第6話:幻想的な空間で
暗闇の中を進んでいった先で小春は驚く。
すぐに光が差し込んできて、開けたそこは幻想的な空間だった。大体百メートルほど歩かなければならないが、空間をぐるりと囲う背の高い木々たちが影を作って、この場所を守っているのだろう。
場の中心には周囲の木よりも更に高い巨大な木がズシンと立っていて、空高くまで伸びている。神木のような雰囲気の木だ。巨木の白い葉の隙間から入ってくる光が、この場所を照らしているようだった。美しい花々が咲き、どういう原理か不明だが、なぜか光る泉もある。女神様が住んでいるような場所だと小春はぼんやり思った。
キョロキョロと辺りを見ながら歩く。神木の近くに来た時、その根元、そこには血塗れの黒い何かが倒れていた。
「と、鳥?!」
慌てて近づいてみると、鳥…かどうかは分からないが、確かに黒い生き物が倒れていた。死に至ってはいないが、苦し気に息をしている。死にかけているのかもしれない。
小春の存在に気づいた生き物は、威嚇するように息を鳴らした。だがそれは音にさえならず、逆に自分を苦しめただけである。威嚇することを止めようとはせず、なんとか自分の身を守ろうとする。しかしその目は痛みに歪んでいて、小春は思わず叫んだ。
「待ってて!今助けるから!」
聞いたその生き物は言葉が分かったわけではないだろうに、小春には驚いているように見えたのだ。
先程見つけた泉に、ポケットに入っていたハンカチを浸す。この光が良い効果をもたらしてくれることを願う。今は一分一秒だって、無駄にしてはいけない。そして神木の根元へと戻り、生き物の傷口を拭った。
すると反抗する生き物。「シャーー!!」と威嚇されるが、「うるさい!」と小春は怒鳴り返す。
「そんなに力入れたら、もっと傷口開くかもしれないじゃん!大人しくしてて!私、貴方に危害とか加える気、全くないから!」
一瞬震えた生き物は小さく唸るも、小春の真剣な表情を見てか、静かになる。
小春は血でハンカチが汚れたら泉で洗い、綺麗になったら傷口を拭う、という行為を何回も繰り返した。たまに生き物の痛いところを触ってしまい怒られては謝ったりすることもあったが、血は何とか収まった。
傷口を綺麗に洗ったハンカチでくるんで、一息つく。
気づけば既に日は暮れていて、神木の隙間から見える空には星が浮かんでいる。
黒い鳥か何なのか分からない生き物は、元気になって飛び回る、なんてことは出来ずに、すぐに眠ってしまった。
小春も生き物が死なずに生きていることへの安堵と一緒に、忘れていた疲労がやってきて、地面に寝転がってすぐに眠ってしまう。
そこに恐怖は一切なかった。なぜなら、小春のすぐそばで眠る手のひらサイズの黒い生き物から伝わる温かさと、この場所の不思議な安心感のお陰だった。
神木から降り注ぐ木漏れ日により目を覚ました小春は体を起こして周囲を見渡すが、まだ頭が回っていなかった。
「あれ、ここ、どこ…?」
外という感覚がなく、なんで目の前に凄い綺麗な草花が咲いているのか、こんな幻想的な場所にいるのかがよく分からなかった。
すると突然、一匹の黒い生き物が目の前にテクテク歩いてきた。
「目を覚ましたようだな。良かった良かった」
ただでさえ頭が回っていなかった小春に、“動物が喋った”というファンタジーが追加され、もうパンク寸前である。
「…今どきの鳥って、こんな鳴き声なの…?」
言葉を鳴き声と思ってしまうほど、パニックになっていた。小春と対照的に落ち着いている黒い生き物は「まぁまぁ」と背中に乗せていた果物を地面に落とした。その時自分の体を見て、あぁ、と呟く。
「鳥の方が良いな。これじゃ何の生き物かよく分からん」
くるりとその場で身を翻した生き物は、次には黒い何かの生き物から黒い小さな鳥へと変化していた。「まぁ、今の魔力量じゃこんなもんだろ」と嘴を動かす。
「昨日のこと、思い出せるか?オレ、君に助けてもらったんだけど」
変わらず動揺はしていた小春。しかしその言葉を今度は鳴き声と判断せず、頭の中で反芻する。脳内で昨日のことを思い出す。
「ぁ、あの鳥?!大丈夫?!怪我は?!」
慌てて確認する小春に、鳥は自分の翼を広げて飛んでみせ、無事を伝える。安心して息を吐く小春の前に降りてくる。
「オレはもう大丈夫だ。君のお陰で傷も治った」
「そう…良かったぁ…」
何で喋れるの?とか、最初と見た目違わない?とか、色々聞きたいことはあったが、小春の腹が先に鳴った。頬を赤く染めた小春に、鳥は「まぁ、何か食べないとな」と、地面に落とした果物を嘴で小春の方へ差し出す。
「ありがとう…」
恥ずかしくなりながらもそれを口に運ぶ。次の瞬間、小春の口に広がったのは甘い果汁だった。
「うわ!ナニコレすっごい美味しい!」
見たこともない果物、食べたことのない味。しかし、とんでもなく美味しい。
「ならよかった。遠慮しないでもっと食べな」
顔の表情筋はよく分からないが、笑っているように見える。しかし鳥は食べようとしない。聞けば食べなくても生きていけるから要らないと言う。しかし小春が思い出すのは、昨日大量の血を流していた生き物だ。平気なのは信用ならない。栄養がないと血も作れないだろう。
じーっと見てみれば、黒くてよく分からないけど、ちょっと顔色が良くない気がする。
小春は自分が食べていた果物を手でちぎり、鳥の前に置く。
「ん?なんだ?」
不思議な顔で首を傾げる。確かに断ってすぐに果物を差し出されたら、自分の言葉が通じてないのかなと思うか。小春は言い訳を考える。
「えっと、一人で食べてても寂しいの。だから、一緒に食べて欲しいなぁって」
とっさに思いついたにしては良い言い訳だと思う。こちらをじーっと見ていた鳥は、ふっと笑って頷いた。
「分かったよ。一緒に食べようか」
なんだか「しょうがないな」みたいな顔をしている気がするが、鳥だからよく分からない。鳥は器用に、小春がちぎった果物をつまんで咀嚼して飲み込む。
「おぉ、美味しいな」
「自分で採って来たものなのに、なんで驚いてるの?」
驚く鳥に笑う小春。食べてくれて良かったと息を吐き、小春も果物を口に入れる。やはり美味しい。甘いし、なんだか疲れが取れていく。景色の美しさは相変わらずで、食べ物はとても美味しいし、目の前の鳥は可愛いし。小春は最高だと思った。
「そういえば、なんで助けてくれたんだ?」
互いに果物の甘さを堪能していた。鳥の目を見れば、純粋な質問だと分かる。
確かに、小春には生えてる草が毒なのか薬なのかっていう知識なんてものもからっきしだし、治療の仕方も中学生が保健の授業で習った程度だから曖昧だ。
でも、
「目の前の苦しんでる人は助けるもんでしょ!」
知識や方法が分からないのが、目の前の誰かを見捨てる理由にはならない。
再び果物の甘さに噛り付く小春を見て、鳥は小さな声で「そっか…そうか」とどこか納得したように呟いて、自分も果物にかぶりついた。
「名前、なんて言うんだ?」
果物を食べ終えたタイミングで尋ねられる。夢だと思っている小春は鳥が話すことに違和感を持たなくなっていた。
「小春だよ!貴方の名前は?」
「レイだ」
「レイか。かっこいい名前だ!」
レイはカッコイイと言われたのが嬉しかったのか、「えっ、ちょ、そんなことないぜ!」と照れている?ように見える。気さくで面白い鳥だ。
「それにしても、なんであんなに大けがしてたの?」
「あ~……うん。あれか~…」
微妙な顔をするレイに、小春は「言いたくないなら言わなくても良いから!」と手を振ったが、レイは大丈夫、と恥ずかしそうに笑った。
「実は、喧嘩したんだ。その時よそ見してて、それであんな怪我してたんだ」
怪我の原因がただの喧嘩なのがダサいと思って、言うのを躊躇ったらしい。ただの喧嘩で良かった、と小春は安堵した。
「もし誰かから恨みを買って殺されかけたとか、事故で死にかけたとか、そんな酷い話じゃなくて良かったぁ。あ、喧嘩は喧嘩でも、もしかして親友から裏切られたあとの喧嘩だった?仲間内で上手くいかなくて、それで?」
「いや普通に喧嘩!そんな重い話じゃない!想像力高すぎだろ!オレあいつら嫌いだし、いつか会ったらぶっ殺すし。だから、君がそんな心配することはないんだ」
ケラケラと笑うレイ。何がそれほどツボに入ったのか小春には分からなかったが、今も腹を抱えて笑っている。そんなに笑うことないじゃないかと小春がむくれると、「ごめんごめん」とまた笑った。
「コハル、オレのお願い、聞いてくれないか?」
少し考えてそう聞いてくるレイの顔。その声がなんだか真剣だったから、小春も背筋を伸ばした。
「うん!私が出来る範囲なら、良いよ!」
嬉しそうに眼を細めたレイだったが、突然機嫌が悪くなる。雰囲気が悪くなるレイに「どうしたの?!」と慌てた。笑顔でちょっと待つように小春に言うと、レイは背を向けて何やら一人で小さな声で話し出すと、すぐに小春に向き合った。
「いや、ごめんごめん。待った?」
デートの待ち合わせをしていた恋人のようなことを聞いてくる鳥に小春は噴き出すのを耐えながら「待ってないよ」と答えた。どうしたの?と聞くと、レイは深いため息を吐く。
「用事が入ったんだ…。今じゃなくても良いって思うんだけど、ずっと煩いから…くそっ」
吐き出し未だに納得できない様子のレイ。その様は人間のようだった。
「だからお願いはさ、次に保留してもらっても良いか?」
自分の夢は本当に凄いと思いながら、小春は分かった、と頷く。
次に保留するほど大切なお願いを、自分に叶えることが出来るのか疑問に思うが、急ぎのお願いじゃないなら別に良い。
小春は立ち上がり、伸びをする。どうしたんだ?と首を傾げるレイ。
「レイが用事あるなら、私はここからいなくなった方が良いでしょ?」
邪魔になりたくないし。レイはそうだともそうじゃないとも言えずに視線をさまよわせている。小春としても、そろそろ人と会いたいと思っていたところだ。しっかり休息を取れたし、腹も満たされた。これが本当に夢の中だったとしても、いや夢の中だからこそ、このまま独りぼっちではおかしくなってしまいそうな気がする。それこそ目が覚めた時、空中に突然話しかけ、周りの人から変な人扱いされるような人間にはなりたくない。
この場所は本当に綺麗な場所で落ち着くが、ずっとレイにお世話になるわけにもいかない。荷物がなくて軽い体を神木へ向けると、小春は頭を下げた。
「ありがとうございました!」
昨日からずっと守ってもらったし、ここの泉も使わせてもらったし、果物ももらったし。少しの間だったが、レイにもこの場所にもお世話になった。すると答えるように草木が揺れて、白い葉がハラハラと落ちてくる。淡い光が空中に点々と浮かび上がる。幻想的な光景。思わず声が漏れた。
行ってらっしゃい、と言われている気分になって笑った。
こちらを見ていたレイにも「果物ありがとう!またね」と手を振って、神木に「いってきます!」と告げた小春は、その場を後にした。