十三章
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現皇帝・クローネスは今年で三十二歳になる。彼は皇太子であった期間が極端に短い。元々、さほど高い継承権は持っていなかったため、成人するとともに辺境伯の地位を授かり、大陸西端の地に赴任していたからだ。
今からおよそ十年ほど前のことだ。第二王子、第三皇子の毒殺事件が起こった。この事件そのものは皇子同士が企てたものだったが、その一年後、皇太子である第一皇子が騎馬での散策中に落馬し、亡くなった。それをきっかけにして継承権争いに拍車がかかり、後宮は荒れに荒れた。内戦が始まる一歩手前まで来たところで疫病が帝都を襲い、主要な皇子皇女までもが立て続けに亡くなってしまった。我が子のほとんどを失った皇帝自身も病に倒れ、最終的に辺境伯が帝都に呼び戻されることになったのだった。
第二皇子、第三皇子の合同葬儀の時に、クローネスは初めてシェインと顔を合わせた。皇帝が後宮の外で女官に生ませた末の皇子はまだ七歳だった。
「こんにちは。あなたもおれのお兄さんなんですか?」
儀式の前に控えの間で待機していると、小さな末弟に話しかけられてしまった。クローネスは弟付きの女官はいないのかと辺りを見回したが、この妙に気安い子供の世話をしている者は見当たらなかった。七歳になるまで外で育てられた子供だ。誰もが持て余していることは想像にかたくない。
子犬のような目で見上げられて、クローネスは困ってしまった。本心を言えば、極力、関わり合いになりたくない。子供の世話などしたことはないし、どうせ葬儀が終わればすぐに辺境に戻らなければならないのだ。頼りにされても手助けはできない。
ただ、癖のない黒髪が自分とよく似ていた。黒い髪の皇子は幾人かいるが、真っ直ぐな黒髪を持つ者は自分たちだけだ。身分の低い母親から産まれた者だけが皇帝から外見的な特徴を受け継いでいるとは皮肉なことだ。
「あの……ええと、あなたも、おれの、お兄さんなんですか?」
「二回も言わなくても聞こえている」
仕方なく兄だと答えると、子供はぼんやりと頷いて、不思議そうに溜息をついた。
「今から、大きいお兄さんたちのお葬式があるんですって。おれにはお兄さんやお姉さんがたくさんいたんですね。お母さんはそれぞれ別の人みたいですけれど……」
「………」
父親が同じなのに母親が違うことが心の底から不思議であるらしい。クローネスはこの子供が後宮に連れてこられた経緯を思い出した。皇帝は帝都の郊外に隠れ里のような村を作り、そこで平民として振る舞う遊びをしていたと聞く。その村で皇帝と恋仲になった女官が、そのまま村娘として村人である皇帝と結婚し、子を成した。その子供がこの末弟だという話だ。
「お城につれてこられる前に、おれのお母さんも後から行くからねって言っていたんです。でも、まだ来てなくて……もしお母さんに会ったら、ここは怖いところだから、来ない方が良いって伝えてもらえませんか?」
元々、皇子が村で過ごすのは七歳までという約束があったらしい。ところが、くだんの女官は、皇子が七歳を迎える直前に皇子を連れて村から逃げようとしたのだそうだ。皇子の誘拐は重罪だ。女官は捕らえられ、皇子はすぐに保護された。そして、母親である女官は最終的に毒杯を下賜されることになったと聞く。――皇子が後宮へ移れば女官は妃の一員になれたはずなのに。
「……約束は出来ないが、もしも会えたら伝えておこう。だが、どうして私に頼むのだ? 探せば他にも頼めそうな人が見つかるだろうに」
困惑を滲ませると、小さい弟は肩を揺らしてはにかんだ笑顔を見せた。
「ええと、それは、その、こうじつです。本当は、あなたと少し話してみたかっただけなんです。お父さんに似ている気がしたから……」
「――皇帝陛下に?」
からかうように返すと、シェインは急に身体を強ばらせた。
「ちがいます。あのひとはお父さんと同じ顔をした知らない人です。おれのお父さんじゃありません」
「なるほどな」
クローネスは真顔になった。皇帝の仮の姿こそが、彼にとっては真実の姿なのだろう。そして彼の母親である女官が妃になることを拒んだ理由も分かった気がした。きっと二人の思いは同じなのだろう。平民を演じていた時の皇帝がどんな様子だったのか、クローネスには知るよしもない。だが、この皇子を見ていれば愛されて育ったのだろうことが分かる。妬ましいような、疎ましいような、なんとも言えない黒い感情と、純粋に哀れに思う気持ちが交錯して、クローネスはやっとの思いで微笑んだ。
「どうやら君は賢いようだ。だが、それが命取りになることもある。この城で生き残りたいのならば、馬鹿の振りをすることも覚えておくといい」
シェインは戸惑ったようにまばたきを繰り返していたが、真面目な顔をして頷いた。
そして葬儀が始まって、シェインとはそれきりになった。一年後に皇太子が亡くなり、再び帝都に招集させられはしたが、そのときはシェインと顔を合わせなかった。
クローネスが次期皇帝にと呼び戻された頃、魑魅魍魎の魔窟のような宮廷は半ば壊滅状態にあった。疫病で亡くなったのは普段からあまり運動をしていないような者――文官が特に多かった。クローネスはどさくさに紛れて人事を動かし、新政権の基盤を作った。お陰で政権交代はうまくいったが、ほぼそのままで残されている軍部はそうもいかなかった。
「呪われた竜の島に手を出す……というのはどうですかね」
即位して五年。そろそろ軍の縮小を考えなければと自室で頭を抱えていると、フォーレンが冗談じみた口調で話しかけてきた。フォーレンは辺境伯時代から側仕えとして雇っている男だ。堂々と館に入ってきて自分を売り込みに来るような行動力のある青年で、お忍びで街へ繰り出せば酒場の給仕として現れ、館に戻れば街の商人と一緒にやってくるような破天荒なところもあった。恐怖を覚えるようなしつこさだったが、不思議と愛嬌があって、館で働く者たちからはひっそりと応援されているような始末だった。根負けして手駒に加えることにしたが、これが小憎らしいほど優秀で、今では手放すことなど考えられないほどだ。
「竜に軍部を壊滅させてしまえば、キューブも手に入って一挙両得ですよ」
「それで逃げ帰って来いと? 軍部がいかに厄介でも、一人一人は我が民だぞ。史上最悪のバカ皇帝として後世に名を残す気はない」
「そんなもの、最後に勝てば良いんですよ」
猫のように大きくつり上がった目を細めて、フォーレンは笑った。恐ろしい男だ。勝算はあるのかと尋ねると、ある、と言う。
「……だが、戦を起こすきっかけがない」
「シェインさまを視察に出せばいいでしょう。旅は危険ですから。何が起こるか分かりませんものね?」
フォーレンは宙を見つめる猫のように、どこを見ているのか分からない目をして微笑んだ。三つしか歳下ではないことが不思議なくらいの童顔だ。初めて会った時から若く見えたが、ここのところますます磨きがかかっているような気がする。
「ではフォーレンが従者として付き添ってやれ。途中で気が付いたなら逃がしてやっても構わない。逃げなかったらそれまでのことだ」
クローネスはフォーレンの話にのった。いい加減、疲れていたし、どうでもよくなっていた。クローネスはフォーレンが呪われた竜の島出身であることを突き止めている。何か目的があって近付いてきたのだろうということは分かっていたが、まさか故郷を帝国に攻撃させるためだとは思いもよらなかった。帝国を巻き込んで島を滅ぼすつもりだろうか。
(案外、共倒れを期待されているのかもしれない)
それならそれで、最後の皇帝として名を残すのも悪くない気がした。
こうして、皇帝・クローネスはシェイン達を追うような形で、艦隊を率いて帝都を出発したのだった。
(兄上、クローネス陛下……)
数日前から何度も聞こえる呼びかけの声に、クローネスは心底参っていた。船旅は性にあわないことも分かった。身体がずっと揺れていて、早く地上に降りたかった。
「シェイン……」
弱っているところを見せたくなくて、クローネスは船内の自室にひきこもっている。ベッドで休むのにも疲れたクローネスは、身なりを整えぬまま起き上がって溜息をついた。皇帝の部屋には大きな玻璃の窓が嵌め込まれている。沈みかけの太陽が眩しくてうんざりした。
ノックがして、フォーレンが入室してきた。
「まさか、またシェインさまの声が聞こえたんですか? 話しかける気があるなら要件を言えと伝えておいたんですけれどね」
「……会えたのか」
「はい、彼は生きていらっしゃいますよ」
ほっとしている自分に気が付いて、クローネスはうなだれたまま呟いた。
「――本当にやるのか?」
「ここまで来ておいて何をおっしゃるんですか?」
笑顔の圧力に負けて、クローネスは諦めたように立ち上がった。今日は島の祭の日だという。完全に日が沈みきったら花火が上がるらしい。それに乗じて攻撃を開始する予定だ。もう、後戻りは出来ない。
クローネスが自室を去るのと一緒に、フォーレンも部屋を出た。扉を閉める。
「……君もほどほどにね」
牽制するような笑顔を浮かべて、フォーレンは誰もいないはずの室内に向かって言い残した。




