十章
10
日が沈み、辺りが暗くなりはじめた。潮風で冷えるので、とりあえず小屋の中へと入る。埃っぽさに顔を顰めて、ラザが何事かを呟いた。魔法で掃除をしてくれたのだろう。澱んでいた空気が随分とさっぱりしたような気がする。
木製のテーブルの上に置いてあったランプに灯をいれて、ラザは椅子に座った。シェインがテラスに持ち出した椅子は壊れてしまったから、三脚しかない。シェインはラザの向かい側の一脚の背を引きながら、戸惑いを隠せないまま口を開いた。
「あのう……戻らなくても良いんですか? 祭を抜け出してきてくれたんでしょう?」
「別にいいだろう。私が居なくてもなんとかなるさ」
投げやりな言い方に少し驚いた。思っていることが顔に出てしまったのか、ラザは不貞腐れたように頬杖をついて、溜息をもらす。
「さっきのスカイフィッシュの群れを見ただろう。拗ねたくもなるさ。兄が帰ってきた途端、あれだもの」
「スカイフィッシュって――何なんですか?」
「竜神さまの力を浴びて増える、精霊みたいなもの、かな。たくさん現れる時は竜神さまの調子が良いことが分かる。そういう指標みたいな使われ方もする」
初日の炭焼きを思い出して、シェインは何とも言えない表情になった。
「精霊なのに食べちゃうんですか……」
「みたいなもの、と言っただろう。それにスカイフィッシュは美味しいんだぞ。皮目は焼くとパリッとしていて、身は脂がのっていてフワフワで、癖がないからどんな味付けにも合う」
「――お好きなんですね、スカイフィッシュ料理」
「島の者はみんな好きだよ」
ラザは肩をすくめて、再び溜息をついた。
「……私が頭領を継いでからというもの、スカイフィッシュはめっきり減ってしまった。以前はそこらじゅうに湧いて出ていたのに。竜神さまだってそうだ。祭の時でさえ姿を現されたことがないんだぞ」
「俺と一緒に神託を受けた時は、どうだったんですか? あの時、何らかの声かけがあったのではないですか?」
「いいや。いつも通りだよ。声さえも聞かせてはもらえなかった。是か非か、どちらを主張されているのかという判断くらいは気配だけでも出来るが、それだけだ」
竜神の声は自分にだけ聞こえていないのだと思っていたら、ラザにも聞こえていなかったらしい。もはやシェインも竜神の実在を疑ってはいないが、それにしても竜神の存在感が薄すぎるのが気になる。ラザは自分が頭領についてからその現象が始まったと言っていたが、本当にそれが理由なのだろうか。
「そもそも私が頭領に選ばれたことが何かの手違いなんだと思う。――九歳だぞ? いくらなんでも幼すぎだ」
「それ、本当は頭領でいるのは嫌だ……ということですか?」
「それは違う。ようやく頭領としての務めを果たせるようになってきたところなのに、取り上げられるのが惜しい。兄には帰ってきて欲しいが、譲りたくない」
ラザはどうやらリノの方が頭領にふさわしいと考えているようだ。シェインの考えとは少し異なる。帝国が島を侵略したいのはキューブ入手と完全なる統一のためだ。だが、キューブを島の外に持ち出すと竜神さまの力が削がれてしまうらしい。竜神さまの力が削がれれば、いずれキューブ生産も不可能になってしまう。リノがそれを知らなかったはずはない。この一点が、どうしても気になっている。
「……兄ともう少し話をしてみたかったな。頭領に選ばれなかったから島を出たのだと思い込んでいたんだが、どうやら違ったらしい……」
溜息混じりの呟きは一人言のようだった。落ち込んでいるラザは珍しくて、どこか微笑ましいが、そうも言っていられない。シェインはラザの様子を伺いながら、いま浮かび上がっている問題を指折り数えてみることにした。
「状況を整理してみましょうか。――帝国が侵略戦争を仕掛けようとしているけれど、現段階ではまだ宣戦布告はされていない。門外不出であるはずのキューブが何故か帝国に流出している。そして、いままで行方不明だった姫のお兄さんが帝国の人間として姿を現して、再び姿を消した。今のところ島はずっと受け身です。こちらから突くとしたら、どこを狙うべきでしょうね」
真面目な話を振ると、ラザは姿勢を正して真顔になった。
「島を攻めたいのは帝国皇帝なのだろうが、操っているのは兄かもしれないな。少なくともキューブ流出には兄が関わっていると思う」
「フォーレンは元々、皇帝直属の部下でしたからね。皇帝と話す機会もたくさんあったのでしょう」
シェインは表情を引き締めた。リノが皇帝を操っているという意見には賛成だが、少しだけ不安になる。ラザはいずれリノと敵対するかもしれない覚悟はあるのだろうか。
ラザはテーブルの上で指を組み、シェインの顔をまっすぐに見つめた。
「ところで、シェイン。君は何者なんだ? 兄とは親しげな様子だったが」
「俺は――皇帝の命を受けてこの島の視察に来ただけの使いっぱしりですよ。戦争のきっかけを作るための、ただの捨て駒です。フォーレンは従者として付き添ってくれましたが、彼の真の使命は俺の暗殺だったのだと思います」
「どうして君が殺されることで戦争に?」
シェインは困ったように笑って、肩を竦めた。
「俺の兄が皇帝だから、ですかね……。正確には腹違いの兄なんですけれど」
「なるほどな……スレアインの森のシェインという名乗りは、真実の全てではなかった、ということか」
ラザはただ事実をありのままに口にしただけだったのだろうが、シェインは少しだけ傷付いた。
「俺の出自を説明することは出来ますが、あまり面白い話ではありませんよ?」
そう前置きをして、シェインは目を伏せて話し始めた。嘘をついたつもりはないが、確かに全てを話したわけではない。根深い話なので、出会って間もない頃には打ち明けることが出来なかっただけだ。
前皇帝が自身の息抜きのために作った村で、シェインは生まれ育った。
その村の中では皇帝は全ての重責から解放され、ただの村人として存在することが可能だった。管理されたその村で、皇帝は第二の人生を楽しんでいた。気に入った娘と婚姻関係を結び、やがて彼は父親となった。不在がちな理由を行商人であるということにして、息子には皇帝である事実を隠して二重生活を続けていた。
真実を知る村人たち――特に母にとっては、脚本のない劇を常に演じさせられているようなものだったのだろう。偽りの生を強いられた母は、やがて心がばらばらになって自死を選んだ。そして、母の死によって村は解体され、シェインは帝都に引き取られた。
シェインの故郷はこの世には存在しない幻の村だった訳だが、シェインがそれを知ったのは宮殿に引き取られてからのことだった。シェインにとって、自分の父親は森で作った木工品や薬草を売り歩く行商人であって、皇帝ではない。前皇帝の亡くなった今でもまだ悪夢の中にいるような気がする。
「俺の帰りたい場所はどこにもない場所なので、もし俺を暗殺計画がなくなったとしても帝国に戻る気はありません。この島での暮らしを続けていきたいです」
シェインはラザを見た。帝国の思惑も、フォーレン――リノの謀略も、いまは関係ない。自分の意思は表明した。あとはラザの気持ち次第だ。
「姫はどうしたいですか? 戦争を回避するには、開戦される前に友好を示しておくという方法もあると思いますけれど」
「……それ、本物の皇子に呼ばれると気恥ずかしいな」
ラザは顔を上げて、ふ、と表情を緩めた。
「帝国の侵略を阻止したいのはもちろんだが、今まで曖昧にしてきたことを知りたいよ。兄は何故、島を出なければならなかったのか。どうして竜神さまは何も話してくれないのか。キューブを帝国に横流ししているのは誰で、その目的は? ――私は本当に頭領でいて良いのか?」
「馬鹿ね。良いに決まってるでしょ!」
フィフィが扉を開けて小屋の中に入ってきた。驚いて目を丸くしていると、フィフィはずかずかと近付いてきて、ラザを背後から抱きしめた。
「この島を今まで支えてきたのは、リノじゃなくてラザだもん。誰にも文句なんて言わせないんだから」
「フィフィ、いつから聞いていたんだ」
ラザは苦笑しながらフィフィの手をぽんと叩いた。フィフィはわざとらしくまばたきを繰り返して、にっこりと微笑む。
「スカイフィッシュ料理の話をしている辺りかしら?」
「ほとんど最初からじゃないか。入ってきたら良かったのに」
「いやあ……なんとなく邪魔したら悪いかなと思って。シェインが妙なことをしようとしたらすぐに止めに入るつもりではいたんだけれどね?」
「余計な気を回さないでください……」
そういえば、夕食は三人で一緒に食べようと約束していたのだった。迎えに来てくれたらしい。
ラザの首にまとわりつきながら、フィフィは猫のように目を細めた。
「あなたたち問題点をいくつか挙げていたけれど、すぐに問い詰められそうなところが一つだけあるじゃない。花火が上がるまでは他の集落の頭領も南にいるはずでしょ。直接、聞きに行きましょうよ」
「だけど、あの人が簡単に会ってくれますかね……?」
ラザの実家で会った、北の頭領・オズマを思い出して、シェインは途方に暮れてしまった。人柄は柔和そうだったが、鋭利な雰囲気を漂わせた、独特の間を持つ男性だった。
「まあ、まずは連絡をとってみるか……」
ラザが遠話をつなげると、オズマは話し合いに応じることをおっとりとした調子で約束してくれた。現在オズマは祭の後始末を全て終わらせ、ラザの実家であるガロの店へと向かっているところであるらしい。
『多分、私は君たちの知りたいことを知っていると思う。ご飯を食べながら、ゆっくり話そう』
三人は顔を見合せた。誰かの腹の虫がぐうと鳴った。そのため、オズマの提案通り、今からガロの店で合流することになったのだった。




