36. 地味な男は微笑みながらキレる
衝撃の事実が判明した。僕の妹ルピスが拐われたのは、王立学院の入学試験で僕が飛び抜けて良い成績を収めたからだったんだ……。
怒りと悲しみの渦で何がなんだか分からない状態に陥っている僕を横にして、父上はあくまでも冷静だった。
「ほお、さすがに御耳が早い。確かに、今、私の横に座っている愚息のグーフィーは王立学院に合格しましたよ。よくやったと喜んでおりましたが、そこまで素晴らしい成績を取っていたとは知りませんでした。いやはや、おっしゃるとおり名誉なことですなあ」
「そうであろう、そうであろう。ふぁははは!」
固まっている僕をそのままに、父上は上手に男を手の中で転がし、取引を始めた。いつも思ってたけど、父上のなにが凄いって、普通は不安になったり焦ったりするところで豪胆になれるとこかな。
いつもはちょっと気弱に見えるくらいな人で、体型はちょっとほっそりめ。
物静かで外で遊ぶよりは室内で読書をするほうが好きなタイプ。整った顔立ちはしているけど、美男子というほどでもない。いたって普通の見た目。どこにでもいる目立たない地味な下級貴族の当主。それが父上なんだ。
だけど変なんだよね。この時の父上は、いつもと同じように温和な微笑みを浮かべているのに、いつもと同じじゃなかったんだ。
もしかして父上、キレてる?
「ルピスをそちらで預かっていただくことには同意いたしましょう。しかし条件があります。年に2回、ルピスに直接会えるように取り計らってください。衣食住は貴族の娘にふさわしいものをお願いしますよ。もちろん礼儀作法など親元で学ぶはずの教育もお願いします」
父上からの要望に、男はあからさまに嫌そうな顔をした。
「フン、その程度のことなど言われるまでもない。客人として遇されるであろうからな。しかし、娘に直接会うのはならんぞ。もう娘とは一生会えぬものと思え」
ルピスにもう会えない!僕はうつむいていた顔を勢いよく上げて、男の顔を睨みつけてしまう。絶対、そんなことさせない!
僕が男を怒鳴りつける前に、父上が柔らかく片手を上げて僕を制止した。
「さて、それは困りましたなぁ……どうしたものでしょうか……」
父上がわざとらしくとぼけた返事をしていると、応接間のドアが控えめにノックされた。入ってきたのは長年、ウチに勤めてくれている爺やだった。
爺やは軽く頭を下げて会釈すると、膝が痛いといっていたことを感じさせない滑らかさで父上のところまでくると、その耳になにかをささやいたんだ。
なんだろう?こんな緊迫した場面に、爺やが押し入ってくるほどの緊急事態なんてないと思うんだけど……。
父上は爺やに軽くうなずいてみせると、爺やはまた会釈をして部屋を出ていった。
「失礼いたしました。領地のことで急に私の判断が必要なことがありましてね。さて、なにをお話していたのでしたか……。ああ、そうそう。娘のルピスに年二回、面会するという件でした」
父上の対面に座っている男は、ムッとした顔を隠そうともしないよ。
「だから言っておるであろう。そのようなことはまかりならん。はっきり言えば、娘はお前たちに忠誠を誓わせるための人質だ。今後も第一王子殿下が将来を含め、キチンと処遇してくださる。このような田舎の騎士爵家の娘では得られない良縁もくださるだろう。大人しくしておくことだ」
男のあまりの言い分に僕の頭は血が逆流して、はち切れそうになった。だけど父上は違ったんだ。あくまでゆったりと、柔和な微笑みを崩さずにいた。
「ふむ、意見の相違というやつですね。これ以上、この件を話しても、まとまりそうにありません。そういえば交渉事には互いを良く知るというのが重要だと聞いています。せっかく第一王子殿下が計らってくださった縁ですからね、私としては大事にしたいのですよ」
「なにを馬鹿なことを。ワシと貴殿が知り合う必要などない」
このとき、父上がにやりと笑った気がしたんだ。いや、実際は柔らかく微笑んだままなんだけど、なぜか僕には表情が動いた気がして、それでなぜだかゾッとした。
体が自然と竦み上がって、逆流してた僕の血も所定の位置に戻っちゃったよ。
「まあいいではありませんか。ちょっとした雑談ですよ。そうですねえ……例えば、エンビアス侯爵はお元気ですか?といった話題はいかがでしょう」
「なっ!?」
父上の口からエンビアス侯爵の名前が出た途端、男の顔色が目に見えて変わったよ。一瞬で人の顔色が真っ青になるのを初めて見た。でもエンビアス侯爵って誰なの?なんか名前に聞き覚えがあるような……。
僕の疑問を感じ取ったかのように、父上が説明してくれる。
「グーフィー、お前も貴族の端くれとして、著名な大貴族のお名前くらいは覚えておかなくてはいけないよ。エンビアス侯爵閣下はね、ここから遠く離れた地に広い領地をお持ちの方だ。そして、その広い領地で上質な小麦の栽培に成功された方なんだよ」
「――ああ!エンビアス小麦ですね!寒さに強い品種だとか」
聞き覚えのある名前だったのも当然だったよ。エンビアス小麦だもん!この小麦は最近できた新しい品種で、寒さに強くて病気にもなりにくい。その上、小麦の風味が濃いから、パンなんかにすると凄く美味しいって評判なんだ。
僕が住んでる国は場所によっては寒さがかなり厳しくて、そういった土地ではなかなか農作物も育たなくて、食料を他国から輸入しないといけないっていう問題を抱えてたんだよね。
それがエンビアス侯爵が品種改良で、寒い場所でも育つ小麦を作ったもんだから、食糧事情がかなり改善されたんだ。確か、小麦以外でも寒さに強い野菜や穀物を作り出してるんだよね。
その上、自分の領地だけじゃなく、近隣の他の貴族たちにも寒さに強い作物を作らせて、今じゃ、国内で消費するだけじゃなくて、他の国にも輸出してお金を稼ぐまでになっているんだって。すごいよねー。
「そ、それがどうしたというんだ!エンビアス侯爵のことは確かに知っているが、夜会などで挨拶を交わす程度だ!」
めっちゃ怪しいよね、この男。エンビアス侯爵の名前が出てから、汗がだらだら出てるし、挙動不審だよ?どうやら父上は正しいカードを引いたみたいだ。
まだ父上は微笑みを崩していないけど、でも様相は一変してるよ。なんだろう、雰囲気が獰猛になった?
「そうでしたか。いえ、貴方様の乗ってきた馬車に小さくですがエンビアス侯爵の家紋が飾られているという報告を聞きましてね」
ああ!さっきの爺やはそれを報告に来たのか!ん?でもなんでエンビアス侯爵の馬車に、この男が乗ってここまで来てるの?エンビアス侯爵って第一王子派だったっけ?
「エンビアス侯爵はね、第二王子派の筆頭貴族のひとりなんだよ。さすが名高い方だけあって、お優しいじゃないか。反対勢力に自分の馬車を貸してくださるとはねえ」
えっ?どういうこと?この話の行き着く先が見えないよ。
「いやはや、初対面のあなたには深くお礼を言わねばなりませんね。こうやって息子に社交での噂話の重要さを実地で教えられるのですから。グーフィー、エンビアス侯爵閣下は若い頃に奥方を病でなくされてね、ずっと独り身で仕事に邁進されてきたんだが、数年前に新しい奥方を迎えられたんだよ」
「な、なにを言い出すのだ……そのような他家の内幕を面白おかしく噂するなど、貴殿の御子息の益にはなりませんぞ……」
男がなにか慌てふためいているように見えるけどね。どうしたんだろう。男の年齢は父上よりちょい下くらいに見えるんだけど、すごく偉そうにしてて、威厳をこちらに向けてぶつけてくるような上位者の態度を隠さなかったんだ。
それがさ、エンビアス侯爵の話が出てから、急に威厳へにゃへにゃになっちゃったよ。なんで?
「いえいえ、息子のことはご心配なく。それに今、述べたのは噂話ではなく単なる事実ですからね。噂話はここからですよ。ご覧のとおり、こんな田舎に住んでおりますと楽しみというものが少ないのです。ついつい無聊を慰めるため、王立学院時代の友人や、仕事仲間と手紙のやり取りをすることが多くなるのですが……」
いいところで父上が話を切った。息を詰め、緊張した面持ちの男は目を見開いて父上を凝視している。
「グーフィー、これは私が聞いた単なる噂なんだが、その新しいエンビアス侯爵閣下の奥方様は、たいそう若く美しいと評判なのだ。そして農業を営む領地での生活が肌に合わないとかで、結婚されてからは王都の邸で生活されているとのことだ。まあ若い女性には田舎暮らしは退屈でしょう。しょうがないことです」
まあ、女性に限らず若いと都会に行きたがるもんだよね。でもそれがどうしたって話だよ?僕以外の二人は、どうやら話の結末に予想がついているみたいだけど、僕にはさっぱりだ。
「エンビアス侯爵夫人には別の噂もあるのだよ。たいそう美しい方のようだから、やっかみや妬みからくる悪意のある噂だと思っているがね。夫人は夫が領地に行って留守の間に、複数の愛人をつくって派手に遊んでいるという噂なんだ」
「こ、侯爵夫人に失礼だぞ!そのような戯言を垂れ流すのは止めるのだ!」
あれー?エンビアス侯爵とは面識があるだけとか言ってたのに、かなり力の入った反論してくるね。息を荒げ、ゼエハアしながら怒鳴り散らす男を見て、父上はにこりと笑った。
「あなたがこの屋敷まで乗ってこられた馬車は、王都のエンビアス侯爵夫人からお借りしてきた物ではありませんか?」
んん?もしかして、この男、エンビアス侯爵夫人の愛人だったりする?趣味悪ぅー。




