第5話:異世界到着
友人たちとの感動の別れの後。飛び立った飛行機がもうそろそろ到着するかというところで、機内に衝撃が走る。大きく揺れる機体、上がる悲鳴。
機長や乗員の指示通り、救命胴衣を身に着ける。海上に不時着するらしい。
小春は震えた。隣に座る父が、手を握ってくれて、父の向こうに座る母が笑ってくれて、小春は泣きそうになった。
「ありがとう、父さん、母さん。大好きだよ」
意識を失っていたらしい。目を開けた小春が見たのは、水中に閉じ込められた人々だ。
助けなければ!と思った。しかしシートベルトが邪魔で、助けに行くことが出来ない。
父さん!母さん!
水中という動きにくい中、何とかシートベルトを外そうとするが膨らませていない救命胴衣で手元が見えない。外せない。息が持たなくて小春の目も霞んでくる。
(いやだ。いやだ。誰かが死ぬなんて、嫌!誰か助けて!誰か、皆を助けて!)
声がした。聞き取れないくらいの小さな声だ。
こんな状況で聞こえた声、ということは、生存者かもしれない。声の主を探すために小春は視線を辺りに向ける。しかし分からない。するとまた声がした。今度ははっきりと。
『———手を、前に———』
その通りに手を前に出してみる。藁にもすがる思いだったのだ。
すると小春の手を誰かの手が握った。目を瞬いた先にいたのは、光っていてとても美しい、まるで神様みたいな人。来ている服だっておかしい。白い布を体に巻き付けただけの恰好。それが光る肌ととても似合っていて、より人外感が出ている。
小春はただ、何も言えずに見惚れるだけ。
『——お願い——願いを——聞いて——』
性別が曖昧な声。とても耳に心地良い。でもその中には、なんだか焦りが混じっていて、小春はなぜか助けなきゃいけないと思った。
そうすれば、皆の命を救ってあげる。
続いた言葉に、小春は飛びついた。
「何ができるか分からない!貴方が何を願っているのかも!でも、皆を、皆を助けてくれるなら、何でもする!できることがあるんだったら、言って。私に出来ることがあるのかなって思うけど、頑張るよ!」
必死に言葉を紡ぐ。水中で息が出来ることを、話が出来ることを、不思議に思っていなかった。小春の言葉を聞いたその人は、とても嬉しそうに微笑む。小春もよく分からないが、嬉しい。
幸せだと、その人の全身から伝わってくる。
『ありがとう、コハル』
「え?な、なんで」
なんで名前を知ってるの?疑問を浮かべる小春を余所に、その人は今まで繋いでいた手を強く握りしめた。
『私の世界を、助けて』
次の瞬間、意識が遠のく。周りの景色も、どんどん歪んでいく。小春は気絶を貧血で一度だけしか軽々したことがないが、それとはまた違う。誰かに手を引っ張られていくような、そんな感覚。朦朧とした意識の中、声が聞こえた。
『——コハル、貴方なら、世界を救うことが出来るはずだ——』
言葉の意味とかは全く分からない。ただ、相変わらず優しくて、耳に心地良い声だな、なんて思いながら、小春は意識を手放した。
次に目を開けた時、小春の目に入ったのは、今まで見ていた景色とは全く違うもの。人によって建てられたものは一つもなく、緑の匂いで一杯の場所だった。
ゆっくりと体を起こして周囲に目を向けてみる。しかし、先程の美しい人はいない。この場には小春だけのようだ。手や首、目も動かしてみる。異常や怪我はないみたい。
冷静に、努めようとしたが無理だった。
「知り合いどころか人一人いないし!場所もここどこ?!見たことない場所なんだけど!なにこのラノベ展開~?!」
自分の声だけが響く。
ただぼーっとしていても何も変わらないし、安心するにはまだ早い。それにここが、所謂ラノベ展開あるあるの異世界転移かどうかもまだ早い。異世界に来ちゃった、よりも誘拐されたという可能性の方が、まだあると言える。
小春は自分の現状を改めて確認してみる。
まず場所。小春のいるところだけ柔らかな苔のようなものがあって、辺りは森。見上げてみると木々の隙間から綺麗な光が差し込んでいた。木々に周囲が埋め尽くされていて怖いはずなのに、木漏れ日とか、青々とした空とかが醸し出す雰囲気が優しいお陰で全く怖くない。逆にとても心地よかった。
ここがもしも、ドロドロとした雰囲気だったら、と想像して身震いする。発狂していたかもしれない。
立ち上がってみると、下の苔のようなものが小春の動きに合わせて少し沈む。ゆっくりと、足を進めてみる。地面に降り立つ。行き先はとにかく人がいるところ。まずは道に出られればそれでいい。
ふと自分の荷物がないかと探す。服は、転校挨拶をしに学校に行ったので、制服のまま。ポケットにはハンカチが入っているが、鞄類はどこにもない。
「まぁあの状況じゃ、鞄は持ってないよね」
あの状況、と小春はつい自分の口から出た言葉に首を傾げる。
「ん?あの状況って、どの状況?」
友人たちと飛行場で別れて、飛行機に乗って。そこから先の記憶が曖昧だ。
何があったっけ?と思い出そうとするが、靄がかっていて思い出せない。ただ美しい人と話したことくらいしか覚えていない。
「これはもしかしたら、夢って可能性めちゃくちゃあるなぁ」
夢だと思ったらなんだか気が楽になってくる小春。しかしこの森とか苔とか。自分の夢にしては、随分とファンタジーだしはっきりしている。
荷物が無いことは仕方ないと諦め、人通りを目指して小春は歩き出した。
どんどん進んでいくにつれて怖くなっていくのは嫌だなぁ、なんて考えていた小春だったが、杞憂だった。もちろん先程の場所に比べたら少し暗くなり、怖くはなった。しかし相変わらず木漏れ日が優しく降り注ぎ、そこまで怖くないし足元も照らされているから安全に進むことが出来る。
自分の夢ならそうそう怪我をすることもないだろうし、怪我をしても平気だろうと、小春は更に体感で三時間ほど歩いて、地面に寝転がった。
「流石に疲れたぁ…」
いくら歩いても動物一匹も出てこないから、今の所危険はない。しかしお腹は空く。小春には植物の知識なんかないため、毒とか会ったら困るからと食べられない。
日はまだ高く、少し傾いている程度だ。
夢なら疲労も、空腹も、無しにしておいて欲しかった。
あの美しい人。あの人も、小春自身が想像で作り上げた人物なのか。それとも、本当に実在するのか。それにしても綺麗な人だった。
夢だろうという認識が強くなっていく小春の耳に、うっすらとだが水の音が聞こえる。もしかして川?!と小春は、小鹿のように足を震えさせて立ち上がった。川が近くにあって喉を潤せると思った途端、喉の渇きが異常に湧いてくる。
頭の中は水の事だけしか考えられなくなっていた。
しばらく歩いた先で川を見つけた。歓喜に飛び跳ねたくなったが体の疲労からそんなことできず、プルプルと震える足で川に近づいて大人しく水をすくい、口に運ぶ。ごくごくごく…と喉を流れていく水だけに意識を集中させた。
「ぷはぁあ!」
まさに生きていると実感した瞬間である。人間水なしでは生きられない。小春は幸せを噛みしめる。
ついでに汚れた顔を洗い、近くにあった岩に腰を落ち着かせる。
川の水面はキラキラと光を反射して、それを見ていて思いつく。川の下流に村があるのではないのか?と。数十分ゆっくり休んだ小春は立ち上がり、下流を目指して歩き出す。
喉を潤した後、小春の頭の中を埋め尽くすのは一つ。
(ご飯が食べたい!)
食欲であった。
一時間も経たないうちに事件が起こった。大きな地響きが森中に響いたのだ。
音がした方を向いてみると、鳥が数十匹、一気に飛んでいくのが目に入る。
今まで歩いてきて、一切目にしなかった生き物をようやく目にできた。川にも魚一匹いなかった。だから、音の方向へ行けば、何かしらの生き物と出会える。あるかどうか分からない人里をここから何時間も歩いて探すか。もしくは、少し行ったところで確実に会えるけど、それが一体何かは分からないものを目指して歩くか。
空腹と、危険なことに巻き込まれて痛い思いをしたくない、という気持ちが、小春の足を鈍くさせた。悩んだ結果、小春は音がした方へと歩き出した。
夢ならあれこれ気にせず、一番興味が惹かれる方へ行こうと決めたのだ。
危なそうだったら、遠目で確認して逃げればいいだけだし、と軽く考える。
音のした方へ進む。それだけで目的地にたどり着けるわけがない。しかし目印は音だけなのだ。結果、小春は現在迷子になっていた。川から少し離れただけでこのありさまである。もう自分が今川からどれだけ離れた場所にいて、どうすればさっきの場所に戻れるのかも分からない。
少し前の自分を殴ってやりたくなるが、気にしていても仕方ないと脱力する。
「まぁ、なんとかなるからいっかー。とにかく音の方へ行ってみよー!」
もしかしたら人がいるかもしれないし。希望を持って、歩き始めて数十分。
目的地らしき場所に到着した小春だったが、悩んでいた。
先程の地響きによって生じた煙らしきものが見えて、この場所まで来たのだが。
小春の目の前は、真っ暗だった。
今までは光が差し込んできていて遠くからでも少し先の道が見えていた。しかし、ここだけは違う。光が一切入ってきていないのか、まるで影に覆われているようだ。
怖いなぁ。入ったら殺人鬼とかいそうだなぁ。
しかし完全に川の場所まで戻れなくなったし、日も大分沈んでいる。
結局、履いていた靴を使って、表が出たら行く、裏が出たら引き返す。そう決めて投げてみたところ、側面が出た。まさかの低い確率の側面が出てしまった。
更に小春は悩む。どうしよう、と。
正直、こうして靴遊びしている内にあまり怖くなくなってきているのだ。
恐らくよく分からない場所で、疲労が蓄積している結果テンションが可笑しくなってきているのだろうが、小春は気づくことは無く。
「まぁいっかー。よし、行ってみよう」
遠足に行く気分で、暗闇の中へ足を踏み入れたのだった。