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夢の世界のドレアムド  作者: 長月チャカ
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五.内陸の港町

 大草原を走る一頭の馬と一頭のユニコーン。前方を走る角の生えた白馬はともかく、オットーが操る鹿のような茶褐色をした馬はリョウも良く知る馬そのものだった。

 異世界だと確信しつつも、自分の世界と似たような部分を見るとその考えが間違いだったのではないかと思ってしまう。そう思っても、前を見ればユニコーンがいるわけで、ここはやはり異世界だと信じざるをえないのであった。


 こんな考えが出来るのも、ユナス族の集落から一時間ほど馬を走らせて馬が走る振動に慣れたおかげだろう。最初の頃はしがみつくので精一杯だった。

 なにしろ、速い。オットーの後ろに跨り、風を受けながら走るのは、最初はすごく怖かった。同級生の古賀に乗せてもらったバイクなんかよりも遅いはずなのに、こうも怖く感じるのは馬の背が高いからか、激しく揺れるからか。

 ポケットの中でミナがどうしているかなど気にしている余裕もなく、ただ前に跨るオットーの服を力強く掴んでいた。


 あとどれくらいだろうか。身体を傾けてオットー越しに前方を覗いてみるが、町などどこにも見えず、ただ遠くに山が見えるだけだ。そもそも港町というが――船に乗るというのだから港町だろう――、海はどこにあるというか。あの山の向こうに海が広がっているとしたら、あの山を越えなければならないということか。そう思うと、リョウはげんなりとした。


「おーい、リサ。そろそろ休憩にしよう!」


 オットーが大声を張り上げ、それを聞いてリョウはホッとした。やっと休憩だ、おしりがすごく痛い。

 ふとリサの方を見てみるが、減速する様子がない。周囲をキョロキョロと見回し、その顔はどこか険しかった。

 そしておもむろに腰に差した剣を引き抜いた。オットーがそれを見て表情を強張らせる。


「ボウズ、しっかり掴まってろ」


 リサの挙動に首を傾げていたリョウは、オットーを掴む手を強めるどころか逆に緩めてしまう。何かあったのか? 休憩じゃないのか? そんな疑問を発する間もなく、オットーが声を張り上げた。


「ハイヤー!」


 直後に加速する馬に、リョウは慌ててオットーの服を強く掴んだ。馬はどんどん速くなっていく。最初に感じていた怖さを再び感じ始めていた。もうバイクと同じくらいの速度が出ている。

 一体どうしたのかと周囲をキョロキョロしていると、リサと目が合った。瞳に困惑の色が見えたのか、リサは心配をさせまいとしたのか少し微笑んで、そして剣の切っ先を左斜め後方に向ける。

 そちらを見ろということだろうか。リョウはつられてそっちを見ると、何が起こったのかを理解する。と同時にギョッとした。


 狼だ。馬を追いかけるようにして狼たちが走ってきている。その数も多く、十数匹の群れを作っていた。


 落ち着いて見ていられたのは、直前にリサが微笑んでいたからだろうか。彼女らにとってはこういうことは日常茶飯事なのかもしれない。自分でも、そうであって欲しいという願望が込められた考えだという事は分かっていた。

 狼の群れが途中で二分する。一方は馬に近づいてきて、もう一方は馬と並走するように真っ直ぐ前に進んでいる。


 挟み撃ちにしようというのか。だが最初は追い付かれ気味ではあったものの、最終的には馬の方が早いのか徐々に差は開き始めていた。

 後ろから狼に追いかけられるというのは、なかなか心臓に悪い。逃げ切れることを予感して、心から安堵した。

 そんな中で、リサが前から回って左側に移動した。並走している狼たちもなかなか諦める様子はない。


「ダリオス!」


 リサが叫び、剣を狼たちに差し向ける。ユニコーンが走りながら嘶き、そして、一瞬バチっと角の先端がスパークした。

 リョウは目を見張った。次の瞬間、横を走る狼たちの前方に雷が落ちたのだ。雲一つない晴天であるにもかかわらずだ。その後には直径一メートルほど地面が抉れていた。

 狼たちは怯み、徐々に速度を緩める。追跡を諦めたようだ。後方から追いかけていた狼たちも、片方のグループが諦めたからか、同じように速度を緩めていった。名残惜しそうにリョウ達を見つめている。


 今の雷の音で気付いたのか、ポケットの中から騒ぎ立てる声が聞こえてきたが、後で説明するからと必死に言い聞かせて、リョウは再びオットーの背中にしがみついた。

 狼たちがトボトボと歩き始め、それが見えなくなってしばらくして休憩となるまで、ミナの頬はずっと膨らんだままだった。



「へぇ。それじゃあダリオスが雷を落としたの? 見たかったなぁ」


 ポケットから出てきたミナが周囲を飛びながら言った。今二頭はゆっくりと歩いている。

 休憩と言っても止まる訳ではないらしい。少しでいいから馬から降りたいとも思ったのだが、その間にまた狼がやってきたらたまったものじゃない。

 走っているよりはマシかと、そう思い込むようにした。


「その、リゴンの町ってとこまであとどれくらいかかるんですか?」


 気を紛らわせるためにリョウは尋ねた。前方を見てもやはり山が見えるだけだ。

 リサは前方を見ながら、んーと可愛らしく唸る。この顔を見れば、先ほどの勇猛果敢な姿を誰が想像できるだろうか。


「今で半分ぐらいだから、もうちょっとしたら町も見えてくると思うよ。山は見えるでしょ? あそこの麓にあるの」


「え? 麓って……山の向こう側の?」


「ううん、手前よ。さすがに山越えはしないわよ」


 クスクスと笑うリサに、リョウは困惑する。確か港町に向かっていたはずだが……?


「でも、船に乗るって言ってませんでしたっけ? 海はどこにあるんですか?」


 そう尋ねた途端、リサは堪え切れずに吹き出した。前ではオットーも豪快に笑っている。

 何か恥ずかしい発言をしたようでリョウは耳まで赤くなったが、ミナも同じように困惑している。分かってくれる人が一人でもいたことが救いだった。


「あー、ごめんごめん。そっか、それも『船』だよね。でも私たちの言ってる船っていうのはね……あ、あれ見て」


 リサが南の空を高く指を差した。リョウとミナはそれに従って視線を向ける。遠くに、何かが見えた。最初は鳥かと思ったが、それが徐々に近づくにつれて、その正体が何なのかを理解した。

 船だった。船が、空を飛んでいた。帆船ではなく、上部にプロペラのついた、リョウの知っているゲームの知識から引用すると飛空挺というものだ。


 近づくにつれてヘリコプターのようなプロペラ音が周囲に鳴り響き、リョウたち一行の上空を通った後、山の方へと消えていった。

 木製のものだったが、大きさはリョウが子供の頃に乗ったフェリーぐらいはあったかもしれない。とにかく大きかった。

 山に吸い込まれるように消えていく船を見て、リョウはぽかんと口を開けたまま呆けていた。そんな顔をすればいつもはちゃちゃを入れてくるミナも、隣で同じように呆けていた。


「すごいね……」


「ああ……」


 言葉も出ないとはこのことだろうか。コンピューターグラフィックスでしか見た事がないファンタジーの産物が、今まさに目の前を飛んでいたのだ。

 感動だった。ユニコーンを見た時も驚いたが、これは今までで一番の感動かもしれない。大きい物を見ると興奮するのは、男の性なのだ。一瞬、この世界に来て良かったと思ってしまうほど。


「『飛行船』は見るのも初めてなのね。船ってそんなに珍しいものなのかな?」


 顎に手を添えて考え込むリサの呟きに、オットーが羊の胃袋で出来ているらしい水筒からキュポンと音を鳴らして応える。


「船の停まる町が近くにあるから俺たちには馴染みのあるモンだが、普通はそうそう見かねないモンらしいぞ。他所の国は知らんが、この国じゃ王都と主要都市ぐらいにしか停泊所はないらしいな」


 へぇ、と感嘆の声を上げたのはリョウたちだけではなくリサもだった。


「じゃあ、なんでリゴンに? あそこって主要都市なの?」


 と身近なはずなのにリサが尋ねる。


「リゴンは割と新しい町だ。少なくとも、お前が生まれた時にはまだあの町はなかったな。あの山は元々鉄が取れるんだが、交通の便が悪くてほとんど手付かずだったらしい。飛行船が開発されて、あそこに町を作ったってわけだ」


 これからそういう場所も増えるだろうなと締め括り、オットーはリョウに水筒を渡す。面白い形の水筒に少しわくわくしたが、中身は当然ながら普通の水だった。

 ミナも飲みそうにしていたが、小さい身体では水筒から直接飲むのは難しく、結局諦めた。別に喉は乾いていないらしいが、それが強がりかどうかは分からない。


「で、リゴンに着いたらお前らはどうする? 俺はとりあえず荷物を売ってくるから、町をぶらぶらしてくるか?」


 リョウは水筒の口を紐でキュッと絞り、そしてオットーに返す。町についてからの予定は何も考えておらず、そもそも成り行きでついてきたと言っても過言ではない。

 隣でリサがうーんと顎に手を添えた。


「最初に船着き場に行こうと思う。乗船の予約を取るからね。その後は出船の時間まで暇つぶしかな。ご飯も食べたいし」


 ご飯、という単語が出てきて、リョウは思わずお腹を押さえた。よくよく考えれば、朝から何も食べていない。現実の時間だととっくに夕食は食べているはずだが、陽も高く昇り始めた太陽を見ると丸一日食べていない気分になる。

 何を食べられるのかなと、町での散策に期待を膨らませていると、ある重大な事実に気付いた。


「あのっ、俺たちお金を持ってないんですけど」


 財布は一応ポケットの中にあるのだが、それが通用するとはとても思えない。

 そんなことを言うと、リサはカラカラと笑った。


「心配しなくても、それぐらいは奢ってあげるわよ。でも、路銀がないのは心許ないわね……ね、ちょっと思いついたんだけど、今リョウくんが着てる服って大事だったりする?」


 質問の意図が分からずに首を捻る。今リョウが身につけている物は学校指定の制服だ。大事なものかと言えば、別にそこまで思い入れのあるものではない。


「その服を売ってお金を作ったらどう? 旅をするには向いていなさそうだし、生地も良さそうだから高く売れると思うんだけど」


 なるほど。そもそも異世界でこの恰好は目立つと思っていたから、それは妙案だと納得した。


「そのお金で私の服も買って!」


 と、唐突に叫んだミナにリョウは目を丸くする。内容の割には真に迫る勢いだったが、その格好を見れば納得せざるを得ない。何しろ、ミナは未だにリョウが持っていたハンカチを体に巻いているだけなのだから。バスタオルを巻いた姿で町中を闊歩するのは、誰だって遠慮したいものだ。


「それはいいけど、お前が着れるような服って売ってるか?」

 間違いなく売っていないだろう。何しろ手の平に乗るサイズだ、赤ん坊の服だって大きすぎるのは目に見えている。

 そんな言葉にミナは心底がっかりしたようだった。リョウは同情するが、こればかりはどうしようもない。

 と思っていたら、リサの「大丈夫」という言葉に、ミナはこれでもかというほど顔を輝かせていた。


「羊毛を売ってる関係で、仕立屋さんとは知り合いなの。ミナちゃんの服もきっと作ってくれるわよ。ただ、時間があればだけど」


 その言葉に、ミナは無言でリョウを見つめる。もちろん、言いたい事は分かっているので、リョウはやれやれと溜息を吐いた。


「分かったよ、船に乗るのは服が出来てからな」


 きゃっきゃと喜ぶミナに、肩をすくめるリョウ。そんな二人を、リサは微笑ましく眺めていた。


 *


 リゴンの町に到着したのは、ユナスの集落から走ったのと同じぐらいの時間をかけた、太陽がちょうど真上を通り過ぎた頃だった。

 辺境の町だが、意外と大きい。ただ、大きな建物が一つあることを除いてはほとんど背の低い建物ばかりだったので、遠くから見てもあまり目立たなかったのだろう。


 町に近づくと、リョウの身長の倍ぐらいの市壁がぐるっと町を囲んでいることに気付く。鼠色の石を積み上げただけの、二メートルほどの高さのものだ。リョウがジャンプして手を伸ばせば手が届きそうで、外から中に入るのはそこまで難しくなさそうに見える。

 ちょっと低すぎじゃないかと思ったが、リサ曰くこの市壁は獣避けだそうで、そもそも人の出入りなどほとんどないそうだ。戦争などを見据えていなければこれぐらいで十分なのだという。


 唯一の門も閉じっぱなしになっていて、オットーが木製のそれをドンドンと叩くと、門の横の小さな扉から軽装をした男が出てきた。鉄の胸当てや肩当てなどをつけた、兵士というよりは冒険者といった風だ。

 その男はオットーを見てパッと顔を輝かせた。


「オットーじゃないか! それに、リサちゃんか、大きくなったなぁ。後ろの子は新しい子かい? それにしても、今年はえらい早いじゃないか」


 どうやら顔見知りらしい。たしかに人の出入りがほとんどないこの門を通るのは、仕入れをするユナス族ぐらいのものなのだろう。


「おう、野暮用っつーのもあるが、グプレの町で麦が不作でな。あまり買い込めなかったんだよ」


「ああ、そういや南じゃ日照りが続いたらしいな。その点、こっちは天候の心配はしなくていいからな、飛行船万歳ってとこだ」


 リョウには分からない会話がされているが、分からなくて当然だ。遊牧民は拠点から近い場所に町があると言っていたから、グプレというのはそういう町の一つなのだろう。

 そんなやり取りがあって、リョウたちは何事もなく門を通った。いつの間にか遊牧民の子供ということにされたが、別にそうじゃなくても入れそうな雰囲気ではあった。


 門を越えたその先の光景は、昼間ということもあって活気溢れる賑わいを見せていた。門を越えるとすぐ前が大通りが広がっており、建物沿いに露店が並んでいる。

 香ばしい肉や香草の香り、はたまた焼き立てのパンの匂いなど、空腹の意を刺激するものばかりがリョウの鼻をくすぐった。


 三人は馬を降り――うち一人はリョウのポケットの中から顔だけを覗かせていた――その通りを進んでいく。道行く人が視線を向けてきたが、その大半がユニコーンに向けたものだ。リサは得意気だったが、当のダリオスは不機嫌そうにブルルンと鼻を鳴らした。

 通りを抜けたところの広場で分かれるらしく、オットーは馬を向かって左に進路に向けた。


「じゃ、俺は買い付けに行ってくるから、ここからは別行動だな。リサ、後はまかせたぞ」


「うん、任せておいて。そっちこそ、買い物お願いね」


 遠ざかるオットーを見送り、リサたちは広場を横切って東へと抜ける。視線の先には山の光景も遮ってしまうほど高い鼠色の建物がある。あれが飛行船の停泊所らしい。石か何かでできた小屋みたいなものだが、それが船一つまるごと入ってしまうのだからその大きさは半端ではない。


「リサさん。今から停泊所に行くんですか?」


 リサの隣を歩きながら尋ねる。手綱も持たずに、まるで友達と一緒にいるかのようにダリオスと歩くリサは、腰に手を当ててうーんと唸った。


「最初に服屋に行こうと思ってたんだけどね。この通りの停泊所の手前にあるの。でも、チケットもそんなに急がないならご飯が先でもいいかなって思うんだけど、どっちが先がいい?」


 逆に問われて、リョウはお腹を抑えながら迷うことなく答えた。


「ごは――」


「服! 絶対服!」


 ポケットからぴょこっと頭を出して、これでもかというほど主張してくるミナに嘆息を漏らす。


「お前、腹減ってねえの?」


 早く服が欲しいという気持ちも分かるが、何も食べていないのはミナも同じはずだ。だというのに全く空腹を訴える様子がないことに、リョウは今更ながら不思議に思った。

 ミナはうーんと唸る。きっとポケットの中でお腹を押さえて腹具合を確認しているのだろう。


「あんまり減ってない。っていうか、うん、全然減ってない。喉も渇いてないし、何でだろ、この姿になるとご飯いらないのかな?」


 んなアホな、と思ったが否定は出来ない。ハンカチ一枚でも寒くないらしいし、そんなことがあってもおかしくないのかもしれない。

 前を歩くリサが堪え切れずに笑い声を漏らしていた。


「ま、女の我儘に付き合うのは男の宿命らしいよ? それじゃあ服屋に行こうか」


 ポケットでやったとはしゃぐミナを余所に、リョウはこれ見よがしに溜息を吐くのだった。



 リゴンの中心にある広場から東の通りに入って間もなく、目的である服屋に到着した。現代人のリョウの感覚ではガラス越しに商品を着たマネキンが並んでいる様子を思い浮かべたが、この世界にマネキンがあるはずもなく、まるで八百屋のように開きになっている小屋のような場所だった。

 軒先の木箱に服らしき布が山積みにされており、リョウの認識である服屋とは大分かけ離れていた。それはミナも同じだったのか、服屋に来たというのにポケットから出ることもせず、何かがっかりしていたようだった。


「いらっしゃいませー。あ、リサちゃん、久しぶり!」


 頭に頭巾を被った、いかにも看板娘という風な娘が接客しにきて、そしてリサを見つけて目を輝かせた。

 歳の頃もリサと同じ位だろうか、リサの方も嬉しそうに手を振っていた。


「久しぶり、アンジェ。ねぇねぇ、あなたに聞きたいんだけど、この子の服を売ったらどれくらいになるかしら?」


 リサに背中をポンと叩かれて、リョウは一歩前に躍り出た。

 アンジェと呼ばれた店員がジロジロとリョウを見るので、なんだか気恥ずかしくなる。正確にはリョウの服を見ているのだが、似たようなものだ。

 アンジェの手が伸びると、がしっとリョウの腕を掴んだ。少しドキッとしたが、それだけでは終わらない。


「え、あの、えっと」


 しどろもどろになっても、リョウはされるがままだ。腕を掴んでいたアンジェの手は肩にまで伸び、そしてブレザーの下のセーターにまでわさわさと触られると、女性に免疫のないリョウは耳まで真っ赤になっていた。

 当のアンジェは真剣、というよりも驚きの表情を浮かばせて、一心不乱にリョウの服を品定めしている。


「リサちゃん! 何、この子の服。見たことない生地だし、きめ細かいしこんな服初めて見た!」


 やや興奮気味でそう叫んだ。見た事のない生地、と言われれば、文明度が中世に近いこの世界では、ポリエステルのような合成繊維の衣服はまだ開発されていないのだろう。


「そうなの? 私には高そうってぐらいしか分からないんだけど。それで、いくらくらいになりそう?」


 思ったよりも高そうな値がつきそうなことに、リョウは喜びを隠せない。ポケットでミナが見守る中、アンジェはうーんと唸って結論を出せないでいた。


「ごめん、私じゃちょっと分からない。ちょっと待ってて」


 そう言って店の奥に引っ込んでいく。残された三人は首を傾げていると、奥から頭の禿げ上がった中年の男が出てきた。どうやらこの男性が店主で、アンジェの父親らしい。


「服を売りたいっていうのは君かい? これはこれは、うーむ……」


 アンジェ同様に服を触られるも、もちろんのことだがあまり気分のいいものではない。アンジェさんの方が良かったなぁと内心思うのは健全な男の子の証、ということにしておこう。


「どう、おじさん。売れる?」


 リサの声も若干遠慮がちで、リョウも少し不安になってきた。そもそも売れない、という答えが出てきたらどうしよう。

 おじさんはリョウの服から手を離すと、アンジェと同じようにうーんと唸った。


「これは、難しいな。見た事もない生地だが……そうだね、適正価格は分からないが、五千エルでどうだい?」


「ご、五千エル!?」


 リサが驚いて声を出したが、それが高いのか安いのかリョウたちには分からない。驚き方からして高いのだろうが、それよりも通貨の単位がエルということを初めて知ったし、発音が円と似ているせいか五千円と言われたようで、なんだか安く感じてしまった。

 リョウはリサの服の裾を引き、そして顔を近づける。端から見れば密談しているように見えるだろうが、その内容は他愛もないことだ。


「リサさん。五千エルって、高いの?」


「高いに決まってるじゃない! ここの服が一着で百エルぐらいだし、船のチケットだって二千エルもするのよ」


 そう説明されても分かったような分からなかったような。とにかく普通の服の五十着分と考えれば、確かに高い。

 まだ分かっていない様子に、リサの目にはきっと世間知らずなお坊ちゃんという風に見えただろう。少し呆れたように溜息を吐いていた。


「じゃあ、おじさん。それでお願いします。そのお金でこの子に旅装束を一式揃えて貰えます? あと、アンジェ! ちょっとこっちきて!」


 奥に引っ込んでいったアンジェを再び呼び戻し、リョウはどうしたのかと首を傾げる。もう一つの目的を忘れていたことを思い出した。そんなことを言ったら本人に怒られそうだが。


「あなたにちょっと服を作ってもらいたいんだけど。ミナちゃん、ちょっと出てきて」


 リサに呼ばれて、リョウのポケットからパタパタと翅を羽ばたかせてミナが出てきた。

 さすがに驚いたのか、アンジェたちはあんぐりと口を開けている。

 それにしても、いいのだろうか。ふと振り返れば通りを歩く人もミナに気付いて視線を向けていた。だが取り立てて騒ぐ人もおらず、その足を止める人は数人しかいない。この世界での妖精というものは、その程度のものなのだろうか。


「アンジェ、あなたにこの子の服を作ってもらいたいんだけど、お願いできる?」


 リサに声をかけられて、ハッと我に返ったようだ。アンジェは満面の笑みで微笑んだ。


「うん、もちろん。それにしても、妖精さんって初めて見たわ。よろしくね、えっと、ミナちゃんだっけ?」


 手を差し出されて、握手はもちろんできないので、ミナは人差し指を両手で握った。


「うん。よろしくね、アンジェさん」


「早速だけど、寸法合わせしようか。こっち来て」


 アンジェとミナが店の奥へと入っていき、それにリサも続いたので、店の前には男二人が残された。


「それじゃあ、君の代わりの服も見繕うか」


「……はい」


 女っ気がなくなったことに若干の寂しさを覚えながら、男二人は服を選ぶのだった。


 *


「おまたせ~。あら、結構似合ってるじゃない」


 部屋の奥から出てきて、リサはリョウの姿を見るなりそう言った。

 店には姿鏡が一つだけあり、着替えを済ませたリョウの姿がそれに映っている。焦げ茶色の革のパンツに麻布のシャツ、その上から分厚いジャケットを羽織っている。シャツだけは着心地はあまりよくなかったものの、パンツとジャケットは元の世界で売られていてもおかしくないようなものだ。


 買ったばかりのスニーカーも手放し難かったが、長旅には向かないと思い革のブーツに買い替えた。リョウの感覚からすればスニーカーよりも高そうなのに、売ったお金で買えるということに違和感を覚える。


 結局、異世界からきたリョウが見てもそこまで違和感はなく、少しファンタジーな服を期待していたリョウは少しだけがっかりした。もっとも、町人たちの格好を見れば少しは予想できるというものだが。

 ただ、似合っているとミナに言われると、まんざらでもないようにぽりぽりと頭を掻いた。


「そうかな。ところで、服はどうなったんだ。っていうかあのハンカチどうした?」


 今ミナの身体を包んでいるのは、リョウが上げた藍色のハンカチではなく白っぽい布だ。それが余計にバスタオルのように見えて、目のやり場に困る。

 ただミナは新しい服が出来ることが嬉しいのか、特に気にする事もなく満面の笑みを浮かべていた。


「あのハンカチ、私の服にしてくれるんだって。何も言わなかったけど、いいよね?」


 上目遣いで聞いてくるものの、幼馴染相手だと必殺のポーズもそこまで効果を持たないところが哀しい。

 とはいえ、特に断る理由もなかったりするのだが。リョウは手をヒラヒラと振った。


「ああ、別にいいよ。大したもんじゃないし」


 やったと喜ぶミナの隣で、アンジェが呆れたように目を細めている。


「あんなに上等な布をハンカチに使っておいて、しかも大したものじゃないって……実はすごいお金持ち?」


 リョウは苦笑を返すしかない。上等な布と言われても、リョウの感覚からすれば革のパンツやジャケットを安物扱いして、なんてことのないハンカチを高価に扱う基準がイマイチ分からない。


 結局売り払った制服から服の代金を差し引いて、四千二百エルが手元に残った。千エル銀貨が四枚と、百エル銅貨が二枚。紙幣がないだけで通貨の単位は日本円とあまり変わらないらしく、リョウはホッと安堵した。

 財布がなかったので薄い革で作られた巾着袋を貰った。これは店側の好意で服の代金には含まれていない。前の世界の財布は気に入っていたし、僅かながらもお金が入っていたので今は新しい服のポケットに入っている。携帯電話も同様だ。


 サービスと言えば、ミナの服も代金は要らないらしい。


「私、子供の頃はお人形の服を作ってたのよ。だからこういうの久しぶりなの。生地は貰ったし、余った部分を貰えればそれで十分よ。明日の朝には出来上がるから、受け取りに来て頂戴」


 その笑顔が接客用なのか地なのか分からないが、アンジェ親子に見送られて三人は店を後にした。


 *


 用事を終えると、リョウたちは屋台で羊肉を挟んだサンドイッチと蜂蜜ジュースを買って歩きながら食べた。

 羊肉を食べるのは初めてだったが、この癖のある肉はリョウは少し苦手だった。これが異世界独特の味なのかどうか、それとも羊肉というものは現実でもこういう味なのかは分からない。リョウは特に食事はお米じゃないと駄目だとこだわる人間でもないのでパンでも別にいいのだが――同級生の古賀は座右の銘だと言わんばかりにご飯派だと主張している――、これからしばらくこういう食生活なのかと思ったら少しげんなりした。

 と思ったら近く店で豚肉のソーセージが売られていたので、たまたまだったかなと思いなおす。リサに聞いてみれば羊肉は主にリゴンの牧畜で、ソーセージや燻製肉などの加工品は飛行船で輸入されたものだという。


「そんなことより、お前本当に何も食べなくていいのか?」


 サンドイッチを平らげて、制服のポケットとは違い若干狭そうにしているミナに声をかける。ミナ曰くあまり食欲がないらしく、だが別に具合が悪い訳ではないらしい。リョウの蜂蜜ジュースを少し飲んで満足したようだ。


「あんまりお腹も減ってないのよ。寒さも感じないし、変な感じ」


 ふーんと、リョウは曖昧な相槌を打つ。一応ミナ用に小さいパンを一切れ貰っているが、それも必要ないのかもしれない。



腹具合も満足した所で、一行は飛行船の発着場に到着した。近くで見るとコンクリートか何かのように見える装飾のない巨大な鉄の箱のような建造物に、ぽつんと小さく両開きの扉がつけられている。

 リョウにはそういう風に見えたのだが、扉は建物に比べると小さいだけで、近くで見れば横に五人ぐらい並んでも余裕で通れそうな大きなものだった。

 その扉を潜る。今日は予約をしに来ただけで実際に乗る訳でもないのに、何故かドキドキした。


 扉を潜ると大きな飛行船が目に飛び込んできた。やはり、圧巻だ。地面から少し浮いた所で停止しており、船底が開閉式になっているらしくそこから大量の荷物が搬出されていた。

 船底と、あとは建物の至る所に昇降機があり、人や荷物を乗せたエレベーターが忙しく動く様子は見てて面白い。


「すごい人……」


 ポケットの中から感嘆の声がかろうじて聞こえてきた。活気溢れるこの場所では漸く聞こえると言った程度だが、それにはリョウも心から同意する。

 作業している人たちはともかく、客らしき大勢の人、人、人。こちらは活気というよりも喧騒といった方がいいだろう。

 あちこちで大声や怒鳴り声を上げたりしている。何となく、何かトラブルがあったのだと想像できた。


「どうしたんだろ。何かあったのかな?」


 隣でリサも首を傾げている。やはり普通ではないらしい。

 リサは辺りをキョロキョロとすると、その辺にいた人を適当に捕まえて事情を聞きだしてきた。

 なんというか、知らない人に躊躇なく声をかけられるということに少し驚いてしまう。異世界だから、というよりも純日本人であるリョウは知らない人に声をかけることに若干の抵抗を覚えるタイプだ。

 そういう意味では、ミナも躊躇なく人にものを聞けるタイプである。女二人にいささか劣等感を覚えると、何だか自分が情けなくなってしまうリョウだった。

 もっともそんな感傷も、次のリサの一言で一気に吹き飛んでしまうのだが。


「なんか、ドラゴンが出たみたい」


 あまりにもさらっというものだから、危うく聞き流してしまうところだった。


「ど、ドラゴンっ!?」


 そりゃあ、ユニコーンがいるのだからドラゴンがいたっておかしくはないだろう。それでも驚くには十分値するものだが。

 話を聞いてみると、ドラゴンが出たと言ってもそれは近くなんかではなく、遠くにある山で巣を作ったとか、そういうことらしい。ただ、それが飛行船の航空ルートのど真ん中であるらしく、調査団を派遣し迂回ルートを構築するために今日は出船が出来ないということだそうだ。


 それで周りの人たちが騒いでいるらしい。皆が口々に急いでいる理由を叫びたてるが、職員らしき人たちは必死に説得するのみだ。

 だが早ければ明日の昼には第一便が発てる見込みらしく、結局リョウたちの予定は変わらないようだ。


「別館で乗船の予約ができるみたい。そっちにいこ」


 リサの言葉に頷き、リョウたちは来た道を戻る。

 未だに抗議を続けている人たちはどうするのだろうと、扉を潜る直前にもう一度振りかえる。乗客たちは身なりの良さそうな人ばかりだったが、その中で背中に弓を背負った旅人風の少女の姿が目に映った。

 その少女は、他の人たちとは違い大声を張り上げることはないが、両腕を組んで睨むようにどこかを見つめている様子はやはり苛々としているのか。

 弓を持った少女の一人旅。なんだか、ファンタジーだなぁと少しズレた感想を漏らし、リョウは扉を潜った。


 *


 チケットを予約する時に、驚く事が一つあった。

 通常乗船するのに予約というものの必要はないらしく、チケットを持っていれば定員など無視して船に押し込むというやり方らしい。それを聞いた時は大雑把だなと苦笑したのだが、問題はリョウの持っていたチケット。


 どうやら一等室とまではいかないが、個室をあてがわれる程のものらしく服屋でリサが言っていた船の値段よりも何倍もするチケットらしい。

 予約をすると言っていたリサも、そういう風に送り主から書かれていたことを覚えていただけで、チケットがそんな高価なものだったとは知らなかったようだ。真実を知って暫く固まっていた。

 リョウ自身もそれほど高いものだとは思わなかったので、服を売ったお金もあるしチケットは自分で購入しようかと提案したのだが、リサは断固として譲らなかった。


「それはもうキミたちにあげたものだから、それを返してもらうなんてできないわよ。だから、ちゃんとアリスに手紙を渡してね」


 可愛らしくウィンクをされて、リョウは少し頬を赤く染めながら、その好意を受け取ることにしたのだった。


 最後にやることは、宿の手配だ。この町は出稼ぎの為にたくさんの人が飛行船に乗ってやってくるらしく、宿泊施設に関しては特に問題はなさそうだ。

 いくつかある宿屋から適当に選んだのは、二階建てのこじんまりとした宿屋だった。他の宿屋は一階に酒場を経営しているところもあるのだが、ここはテーブルと椅子がちょこちょことあるだけで、酒は出してくれるが飲みたいなら酒場に行った方がいいと、髭を蓄えた初老の店主に言われた。

 もっとも、リョウは未成年なのでお酒とは無縁だ。それでもちょっと興味はあるので、へぇとか意味深に相槌を打っていると「お酒なんて飲んじゃ駄目よ」とミナに釘を刺されてしまった。


「別に、飲むつもりなんてねえよ」


 と強がりを言ってみたものの、少し残念だったのは否定できない。

 一緒にいたリサは特にリョウが酒を飲もうとしても気にしてなかったところから「未成年はお酒を飲んではいけない」という常識はこの世界にはないのかもしれない。


 一泊二百エルと、高いのか安いのかよく分からない値段を支払って部屋の鍵を受け取ると、この町でやることは終わりだ。

 空は朱色に染まり始め、夜の帳が降りてくる。そうなる前にリサとオットーはこの町を出なければならず、宿を取ったあと早々にオットーと合流し、門の前まで見送ることになった。


「色々とありがとうございました」


 ミナと揃って頭を下げると、リサとオットーは笑いながら手をヒラヒラとさせていた。


「それじゃあ二人とも、道中気をつけてね。近くまで来たらいつでも遊びにいらっしゃい」


「おうよ、俺たちユナスの民は、いつでもお前たちを歓迎するぜ」


 それぞれ馬とユニコーンに購入した物が入っているのだろう朝袋を括りつけて、二人は草原へと消えて行った。門番の人たちも見届けるのを待ってくれていたらしく、彼らの姿が見えなくなるまで門を開けていてくれた。


「それじゃ、宿に戻るか」


「うん!」


 気付けば陽も落ち、空には満点の星空が広がっていた。帰る途中で買ったソーセージを挟んだパンは格段に美味しかった。


 *


「お?」


「あら?」


 宿に戻った二人は部屋に入ると、思わずそんな声が上がった。

 部屋に入り、真っ暗な状態から明かりを得ようと壁伝いに歩き、その拍子に何かが手に当たると部屋に光が溢れたのだ。


「電気だ」


「電気ね」


 二人してそれをまじまじと観察する。現実世界のものよりは光量は少ないものの、それは確かに白色電球だった。


「うーん。この世界の文化レベルがいまいち分からん」


 そう言いながらリョウはベッドに倒れ込んだ。一日歩きまわっていたからヘトヘトだ。


「電気があるならもっと発展してても良さそうな気がするんだけどねー」


 とミナは備え付けの机の上に飛び移って言った。

 天井を見上げながらポケットをまさぐる。取り出した携帯電話を変えて時刻を確認すると、デジタルの時計表示は午前一時を示していた。


「時差は、十八時間ぐらいか? あーあ、電気があるなら充電器があれば良かったのに」


 どうせ異世界に電気なんてないだろうからと全く気にしていなかったのだが、あると分かると急に携帯電話の価値が一気に上がったような気がした。

 もっとも充電が出来た所で圏外なのだから役には立たないのだが。

 電池残量が78%と表示されている。ここに来る直前はほとんど寝てばかりいたので携帯電話を扱っていなかったお陰か、随分と余裕のある数値だ。それでも電池が勿体ないからと、リョウは電源ボタンを長押しして電源を切った。

 そんなリョウを見て、ミナは部屋の中を観察するようにキョロキョロと視線を動かしながら言った。


「充電器があったって、どうせ使えないわよ。見たところコンセントとかないし、電圧も違うんじゃない?」


 そういえば海外では電子機器の類はコンセントに刺しても使えないと聞いたことがある。海外に留学をしに行った友人が変電器というものを購入していたことを思い出す。


「まぁいっか。どうせ時計代わりにしか使えないし」


 万年圏外の携帯電話をぽいっと投げて、リョウは枕に頭を落とす。疲れたのか、隠すことなく欠伸を漏らした。


「目が覚めたら、全部夢だったらいいのにな……」


「夢ならとっくに覚めてるわよ。ふぁ、私も眠くなっちゃった」


 妖精の身体は寒さとか空腹とか感じていないらしいが、眠くはなるんだなと内心思う。そして自分がベッドを独占している事に気付き、ミナの寝床はどうしようかとふと思った。


「なぁ、ミナ。お前、どこで寝――」


 上半身を起こしてミナを見た瞬間、リョウは固まってしまった。

 うとうとと頭を揺らすミナが、僅かに発光している。そして、まるで風に吹かれて砂が飛んでいくように、ミナの身体が微塵になって消えていくのだ。


「ミナッ!?」


 リョウは慌ててベッドから飛び降り、ミナがいたはずの場所を凝視した。そこにミナの姿はなく、代わりに瑠璃色をした綺麗な石が残っていた。

 この石に、リョウは見覚えがあった。


「これ……ミナにやったペンダントの? 何だよこれ、どうなってんだ?」


 リョウは頭を抱えると、眩暈がして後ろ向きに倒れた。混乱のしすぎでくらっとする自分にも驚いたが、今はそれどころではない。

 ミナは一体どうなったのか。眠いと言っていたが、妖精の身体というものは眠くなるとこうなるのか? 朝になったらまた戻ってるのか?

 机の上に残っている瑠璃色の石を持ち上げる。何の変哲もないただの石ころなのに、まるで命が脈動しているかのような錯覚を覚える。


「ちゃんと元に戻るんだろうな……」


 思わず一人ごちて、机の上にそれを戻すと、リョウはベッドに腰掛けた。


「ハァ」


 深く溜息を吐き、頭を抱える。

 ミナにまた戻るならいい。だが、戻らなかったら?

 そうなったら、一人で旅を続けなければならない。リサもオットーも帰ったし、ここからは自分一人だけで。


 そう思った瞬間、リョウは形容しがたい孤独感に苛まされた。異世界で、自分の事を知る人は誰もいない。全てから切り離された孤独に心臓が押し潰されそうだ。

 昼間にミナが言っていたことを思い出す。自分はこんな状況でも随分と冷静だと。

 その時自分はこの状況を楽しんでいるからだと答えたが、それが間違っていたことに気付く。

 余裕があったのは、ミナがいたからだ。自分を知っている人がすぐ側にいたから。何かがあったらミナを助けないといけないと思っていたから。

 そのミナが消えた時、自分の心の拠り所がなくなってしまったことに気付いたのだ。


 不意にガタっと音が鳴り、リョウはビクッと肩を震わせた。風で窓枠が揺れただけだと分かりホッとするが、気が気ではなかった。

 リョウは明かりを消すと、ベッドの中に潜りこんだ。不安を押し込めるように、布団を頭から被った。明日、ミナが戻っていることを祈って、リョウはギュッと目を瞑った。

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