第9話:おじいさんとの解読作業
驚きに固まる小春に「これは失礼いたしました」と柔らかな緑の目でほほ笑むおじいさん。
「何分、ここへお客様がいらしたのは久しぶりの事でして。しかも、これほどまでに可愛らしいお嬢様でいらっしゃる。ついついはしゃいで、悪戯心から驚かせてしまいました。申し訳ありません、お許しくださいませ」
「あ、いえ!驚いただけなので、気にしないでください。私もお部屋の中、勝手にうろちょろしちゃって、すみません…。まさか人がいるとは思ってもみなかったから…」
えへへ、と笑う小春に、なぜかおじいさんは目を見開き、そして柔らかな笑みを向ける。
「どうかしました?」
「いえいえ、お気になさらず。そもそも私はこの家の主ではございません。家の管理を任されているただの使用人でございます。ジェルバ・バールグリンと申します。以後お見知りおきを、お嬢様」
「ジェルバ、さん。私は、小春って言います。赤野間 小春…えっと、コハル・アカノマ、です!」
「コハル様でございますね」
「コ、コハル、様?!」
どこの貴族だ!衝撃を受ける小春にジェルバは不思議そうな顔をする。
慌てて「様」を付けるのをやめて欲しいと願い出る。それはもう必死だった。なんだか、とても恥ずかしいことだと思ったのだ。
小春の必死の思いが伝わったのか、ジェルバは「承知いたしました」と頷いて、コハルさんと呼んでくれた。
喜ぶ小春を微笑ましいものを見るような目で見るジェルバ。
「コハルさん、コハルさん」
「ん?どうしました?」
その手は先程小春が座っていた椅子に向かって伸びていた。
「どうぞおかけください。その本、一緒に読みましょう」
「!良いんですか!」
もちろんです、と頷くジェルバ。しかしこの部屋には椅子は一つしかない。
「ちょっと待っててください!今他の部屋から椅子を取ってきます!」
小春が持ってきた椅子にジェルバが座り、本の解読に入る。
これが『空』で、これが『地』で、と紙に書かれたメモとジェルバの助けを借りて本を読んでいる間に、一時間が経過していた。
ガチャ、と玄関の扉が開かれる。誰かが入って来た。音もなく立ち上がったジェルバが部屋の入り口に立つと、少し疲れた様子の彼が現れた。
ジェルバはその様子を見て笑う。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん。随分とお疲れのご様子で」
「あぁ…来ていたのだな、ジェルバ」
「はい。本日はどうしても行かねばならぬ、そんな気がいたしまして。神の啓示だと思い来てみたら、可愛らしいお嬢様がいらっしゃるではありませんか」
「……………」
「ホッホッホ、これはこれは。失礼いたしました、坊ちゃん」
例えるならば、これは、親しい親族にあった時、可愛がると言う名の嫌がらせをしてくる親戚と子供、みたいな感じだな。小春が二人の関係性について考えている時、彼が突然小春に頭を下げる。
「?!え、何してるんですか!」
頭を上げてくださいと頼んでも、なぜか彼は頭を上げずに綺麗な姿勢で腰を折ったまま停止。何か彼に頭を下げられるようなことをしただろうか?逆に小春の方が頭を下げなければいけない。全部奢ってもらったし、服ももらったし、助けてもらったし。
この状況を助けて欲しいとジェルバを見ても、少し困った顔で微笑まれるだけだ。
どうしようと悩み、小春がよし土下座をしよう!と屈みかけたところで、ようやく彼が少し体を起こす。
「すまない。君を待たせてしまった」
謝罪の内容を聞いて、小春の口から出たのは何とも間抜けな「へ」という声。
「三十分、そう約束したのに、大幅に遅れてしまった…。時間配分を間違えた俺のミスだ。本当に申し訳ない」
せっかく少し体を起こしたのに、先程よりも頭を下げられる。
小春は頭を押さえた。何を言ってるんだ、この人は、と。
「あー、とりあえず、頭を上げてください。……上げてくれないと、私もっと怒るかも…?」
慌てて頭を上げる彼に、小春は「よし」と笑う。
「私はそんなこと、全然気にしてません。ジェルバさんがいたおかげで独りぼっちってわけでもなかったし。ゆうて一時間とか誤差の範囲ですし」
「それでも、君を待たせたことに変わりはない。俺は約束を破ってしまった」
また下がりかける頭。そうはさせないと、小春は彼の手を取った。驚く彼の目を見て、ちゃんと小春が気にしてないことを伝えなければいけない。
「約束はした以上、守らなきゃいけないもの。それは正しいことですが、中にはどうしようもないことだってありますよね。例えば、不慮の事故に合ってしまったり、思いもよらない予定が入ってしまったり。伝えられる手段があれば良いけど、今回はその手段がなかった」
この世界に元の世界にあった通信機器なるものがあればまた話は別だったのだろうが、あいにくと小春はそんなもの持っていない。
「私はもし約束を破ることになっちゃったとき、大事なのはその後の対応だと思うんです。貴方は、時間に遅れてしまったことをまず一番最初にしっかりと謝ってくれました。私は事前に、用事があることを聞いています。その用事が長引いているんだろうなって思います。そしてこうして、屋根があってゆっくり休める場所に連れてきてもらってます。後の対応だけじゃない、その前の対応も、貴方はばっちり!だったらもう、私は別に気になることはないので、怒る必要はないんです」
わざと遅れようとしたんじゃないでしょう?と聞けば、彼は「当たり前だ」と答える。小春もこの短い間で、彼が約束をわざと破るような人ではなう、とても真面目で優しい人だと言うことくらい分かっている。
小春の言葉を聞いても尚、彼は「だが…」と申し訳なさそうな顔をする。
「…私がもう良いって。気にしてないって言ってるのに…。どうしてそれじゃ駄目なの?どうして、貴方はそれを否定するの?」
背の高い彼の顔を、下から覗き込むように見上げる。彼の手を握る両手に、力を入れる。
「?!いや違う!否定なんて」
「でも私がどんなに言っても、それは違うって否定したじゃん」
固まる彼に悲しいと言えば、即座に謝罪と「否定したつもりはない!」と返ってくる。
「じゃぁ、もう気にしない?」
「気にしない!」
食い気味で言う彼に、小春はニコッと笑う。
「言質取りましたから!この話はこれで終わり!ね!」
ぽかんと口を開けた彼にしてやったりと小春は笑う。
この下から尋ねる、おねだり戦法はよく父にしていた。お菓子を買って欲しいときに使っていた小春の隠し技だ。乱用しては効果が薄れるいう欠点があるが、たまに使う分には結構な頻度でお菓子を買ってもらえる。たまに母にも使えるので、タイミングを見誤らないことが大切だ。
家族以外に使ったのは初めてだったので、効果があるかどうか分からなかったが、良かった。ちゃんと効果が出たらしい。
手を放そうとするとなぜかがっちり握られていて離せない。目も相変わらず小春をガン見している。
「コハルさん…なんと恐ろしいお方だ…」
後ろの方でジェルバが声を震わせて何か言っているが、その意味はよく分からない。
面白い状況に小春はまぁいっかーと笑った。