side:黒い生き物
この世界には、様々な種族が存在する。妖精族、獣族、人族、魔族。
中でも魔族はそれぞれの種族によって見た目や習性、保持する魔力の差があり、また単純な力の差も違うため、自然と階級のようなものが出来た。所謂弱肉強食。
頂点に君臨するのは、魔王。不老不死の力を持ち、全ての魔法を扱うことが出来る。その体は鋼のように固く、傷を付けることは出来ない。敵に対して一切の容赦をすることなく嬲り殺す。全魔族を従わせる絶対的な存在。妖精も、獣も、人も。皆が皆、恐れ、敬う存在。
そんな魔王が支配する魔界に足を踏み入れようと思うものなどいない、はずだった。しかし人は未知なるものを欲し、強欲にも魔族を支配しようとしたのだ。
悪しき存在だと人の中で浸透していく魔族のイメージ。自分の領に勝手に入られれば、迎え撃つのが当たり前だと言うのに、それを攻撃してきた、魔族は人に仇を為す存在だと、戦争を仕掛けられる。魔物は意思を持たぬ生き物。彼らが度々人を襲うことは知っていたが、それは魔族とは無関係の話。なのに魔族がけしかけたと、また争いが生まれる。
人と魔族の力の差は明らかで、手を振れば飛んでいく彼らを始め気にも留めていなかった。
しかし人の中で、とんでもない力を持つ者が生まれた。後にそれは勇者と呼ばれ、同じように力を持つ者を集め、魔族を殺し始めた。
それでも魔王が出るほどの力は持っていなかった。だが徐々に勇者は力を付けていく。年を追うことに、代を変わることに、どんどん力を増していった勇者は、ついに魔王城へたどり着いたのだ。
魔王城の者たちは王に仕えるものばかりで強者がそろえられている。対してボロボロの勇者一行。彼らは負けた。人間はそれでも諦めない。死んでも次の勇者を、次の勇者を。
強くなる次代の勇者一行だが、魔王が負けるほどではなかったのだ。
小春の背を見送ったレイ。
まさか巨木へ感謝を述べるとは思わなかった。この木がどんな木が知っている風でもなかった。そして、それに木が答えるとも。
なるほど、どうりで。
ここはレイの隠れ場。普通、魔獣や魔族は圧倒的な気配に恐怖を感じて近づけず、人間はそもそも見つけることさえできない。それこそ精霊を使役していない者はいくら幸運だとしても見つけられない。だが彼女はこの場所を見つけ、入って来た。
「随分とお気に入りのようだな、世界樹」
天まで届きそうな世界樹と呼ばれる不思議な力を持つ木は、レイの言葉に白い木の葉を揺らす。
不思議な少女だった。
黒髪黒目という人間にはない色を持つ少女。
人間は弱いくせに、欲深い生き物だ。短い生を醜く過ごす。己の欲のためならば汚いことにさえ平気で手を染めるんだ。黒色という“魔”に連なる色を見て、それを忌み嫌わない人間はいない。
現れた人間にレイは当然威嚇した。しかし少女はとても真剣に、自分を助けると言ったのだ。
驚いた。誰にも、助けるなんて言われたことなどなかったからだ。
少女は泉で濡らした布でレイの傷に触れる。あまりの痛さに怒鳴れば、ひるむことなく「うるさい!」と返される。それも心配から出た言葉だと分かったが、本当にびっくりした。怒鳴られたこともなかった。
いくら警戒しても威圧しても、その表情は変わらず真剣だったから、レイはなんだか馬鹿らしいと力が抜けてされるがまま。
どうせ死ぬなら、最後がこれでも悪くはないと、そう思った。
少女の献身のお陰でレイの傷口に付着していた毒が拭き取られ、妨害されていた自己治癒が可能になる。助かったレイは疲れて、少女の近くで眠りについた。これほど安心して眠りにつくのはいつぶりだろうかと、そう思いながら。
優しいぬくもりから目を覚ませば、自分の体に少女が持っていた綺麗な布がくるまれていることに気づく。彼女も眠りについているようだ。
その寝顔は今まで見てきたどんなものよりも美しくて可愛らしかった。
(オレを必死に助けようって顔も良かったな)
突然頭に何か振ってくる。それは果物だった。なんだと見上げれば、世界樹がフワフワと光を飛ばしていて、少女が寒さを感じないようにしていた。また世界樹が果物を落としてくるものだから、レイは慌てて拾っていく。
なんだか体がいつものように動かせず、やたら疲れるな、と思っていると少女が目を覚ましたらしい。声をかけたら寝起きで頭が働いていないのかよく分からないことを発する。鳥、という言葉を聞き、自分の今の状態をようやく理解した。どうりで、疲れると思った。
今の魔力量では鳥ほどの大きさが限度だったが、意外と動きやすい。
コハル、と名乗った少女との触れ合いはレイを幸せな気持ちにさせた。
このまま一緒にいたい。もっと話したい。そう思ったのは初めての事だった。
すぐに契約、という二文字が思い浮かぶ。互いを縛るもの。離れないようにするもの。
何かに縛られるのは嫌だけど、目の前の少女にだったら縛られたいと、レイは思った。
だから彼女にお願いしようとしたのだ。
『陛下!陛下!ご無事ですか、陛下!』
この、邪魔さえ入らなければ。
小春の背を見送り、世界樹と対話していたレイの頭に、再度呼びかけてくる声。
一気に下がる機嫌を隠すこともなくレイはその相手にぶつける。
『うるさいんだよ!ちょっと黙れってオレ言ったよな!』
すみません、としおれた声が聞こえる。
『陛下がご無事と知り、逸る気持ちを抑えられず…。申し訳ありません』
お陰で小春と契約できないわ、小春は帰ってしまうわ。次の約束をとりつけているから良いものを。苛立つレイの頭に固い実が落とされる。世界樹からお叱りを受けてしまった。こんなところで喧嘩するな、とでも言いたげだ。すまん、と一言謝る。今の魔力が十分に回復していない状態で追い出されると困るのはレイの方だからだ。
『赤。簡潔に報告しろ』
『はっ。現在、青と黄が城及び魔界内の統制を行っております。勇者一行は人間の国へ帰還』
『裏切り者はどうした』
『迅速に処分いたしましたが、手ごたえなく。恐らく人の国へ逃げたものと思われます』
なるほど、本体は人の国に置いて能力を隠し、高みの見物をしていたわけだ。
『まさかこのオレが、騙されるとはな』
『魔族は実力主義。本能で強者には従います。裏切りなど思いもよらないこと』
仕方がありません。
側近に置くほどの力も魔力もない奴だった。しかし、奴は頭が切れた。他の仲間も、側近たちも、奴を頼りにしていた。だから裏切りに気づくのが遅れたのだ。
如何いたしましょうかと尋ねられ、レイは放っておけと支持を出す。また襲われる危険性を危惧するルーフス。
『オレが二度の失敗を冒すと、そう言ったのか?』
『いえ!滅相もありません!』
レイの気迫が思考伝達ごしに伝わったのか、ルーフスは冷や汗をかいた。再びレイの頭に固い実が落とされる。次はないぞと脅され、レイは謝罪した。
『魔界はしばらくお前たちに任せる。オレは今、勇者たちのお陰で魔力が底を付きている状態だ。当分動けそうにない』
『我らが迎えに行くことが出来ればよかったのですが、申し訳ありません』
『良い。回復次第戻る』
ここは彼ら高位魔族でさえ入ることが出来ない神聖な場所なのだ。
書類は片付けるからと転移で送るよう指示をする。
『無事の帰還、お待ちしております。魔王陛下』
途切れた思念伝達。
これだけなら別に小春に居てもらっても良かったとレイは思う。
さっさと回復して、元に戻って、小春の所へ行こうと決め、世界樹に許しを貰い、休息を取ることにした。