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38. ちょろい男

 父上に脅された男は床の上にペタリと座り込んじゃった。僕が急いで呼んだ爺やが、手を貸してなんとか起こそうとしているけど、ちょっと時間かかりそう。足がぷるぷるしてて子鹿みたいになってる。


 父上によると、エンビアス侯爵家の家名は古い言葉から来ていて、その意味は『嫉妬深い』なんだってさ。それで男にお前の命はもうないと思え!って断言したら、急に崩れ落ちてへたり込んじゃったんだよね。


 この男がどういうつもりでエンビアス侯爵夫人に近づいていたのか知らないけどさ、最近、王都で流行っているという《真実の愛》で命の失うことになるのかもね……。


 それとも父上がさっき言っていたように、第一王子派にスパイとして潜り込む生活が辛くて、そこから逃げるため侯爵夫人にすりよったのかな。


 そのへんの細かいことまでは分からないけど、男が立てなくなるくらい衝撃を受けているんだから、父上が言っていることは当たってるんだと思うよ。


 《真実の愛》より《自己保身》でしょ!こんなオッサンが《真実の愛》とか言ってもね。

 


 さて、そんな男の状態にお構いなしな父上は、ゆったり長椅子に深く座ってお茶を飲んでいるんだよね。なかなか男が衝撃から立ち直れそうにないと思ったのか、父上はまたまた独り言を言い始めたよ。



 「先程から独り言ばかり言っていますが、こんな田舎ですからね、孤独なのですよ。孤独は人を饒舌(じょうぜつ)にさせるといいます。どうぞ私の独り言など捨て置いて下さい。あなたなら分かるはずですよ、私の孤独が。だって、あなたも孤独だったはずだ。第二王子派の中で育って、今、第一王子派のスパイとして使い捨てにされようとしているあなたなら分かるはずだ」



 うん?父上って孤独だったの?ちょっとそのへんは納得できないけど、でも父上のいうとおり、この男は孤独だったのかもしれないね。けどさ、そんな話、この男の耳には届いていないんじゃないかな。なんかかなりビクついているみたいだし。


 このあたりでようやく男は、ウチの爺やの手を借りて起き上がったよ。よろよろと座っていた椅子にたどり着くと、倒れ込むように座り込んだんだ。


 そんな男に、父上は容赦なく言葉を浴びせていくんだ。強い。



 「あなたは違うとおっしゃっいますが……エンビアス侯爵夫人の知り合いでしょう?夫人の美貌に惹かれたのか、あるいは私が述べたとおりの孤独から逃げるためだったのかは知りませんがね」


 ――コポ……コポコポ



 爺やがサイドテーブルの上でお茶を入れるのに合わせて父上が口を閉じたので、お茶を入れる音だけが響いてる。ほんの少し後に、いい香りが漂ってきた。


 爺やはそっとそれぞれの前にティーカップを置いて、壁際に静かに控えた。



 「さあ、お茶をどうぞ。少し、お互いに落ち着きましょう」



 今度は男も父上の勧めに素直に従って、ティーカップに手を伸ばした。僕も一緒に飲む。


 飲みながら思う。父上はいったい、この取引をどこへ持っていこうとしているんだろう。父上だって万能ではないはずだ。情報が少ない中、手探りで進んでいるに違いないよ。僕にはなにができるのだろう。


 お茶を飲みながら僕がそんなことを考えていると、ようやく男がポツポツと話し始めた。



 「……ワタシはグレイシャのことを、そんな目で見たことなどない……」



 どうやらエンビアス侯爵夫人のファーストネームはグレイシャというらしい。なんとなく冷たそうな響きがあるけど、気のせいだよね。



 「ほう、グレイシャ様ですか……。こちらは古い言葉で《氷河》を意味しますね。氷のように美しい方なのでしょうね」


 父上がそう応えると、男はまた黙りこくってしまった。なんか心はここにあらずって感じだね。もしかして名前のとおりに嫉妬に狂ったエンビアス侯爵から、復讐されることを考えたりしてるのかな。



 「なるほど、どうやら私の見方は誤っていたようです。あなたはグレイシャ・エンビアス侯爵夫人と特別な関係ではないようです。なんとか第一王子殿下のところから逃げたいので、侯爵夫人にその手助けをして欲しいと近づいた結果、心を奪われてしまった……そんなところでしょうか」



 膝の上に両手をつっぱるように置き、コクコクと小さくうなずく男を見て、父上はするりと席を立ち、対面に座る男の隣の席に移った。


 そして男の方へと身を乗り出すようにして、小声で話しかけた。まるで内緒話をするみたいに。



 「これは友人としての私からのアドバイスです。あなたは双方に自分のやっていることがバレてないと思っているでしょうが、完全にバレています。今日、初めてお目にかかった私にすらバレたのです。私以上にあなたに近しい関係で、かつ優秀な方々が気が付かないはずがありません。かなり以前からバレていると考えたほうがいいでしょうね」



 父上のバレてるぞ発言に、男はぷるりと体を震わせる。



 「ワ、ワタシはどうすれば……」



 ガッと両手で頭を抱え、小さくすすり泣く男を、父上は感情のない目つきでしばらく見ていた。それからサッと爺やのほうに目をやると、爺やは心得た感じでササッと近寄り、なにか小声で話し合った。


 爺やはそのまま、部屋を出ていってしまった。


 残った父上は男を励ましているのだろうか、しきりに(ささや)いている。男はそれに同意するみたいにうなずいているから、なんだか分からないけど父上のやり方は正解らしいね。僕がでる出番なんかない。

 

 しばらくそうしていると、男もすっかり落ち着きを取り戻したみたいだ。椅子から立ち上がった男の肩を親しげに叩きながら、父上は男に話しかけている。



 「まずはあなたの身の安全を確保しなければなりませんね。王都まで私の娘を連れて一緒にお行きなさい。第一王子殿下からの命令を受けて動いているあなたを襲える者など誰もいませんよ。でも、あなた一人だとどうでしょうか?もうすぐそこまで嫉妬に狂ったエンビアス侯爵の手が伸びているかもしれませんよ?」



 父上がそう言い終わったとたん、偶然にだけど強い風が窓を叩いた。このあたりは夕方近くなると強い風が山から吹き下ろすんだよね。怯えたように窓の方に視線をやった男は、恐怖を吐き出すようにかすれた声を出したんだ。

 


 「……まさか、こんなところまでッ!」

 

 「風ですよ、単なる風」



 食い入るように音を鳴らした窓を見ていた男が、視線をようやく父上に戻したとき、その両手はしっかりと父上の手を握っていた。これは完全に怯えてる。

 


 「貴殿の娘と一緒に王都に行くことは出来ない……。さる貴族の元へ届けることになっているのだ。今頃、もうそこへ向けて出発しているはずだが……ワタシはどうすればいい?……ワタシひとりで王都へ帰れば、その間に命を狙われる……ヒィッ!」



 ん?今、この男、重要なことを言ったよね?


 もうルピスが、このあたりにいない!?



 僕の血が怒りで逆流する。

 心臓?うるさいね。

 視界が真紅に染まる。


 なにも考えず男に掴みかかり、顔を殴りつけようと上げた拳をサッと父上に払われた。なぜっ!?離せっ!


 父上は僕のことなど見向きもせず、男に優しく話しかけた。



 「ああ、友よ!大丈夫、大丈夫だから。まだ間に合うよ。私の娘と一緒に居てやってくれないか。君がいてくれれば娘も安全だろう。君の身もエンビアス侯爵から守られる。これは父である私からの願いだ。よく聞いてくれ、私は君を友人として信頼し、娘を託す。だから娘を安全な場所まで送り届けて欲しい」



 拐われた娘を誘拐犯に頼むってどういうことなの?父上、おかしくなっちゃった?僕は男を殴ろうと暴れるけど、逆に父上にぶっ飛ばされて床に転がされたよ。どーいうことなんだよ!?


 男は父を凝視して固まっている。視線が細かく動くから、なにか考えを急いでまとめているんだろう。



 「友よ、君の困難な状況は十分に分かっているつもりだ。私から第一王子の呼びかけに応える条件として、娘のルピスを安全な場所まで君に護衛するように頼まれたと言えば、なにもおかしくない。君はただ仕事を誠実にこなしただけだ。誰も隠された意図に気が付かない。そうだろう?」



 もう父上の顔は微笑んでなくて、代わりに真剣な表情が浮かんでいた。その父上の様子を見て、男はうなずいた。


 

 「ワタシも命は惜しい。貴殿の娘と一緒であれば襲われることはないだろう。第一王子殿下からの命令を遂行中なのだからな」


 「そのとおりだ。第一王子殿下に逆らう者など、この国に一人としていない」



 父上は男の肩を安心させるようにポンポンと軽く叩くと、そのまま部屋の外へと誘導していった。僕も床に転がったまま、事の成り行きを見てたんだけど、どうやら父上にはなにか企みがあるみたいだ。


 僕も飛び跳ねるように起き上がって、父上の後を追いかけた。


 ルピス、待ってろ!お兄ちゃんが絶対に助ける!


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