第13話:魔法の特訓
木製の温かい雰囲気で包まれた部屋で、小春は目を覚ました。急に用意された家にしては、家具や調度品が揃い過ぎている。しかし楽観的な小春はそこに疑問を持つことはなく、一つ伸びをして布団から出た。
一階のリビングに降りる。誰もまだ起きていないらしい。
昨日、寝てしまったルークとイリスを起こさないようにしながら気を付けて部屋から出た小春は、一階にいたアーノルドに夜の挨拶をして眠りについた。
外へ出てみる。時計を探せなかったのではっきりとした時間は分からないが、時間的に朝五時ごろだろうか。肌にツンッとした早朝の冷たさが触れる。眠気覚ましに家の周りを歩いた。昨日は確認できていなかった場所に、小さな花壇を見つける。何も植えられていない花壇に、後から何か好きなものを植えようと決める。
遠くの方で朝日が昇ろうとしているのが見えた。家を守るように囲む木々も、その日の光が来るのを今か今かと待ちわびている。
「私、やっぱり異世界に来ちゃったのかなぁ…」
言葉とともに口から出るのは、寒さを知らせる白い息。肌に感じる冷たさも、空気も、日が昇るにつれて上がる温度も。踏みしめる度に伝わる地面の感じも、鳥の鳴き声も。全てが小春に、今この瞬間が、現実だと伝えてくる。
不思議な鳥も、髪や目の色が違う人々も、全く読めない文字も、文化も、全てが現実なのだろうか。それを受け入れるには、小春はあまりにも幼すぎた。
朝、うるさい目覚ましに起こされ、母の手料理を頬張り、学校へ向かう。学校では友人たちとの楽しい時間があっという間に過ぎていく。夜家に帰れば、父と母が今日の出来事を楽しそうに聞いてくれるのだ。
そんな当たり前だと思っていた日常が、もうどこか遠い場所にあることが、どうしても受け入れられない。
二度と戻れないのか、と考えて、あまりの恐怖に小春は自分の体を強く抱きしめた。
怖い。悲しい。寂しい。しかし、来てしまったものはしょうがない。
「それに、帰れないって決まったわけじゃないし」
何か手はあるはずだ。それまで、自分に出来ることを精一杯しようと、小春は心に決める。なんとかなるはずだ、きっと。
「よーし!頑張るぞ!」
いつの間にか太陽は顔を出して、小春の決意を応援するように日の光が彼女を照らした。
ふと異世界、という単語で思い出すのは、もちろん魔法である。異世界系の漫画や小説を少々たしなんでいた小春としては、魔法があるなら使ってみたいと言うのが正直な所。もし本当に、魔法やら精霊やらと言った、ファンタジーな世界であれば、と想像してはつい瞳を輝かせてしまう。話せる鳥がいたのだから、希望を持っても良いだろう。
「あでも、チート能力とかはいらないなぁ…」
普通に魔法が使える程度で良い。小春は転校先でいじめをしていると噂されていたが、人から注目を浴びるのは別に好きでも嫌いでもない。ただ人の視線がそこまで気にならない性格なのだ。しかし変に注目を浴びるのはあまり好きではない。近くに居る友人を盾にして隠れるくらいには、好きではない。
現状、元の世界に帰る気満々であるので、目立つのはなるべく避けたい。
「なるべく目立たないようにしよ」
恋のキューピッド。靖乃から呼ばれたことを思い出す。誰かの恋の成就をお助けすることなんて、きっとこれから先、そうないだろう。
小春の耳に、どこからか声が聞こえる。
『え~?そんな~!』
『しょうがないよ、この子のお願いなんだもん』
『そうそう!必要だーって呼ばれた時まで、楽しみにしとこっ!』
『それに、ちょっとだけなら、いいんだし~!』
『そっかぁ!ちょっとだけなら、いいもんねぇ!』
「はっ!」
うたた寝から目を覚ましたような感覚。しゃがんだままちょっと寝ていたのだろうか。立っていなくて良かった。
今の声は、夢か?可愛らしい声で、何やら企んでいるのが聞こえた。
不思議に思い首を傾げた小春の耳に、馬の蹄が地面を蹴る音がする。立ち上がって庭の入り口を見れば、アーノルドが茶色の馬に跨っていた。
軽やかに降り立ったその姿は朝日も相まって王子様のように輝いている。
「おはよう、アーノルド!」
「ぅぐっ…!…お、はよう、小春」
どうやら不整脈はまだ治っていないらしい。昨日夜遅くにこの家を出て、自分の家に戻ったのなら病院に行く時間は確かにないだろう。今日中に病院に行って欲しいと伝えると、医者には見てもらったとアーノルドは答える。
「血管の収縮やストレス、薬の副作用などが原因になるらしいのだが、どれも当てはまらなかった。とりあえず処方された薬を飲むことになった。…不安にさせてしまい、すまない」
「うんん。でも原因不明の不整脈って、怖いね。早く良くなると良いね」
「………」
また凝視される小春は一日ぶりの彼の対応に慣れていた。
茶色の馬の背に、何やら荷物が見える。聞けば今日の分の朝食や足りない分の日用品を持って来てくれたらしい。
ありがとうと感謝を伝え、小春も一緒に荷物を運ぶ。アーノルドは小春が運ぶことを始め遠慮したが、小春は強引に荷物を持つ。
「私だってこれくらい余裕で持てるんだから!これでもアーノルドと同い年だし!」
ふんっと背を向ければ「ぐっ…」とまたアーノルドが心臓を抑えている。本当に早く、不整脈が治って欲しい。
アーノルドが持って来てくれた朝ご飯は、色とりどりのサンドウィッチに種類豊富な果物。ケーキ屋デザートもたくさん並べられており、豪華!と喜んだのだが、小春には一つ気がかりな点があった。
起きてきたルークやイリスも席に着き、四人で朝食をとる。見た目の美しさを裏切らない、とても美味しいサンドウィッチを頬張る。
「あのさ、アーノルド。ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「どうした」
「この朝ごはん、どこに入ってたの?」
荷物を運んでいたが、そのほとんどは日用品ばかり。こんな大量の食品はどこにもなかったはずだ。昨日の夜ご飯の時も気づけば勝手に食事が用意されていたが、疲れもあったため深く考えていなかった。
冷静に考えてみれば、冷蔵庫はどこにもない。保管場所のようなところも、小春には見つけられない。
「あぁ、魔法鞄から取り出している」
アーノルドは腰に付けていた少し大きめのポーチを外し、見えるように机に置いていくれる。
「この中には様々な魔法が施されている。一般に売られているものは基本拡張魔法だけだが、職人に頼めば腐敗防止、盗難防止といった複数魔法の付与が可能だ。俺が持っているこれは市場で回っているものの十倍の収納が可能であり、更に時間停止と盗難防止が付与されている」
「へぇ~……すごいの?」
あまりそのすごさが分からない小春。ルークもイリスも同じようだ。ただ普通に聞いているだけだと、時間停止とか凄いと思う。
「コハルのいた国には魔法鞄はなかったのか?」
「うん。魔法そのものもなかったよ」
小春の言葉に彼らは驚いたが、今までの言動から小春がこの国の人間ではないと思っていたので、納得したようだ。
「魔法とは、魔力を使用して行使することができる。俺たちの”色”は精霊に関わりが深い。赤なら炎系、青なら水系と、どの精霊の加護を生まれた時に貰っているかで得意な魔法が個人で違う。だが、その系統の魔法しか使えないわけではない。得意とする魔法は、ただ精霊から与えられ恵まれているだけだからな」
もぐもぐと口を動かして、話に耳を傾ける。念願の魔法の話ということもあり、小春は興味津々だ。
「炎系が水系を使うことも可能だ。魔力量の多い者は、自分の系統外でも強力な魔法を使う」
「違いは何かあるの?」
「…敢えて言うならば、使いやすさだろう」
アーノルドは開いている左手で炎を出して見せた。手のひら大の炎は、しかし全く熱くない。ただ光るだけだ。
「炎の周りに水のシールドを張っている。熱が伝わらないようにな。俺の得意な系統は水。範囲を狭めると、氷系の魔法が得意だ。俺の現状は、得意な魔法はシールドを張って温度調節が可能なほど使い勝手が良いが、不得意な魔法は温度調節が可能ではない」
ぱっと手を振ると魔法は消える。おぉ…と思わず拍手をした。
「伝わっただろう、か」
「うん!すっごく!分かりやすかったよ!凄いね、説明上手だね、アーノルド!」
具体例などもあるからだろう。それにしてもやはり、アーノルドは喋ることが好きなんだと小春は思う。始めて会った頃よりもスムーズな彼の言葉は声の良さも相まって聞きやすい。
魔法の話を聞いてしまえば、当然、使ってみたくなるのが人の心理というもの。フルーツを飲み込んだ小春は勢いよく立ち上がった。
「魔法、使ってみたい!」