39. 思った以上に危険な案件
僕が後を慌てて追いかけると、父上はもう玄関にたどり着いていて、男と簡単に挨拶を交わしていた。
「それでは気を付けて。娘のルピスのことを宜しく頼みます」
男は軽くうなずいて返事しているけど、視線はキョロキョロと忙しなく辺りを見ていて、相当ビビっているみたい。
「ワ、ワタシは殺されたりしないよな?」
「もちろんだとも、友よ。君の存在がルピスを守り、ルピスの存在が君を守るんだ。第一王子殿下の命令を執行中の君に、誰が手を出せるだろうか。そうだろう?」
父上は男の視線をしっかりと受け止め、落ち着いた微笑みを浮かべているよ。父上はなんだって、こんなに落ち着いていられるんだろう?
この男と話し始めたときは、妹のルピスと年2回は面会できるようにして、その上で貴族令嬢としての教育はきちんと受けさせて欲しいってあたりを話し合う感じになっていたはずなんだよ。
第一王子殿下からの招待っていう形をとってはいるけど、実質は断れない命令だし、ルピスは人質だ。そんなことは世間知らずの僕も分かっているよ。
でも今みたいな対応って、あんまりじゃない?まるで喜んでルピスを差し出すみたいになってる。
話の途中で頭にきて、男に殴りかかったら父上に軽くあしらわれて、抵抗してたら最後にはぶん殴られて床に転がされた。父上はなにを考えているんだ!?
「さあ、もう行ったほうがいい。道中は堂々とした態度で行くんだ。けっして隠れてコソコソするようなことをしてはいけないよ?」
「なぜ?姿を隠さなければ、私はエンビアス侯爵の手の者に殺されてしまうかもしれないじゃないか!」
とんでもない!といった表情で自分を見やる男の肩に手を回し、父上はまるで秘密を打ち明けるような親密さを演出しながら小声で答えていく。
「君は第一王子殿下の配下なのだろう?なら堂々としてるんだ。その態度が公務中であることを周囲に分からせて、君の命を守るんだ。けっして逃げたり隠れたりしてはいけない。分かったね?」
男はコクコクとうなずき、父上にそっと背中を押されて玄関から出ていった。父上はその男の背中を見送りながら、まるで本当の友人であるかのように手まで振ってるよ!
父上が玄関のドアを閉めると、僕はもう待ってられなかったんだ。
「父上!どういうことですか!?」
僕が叫びながら詰め寄ると父上は軽く片手を上げて、少し待てという仕草を見せたんだ。父上の側には、いつの間にか控えていた爺やがいて二人は話し始めたん。
「アベルテとカイナテは?」
「お二人は既に出発されました」
アベルテとカイナテは僕より7歳上の双子の兄さんたちだ。王立学院を卒業した後、この領地に戻ってきて父上の元で領地経営を学んでいるんだよね。
「急な事でしたので数日分の食料しか用意できませんでしたが、旅費はたっぷりお渡ししております。ルピスお嬢様がいなくなられてから、万一の時のためにと用意しておいたものです」
「そうか、お前には色々と無理をさせているな。すまない」
アベルテ兄さんとカイナテ兄さんは、旅の準備をして外に出たらしい。この話の流れからいくと、さっきの男の後をつけようということなのかな?
「父上、もしかして、さっき応接間で爺やになにか指示をされていたのは、兄さんたちに男の後をつけさせるためだったのですか?」
父上は僕を見ながらうなずいた。
「ああ、そうだ。お前が不快に思っていることは分かっているが、あの男と話している間に気がついたのだ。これは思った以上に危険な案件になっているとな」
危険な案件?ルピスが誘拐された時点で危険な案件でしょう?
「おまえも気がついただろう?あの男は間抜けだ。自分がなにをしてしまったのか理解していない」
んー、確かに偉そうなだけで、賢くはなかったよね。でもあの男がなにをしたというの?僕が分かっていないことに気がついた父上が説明してくれた。
「あの男は、第二王子派から第一王子のところへ送り込まれたスパイだ。ただ、誰もが彼がスパイだと知っているので、逆に第一王子からしてみれば手が出せないんだ。命でも奪おうものなら、その報復で自分が第二王子のところへ送り込んでいるスパイがやられる」
確かに、そんなことになれば、互いに血で血を洗う闘争が始まるかもしれないよね。それはきっと報復で消される者たちの身内の貴族にしてみれば大不評だと思う。派閥から離反する貴族も出るかもね。
「だから実は第一王子の側にいる限り、あの男は安全なんだ。それなのに酷い扱いに耐えかねて、自分の立場をなんとかしようとエンビアス侯爵夫人に近づいた」
あー、エンビアス侯爵が嫉妬深いって話?妻に近づく男は全員皆殺しだ!みたいな話なのかな。そんなことを思っていた僕に父上は呆れているみたいだよ。
「グーフィー、そうじゃない。エンビアス侯爵が嫉妬深いなんて、ありえない話なんだ。だいたい、エンビアス侯爵夫人が本物の妻かどうかも怪しいところだぞ」
「えっ!?どういうこと?偽物の妻ってこと?」
父上の言っていることが分からないよ。
「お前は成人したばかりだし、ずっとこんな田舎で育ってきたからなあ。色々と考えが及ばないのも仕方ないが……。私もこれから出かけなければならないんだ。その準備をしながら話してやろう」
そう言いながらも父上は爺やに指示を出したりしながら、慌ただしく執務室へ移動して外出の準備を始めた。
「今は時間がないので、ポイントだけ話そう。おまえが注目しなければいけないのは、エンビアス侯爵夫人があの男に貸し出した馬車のことだ」
ああ!父上も男に言ってたよね。近場で使う馬車と遠距離用の馬車には違いがあるって。きっと構造的なことを言ってたんだろうね。
「違う。エンビアス侯爵夫人が目立たないながらも、ちゃんとエンビアス侯爵家の家紋がついた馬車を貸し出してきたことが問題なんだ」
え?そこが問題?でも馬車がないから貸してって言われて、自分のところにある空いた馬車を貸しただけなのでは?
「グーフィー、お前は人が良すぎるな。あの男はどう言い繕ってみても侯爵夫人に惹かれている。《真実の愛》かどうかは知らんがな。普通はそういった《許されざる恋》というのは互いに隠し合い、密かに会ったりするのが普通だろう?」
父上から《真実の愛》とか《許されざる恋》なんて言葉が出てくると、ちょっと気恥ずかしいな。父上はというと、まったく気にしない様子で手早く鏡も見ないでネクタイを締めている。
「恐らくエンビアス侯爵夫人は、あの男の事を迷惑に思っていただろう。もちろん、そんなことはチラリとも外部に漏らさないだろうが。侯爵夫人と噂が立っているのは皆、重要な地位についている貴族や華やかな噂のある貴族だけだ」
なるほど。あの男はエンビアス侯爵夫人の趣味ではなかったというわけだね。だったら相手にしなければいいのでは?同じ第二王子派だから、そういうわけにもいかないのかな。
「相手にしないと更にムキになって近づいてきかねないと判断されたんだろう。同じ派閥として、ほどほどに付き合っておくのなら、別に自分のところの馬車を貸す必要はない。金さえ払えば馬車なんていくらでも借りれるんだ。借りた馬車を男に貸し与えればよかったのだ」
僕にも父上の言いたいことが少し分かってきたよ。エンビアス侯爵夫人のあの男に対する動きがおかしいってことだよね。なぜ、家紋のついた馬車をわざわざ貸したんだろう。
髪を整えながら、父上が別の問題点を示してくれる。
「もうひとつ、不可解なことがある。第一王子のところへ送り込んだスパイが、男と同じ第二王子派である自分のところに来て、色々とやっかいな頼み事をしてくる。普通なら男の実家である伯爵家に苦情を一本入れればすぐに解決する話だ。だがそれをしてない。おかしいだろう?」
ああ!それはそうだよね。なぜ伯爵家に連絡を取らなかったんだろう。領地も近いし、同じ第二王子派だし、連絡も取りやすいと思うんだけどね。
あ、もしかして……《真実の愛》のせい?エンビアス侯爵夫人は田舎暮らしを嫌って、ずっと王都に住んでいるのは恋人がいるからかもしれないよね!それがバレるのが嫌で、夫であるエンビアス侯爵に男のことを言えなかったとか?
「グーフィー、お前は騎士よりも恋愛小説家のほうが合っているのかもな。もちろん違う。私はあの男と話していて確信したよ。エンビアス侯爵夫人に恋人などいないとね」
え?エンビアス侯爵夫人の《真実の愛》はどこにいった?




