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二章



 産まれたての雛のように、シェインはラザの後ろをくっついて歩いた。部屋の外は廊下になっていて、予想よりも広い。甲冑を着た大人が二人、並んで歩けるくらいの幅がある。館全体の造りがどうなっているのかは分からないが、思った以上に大きな建物であるようだ。

 両側に扉の並んだ長い廊下には人の気配がない。窓もない廊下は本来ならば暗いはずなのだが、天井からは柔らかな光が差していて、木陰を歩いているかのようだった。蝋燭やランプなどの、火による灯りではない。恐らく魔道具の照明だろう。それが惜しげもなく使われている。

「――今からどこに行くんですか?」

「言っただろう。神託をあおぐ、と」

 フィフィは準備があるからと言い残して、一足先に部屋を出ていった。何かの仕事を任されているらしいが詳細は不明だ。そんな訳で、今はラザと二人だけとなっている。ふわふわと揺れる金褐色の髪を追いかけながら、シェインはラザに話しかけていた。

「あのう、ここはどういう建物なんです? さっきから誰ともすれ違いませんけれど」

「ここは役所の寮だ。今はまだ公務の時間だからな、誰もおらんよ」

 シェインはまばたきを繰り返した。役所。役所を運営できるほどしっかりとした組織があるということなのだろうか。

「……では、海賊行為も公務の一環であると?」

「海賊行為?」

 ラザは歩調をゆるめて振り返った。怪訝そうに眉が寄せれている。しまった、と思ったが後の祭りだ。シェインとしては素朴な疑問を投げかけたつもりだったのだが、言われた側からしたら嫌味にしか聞こえないかもしれない。

「あ、いや、その。ちょっと気になっただけで、他意はないんですが……」

「あの海域からこちらは竜神さまの縄張りだからな。部外者を許可なく立ち入らせると私たちが怒られてしまう。だから供物として、その船で一番値打ちのあるものを頂くんだ」

 ラザはシェインの失言に腹を立ててはいなさそうだ。それについてはホッとしたものの、ラザの言葉の中にはまたしても気になる単語があった。シェインは思わず発言権を求めて挙手してしまう。

「ちょっと待ってください。供物ということは、もしかして俺はその竜神さまとやらに差し出されるってことなんですか?」

 ラザはにやりと口の端をあげた。

「その答えはじきに分かるさ。今から竜神さまの住まいへ行くのだからな。取って食われたりはしないから安心しろ。まあ、竜神さまのお世話係になるか、私たちの仲間として役に立ってもらうか、おそらくどちらかになるだろうな」

「お世話係って……」

 竜の島だと言っていたし、まさか本当に竜がいるとでも言うのだろうか。

 おとぎ話の悪役には定番だが、竜なんてものは存在しない。それが帝国での常識だ。とはいえ、竜が描かれた絵画や彫像を見たことはある。鶏に似たシルエットで、羽毛の代わりに鱗をまとった巨大なトカゲだ。背中にはコウモリの羽のような、皮膚の膜を張った翼が生えている。

 実物を見たことはないくせに、描かれたものを見れば、ああ、竜なのだなと分かる。そのくらいには共通認識が浸透している。考えたくはないが、それはかつて本当に竜が存在していたから、だったりするのだろうか。

(いや、竜なんかいるわけない。ここが魔法都市ダカーバって話も本当かどうか分からないじゃないか。勝手に名乗ることだって出来るんだから)

 シェインは自分の腕をさすりながら、竜が実在しませんように、もし本当にいたとしてもお世話係だけは回避されますようにと心の中で祈った。

 ラザは隣に並んで、くすくすと肩を揺らしている。

「しかし……君は海賊行為と言ったが、もしも竜神さまご自身が出向かれたとしたら、交渉の余地なく海の藻屑だぞ? むしろ我々に助けられたのだと理解してもらいたいな」

 物は言いようだとシェインは思ったが、余計なことを言って自分の立場を悪くするのは得策ではない。ふわふわと揺れる金褐色の髪を見下ろしながら、シェインは今度こそ口を噤んだ。


 館の裏口から、山へと続く門につながっているらしい。

 一度、館の外へ出ると、目の前には崖が迫っていた。見上げると、夕陽を浴びた崖が赤く光って見える。海の上は外套を着ていても震えるほどだったのに、シャツだけの姿でも平気なほどに暖かい。部屋の中でも寒くはなかったが、外の方が湿度が高くて蒸し暑い。じっとしているだけで、うっすらと汗をかいてしまっている。

 裏庭のようなその場所は建物の陰に隠れているせいか、小道の周りには苔のようなものがみっしりと生えていた。ラザは細かな砂利道をゆっくりと歩いて崖に近付いていく。館から崖まで、思ったよりも距離がある。あまりにも崖が高すぎて、距離感が掴めなかったようだ。

 壁のような崖に刻まれるようにして、山への門は存在していた。崖の岩肌に直接、精巧なレリーフが施されている。それがそのまま、門としての役割を果たしているようだ。竜のサイズに合わせているのだろうか、門自体も見上げるほどに大きい。

 門を閉ざす石の扉に、ラザはそっと細い指を当てた。

 指が離れると、扉の縁が青白い光を放つ。触れただけなのに、扉は奥に向かってゆっくりと開かれていった。

「さあ、行くぞ」

 ラザは振り返って、力強く笑った。

「ええ……? まさか、この山を登るんじゃないでしょうね……?」

「登りたいのなら登ってもいいが、また今度な。今日は近道を使うから早く来い」

 シェインはラザの後を追って、こわごわと光の消えた扉の中に入っていった。中は真っ暗だ。背後では、ゴゴゴゴゴ、と音を立てて扉が閉まる。閉じ込められてしまったのではないかと焦って、シェインは声を上げてしまった。

「ちょ、あの、扉が! 真っ暗で何も見えないんですけど!?」

「落ち着け。深呼吸をして、足元をよく見てみろ」

 呆れたような声に、いま起きている現象は騒ぐほどのことではないのだと分かった。シェインは下を向いて恨めしげに息を吐き出した。こちらは何も分からないのだから、事前に説明してくれても良いのに。ふてくされながらも闇の中に目を凝らしてみると、足元に淡い光がふわりと二つともった。対になった灯りは、ぽつ、ぽつ、と平行して進行方向を照らしていく。どうやらあの光によって道が示されているようだ。

「それじゃ、行こうか!」

 溌剌としたラザの様子には腹が立ったが、蛍の光のような淡い光に照らされた彼女の姿には思わず見蕩れてしまった。薄い生地を幾重にもかさねたスカートが透けるように輝いている。華奢な肢体がシルエットとなって浮かび上がり、息をするのも忘れてしまいそうだ。

「どうかしたか?」

「……いや、なんでもありません」

 黙っていれば妖精のようなのに、口を開けば勇ましい。シェインは苦笑を漏らして首を振った。

 しばらく進んでいくと、階段が現れた。十数段の短い階段だ。細かな光が点線のように階段をふちどっているから、輪郭が分かりやすい。

「ここから先は竜神さまの領域だから、粗相のないようにな」

 ラザはわずかに声をひそめた。

「そんなことを言われても……俺はどうしたらいいんですか?」

「出来るだけ黙って、私の真似をしていてほしい。心配するな、万が一何かあったとしても、生命まで取られることはないだろうから……多分」

「――多分!?」

 ラザはなんでもないことのように微笑んで、そのまま階段に足をかけた。シェインはラザの背中に向かって批難の声を投げかける。

「いや、今あなた多分って言いましたよね……!?」

「シーッ。ここから先は本当に静かにしておかないと駄目だからな?」

 肩口から振り返って、ラザは小さい子供にするように唇の前に指を当てた。静かにしろという意味のジェスチャーは島と帝国とで変わらないらしい。妙なところに感心をしつつ、シェインは頭をかきむしってしまう。

「ああもう、なんでこんな肝試しみたいなことになってるんだ……!?」

「ほら、いいから早く来いって」

 再度うながされて、シェインは肩を落として足を踏み出した。こうなったらもうヤケクソだ。

 階段を登りきってしまうと、いきなり視界が明るくなった。

 高い天井に、丸く磨かれた石の柱が道をつくるように並んでいる。宮殿の謁見の間のような場所だ。近道だと言っていたし、もしかしたらあの階段に何か仕掛けがあるのかもしれない。

 柱の間には、水もないのに魚の群れが宙を泳いでいるのが見えた。よく見ると、トビウオのヒレのような羽を持っているようだ。あれは本当に魚なのだろうか。群れが向きを変えるたび、銀の鱗が光を弾いていく。

「……あれはスカイフィッシュだ。気にしなくていい。こちらに集中しろ」

 ラザに小声で叱責されて、シェインは表情を引き締めて正面を向いた。

 石の柱の間には絨毯がまっすぐに敷かれている。その先には玉座のようなものが据えられている。数段高い位置にある玉座は不在だ。恐らくは竜神のための玉座なのだろうが、不思議なことに人間用の大きさだった。玉座の背後にはマグマの滝が落ちていて、顎に汗が溜まるほど暑い。

 ラザは堂々と絨毯を進み、玉座から数歩の距離を置いて膝をついた。見よう見まねで、シェインもラザの後ろで膝を落とす。

「お呼びの者を連れてまいりました」

 ラザの、低いがよく通る声が、大広間に反響する。

 玉座からの返事はない。シェインは少しだけほっとした。やはり、竜神は本当には居ないのだろう。神が居る態で話が進められるのは、神事にはよくあることだ。

 シェインは玉座が気になって、ちらりと顔を上げた。

 マグマの滝からは火の粉が飛び散っている。その火の粉が、きらきらと玉座に降り注いでいた。飛び散った光は消えるでもなく集まって、何かの形をとろうとしている。

 悲鳴を上げそうになって、シェインは慌てて下を向いた。顎の先から汗がしたたり落ちる。暑さのせいか恐怖のせいかはよく分からない。

 何かが、いる。

 いや、本当は分かっている。

 あれは――竜だ。

 はっきりと見た訳ではないが、シェインはそれが正しいことを確信していた。だが、再び確かめる勇気はシェインにはなかった。

「――はっ。仰せのままに」

 ラザは膝をついたまま、深く頭を垂れたようだった。シェインには何も聞こえなかったが、ラザには何か聞こえたのかもしれない。

 ラザが立ち上がったので、おっかなびっくりシェインも立ち上がった。ラザは一礼して玉座に背中を向ける。こちらを向いたラザと目が合って、シェインもぴょこんとお辞儀をした。顔を上げるのが怖かったので、頭を下げたまま回れ右をした。慌ててラザを追いかけていく。

 聞きたいことは山ほどあったが、来た道を戻って門を出てしまうまで、シェインは一言も口をきかなかった。ラザの方も、黙ったままだ。

「良かったな、シェイン。これで君もこの島の一員だ。歓迎するぞ!」

 門を出ると、ラザはばしんとシェインの背中を叩いた。別に嬉しくはない。嬉しくはないが、ほっとしたのも事実だ。

 門に入る前は日暮れ前だったのに、いつの間にかすっかり暗くなってしまっている。風にのって、炭と煙と、肉の焼ける良い匂いがどこからか漂ってくる。

 安心したら腹が鳴ってしまった。ずっと寝かせられていたとはいえ、朝食をとって以来、何も食べていなかった。

 ラザは口元に手を当てて、くすくすと笑った。いたずらっ子のように微笑みながら、シェインの背中に手を添える。

「行こう。向こうで食事の用意が出来ているはずだ」

「は、はい……」

 旅の間はともかくとして、帝都で暮らしていた頃は、例え従者であろうとも同じテーブルで食事することは許されなかった。これからは、どうやら大勢の人と食事をとることが許されるらしい。

 死なないで済むように選択した結果、自分の人生は、また別の方向に舵をきりはじめたようだ。どうかこれからは穏やかな日々を送れますようにと、願わずにはいられないシェインだった。


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