謎の男
次の週になり、ミリアムはいつもより早く準備を済ませ街へ向かった。早くに叩き起こされたステファンは眠そうに馬車の手綱を引く。ミリアムは、あの謎の男に会いたいと、朝から意気込んでいる。
「あれから色々と調べてみたけど、材料も発色も、比べ物にならないくらい丁寧で手が込んでいたわ。私たちの知らない技法なんじゃないかな。だからやっぱりこの辺りの集落の作品じゃないわ。」
ミリアムなりに考えたようだった。ステファンは、どうでもいいと言わんばかりにあくびをしながら聞いていた。
「今日、来なかったらどうするの?来週も早く出るつもり?」
ミリアムは、ステファンを睨みながら、
「別に、私一人でも、街へ出かけられますけど?」
と言い放つと、ステファンは
「そ、そんなつもりで言ったんじゃないよ。」
と、困ってしまった。
いつもより早く街へ着くと、急いで開店準備をすませ、ミリアムはアルバートの店へ向かった。
「アルバート!おはよう。今日、あの人きた?」
「ああ、ミリアム。もうとっくだよ。」
と言いながら、更に新しい商品を見せてくれた。またもや素晴らしい作品だ。
「その人は?どうしたの?」
「もう行ったよ、ほら、あそこだ。あの黒いマントの…。」
と聞き終わるより早く、ミリアムはその黒いマントの男の方へ駆け出した。朝の市場は出店準備に追われ、人や物で道は溢れている。転ばないよう、ぶつからないよう、気をつけながら男を追った。
「おい、ミリアムじゃねーか!」
男の声で呼び止められる。市場の管理組合の会長だ。気さくだが話好きのその男に捕まったらそう簡単には振り払えない…。ミリアムの顔が引きつる。
「会長!おはようございます!」
とにこやかに挨拶しながらかも、身体は男の方へ向かおうとしていると、
「なんだよ、茶でも飲んで行け、情報交換でもしようや。」
と肩を掴んで離さない。ミリアムは、なんだかんだと言い訳をしながら、
「急ぎの用事で、ホント、すみません!後で寄りますから!」
と逃げるように飛び出した。
危なかった、あれに捕まると長いんだから…、と汗を拭きながら、男を探す。が、すでに見失っていた。ミリアムはため息をつきながら、もう!会長のせいで!と思いながら、キョロキョロと見まわし辺りを探して歩いた。すると、人混みの中、大きな黒い塊がいきなり横から現れミリアムにぶつかった。
「キャッ!」
悲鳴を上げたミリアムは、そのままその大きな人物に体当たりされたようになり、倒れそうになった。だがミリアムの目の前はもう地面、というところで、ふわりと身体が宙に浮いたようになっていた。あれ?浮いてる…。ミリアムは不思議に思っていると、その大きな人物がミリアムを抱きかかえ、転ぶ手前で支えていたのだった。ミリアムは、その大きな人物の方へ顔を向けると、黒いマントを被ったあの男だった。ミリアムは驚いたがそのままジーっと男の顔を見ていた。男は顔から目だけ出している状態だった。瞳は綺麗なブルーで、身体はがっしりとした背の高い男だった。
ミリアムを抱きかかえたまま、その男もじっと見つめていた。時が止まったかのようだった。
だが、男は一瞬、ハッとしたように目を見開いたかと思うと、すぐに顔を逸らしミリアムを起こして立たせた。
「すまない、ケガはないか…」
低い声で男が言うと、
「いえ、私こそ、前を見ていなくて…」
ミリアムは頭を下げた。男は、
「いや、ケガが無ければ良いんだ。」
そう言うとその場から立ち去ろうとした。ミリアムは、
「あの!あなたに聞きたいことがあるんです!」
と、呼び止めた。男は立ち止まり少しだけ振り向いた。
「あなたの作品、見ました。どれも素晴らしくて、この辺りで見かけないし、どうやって作っているのか、知りたいんです!あなたが作っているのでしょう?」
ミリアムが尋ねると、男は黙っている。ミリアムは、負けじと、
「あんなに素晴らしい作品、どうして自分で売らないのですか?人に頼むなんて勿体ない気がして…」
と言った。だが、男は低い声で、
「あなたには…関係のない事だ…」
と言い、急ぎ立ち去ってしまった。
ミリアムは、ポカンとその場に立ち尽くした。何か心に引っかかっていた。何だかわからないけど、兎に角、あの男が作ったものなんだ、と何故か確信していた。そして、胸が少し熱くなっていた。
ミリアムは、とぼとぼと自分の店へ向かっていた。途中、アルバートの店で立ち止まり、あの男の新作をみて、ため息をつく。アルバートに、会えたか?と声を掛けられたが、うん…と頷くだけで何も話せなかった。彼の新作の商品は可愛らしいリボンをモチーフにした飾りだ。アリシアに、と商品を購入し、ボーっとしたまま自分の店についた。ステファンが、からかうように、
「あの男、何者かわかったの?」
と言った。ミリアムは、
「わかんない…何も…。変な人だったわ、あの人…。」
と言うと、また黙り込んでしまった。ステファンは、また黙り込んだか!と困った顔をし、客の対応をミリアムに頼むのを諦め、いそいそと働いた。
帰りの馬車で、ミリアムは、久しぶりに口を開いた。
「ステファン…。あの人ね、私のこと、あなた、と呼んだのよ。」
と真面目な顔をして言った。
「なんで?あなた、が珍しいかい?」
ステファンが言うと、
「市場や工房にいる男の人たちは、女の私をみたら、大抵、ねーちゃん、とかアンタ、とか、お前、よね?でも、あの人、あなた、と言った。女をあなた、なんて丁寧に呼ぶ人種、この辺りにいないわ。」
と言った。ステファンは、なるほど、と思った。
「あの人、身分の高い人なんじゃないかな?貴族とか王族とか。」
と言うと、
「貴族が、ガラス細工なんてするわけないよ。」
とステファンは、呆れた。
「もし、そうだったらと考えてみてよ。貴族の人がガラス細工を作ったとして。ま、作る事自体が有り得ないけど。それで余りに綺麗に出来たから見せたい、売りたいってなった、でも、自分で売るには人目につくし、周りから可笑しな事だ、やめろと言われる、だから、顔を隠したり、作品を人に託したりするんじゃないか、って。」
突飛な事だけど、一理あるかも、とステファンは思った。貴族といえば、サロンだのパーティだの、働くのは下々にやらせて遊んでる奴らだ。ガラス細工をしようなんて奇特なやつ、いる訳ない、と思いながらも、ミリアムの話が妙に納得できた。
「それに、あの人、どこかで会った事がある気がして。それでずっと考えてたんだけど、思い出せなくて。」
ミリアムは、眉間にシワを寄せてまた考え込み始めた。ミリアムが会った事があるなら、自分も同じではないか?とステファンも考えたが、貴族に知り合いなどいるはずもなく、気のせいでは?とミリアムに言った。