十一章
11
扉を閉めても祭の喧噪が聞こえている。
人混みにもまれながらガロの店にたどりついた三人は、ご馳走の並ぶテーブルを見て喉を鳴らして立ち尽くした。すでに話がつけられているのか、人数分以上の席がある。丸テーブルが二つくっつけられていて、椅子は六つだ。
オズマは先に到着していたらしい。微笑みを浮かべながら奥の席に座っている。
「君たちも好きな場所に座ると良い。ガロはまだ厨房にいるよ」
こもっているが、やはり良い声だ。オズマはラザと同じく白い服を身にまとっている。灰色の髪を後ろで一つにくくっているせいか、先日会った時よりも若く溌剌として見える。青年にしか見えないラザの父親とでは比較が難しいが、もしかしたら二人の年齢は意外と近いのかもしれない。
オズマの前には大鍋のシチューがでんと置かれ、焼きたてのパンがバスケットいっぱいに積まれていた。もう一つのテーブルには、バナナの皮で包まれたおそらくスカイフィッシュと、色とりどりのサラダに、揚げた芋の皿が並んでいる。島での食事は銘々に提供されるものではなく、基本的に大皿料理なのだろう。それぞれの椅子の前には空っぽの皿が置かれている。
「すごーい、ご馳走だ!」
フィフィははしゃいだ声を上げた。シェインも大きく頷いて同意する。
ラザはオズマの斜め前に座り、フィフィはラザの隣でテーブルは別となる場所に座った。シェインは少し考えて、フィフィと同じテーブルで、オズマの真正面に座ることにする。
「おう、来たな。俺のことは良いから先に食ってな!」
ガロは厨房から顔を出すと、お玉を振りながらカラカラと笑った。正直、空腹に耐え切れそうになかったので、お言葉に甘えて食べ始めることにしてしまう。食前の挨拶を済ませると、各自それぞれ好きなように好きなものを自分の皿に取り分けた。
シェインはラザに勧められて、スカイフィッシュに挑戦した。バナナの皮で四角く包まれたそれを、自分の取り皿に載せる。どうやら包み焼きではなく、包み蒸しであるらしい。紐をほどいて茶けた緑の皮をめくると、ふわりとミルクの甘い匂いがした。白い魚の切り身の上には、クリーム状のソースがとろりと広がる。付け合せと香り付けにか、薄く削がれた茸も一緒に包まれていた。ソースの中には赤や緑の香味野菜がみじん切りにされていて彩りもいい。
「いただきます……」
何度か使っているうちに、フォークの扱いにも慣れてきた。側面をナイフのように使って一口大に切り取り、恐る恐る口に運ぶ。ちらりと様子をうかがうと、ラザもフィフィも、オズマさえもが固唾をのんでシェインの様子を見守っているのに気が付いた。複数の視線にさらされて、何だか緊張してしまう。
「――あ、美味しい」
シェインの感想を受けて、見守っていた三人の表情が満面の笑みに変わった。
魚料理というよりも肉料理のようだった。繊維のほどける感じが鶏肉に似ている。似ているが、もっと柔らかい。脂がのっているせいか噛みしめると肉汁があふれてくる。ソースは濃いめの味付けだ。ソースと肉汁とが口の中で混ざり合うことで完成するようになっているらしい。
「そのソースはな、パンにつけて食べても美味いんだぞ」
ラザは葉を手で押さえながら、パンで拭うように食べてみせてくれた。真似をしてみると、確かに美味しい。ただ、パン自体が甘く柔らかいので、そのままで食べないのは少しもったいないような気もしてしまう。この島に来てからというもの、美味しいものばかりだ。これもまた帰りたくない理由の一つかもしれない。
ほどなくしてガロが熱そうな浅い鍋を運んできた。焼いた肉団子を煮込んだものであるらしい。ガロがラザの向かい側に腰を据えてしまうと、ラザは席を立ってガロの分のグラスも持ってきた。
「あのー。皆さんが酔っ払ってしまう前に、お話を聞いておきたいんですが」
シェインは心配になって挙手をした。ワインの栓が開けられて、ただの宴会のようになってきたからだ。シェインは自分が酒に強くないことを知っているので、グラスの中身はよく冷えたレモン水だ。意外にもフィフィもシェインと同じものを飲んでいる。
「そうだね、何から話したらいいのか……」
ワインのグラスを傾けながら、オズマが目を伏せた。
「帝国にキューブが流れているそうですが、その理由は?」
「それを説明するためには、リノのことを話しておく必要があるね」
オズマは困ったように微笑んで、ガロに視線を送った。
「話しても良いかな、ガロ」
「ラザももう大人だ。隠す必要もないだろう」
そうは言いつつも、あまり話したい内容ではないらしい。ガロは渋面を作ってグラスをあおった。オズマは手に持っていたパンを自分の皿に置き、呼吸を整えるように息を吐き出す。フィフィの向こうで、ラザがぐっと身を乗り出すのが見えた。
オズマが口を開いた。
「……リノはね、実は竜神さまの花嫁なんだ」
「え?」
「――ん?」
一瞬、食事をとる手が止まって、静かになった。
言葉の意味を理解するのに少し時間がかかってしまった。
リノはフオーレンだ。童顔で、腕の立つ騎士で、男だ。竜神は男女問わず娶るという話を聞いてはいたが、花嫁という言葉がどうにも結びつかない。
「花嫁に選ばれて、その……逃げるなんて出来るの?」
ラザの驚きはシェインの驚きとは種類が違ったらしい。シェインは昼に見た祭の寸劇を思い出した。恐らくはあの物語の他にも、教訓や警告を示す別の物語が存在するのだろう。
シェインは何となく嫌な気持ちになった。この島において竜神は絶対の力を持っている。確かに、庇護下にあれば魔法を使えるというメリットはあるが、竜神が何を要求してきても住民に拒否権がないのが気に入らない。自分の父親である前皇帝が故郷の村に対して行ったことと、構造は似ている。
「リノは候補ではなく、すでに花嫁なんだそうだよ。本人もそのことに関しては了承しているそうだ。だから、逃げたというよりは、距離を置いただけ、という扱いになるのかもしれないな」
「あ、そうなんだ……」
オズマの言葉に、ラザは複雑な表情を浮かべてうつむいた。兄弟が知らないうちに結婚していたとあっては、確かに複雑な気持ちだろう。しかも、相手は竜神さまなのだ。シェインは一瞬、余計なことを考えてしまって、頭を振って妄想を追い払った。知り合いの夜の事情なんて、考えたくはない。
「なんというか……島を出る前に、リノは竜神さまから力を分け与えられていたらしい。今の竜神さまには全盛期の半分ほどの力しかないのだそうだよ」
「……どういうこと? 失われた竜神さまの半分は、お兄ちゃんが預かっているってことなの? そんな力、人間の身体に宿せるものなの?」
「リノの言い分だと押し付けられたという話だけれどもね。すまないが、私にも詳細はよく分からないんだ」
オズマは申し訳なさそうに眉を寄せている。シェインは耳をそばだてつつ、こっそりと食事を再開することにした。核心がぼかされているせいか、力を分け与えるだとか、力を宿すだとか、言葉だけを聞いているとどうしても下世話なことを想像してしまいそうになる。浅い鍋にそっと手を伸ばすと、ガロが気にせず食えとジェスチャーで示してくれた。取り分けた肉団子を皿の上で冷まして、もぎゅもぎゅと頬張る。お肉美味しい。
「それで質問は、何故キューブを帝国に渡しているのか、だったね。――リノから要請を受けたからなんだ。リノの身体はまだ人間だけれども、竜神さまの力を譲り受けているので、維持するためにはキューブで補う必要があるんだそうだよ」
「………」
それは本当に人間であると言えるのだろうかとシェインは思った。多分ここにいる全員が同じことを考えている。だが、誰も口には出さなかった。
(あ……だからフォーレンは宮殿に入れるほどの身分を手に入れる必要があったのかな)
結界内で消費されたキューブは竜神の元へ還元されると聞いた。キューブ使用率の高い場所に結界を張りたいのならば、シェインだって宮殿を選ぶだろう。目的があるとはいえ、実際に皇帝直属にまでのしあがってしまえるのがフォーレンの恐ろしいところだ。しかも、何の後ろだてもなしに、なのだから、彼の能力の高さには改めて舌を巻いてしまう。
「お兄ちゃんは、どうして島を出て行ったんだろう……」
やがてラザが絞り出すように呟いた。
「……詳しいことは俺にも分からん。ただ、きっかけは夫婦喧嘩であるらしいな」
「そ、そうなんだ」
ガロの答えに、ラザは乾いた笑みを浮かべた。フィフィが呆れたように率直な感想を述べる。
「でも、じゃあ、十二年も喧嘩を続けてるってことなの? 長くない⁉」
「まあ、リノからしたら長いだろうな」
「……うわ」
フィフィはそれだけ口に出して、言いたいことを飲み込んだようだった。言外の意味を読みとって、シェインも思わず顔を顰めてしまった。それはつまり、竜神さまにとってはそうじゃないかもしれない――ということだ。
襲撃されたときのことを思い出して、シェインはますます不安になった。
「てゆーか、そんなんで夫婦仲は大丈夫なんですかね……? フォーレン――リノはこの島を滅ぼしかねない雰囲気でしたよ?」
「………」
誰からも返事はない。やはり大丈夫ではないのだろう。
「あっ。――えっ。俺、さらに怖いことに気が付いちゃったんですけど……」
恐る恐る話を切り出すと、フィフィがじれたように唇を尖らせた。
「何よ。はっきり言いなさいよ」
「七百年前にも帝国の侵攻があって、そのときは帝国が惨敗しているんですよね? 俺は記録を読む機会がなかったので帝国でどう扱われているのか分かりませんが、竜神さまの恐ろしさはおとぎ話として伝わっています。それなのに再侵攻に踏み切ったのは、竜神さまにも勝つ算段をつけたのだろうと予想できます。――だけど、竜神さまを倒してしまったら、キューブってもう手に入らないんじゃないのかなってずっと不思議だったんですよね」
「それがどうしたって言うのよ。帝国が無知なだけなんじゃないの?」
「俺も最初はそう思っていました。だけど、フォーレン――帝国中枢に関わる人物の正体がリノだと分かった今、帝国がそんな間違いをするとも思えないんですよね」
「やだ。なに? 怖いから早く言ってよ。脅すような言い方しないで」
「考えすぎだったら申し訳ありません。もしも竜神さまを倒すことで、竜神さまに残ったもう半分の力をリノが手に入れることが出来るとしたら……?」
あくまでも机上の空論だ。だが、リノの本当の目的が竜神に成り代わることなのだとしたら、色々とつじつまが合ってしまう。いま島を治めている排他的な竜神が消えて、人間の心の機微も分かる、協力的な人物を竜神に据えることが出来たなら、帝国にとってこれ以上都合の良いことはない。もちろん、島の民にとっても、恐怖で縛りつけるような相手ではなく、本当に島のことを想う人間が竜神の座につくことが出来れば安心だ。リノにとっても、結婚を強要してくる相手を消すことが出来る上に、故郷の生活を守れるならば、その方がいいに決まっている。
竜神さえいなければ、全てが丸く収まってしまうのだ。
「大それたことを考えるな君は……」
オズマが呆れたように首を振った。
「いや、まあ、本当のところは分からないんですけどね⁉ そうだったら嫌だなって思っただけのことで!」
考えうる最悪のことを考えたまでのことだ。シェインは周りを見渡した。一同はそれぞれ考え込んでしまっているようで、視線は合わない。このまま帝国の――リノの考えに乗った方がいいのか、抵抗するべきなのかどうか、はかりかねているようだ。
シェインはこれからどうしたらいいのか、ようやく答えを見つけ出したような気がした。
「……俺、竜神さまのところに行って、話をしてきます」
ラザが弾かれたように顔を上げた。シェインは微笑んだ。
「だって、仲直り出来るのなら、その方がいいでしょう? 十二年前に何があったのかは分かりませんが、竜神さまは大したことじゃないと思ってる可能性がありますよね。リノの怒りを解くことは竜神さまにしか出来ないのに」
「……竜神さまも怒ってて、余計に怒らせることになっちゃったらどうするの?」
「その時はその時、ですかね。共存共栄が目的なら、島の人たちが滅ぼされるようなことは起こらないはずでしょ? それでも八つ当たりで酷い目に合わせるようなら、それこそリノに倒されてしまえばいいんだ」
「ふ、ふふ」
ラザが肩を震わせて笑い出した。からからと、声を上げて笑っている。少し怖い。フィフィでさえも少し身体が引けている。
やがて、がたんと椅子を鳴らしてラザが立ち上がった。
「――私が竜神さまのところへ行こう。こういう時に丸く収めるのが頭領の役目だろう?」
ラザは髪をかきあげて不敵に笑った。全てを吹っ切ったような笑顔だった。
「ラ、ラザが行くなら、私も行くわよ!」
「もちろん、俺も行きますからね」
「なんだ、洗い物をしてくれる奴が居なくなっちまうな」
ガロが苦笑した。ラザはガロのところまで回り込むと、首に腕を回して頬を寄せた。
「私たちはちゃんと戻ってくるよ。オズマと二人で飲んで待ってて」
シェインはガロの言葉を額面通りに受け取って、後片付けくらいしていった方がいいかなと考えていたのだが、もしかしたら、もう二度と戻って来ないかもしれないという不安からの言葉だったのかもしれない。
「……まったく、仕方のねえ奴らだなあ」
ガロはラザの腕をぽんと叩いた。その表情には、諦めたような微笑みが浮かんでいた。




