十四章
14
「うわ」
フォーレンに話しかけられてシェインは目覚めた。天井が馬鹿みたいに高い。高いところで魚の群れが泳いでいる。スカイフィッシュだ。虹色の鱗が翻って輝く。
(これでどうやって兄のことを説得したらいいんだ……?)
思わず、寝転がったまま放心してしまう。
「大丈夫か?」
ラザが心配そうに覗き込んで来て、シェインは慌てて転がり起きた。
「大丈夫です、それより……」
話そうとしている途中で、どん、と腹に響く音が響いた。花火の音だろう。だが、あれは本当に花火なのだろうか。
シェインは青ざめて竜神に懇願した。
「竜神さま、お願いです。俺を旗艦まで連れて行ってください!」
「お前な、人使い――いや、竜神使いが荒くないか⁉」
「そこにはリノもいると思いますけど?」
「……仕方ないな」
段々、竜神の扱いが分かってきたような気がする。思惑通りに行きそうでほくそえんでいると、シェインは度肝を抜かされることになった。
竜神が巨大な白い竜に変化したのだ。伝説の通り、その姿は見上げるほどに大きい。ただ、個体差があるのか、絵画や彫刻で見る竜そのものよりも竜神は優美な姿をしているようたった。首が長く、全体的なシルエットは水鳥に似ている。体表を覆っているのは羽毛ではなく、真珠のような輝きを帯びた鱗だ。白い鱗は、赤いマグマに照らされてオレンジがかって見える。
コウモリのように膜のある翼を広げて、竜神は高く咆哮を上げた。鳥の鳴き声に似ているが、金属同士が擦り合わされるような、嫌な音が混じっている。シェインは思わず耳を塞いだ。だが、それでもビリビリと空気が振動して肌を刺してくる。
「うわっ……⁉」
地鳴りのようだと思っていたら、どうやら本当に地面も揺れているようだ。ラザやフィフィは膝をついて、頭を守るように腕で覆って、うずくまっている。
何が起きているのだろうと上を見ると、天井が渦を巻いて開き始めた。天井に開いた穴のようなものからは満天の星空が覗けている。シェインは口を開けたまま立ち尽くしてしまった。この謁見の間は単純に山の中なのだと思っていたが、もしかすると竜神が作った異界であるのかもしれない。うまく説明できないが、あの穴はこの世の理を無視している。空間が捻じ曲がっているとしか思えない。
竜神は夏の空の色をした瞳を細めて、くぐもった笑い声をあげた。目の色は人間の時と同じだ。獣のような姿をしているのに、知性のある眼差しが恐ろしい。竜神とはよく言ったものだ。神を相手にしているのだという畏怖の念が、ようやくシェインの胸にも湧き起こってきた。
「お前には我が背に乗る栄誉を与えてやろう。特別に許してやる」
竜神は巨大な口を開いてシェインの胴をぱくりと咥えた。反射的に小さく悲鳴を上げてしまう。痛くはないが、腹に太い牙の圧力を感じる。舌の温かさと湿り気、呼気の熱さが、竜神が幻などではなく生き物であることを感じさせる。宙を浮かぶ恐怖に耐えていると、そのままぽいっと背中に放り出された。鱗の上に落ちたのかと思いきや、案外と柔らかい。どうやら頭頂から背中にかけて、馬のたてがみのように長い毛が生えているらしい。
「しっかり捕まっていろよ」
笑みを含んだ竜神の声に、シェインは慌てた。このままぺたりと座り込んでいては、落ちてしまいそうだ。立ち上がるのは怖かったので膝をにじらせて移動すると、竜神の首の付け根に足をまたがせて、抱きつくように首に腕を回した。またがった感じでは、首の太さはちょうど馬の胴体くらいの大きさだ。乗馬で習ったように、軽く腿で締めておいた。艶やかな毛並みに指を絡めて、落ちないように必死にしがみつく。
「シェイン……!」
自分を呼ぶラザの声は、心配そうな、咎めるような声だった。
「行くぞ!」
竜神はばさりと翼を羽ばたかせた。空を飛ぼうとしているはずなのに、ぐっと身体が竜の背中に押し付けられているような気がする。シェインは顔を伏せて衝撃に耐えた。
「わ、あ……!」
夜空に花火が上がっていた。丸く打ち上がって、残り香のように光がしたたって消えていく。花火の輪はいくつも重なり合い、大輪の花がひしめくようだ。
空気の層が出来ているのか、浮かんでしまいさえすれば竜神の背中は快適だった。物凄い速度で移動しているはずなのに、風や寒さ、花火の熱さをまるで感じない。咥えられたせいで服が湿っぽかったが、それもいつの間にか乾いている。
花火の光の中で目を凝らすと、遠く水平線間際で停止していた戦艦十数隻が飛沫を上げて近付いているのが見えた。花火を打ち上げている者たちも竜神と戦艦の様子に気が付いたのだろう。唐突に花火の打ち上げが止まる。
花火がやむと、戦艦の方にも反応がうかがえた。ぐるりと旋回し、やがて港に側面を向けて停止する。ずらりと並ぶ大砲が、一斉に角度を変えていく。島を狙う船と、竜神を狙う船と、役割が決められているようだ。
竜神は戦艦と一定の距離を保って、宙に停止した。
「愚かな人間どもめ。我が島を狙うとは良い度胸だな。少し懲らしめてやろうか」
「待ってください竜神さま。誰も殺さないで、お願いですから! そんなことをしたらリノが帰りにくくなってしまいます!」
不穏な気配を察知して、シェインは竜神にしがみついた。
竜神はチッと舌打ちをすると、船の上空を旋回しはじめた。どうやら少しずつ近付きながら甲板の様子をうかがっているようだ。
甲板は魔道具の白々した灯りで照らされている。甲板に出てきた人たちは、口を開け放して上を向いている。その中にリノや兄の姿は見つからない。
どうしたらいい。
フォーレンをリノに戻して、リノと竜神を仲直りさせて、皇帝に戦争をやめてもらいたい。それがシェインの願いだ。ただ、いまある問題のほとんどは自分が動いたってどうにかなるような問題ではない。――リノとのことは一旦、後回しにしよう。まずは皇帝だ。けれど、やめてと訴えてやめてくれるなら、最初から攻撃など仕掛けてこないだろう。
皇帝が島を攻撃しようとするのは島のことを知らないからだ。島のことを知ったら、やめる気になるだろうか? 分からない。それでは駄目だ。考えなければ。どうにかして抜け道を探さないと。
シェインが戦争を止めたいのは島が好きだからだ。
皇帝は帝国の利益のために動いている。そのはずだ。だが、馬鹿の振りをしていなければ生き残れないと教えてくれた兄の本心はどうだろうか。
大砲は不気味に沈黙している。もう時間が無い。
「……魔力行使、兄上と遠話!」
話し合いの執着地点が見つからないまま、シェインは叫んだ。
「あにうえ、クローネス兄上。俺です。シェインです。幽霊じゃありません。今どこにいらっしゃいますか。船から外が見えますか。俺は今、竜神さまの背中に乗せてもらっています! お願いします、答えてください、兄上!」
『シェイン……これは、どういうことだ⁉ なんでお前の声が聞こえるんだ⁉』
恐れおののいたようなクローネスの声が聞こえてきた。成功だ。ほっとしたら泣きそうになってしまった。だが、まだ第一関門を突破しただけで、目的を達成できた訳ではない。
「魔法です。呪われた竜の島は魔法都市ダカーバなんですって。この島の者なら魔法は誰でも使えます。そんなことよりも」
シェインは表情を引き締めた。
「クローネス兄上、いまどこにいらっしゃいますか? フォーレンとは別の場所にいるんですか? 俺の声は兄上にだけ聞こえているんですよね?」
『……相変わらずの甘ちゃんだな。今まさに戦争を仕掛けようとしているところなのに、こちらの情報をやると思うか?』
最初は怯えた様子だったのに、クローネスは鼻で笑った。適応が早い。シェインは不貞腐れて唇を尖らせた。
「じゃあ別に教えてくれなくていいです、一方的に話し続けますから。兄上は何のために島を攻撃するんですか? キューブを手に入れるためですか? それとも竜神さまを倒すためですか? それは本当に兄上のやりたい、成し遂げたいことなんでしょうか?」
宣言通り話し続けると、返事がなくなってしまった。だが、遠話はこちらが終了を宣言しない限り続いているはずだ。融通の利かない魔法の仕組みを信頼して、シェインはこれでもかと話し続けた。
「クローネス兄上。兄上は昔、俺に教えてくれました。生き延びたかったら馬鹿の振りをしていろって。兄上はもう馬鹿の振りをやめたんですか? それとも、まだ馬鹿の振りを続けているんですか?」
わざと怒らせるような言い方をしてみたけれど、反応はない。シェインは唇を噛んだ。
「兄上。俺はね、ずっと前皇帝陛下に対して怒っていたことがあるんです。いいえ、今もまだ燻っていますよ。俺の生まれた村のことです。だって、にせものの村を作って現実逃避していたってことは、皇帝陛下だって本当は皇帝の仕事が嫌だったってことじゃないですか!」
叩きつけるように叫ぶと、息を飲むような気配が伝わってきた。
「自分でも嫌な仕事を子供に押しつけて、自分はさっさと死んじゃうなんて。ひどいですよ。俺は、まだ前皇帝陛下のことを許してはいませんからね。本当は兄さんだってそうなんでしょう?」
叫んでいるうちに、だんだん本気で腹が立ってきてしまった。父がシェインを大切に思ってくれていたことは疑いようがない。それなのに、父が皇帝という立場に戻った途端、シェインの立場も皇帝の血を継ぐ者の一人という立場に収まってしまった。
特別扱いはかえってシェインの立場を悪くする。今となってはそういうことも理解できる。けれど、帝都で見る父は常に顔色が悪かった。何者でもない、ただの父親だった姿を知っているからこそ、どうして無理をおしてまで皇帝でいることを自分に課しているのか、シェインには理解できなかった。
どうして分かり合えないのだろう。皇帝という立場が相容れないのだろうか。シェインは大切なものを守りたいだけだ。もちろん、兄も大切なものを守ろうとしているだけなのかもしれない。けれど、それは本当に大切にするべきものなのだろうか。
「本当は兄上は後継者争いなんてくだらないって思ってたんじゃないんですか。それなのに、どうして皇帝になった途端、向こうの理屈で話すようになってしまうんですか⁉」
「――シェイン。リノが出てきた。降りるぞ」
話の腰を折るようなタイミングで竜神が話しかけてきた。見おろすと、確かに甲板の一つにリノの姿が確認できた。だが、兄の姿はどこにも見えない。
竜神はシェインの返事も待たずにリノのいる船に向かって急降下した。シェインは首にしがみついたまま目をつぶる。
竜神の姿のまま甲板に降りたら船が沈むのではないかと心配したが、竜神は人間の姿になって華麗に着地した。シェインは首にしがみついたままの姿で放り出されたので、バランスを崩して転んでしまった。
「遠話終了!」
起き上がったシェインは兄の姿を見つけて、魔法を終了させた。
「兄上」
呼ぶと、兄は一歩前に出た。
会うのは久し振りだ。眉間の皺と下がった口角が前皇帝に本当によく似ていた。隣に並ぶリノが若々しいので、余計に老けて見える。
「別にいいじゃないですか。帝国なんて、どうなったって。大きすぎて目が届かないんだったら、小さく分解してしまえば良いんだ」
シェインは逃げ腰になりながら、言いたいことを言った。
「俺はまだこの島の政治をよく知らないけれど、この島がうまくいっているのは恐らく規模が小さいからです。竜神さまという巨大な後ろ盾もあるから、必ずしも全部を参考にすることは出来ないかもしれないけれど、学ぶべきところは多いと思います。だから、お願いします。この島に手を出さないで」
兄は何事かを確認するようにリノに向かって耳打ちをした。無視をされたような気持ちになって、シェインはなおも言いつのった。
「その人を頼りにしても駄目ですからね。彼は竜神さまの花嫁だから。竜神さまがどこまでも付いて回りますよ。何なら、彼自身が竜神さまでもあるらしいですからね。そのうち、帝国も魔法都市にされちゃいますよ」
「シェイン。お前という奴は、おしゃべりだったんだな。少しは黙っていられないのか」
口を挟む隙もない、と、兄は呆れたように続けた。
「攻撃するかしないかは、そちらの出方次第だ。フォーレンにも言いたいことがあるらしい。少しは話をさせてやってくれ」
「竜神さま、どうして俺が島を飛び出したのか、お分かりになりますか?」
リノが一歩前に出た。少年姿の竜神は、黙って小首を傾げている。リノは頬を引き攣らせて笑った。
「それが分からないならば滅ぼすしかありませんね」
「……お前が大切だ、大事にすると約束した。それのどこが不満なんだ?」
「だったらすぐに迎えに来いよ! 十二年だぞ、十二年!」
リノは爆発したように啖呵を切った。竜神は驚きの余りまばたきを繰り返している。確かに、大事にすると言っておいて十二年も放置するのはひどい。シェインはこっそりと竜神に耳打ちをした。
「あのー。実際のところ、お二人の間には何があったんですか?」
「ううむ。夜の営みについて、少しな。我が女の姿にもなれることを話したら喧嘩になってしまった」
竜神は細い腕を組んで唸っている。シェインは曖昧な笑顔を浮かべてそれ以上は問いただすのをやめた。見かけだけの話だとはいえ、子供の口からそんな話を聞くのはなんとなく嫌だ。
「誤解を招くような言い方をするんじゃない!」
外見が子供の姿になっているせいか、リノの叱り方には容赦がなかった。
「前世の話やら、竜神の力になじめば俺も女の姿になることが出来るだとか、それが本来の姿だとか、今の自分を否定するようなことを言われたら誰だって怒るに決まってるだろ⁉ だったらあんたが俺に合わせて姿を変えろよって言ったら、断ったくせに! 自分だって嫌なことを人に押し付けようとするんじゃない!」
リノは肩で息をしながら怒鳴っている。シェインは眉を下げて竜神に向き直った。
「ええー……? それは竜神さまが悪いですよ。だからほら、早く謝ってしまった方がいいですって」
「分かった」
竜神は神妙に頷くと、まるで雨が降っているのを確かめるかのように、手のひらを上にして空を見上げた。その途端、戦艦の至るところから――照明や、大砲など、恐らく魔道具が使われている部分から、金色の光が溢れ出す。
光は竜神の手のひらの上に集まって、やがて竜神の身体全体を覆い始めた。光は竜神の姿そのままの大きさをしていたが、ゆらゆらと揺らめいて、少しずつ長く、大きくなっていく。
「……これで許してもらえるか?」
光が収まった時には、白銀の髪を持つ美しい女性が立っていた。大きく胸のあいた帝国風のドレスを身にまとって、竜神は切ない表情をしてリノを見上げている。
「ず、ずるいですよ、それは……!」
リノが頬を染めて後ずさると、竜神はするりとリノの腕をとって、自分の腕と絡ませた。こてんと首を倒すと、ちょうどリノの肩に小さな頭が乗る。
「では、これにて一件落着だな!」
嬉しそうに竜神が宣言をしたが、まだ軍艦の件が片付いていない。恐らく魔道具の動力源であるキューブは竜神によって吸収されてしまっている。このままでは戦艦を動かすこともままならないだろう。
シェインは苦笑をもらして、兄の前に膝をついて正式な礼をとった。
「クローネス皇帝陛下。竜神の花嫁を送り届けて下さったこと、篤く御礼を申し上げます。奇しくも今宵は年に一度の祝祭の日、どうか島にお立ち寄り頂き、魔法都市ダカーバとの友情をお示しくださいませ」
茶番だ。それは兄もよく分かっているのだろう。理由がなければ軍隊は動かせない。視察に赴いて殺害された皇弟は存在しない。どさくさに紛れて死んだことにするつもりだったのだろうが、シェインが目の前にいるために報復のための攻撃という言い訳は使えない。それでも艦隊を動かしたからには、皇帝は何か理由を提示する必要がある。
兄は鷹揚に頷いた。
「……よかろう。それではお二人の再会を祝して、祝砲を贈ることにしよう。フォーレン、最後の仕事だ。頼んだぞ」
リノが合図をすると、しばらくして、いくつもの空砲が鳴り響いた。大砲の口からは、白い煙だけがたなびいている。
竜神がリノを背に乗せて空へ飛び立った。島の方から爆発的な歓声が上がった。止まっていた花火が再び上がり始める。
シェインが皇帝に謝意を示したことで、艦隊を動かしたのは竜神の花嫁を護送するためだったという物語にすり替えられることが出来たのだった。
「フォーレンがいなくなると、私の味方が誰もいなくなってしまうな……」
「言っておきますけれど、俺はもうこの島の人間ですから。クローネス兄さんの手伝いは出来ませんからね」
船のへりに兄弟で並んで花火を眺めていると、港から手漕ぎの小舟が近付いてくるのが見えた。どうやら、舟を操っているのはラザとフィフィであるようだ。
名前を呼ばれて、シェインは大きく手を振った。




