37. 噂話を武器にして
微笑んでいるけど凄みを出している父上は、自分の正面に座っている男にこう言いたいらしい。
お前はエンビアス侯爵夫人の噂の愛人の一人で、この屋敷まで侯爵夫人の馬車を借りて王都から来たのではないか?ここから遠い自分の領地から来た風を装ってるけど、違うよな?
暗にそう聞かれた男の顔はハッキリとこう言っていたよ。
『なんでバレた!』
ただ言葉として口から出てきたのは「あ…うっ…」という言葉にならない呻きのようなものだったね。
「まあまあ、そう慌てずに落ち着いて下さい。別にあなたを取って食おうとしているわけじゃない。単なる友人との会話ですよ。分かるでしょう?もう私とあなたは友人だ。お互いに引けないところまで、引きずり込まれてしまいましたからね」
なにも言わず黙り込んでいる男をそのままに、父上は呼び鈴を鳴らすと爺やを呼んで、お茶を新しく入れ直させた。自身では窓を開けて部屋の空気をリフレッシュさせ、それから男と僕に新しいお茶を飲むように勧めてきたんだ。
「さあ、どうぞ。特に高級な茶葉ではありませんが、お茶の入れ方が上手な者がうちにおりましてね。大変重宝しているんですよ」
爺やのことだね。お茶の入れ方が上手いし、服を繕うのも上手い。お茶のいい香りの漂う中、父上の僕はリラックスしてお茶を楽しんだ。男はお茶に手もつけず、机の上あたりをジッと見つめている。
「我が家のお茶が気に入られなかったようで大変残念です。さて、一息つきましたし、話を再開しましょうか。どこまで話しましたか――そうそうあなたが王都から、しかもエンビアス侯爵夫人から馬車をお借りしてきているのではないか……そういったお話でしたね」
男が唸るような低い声で、なにか父上に反論し始めたよ。
「違う……あれはエンビアス侯爵閣下から借りたものだ。私は夫人など知らぬ」
「ほう、侯爵閣下が貸してくださったと。それはそれでおかしいですね。もしそうなら用意したのは侯爵閣下の使用人でしょう。優秀な使用人なら、あなたが乗ってきたような近場を乗り回す馬車など、用意するはずがないのですよ」
「なっ!?どういうことだ!」
男の素で驚いた風な表情に父上はちょっと嫌味っぽく苦笑した。向こうは散々、偉そうな上から目線だったわけだから、このくらいのやり返しはいいよね?
「なるほど、今の一言で分かりましたよ。あなたは王都住まいで、自前の馬車を所有していないのですね。そんなあなたは第一王子殿下からの命令を受けて、こんな田舎くんだりまで来なくてはいけなくなった。第一王子殿下からの王子命なら、あなたは第一王子所有の馬車を使えばよい。それなのに使っていない。おかしいですよね?」
男は驚いた風の顔のまま、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ここからは私の推測ですよ。失礼なことをいいますがお許しください。あなたは第一王子派として動いてはいるが、派閥内であまり重要視されていないのでしょう。重要人物が時間を使って、こんな田舎までくるはずがありませんしね。その上、馬車の使用まで妨害されているとなれば、そう考えるしかありません」
「くっ……そのようなことは断じてない……」
「そうですか。ではあなたは第一王子殿下から頼りにされており、派閥内でも一目置かれているとしましょう。それでも、なんらかの理由であなたは、第一王子殿下の所有する馬車を使えなかった。王子ですからね、私などには想像もつかないほど多くの馬車をお持ちでしょうに、不思議なことです」
ここまで言うと父上はゆっくりとティーカップに手を伸ばし、優雅な仕草で一口、お茶を飲んだ。そしてティーカップを片手に持ったまま話を再開した。
「あなたは大変に幸運な方ですよね。今をときめくエンビアス侯爵と知り合うことができたのですから。しかも、懐の広い閣下は、御自分は第二王子派なのに、敵対勢力である第一王子派のあなたに快く馬車を貸してくれた。でもこの話もおかしい。第一、閣下は領地にずっとおられて、王都に来るのは国王陛下に新年の挨拶をする年始めだけですから」
そうそう、この国の貴族は年の始めに新年の挨拶を国王陛下にする。これは明確なルールというわけではなくて、王都に来れる貴族が自主的に行う伝統行事のようなものなんだって。
ウチみたいな田舎の弱小貴族や、もっと遠方に領地を持つ貴族は、王都に出てくるだけで時間と費用がかかるから、あまり出席しないみたい。
もちろんエンビアス侯爵閣下のような有力貴族ともなると、必ず参加して国王陛下と顔を合わせるようにしているみたいだけどね。あんまり長い間、会わないと謀反を考えているのではって疑われるかららしいよ。
「あなたが閣下の許可なく王都の邸の使用人から馬車を借りれるとも思えない。なにしろ敵対勢力の人間ですからね。もしあなたが馬車を借りるとなると直接領地に行って頼むか、領地へ手紙を書いて王都の邸の馬車を借りるかになる。あなたが何をしたかは知らないが、どちらにしても出てきたのは近距離用の馬車です」
「近距離用……?」
男は相変わらず顔を驚いた表情のままだったけど、急に目から力が失われて、ちょっと変な薬をやった人みたいになってるよ。大丈夫かな。
そんな相手に対して、父上は楽しげにカップを掲げて、簡易な乾杯の仕草をしてみせた。父上がこんなにおちゃめで意地悪だったなんて……衝撃だよ。もっと真面目で面白みのない人だと失礼ながら思ってた。
「ええ、馬車を自分で管理したことのないあなたには、分からないかもしれませんが、あれは日帰りできるような距離に使う馬車なのですよ。ですからあなたは、エンビアス侯爵閣下の領地から直接来てはいないはずです。あんな遠くから、あの馬車で来たのなら、あなたはもっとボロボロになって疲労困憊してますからね」
「それに例え王都の侯爵邸から来たとしても、数日はかかる私の領地に来るにも不向きな馬車です。なので普通は使いません。でもなぜかエンビアス侯爵閣下、あるいは侯爵夫人は、そんな馬車をあなたに寄越した。どうやらあなたは侯爵閣下からも大事にされていないようだ」
「ぅ……qうぇrfghjm,」
男がなにやら言葉にならない音を発しているのを聞きながら、父上は手に持っていたティーカップから静かにお茶を飲み、そっと机の上にそれを置いた。
「これは私の独り言ですが……。あなたはきっとエンビアス侯爵閣下の領地に近い場所の、伯爵家あたりの出なのではないですか。ですが男爵だとおっしゃっているので、ご実家が持つ男爵位をもらったのでしょう。つまりあなたは嫡男ではない」
男の口から「ヒッ……」と声が漏れた。
父上、どうやら当たっているようですよ。伯爵家の嫡男なら将来は父親の跡を継いで伯爵位を継ぐだろうから、持ってるけど使っていなかった男爵位を継ぐこともないからね。
「そしてご実家が近隣という縁故でエンビアス侯爵閣下に会う機会もがあったのでしょう。男爵という爵位では、そうそう侯爵位の貴族、しかも極めて知名度の高い方にそうそう会えるとは思えませんからね。普通の男爵など閣下に近づくことすらできませんよ」
そうなんだよ、ウチの騎士爵もそうだけど、男爵なんて掃いて捨てるほどいるからね。だから普通は高位貴族に男爵程度じゃ挨拶させてもらえないんだ。
ここまでくると、もう男に傲慢な態度は欠片も残っていなかったよ。
そりゃそうだよね。身元もほぼ割れたみたいなもんだし、でもさ、不味いよねー。第一王子と第二王子の両方に関わっているとか命知らずだよ。
なぜ二股かけてるのか知らないけど、どっちにバレても不味いと思うな。どっちかのスパイだと思われても仕方ない。
「グーフィー、この方は恐らく第二王子派のスパイとして第一王子殿下のところに派遣されているのですよ。でも当然、向こうもそれを分かっている。それもあって待遇が良くないのでしょう。一刻も早く、第一王子殿下の下から去りたいと思っていて、それで同じ王都にいるエンビアス侯爵夫人に取り入っているんですよ、きっとね」
父上が言ったことは図星だったらしく、男は弾かれたように立ち上がったよ。
「ワ、ワタシは忙しいのだ!今日はこれにて失礼する」
そう一息に言い切って、慌てて部屋を出ようとする男に父上はのんびりとした口調で声をかけた。
「知ってましたか!?エンビアス侯爵家の家名、エンビアスは古語で『嫉妬深い』ですよ!あなたの命はもうないと思ったほうがいい!」
父上の言葉が耳に届いたとたん、男の体から力が抜けてグニャリと床に崩れ込んだ。
うわー。もらしてないよね?爺や、ちょっと来てー!




