19. 侯爵との取引
「よお!久しぶり。相変わらず不機嫌そうだな。たまには笑ってみたらどうだ?」
団長がいいタイミングで話しかけたのは、僕とロボスト副団長を窮地に陥れているプリシラ様じゃなくて、その父親のスピナー侯爵のほうだった。
なんでそっちに行くの!僕達が危ないっていうのに!こっちが先でしょうよ、常識的に考えてさ!
僕はギッ!と団長を睨んでやりたいけど、プリシラ様のふりまく変な威圧みたいなモノのせいで動けないんだ。
プリシラ様の指先は、僕の腕のほんの少し手前で止まっている。プリシラ様もいきなり団長がスピナー侯爵に声をかけたので、思わずそっちの方を向いてしまったみたいだね。
とりあえず団長は僕達を救ってくれたことになるのかな?色々文句はあるけどさ。
そんなことを心の中で思っていたら、後ろからグイッと力強く引っ張られた。引っ張られた瞬間、体が自由になったのを感じる。
「グーフィー、ロボスト、そのまま後ろに下がって。視線は下に!」
僕達を後ろに引っ張ってくれたのはアーネストさんだった。僕たちは内玄関のエントランスに配置されている装飾用の大きな柱の影へと引っ込んだ。
柱の陰から団長のほうを覗くと、ちょうどスピナー侯爵が団長に略式の臣下の礼を取っているところだった。
スピナー侯爵を近くで見たのは初めてだけど、思ったよりまともそうな人だった。ちょっと神経質そうだけど、おしゃれなイケオジ風だった。
「これはこれは、フォーキャス第三王子殿下。いえ、今は第八騎士団の団長様とお呼びしたほうが宜しいですかな。お仕事中のようですね」
「まあな。ところでまだ昼過ぎだぞ?こんな早い時間に、大貴族のスピナー侯爵が直々に王宮に来るなんて珍しいな」
団長の質問にスピナー侯爵は、あからさまに顔をしかめた。
「まあ、ちょっと。色々ありましてね……」
「ふうん……なんだか面白そうな匂いがするぞ。もっと詳しく聞かせてもらいたいもんだが……まあ無理だろうな。アハハハ!」
「……ええ、ちょっとそれはご遠慮願いたいですね。あいにく約束があるものでしてね。プリシラ、こちらに来なさい。では殿下、先を急ぎますので失礼いたします」
あまりにも普通なスピナー侯爵のプリシラ様への態度に、違和感ありまくりだよ。こんな危険な令嬢と、よく普通に接することができるなと逆に感心した。プリシラ様は養女で侯爵と血は繋がってないはずだけど、一応家族だからそのへんは大丈夫なのかな。
プリシラ様は、お淑やかに侯爵と団長がいる場所へと歩いていく。そこだけ見ると普通なんだけど、彼女の視線はピタリと団長へと向けられていた。これって僕の死神様を団長になすりつけ完了ってこと?団長、ごめん!
「まあ、第三王子殿下ですって!?お初にお目にかかります。私のことはどうぞプリシラとお呼びになって下さいませ」
そしてプリシラ様は、やっぱり団長の腕をとろうとしている。エスコートを頼むような自然な動きだけど、目的は絶対違うと思う。相手の体、特に腕に接触する必要があるんだと思うな。
「プリシラ!やめなさい!」
スピナー侯爵が制止する。侯爵もプリシラ様が何をしようとしているか分かっているんだろうね。プリシラ様はそれを完全に無視する。まったく聞こえていないみたいだ。
「殿下、エスコートをお願いしてもよろしくて?」
もう団長が前を向けば、必ずプリシラ様が視界に入る位置に彼女はいる。団長は侯爵の方を見たまま視線を動かさない。きっとプリシラ様と目を合わさないようにしてるんだろう。
そして、とうとうプリシラ様の指先が団長の腕に触れる。
「団長から離れろ!触るな!」
僕がプリシラ様に叫んだのと同時に、2つのことが起こった。
ひとつは、アーネストさんが後ろから僕の口を手で塞いだこと。なので僕の叫びはちゃんとした言葉にならず、口の中でもごもごと反響するだけで終わってしまった。
ふたつめは、団長が紙切れのようなものを、素早くプリシラ様の手に握らせたこと。たぶん、最初から準備していたんじゃないかな。迷わない素早い動きだったから。
プリシラ様の手の中に紙切れのようなものを押し込んでから、団長は後ろへと大きく下がった。もう彼女との間には十分な距離がとられている。
プリシラ様の手は団長の腕に触れる前に紙切れを握らされ、今では所在なげに空中に留め置かれているよ。団長はプリシラ様から十分離れたままで、侯爵に話しかけた。
「スピナー侯爵、未来は変えられると思うか?」
「非常に知的好奇心がそそられるお話ですが、今は急いでおりますので……」
スピナー侯爵が会話を拒んでいるけど、団長はまったく気にしない。
「なるほど、侯爵は未来に興味はないか。ならば過去はどうだ?もし過去を変えられる可能性があるとしたら?」
「なにを馬鹿なことを……。未来は変えられますが過去は変えられませんよ。もう起こってしまったことなのですから」
「そうだよな。知らない間にプリシラ嬢が婚約破棄されてしまったことも、アマンダ嬢を長い間冷遇してきたことも変えられないよな?」
団長の言葉に、侯爵の顔色がちょっと変わった。
「……フォーキャス殿下、少々無礼が過ぎませんかな」
スピナー侯爵が静かにキレてるけど、もちろんそんなことで止まる団長じゃないよ。
「まあ、そう言うなよ。実は俺はちょっとした疑問を抱いているんだ。もし侯爵が答えられるのなら教えてくれないか。昨夜、アマンダ嬢の身の上に起きたことは変えられることなのか、それとも変えられないことなのか、どっちだと思う?」
侯爵は団長に詰め寄るように近づいた時点で、もう上品な貴族の姿は投げ捨てていた。獰猛な顔をした男がそこにはいる。
「――なにを……知っている?」
団長は威嚇するように体を近づけてきていた侯爵の肩を、人差し指だけで軽く押す。
「さあな。俺は侯爵がどう考えるのかが知りたいんだよ。でも考えるのにも情報が必要だよなあ。例えば、昨夜、王宮でなにが起こったのかなんてことも……」
団長はそう言うと、プリシラ様の方をアゴ先で軽く指した。その動きに侯爵はハッとして、プリシラ様の手にある紙切れを凝視する。さっき、団長が握らせたヤツだ。
侯爵の喉が大きく動いて、唾を飲みこむ。そして、紙切れに目をやったまま、少し体を傾けて団長に顔を近づけると、ささやくような声でこう尋ねたんだ。
「――対価は?」
「古き盟友の頼みに応え、これより辺境の地へと赴く。反対の声が上がった際は助力を願いたい」
団長の願いに何も言わず、侯爵は近くで控えていた従者に目配せをして何かの指示を与えた。それから団長に軽く会釈をすると、そのまま振り返りもせず歩き出した。この王国では挨拶の定型文のようなフレーズを口にしながらね。
「殿下の行く末が、幸多きものでありますよう」
挨拶の定型文だけど、これは旅立つ者に対する祝福の言葉だ。団長と侯爵の間の取引は上手くいったみたいだね。
従者は侯爵にはついていかずプリシラ様の元へと行き、皮製の手袋をしたままプリシラ様の手から紙切れを丁寧に奪い去った。そして、そのまま侯爵の後を追うように行ってしまった。
「それは殿下が私にくださったものよ?なぜ持って行くの?」
プリシラ様は先に行ってしまったスピナー侯爵の方と、相変わらず自分を無視している団長の方を、ゆっくりと交互に見た後、まったく表情を変えずに微笑んだまま侯爵の後を追っていった。
見た目だけは淑やかな令嬢のように歩き去るプリシラ様を、僕達は言葉もなく見送ったんだ。
あのプリシラ様をとりあえずとはいえ従えるとは、さすがスピナー侯爵とその従者だ。覚悟がガンギマリだよ。それとも単なる慣れかな?
さよなら、僕の死神さま。もう二度と会いたくないね。




