねるのが怖くて、二人きりでいることに少しだけ緊張してしまう。
「この島に竜神さまがいるってことはもう分かってるよね。魔法って、竜神さまが常時放出している力を利用して行われるものなの。つまり、やり方さえ知っていれば、この島の中ならば誰でも魔法が使えるというわけ。ここまでは分かる?」
「はあ……」
見た目だけで言えば年下のようだが、話す内容は年上のようにしか感じられない。フィフィもラザも、どうやらこの島の中心人物であるようだし、もしかすると見た目通りの年齢ではないのかもしれない。シェインはフィフィの説明を聞きながら、頭の隅で違うことを考えていた。言っていることは表面的には分かるのだが、今まで触れてきたことのない世界の話はいまいち頭に入ってこない。
「魔法を使うためには、まず最初に魔力行使と宣言する。そのあとで何をしたいかを言えばいいの。誰それと遠話、とかね」
「待ってください。そんな簡単なことでいいんですか? もっと複雑な呪文があるのかと思っていたんですけど」
「間違って魔法を発動させてしまわないように私たちは古代語を使ってるんだけれど、別にいまの言葉でダメな訳じゃないのよ。あなたの場合はそもそも翻訳リボンで自動的に変換されちゃうしね。試しにお手本を見せてあげる」
フィフィはくるくると人差し指を振って、歌うように声を出した。
「魔力行使。我が手に光を」
ぽう、とフィフィの手元が光り出した。まだ朝で、部屋の中は明るいのに、真っ白な光がフィフィの指先を中心に輝き出す。目を焼くような光り方ではなかったが、それでも眩しくて、シェインは腕で顔を覆い、目を細めた。
「魔力行使終了! 終わらせたい時はこう宣言すればいいからね」
パッと光が消えた。シェインは思わずまばたきを繰り返した。眩しさはなくなったが、目をつむると瞼の裏に光の残滓が残っているような気がする。
「さて、と。座学はこれで終わりね。実践に移りましょう。いまから私が隣の部屋に移るから、シェインは魔法で私に話しかけてみて」
「えっ⁉」
即実践だなんて驚いてしまった。フィフィはどこか意地の悪い笑みを浮かべながら、扉の向こうへと消えてしまう。
部屋に一人残されたシェインは、思わず溜息をついてソファに深く座り直した。さっきは「スパイだったら」なんて疑っていたくせに、頭領の部屋に新参者を一人で残すなんて、不用心にもほどがあるのではないだろうか。機密保持によほど自信があるのか、それとも実は信用してくれているのか。
(もしくは、俺には大それたことなど出来るはずがないと見くびられているのか……)
天井を見上げるようにのけぞりながら、シェインは自嘲気味に空笑いを漏らした。
『こら。シェイン。真面目にやりなさい!』
「は、はい⁉」
どこからかフィフィの声が聞こえてきて、シェインはビクッと背筋を伸ばしてしまった。もしかしてフィフィは、こちらの様子を何らかの魔法で監視していたのだろうか。現在の自分の様子も見られているかもしれないと思うと、なんとなく気恥ずかしくて、いたたまれない。
「ええと、魔力行使……、フィフィと遠話……」
シェインはソファに座ったまま口の中でぼそぼそと呟いた。
(あれ……?)
呪文を唱えたのに、部屋の中は静まりかえっている。ひょっとして失敗してしまったのだろうか。
「あのー。フィフィ? 聞こえますか?」
『シェ……ィン、聞こ……な――』
かすかにフィフィの声がした。だが、言葉が切れ切れにしか聞こえてこない。強い風の中で話しているかのようだ。しばらく待ってみたが、やはりフィフィの声は聞こえなかった。
やがてフィフィは扉を開けてラザの執務室へと戻ってきた。
「あの……俺、何か間違えてるんですよね。何が駄目だったんです?」
質問をすると、フィフィは顔を顰めながら「早く終了って言いなさいよ」と文句を言った。シェインには何も変わらないように聞こえたが、フィフィにはシェインの声が二重に聞こえてしまっているらしい。シェインは慌てて「魔力行使終了」と呟いた。
フィフィは立ったまま、腕を組んで溜息をついた。教えてくれるフィフィが立ったままでいるのに、生徒である自分が座ったままで良いのか気になって、シェインは慌てて立ち上がった。
「さっきあなた、呪文をはっきり口にしていなかったでしょう。それから、魔法が成功するイメージを強く持つこと。本当にできるのかな~なんて疑ってたら、成功しないに決まってるでしょ」
「すみません……。この島には竜神さまの力が充満している、それを利用しろと言われても、何と言うか、その、俺にはよく分からなくて」
正直に打ち明けて頭をかくと、フィフィは首を傾げて考えこんでしまった。
「んんん。そうか、この島で産まれた訳じゃないんだもんね、分からなくても仕方ないか……。そうねえ。――例えば、人間の呼吸とかでも同じことが言えるんだけど。沢山の人がいるのに締め切った部屋にいると、吐く息が濃くなって、頭が痛くなったりするでしょ。そんな感じで、空気の中に竜神さまの力って溶け込んでいるのよね」
「はあ……」
人が多いと息苦しくなる感覚は分かる。けれど、それと竜の力との関係はよく分からなくて、シェインは気の抜けたような返事を返した。フィフィは考えながら、うろうろと歩き出している。
「んー。まだピンときてないか。どうやって説明したらいいのかな……。あ、じゃあ、シェインは海と川と雨の関係って分かる?」
「ええと、共通点は水ってこと……ですか?」
「そう! そうなの。水は形を変えるけれど、この世界にある水の量というものは変わらないのよ。――つまりね、海の水が温まって、水蒸気になる。水蒸気は集まって、雲を作る。密度を増した雲は雨となって地上に降り注ぐ。山や木々が土の中に溜め込んだ水は川となって地表を流れ、やがて海へと返っていく。そうやって水は世界をぐるぐる回っているというワケなのよ」
雲の正体が水蒸気だというのはにわかには信じがたかったが、雲が濃くなると雨が降る、ということは肌感覚で理解できる。人間の呼吸と狭い部屋の関係の話よりは、何となくフィフィの言いたいことが掴めてきたような気がする。
「それでね、要するに、魔力も水と同じく循環しているものなの。魔法の力というものは突き詰めていくと竜神様の生体エネルギーなんだけど、竜神さまから生じた魔力は、この島の中に満ちて、魔法として使用されることで再び竜神さまに返っていくんだよ」
またいきなり分からなくなった。顔色に出ていたようで、フィフィは腰に手を当てて溜息をついた。
「シェインもその流れの中にいるって分かれば、もっとちゃんと成功するようになると思うんだけどなあ……」
フィフィはウロウロと歩き回って、ラザの執務机の前で足を止めた。
「シェインはキューブって分かる?」
「一応……、魔道具を動かすための四角い金属片のようなものですよね」
「そう、これね!」
フィフィは机に置かれていたライトの背面をいじって、四角い、鋼のようなものを取り出した。親指の先ほどの大きさの、真四角の立方体だ。色はともかく、形や大きさはサイコロに似ている。フィフィが光にかざすように手首をひねると、油膜のような虹色の輝きを放つ。
フィフィは取り出したキューブを戻して、ライトのスイッチをパチリと押した。執務机の手元だけが明るくなる。
「魔道具は道具の方に呪文を組み込ませたもので、キューブ自体は魔力の塊でしかないの。魔道具には一つの機能しか付与することは出来ないけれど、私たちは制約のない魔道具のようなもの。魔力を利用することで、何にでもなれるし、どんなことでも出来るの」
フィフィは顔を上げて微笑んだ。自信と誇りが内側から輝くような表情だった。シェインは、ああ、これが自分とフィフィたちとの違いか、と胸が苦しくなった。こんな風に堂々とした顔をして何にでもなれるとシェインはまだ言えない。けれど、いつかは言えるのだろうか。少しの希望と、未知のものに対する恐怖が胸に渦巻く。
フィフィはシェインの胸の内には気付かなかったようで、にこりと笑って明かりを消した。
「キューブは使っているうちに小さくなってしまうけれど、結界内での使用なら消えてなくなってしまう訳じゃなくて、魔法を使うのと同じように竜神さまのところに戻っていくんだ。――自分を魔道具だと思い込んでみるのも、上達するための一つのやり方かもね」
「結界内なら、と注釈をつけるということは、もしかして結界外で使うと竜神さまの力は失われるということですか?」
「まあ、そうね」
的を外れたことを聞いてしまったせいか、フィフィは気を削がれたように眉を下げた。
「てか、シェインもキューブのこと知ってるんだね?」
何となく雑談の雰囲気になってしまった。シェインは肩をすくめて話にのった。ソファに座ろうか、立ったままでいようか考えて、ソファの背面に回り込んで背もたれに寄りかかる。
「ええと、この間まで帝国でもキューブは作られていたんです。いまはもう作ることが出来ないそうですが。だから帝国は安定してキューブを手に入れるために属国にしたいと考えているんですよ」
「なにそれ。許しがたいわね。うちの竜神さまの力を横取りしようってこと? 自分のところの竜神さまに頼みなさいよ」
「あ、いや、帝国に竜神さまはいないんです。魔法もおとぎ話としてしか残っていません」
「そうなの? じゃあどうやってキューブを作っているのかしら。――もしかしたら、本当は作ってるんじゃなくて、残されたキューブを流しているのかもしれないわね……」
「西端の街では島から持ち込まれたキューブが出回っているという話ですし、案外、最近まで帝国で作られていたという話の方が嘘なのかもしれませんね」
「なんですって⁉」
フィフィが目を剥いた。シェインは大声にびっくりしてしまった。怯えの混じったシェインの眼差しに気が付いたのか、フィフィは表情を改めて厳しい表情を作る。
「さっきも言ったけど、キューブってね、基本的には門外不出なの。結界の外に持ち出したらいけないものなの。それが帝国に流れている、ということは、つまり」
「キューブを外に持ち出している奴がいる、と……?」
後半を引き受けて続けると、フィフィは神妙な顔をして頷いた。
「えっ。――それって、まずいんじゃないですか⁉」
「まずいわよ、だから焦ってるんじゃないの!」
まず一つの問題として、島の中に帝国と手を組んでいる者がいる、ということだ。
キューブを持ち出すことで竜神が力を削がれることを知って侵略に踏み切ったのだとしたら。もしかしたら帝国は竜神をも倒す力を持っているのかもしれない。
シェインは首を傾げた。
「あれ? でも、何かおかしいですよ。帝国は恒久的にキューブが欲しい訳で、竜神さまを倒してしまったら、いずれキューブは作れなくなってしまうんじゃ……?」
「帝国の事情に興味はないわ。どうせ北の奴らの企んだことに決まっているもの。……私、ラザに知らせてくる!」
祭の場でとっちめてやらなくちゃ、と鼻息を荒くして、フィフィは部屋を飛び出していった。シェインはソファに座り直して、顎に手を当てて考え込んでしまった。竜神と、キューブと、帝国と、裏切り者。それぞれがどのように関わっているのかまでは、現在の情報だけでは見えてこない。
「――そうだ」
いきなり皇帝に直訴するよりは、フォーレンに話しかけてみる方がいいかもしれない。フォーレンを暗殺者だと疑っていたが、少なくともラザにさらわれる瞬間にはシェインを助けようとしてくれていた。
「魔力行使。――フォーレンに遠話!」
フィフィの助言通りはっきりと声に出してみたのだけれど、結局、フォーレンとつながったような気配は感じられなかった。シェインはうなだれながら、「魔力行使終了」と口の中で呟いた。




