二.炎の獣
「ん……」
どのくらい眠っていただろうか。すごく長い時間かもしれないし、半日ぐらいは眠っていたかもしれない。少なくとも、目の前の光景を見てこれが一瞬の出来事だとは到底思えなかった。
「え?」
思わずそんな声が漏れた。窓が一つもない広い石造りの部屋で、壁にかかった何本もの松明が部屋の中を照らしている。向こう側にドアもない出口が見えるだけで、明かり以外は何もない。ただ、自分の居る場所は台座か何かのようで、他よりも少し高い位置にあった。明かりが多いせいか暗いとは感じなかったが、誰もいないこの空間は冬の寒さも手伝って冷たかった。
「どこだ、ここ? ミナ、ミナっ!」
記憶の残っている限りでは一緒にいたはずの幼馴染を探して、リョウは慌てて周囲を見回す。だが、いつも見知っているはずの幼馴染の姿が見当たらない。
「ん……」
すぐ下から可愛らしい呻き声が聞こえてくる。それがミナだと確信し、ホッと胸を撫で下ろすが、
「ミ――」
その姿を見て絶句してしまう。
「あれ、ここは……? え、ちょっ、きゃあああ!?」
ミナも自分の異変に気付いて悲鳴をあげた。
全裸だった。
一糸纏わぬ姿を晒し、慌てて胸と下半身を両手で隠す。
「ちょっと、何よコレ!? リョ――」
そして目の前にいるリョウを見て、ミナも絶句した。小学校までは同じ位の身長だったリョウは、中学になってからいつの間にか背は伸びて、今では頭一つ分くらいリョウの方が高いぐらいだったはずだ。
なのに、今リョウの頭はミナの十倍ぐらいの高さにある。ミナから見れば、まるで巨人だ。
「あんたっ、何でそんなに大きく――っていうかこっち見んな! あっち、あっち向いて!」
「お、おうっ……」
全裸のミナをじっと見つめていたことに若干の後ろめたさを感じながら背中を向けるが、決してやましさがあった訳ではないと心の中で弁明した。リョウの目を釘付けにした理由はミナが小さくなっているということもあるが、もう一つ、本人はまだ気付いていない変化が一番の要因だった。
「もう、これどうなってるのよ。ねぇ、リョウ。あんた、ハンカチか何か持ってない?」
「ハンカチなら、えっと……」
ポケットに入れていた藍色のハンカチを、振り向かないように後ろ手で渡した。ミナはそのしっかりとした生地のハンカチを受け取り、バスタオルのように身体に巻こうとして、
「ん?」
自分のもう一つの異変に気付いた。
「何これぇえええ!?」
身体に巻こうとしたハンカチが、背中で何故か引っ掛かるのだ。そして、肩の後ろから伸びる、生まれてから一度も感じたことのない妙な感触。
ミナの背中から、翅が生えていたのだ。鳥の羽のようなフサフサしたものではなく、カゲロウの翅のように薄い緑をした半透明なものだ。
「え、え、えぇええ!?」
その驚きようは尋常じゃない。自分の身体から翅が生えていれば誰でもそうなるだろうが。一方のリョウは、背後のミナの驚きっぷりに、逆に冷静になっていた。
ここはどこだろう。急に眠くなって、見知らぬ場所に放り込まれた。誘拐か拉致か、とにかくろくなものじゃないだろう。
だが、ミナの変化は一体なんなんだ? ミナは自分が大きくなったと思っているようだが、自分と違って服もないし翅が生えていたりと、変化があるのはおそらくミナの方だ。自分は学生服のまんまだし、念のため背中に手を伸ばしてみても何も生えていない。そういえば、鞄がなくなっている。
「リョウ、リョウッ!」
思案に耽っていると、後ろからやや苛ついた声が刺さった。
「もういいのか?」
「良くないけど、もういいよ」
どっちなんだと、内心思いながら振り向く。ミナはハンカチをバスタオルのように巻いているが、背中の翅のせいで胸がぎりぎり隠せる高さだった。肩口から顕わになっている絹のような肌に、思っていたよりも盛り上がっている女性の象徴たる膨らみが、子供の頃から培っていた幼馴染としてのイメージを崩壊させていく。
「ちょっと、ジロジロ見ないでよ!」
ミナが両手で胸元を隠したことで、不躾に見つめていた事に気付く。
「わ、悪い」
慌ててそっぽを向くも、実際目のやり場に困るのだから、どうしたものかと溜息を吐いた。
隣――というよりもリョウが腰を降ろしている下で、リョウのものとは別の意味の溜息が聞こえてくる。
「ここ、どこかしら。身体もちっちゃくなってるし、ワケ分かんない。とりあえず、ここから出た方がいいのかな? ねぇリョウ、運んでよ」
ミナ自身小さくなった自覚があったようだ。そしてその小さい体では出口まで歩くのは一苦労だというのも分かる。だが、リョウには一つだけ気になる事があった。
「なぁ、ミナ。お前、飛べないのか?」
ミナは思いっきり顔をしかめた。
「は? 飛べる訳ないでしょ! ……ん? 私、飛べるの?」
「いや、知らんし」
翅があるんだから飛べるんじゃないかと思ったのだが、ミナはそういう発想自体思いつかなかったようだ。
「ん~~~」
可愛らしい声を出して、ミナはぎゅっと握り拳を作って唸っている。何をしているのだろうかと思ったが、わずかに動く翅を見て、飛ぼうとしているのだと分かった。
だが、なかなか動かない翅を必死に動かそうとする様は、可愛らしくもあるのだが、それは巣立とうとしている雛鳥というよりも、卵を産もうとしているウミガメのようで、そんな非常にシツレーなことを考えて思わず吹きそうになった。
「ダメ、全然動かない……ちょっと、リョウ。あんた何笑ってるのよ、あんたが飛べるっつったんでしょーがっ!」
「いや、悪い。ほんとごめんマジごめん。分かったよ、じゃあとりあえず肩にでも掴まっとくか? ほら、乗れよ」
と、右手を差し出す。ミナはぷりぷりと怒りながらリョウの手によじ登った。あまりの軽さに内心驚きながらも、手を肩まで持ち上げようとして、そしてミナが悲鳴を上げた。
「ちょっ、すとっぷすとっぷ! 怖っ、怖い! ゆっくり、ゆっくり上げて! っていうか肩とかムリ、怖すぎる!」
がしっと中指に捕まるミナは可愛いのだが、こそばゆいのであまり動かないで欲しいと内心思う。
だがよくよく考えてみれば小さい身体ではこの高さは恐怖だろう。どうしてものかと首を捻る。
「ポケットは? 何か入ってる?」
指にしがみついたまま頭を向けてくるミナの提案を受けて、手をゆっくりとポケットに近付ける。恐る恐るといった様子で手の平をゆっくりと移動し、そしてポケットの中に飛び込むと、ぴょこんと頭だけ出した。
「ふぅ。ポケットって、案外広いのね」
それはお前が小さいからだ、と内心で突っ込んで、あまり揺らさないように立ち上がる。それでもミナにとってはおおごとのようで、身を縮めて眼下を見下ろせばビルの五階分ぐらいはありそうな高さに卒倒しかけていた。
「んじゃ、とりあえずここから出るか」
今いる石造りの台座の上から、五段ほどしかない緩やかな階段を降りる。一段降りるだけでも振動が伝わるようで、わっ、わっ、とポケットから悲鳴が聞こえてきた。
「ちょっと、レディがポケットにいるんだから、もうちょっとゆっくり降りてよ」
「いや、そんなこと言われても……ん? なんだ?」
階段を降り切ると、目の前に異変が起こる。部屋の中央に、いきなり光る何かが現れたのだ。それはリョウよりも一回り大きいぐらいの光の円で、中心に変なアラビア文字のようなウネウネとした紋様があった。アラビア文字なんて二人とも分からないけれど、どちらも似たような感想だった。
「何あれ?」
「さあ、なんだろな」
マジマジと見つめていると、やがて変化が訪れる。文字の外側の円がゆっくりと動き出したのだ。リョウはビクッと後ずさる。ポケットの中のミナがポケットの端を掴んで身を縮めた。
回転する円は徐々にその速度を増していき、やがて中の文字が見えなくなるぐらいの早さになると、それは円ではなく球体となっていた。ぶおん、ぶおんと、某SF映画に出てくる光る剣を連想させるような音が鳴る。
一体なんなんだと目を凝らしていると、球体を作っていた円は徐々に速度を緩めていった。
「いいっ!?」
そして、リョウは目を見開く。球体の中から姿を現したのは、リョウの知識の中で最も近い動物でいうならライオンだった。
ただ良く見れば、細かいところが違う。背中にコウモリのような羽が生えていて、足が六本ある。毛色はライオンに近いが、たてがみはライオンのそれよりも赤く、首回りだけではなく背中にまで伸びている。
そして、ライオンなど小学校の頃に親に連れられて言った動物園で見たぐらいだが、リョウの知っているライオンよりも二回りぐらい大きい。部屋の中央で六本足で立つライオンとリョウの目線の高さはほぼ同じだ。
「な……な……な……」
言葉にならない声が漏れ、一歩、また一歩と後ずさると、降りたばかりの階段に足を引っかけて尻もちをついた。
「痛っ!」
「きゃあっ!」
ポケットからも悲鳴が聞こえてくる。今のは転んでしまったせいだと思うが、目の前の獣に怯えているのも要因だろう。それはリョウも同じだ。まるでライオンの檻の中に閉じ込められた気分、というのが比喩ではなく現在進行形で起こっているのだから泣きそうになる。
唯一幸いだったのが、ライオンが未だに動こうとしないことだった。その間にリョウは台座を尻もちをつきながら登り切り、ゆっくりと立ちあがった。あまり目立ちたくないと思い中腰の姿勢を保つが、ぶるぶると震える足のせいでただのへっぴり腰になっているし、事実ビビっている。
台座の奥側は壁になっていて、前は階段、左右はおそらく何もない。何も改善しない状況に絶望だけが残る。こめかみに汗が流れても、拭うことも出来ないぐらい固まっていた。
リョウがそうなっているように、ミナもポケットの中で縮こまっていた。一言も喋らない。二人とも考えている事は一つ、どうか自分たちに気付かずに、開けっぱなしになっている出口から出ていってください。
そんな二人の願いとは裏腹に、ライオンの周囲を囲っていた円が消えると、ライオンは脇目も振らずにリョウを見た。目が合って、リョウはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「グルルルル」
唸り声はライオンそのものだ。威圧するようにライオンが一歩一歩近づいてくる。そして台座の階段の前まで来ると、後ろ脚を大きく蹴って飛びかかってきた。
リョウは全く動けなかった。あまりの恐怖に体の動かし方を忘れてしまったかのようだ。迫りくる猛獣を、どこか他人事のように眺めていた。
「リョウッ!」
ポケットからの叫び声に我に返る。そしてほぼ目の前まで来ていたライオンの前脚が振りかぶられ、リョウは身を低くして左側に飛んだ。ライオンは壁にぶつかって、そして建物全体が大きく揺れた。頭からぶつかった岩の壁にはヒビが入っており、振動で壁にかかっていた松明のいくつかが落ち、カランカランと乾いた音を鳴らした。
台座を転がり、そして高さ一メートルほどの台座から転げ落ちた。背中から落ち、若干の痛みに顔をしかめるも、思っていたよりも衝撃は少なく、すぐに立ち上がった。
そして、ポケットにミナがいることを忘れいて、転がり回った拍子に押し潰してはいないか不安になる。嫌な汗が流れた。ミナを入れていたはずのポケットを見れば、そこには何もなかった。
「ミ――」
「リョウ!」
リョウの叫びを遮って、ミナの声が部屋に響いた。とりあえず潰していないことに安心して、そして周囲を見渡す。床にはどこにもいない。台座の上に残っているのだろうかと上を見上げると、ミナを見つけた。ただし、台座の上ではない。
「ミナ、飛べたのか!?」
背中の翅をパタパタとさせて宙に浮いているミナは、身体に巻いているハンカチが外れないようにしっかりと掴んで、そして慌てて言った。
「そんなことよりっ! くる、くる!」
そのまま高く舞い上がる。それと入れ違いに、ライオンが姿を現した。
「うわわっ!」
リョウは慌てて後ろに飛び退き、そして先ほどの振動で落ちた松明を拾い上げる。動物なら、火が苦手なはず!
まるで頼りがいのない松明を、だがしっかりと辺りを照らすそれを盾にしてライオンに立ちはだかる。これが剣なら勇者様か何かなんだろうが。
実際に火を目の前にした動物の反応なんてものは、リョウは知るはずもない。漫画か何かであれば怯み、戸惑いを見せるものだが、現実で表情の乏しい動物たちの反応を推し量ることが出来るかは謎だ。
だが、目の前のライオンの反応は分かる。まったくの無反応だった。火を前にしているというのに、そいつは火などお構いなしと言わんばかりに突っ込んできた。
「うわあっ!」
思わず手に持った松明を投げつけると、六本足のライオンは中足と後ろ足の四本足で走り、残りの足を使ってまるで虫を叩き落とすかのような動作で松明をぺしっと叩いた。
「んなぁ!?」
「リョウ!」
もう避ける余裕はない。ライオンは覆いかぶさり、リョウの身体に鋭い爪を突き立てようと太い前脚を振り下ろす。
「リョウーッ!」
上からミナの悲痛な叫びが聞こえてきた。圧倒的な体格差で覆い被さるライオンの前脚を、同年代の一般的な男子の腕が受け止める。勢いに負け、押し倒された。
頭の中は恐怖で一杯だった。来るな、来るな! ライオンの中足に腹を抑えつけられて、前脚はリョウの腕を塞いでいる。そして、ライオンの口が大きく開く。不揃いの鋭い牙がリョウの喉元に穴を開けようとしていた。
――死にたくないっ!
リョウは必死の思いで、右足をライオンの胸の辺りまで持ち上げて、拒否するように思いっきり蹴った。すると、今までのしかかっていた重みが消えて、ライオンは台座の横の壁まで吹き飛んでいった。
「え?」
頭上からミナの間抜けな声が聞こえてきたが、それはリョウも同じ心境だった。よくよく考えれば、あんな大きな獣にのしかかったにしては、思っていたよりも重さを感じなかった。
――こいつ、もしかして力が弱い?
壁まで吹き飛ばされたライオンがゆっくりと立ち上がった。その目は警戒の色を見せている。蹴り一つで遠くまで吹き飛んだライオンを見て少し余裕が出てきたのか、リョウはそれをのんびりと眺めていた。
だが次の瞬間、リョウは驚きのあまり呆然としてしまう。ライオンが口を開いたと思ったら、その口が妙な光を帯び出したのだ。もはや咥内に納まらない光は、ゴウゴウと燃え盛る火炎のように見えた。
「ガルッ!」
短い咆哮の後、ライオンの口から飛んできたのは火の弾だった。人の頭一つ分ぐらいありそうな火炎が、弾となってリョウに襲いかかった。
「うそぉっ!?」
あまりの現実離れした光景に一瞬硬直しつつも、リョウはそれを髪一重に避けた。横を通り過ぎる火炎弾の熱気はまさに本物。火炎弾はそのまま背後の壁に衝突し、壁を壊して出口を塞いでしまった。
その火炎弾のあまりの威力に戦慄を覚えるが、第二第三の火の弾を前に呆けている余裕はない。命を駆けたドッヂボールにより、部屋の中はどんどん破壊されていった。
「リョウ!」
上からミナの心配そうな声が聞こえてくる。確かに見ている方は心臓に悪いかもしれないが、リョウは精神面をすり減らすという点を除けば割と余裕だった。どうにもこの部屋に連れてこられてから身体の調子がいい。もともと運動神経の良い方ではなかったが、割と早く見える炎の弾も難なく避けられる。まるで自分の背中にも見えない羽が生えたかのようだった。
ただ、ミナが声をかけたのはまずかった。ミナの声に反応したのか、ライオンは火炎弾の目標を変えた。部屋の中央辺りで、付かず離れずの位置を保っていたミナに標準を合せたのだ。
「ミナッ!」
思わず叫んだ。ミナはそこまで速く飛べる訳ではなく、それに身体の小さいミナにとっては自分の体よりも大きい火の弾を避けるのは難しかった。
「キャァッ!」
「ミナッ!」
直撃した。炎の弾はミナと衝突して弾け、炎の華を咲かせた。
呆然と立ち尽くした。息も出来ない。舞う火の粉が重力に従って落ちていき、炎が空気に溶け込むように消えると、そこにはミナが何事もなかったかのように無傷で宙に浮かんでいた。
「え?」
リョウの声に、じっと目を瞑っていたミナも遅れて自分が無事だったことに気がついたようだ。
「え? あ、あれ?」
困惑した様子で自分の身体を見つめている。火傷の一つもないどころか、身体に巻いたハンカチにも焦げの跡すらない。
「あ、リョウ! あれ!」
ミナがライオンの方を指差して叫んだ。リョウはまた火炎弾が来るものだと身構えたが、撃ち止めだったのかそれが再び飛んでくる事はなかった。そして、ミナが気付いた異変。ライオンが全身に淡い光を帯び始めたのだ。
「今度はなんだよ」
勘弁してくれと心で呟き、少しずつ離れながら警戒する。火の弾の次はなんだと、目を凝らして観察する。
ライオンは光を帯び、そしてその身体が光の砂のように空中に溶けていった。
「へ?」
ミナと声が合わさる。先ほどまでライオンが居た場所は、何もないただの空間になっていた。
まだ何かあるんじゃないかと周囲を見回しても、そこにあるのは静寂だけで、ただ壁や床が破壊された跡だけが残っていた。
「消えた……?」
ふー、と息を吐いてその場に座り込んだ。
「リョウ、大丈夫?」
心配そうな声を出しながら、ミナがゆっくりと降りてきた。目の前でパタパタと羽を震わせるミナはピーターパンに出てくるティンカーベルのようだったが、そんなに可愛らしいものじゃないなと頭を振った。
「お前こそ、大丈夫なのか。あの火の玉、当たったんじゃなかったのか?」
リョウが首を傾げていると、ミナもうーんと悩ましげに唸る。
「私も分かんない。熱くもなんともなかったし。それより見て、ほら。飛べるようになったわよ」
とリョウの周りをクルクル旋回し始める。リョウはそれを若干羨ましそうに見つめていた。
「それにしても、なんでまた急に?」
ミナが顔の前でピタッと止まる。
「分かんない。リョウがあの上から転がり落ちた時に私もポケットから落ちちゃって、そしたら飛んでた」
「説明になってないし」
ふぅ、と溜息を吐いて立ち上がる。もう一度周囲を見渡して、先ほどのライオンの火の弾で崩壊してしまった出口の方を見た。
「これからどうするの?」
ミナが顔の高さまで飛んできて、心配そうな声を漏らす。
「とりあえず、ここから出るしかないだろ」
崩れたところまで歩いて、リョウはふうと溜息を吐いた。見た限りでは、出口の先は長い通路のようになっていた。天井が崩れたのでなければ表面だけが崩れただけだ。
崩れて出来た山をよじ登って、リョウは壁の破片を取り除く作業に取りかかった。上の方から石を持ち上げて、その辺に放り投げる。地味な作業だが、出るためには仕方がない。
それにしても、とリョウは違和感を覚えていた。
石が軽い。まるで発泡スチロール、とまではいかないが、見た目と重さのギャップに、思わずこれがドッキリか何かなのではないかと疑ってしまう。
だが一体誰が好き好んでこんな大がかりなドッキリを仕掛けようというのか。それに先ほどのライオンは作り物とは思えないほどリアルだった。押し倒された時のことを思い出し、思わず身震いした。
持ち上げた石を放り投げると、ゴロゴロとその軽さに似合わぬ音を立てて転がっていった。
*
岩の除去作業を始めてどれくらい一時間が経過した。時間はリョウのポケットに入っていた携帯電話で確認済みだ。もっとも、圏外だったのは予想通りだったので二人とも何も言わなかった。
時刻は午後七時三十分。この部屋で目が覚めたのが大体六時半ぐらいだとすれば、公園のところで倒れてからほとんど時間は経っていなかったことになる。
「お」
少し大きめの岩を取り除いたところで、隙間から真っ暗な空洞が見えた。
「繋がった?」
最初は部屋をグルグルと飛んでいたミナも、途中で飽きてきたのか台座でゴロゴロとしていたのだが、リョウの声に反応して文字通り飛んできた。作業の手を止めていたリョウは振り返り、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ああ、あと少しだ。あー疲れた」
汗を拭って、岩を除去するペースを上げた。頭上で「がんばれー」と気の抜ける声に気力を削がれながら、さらに十分ほどで人一人が通れるくらいの穴が確保できた。
「これで十分だろ。ちょっと休憩させて」
瓦礫の山から降りて、ふぅと石床に腰を降ろした。そして手頃な石の破片を掴んで、断面をまじまじと観察する。軽い割には普通の石だ。作り物のような感じはしない。
頭上で何をしているのかと首を捻っているミナを余所に、リョウは床に腰を降ろしたまま手に持った石を大きく振りかぶった。見た目だけは重そうな石は、まるで野球のボールのように約三十メートル先にある壁まで一直線に飛んで、そしてゴツンと激しい音を立てて壁と衝突し、床を転がった。
「すご……」
ミナが驚いているが、リョウも同じだ。まさかあんなに飛ぶとは思ってもみなかった。
「あんたって意外と力持ちなのね」
しきりにミナが感心している。
「いや、石が見た目よりも軽いんだよ。ほら」
とミナでも持てそうな角砂糖ぐらいの大きさの小石を手の平に乗せる。ミナはリョウの手の平に着地すると、両手でそれを抱え上げようとするが、小石はうんともすんともいわない。
「すごい重いじゃない! こんなの持ち上げるなんて無理よ」
「それはちょっと非力すぎるんじゃないか?」
「あんた、私が今こんな身体ってこと忘れてるんじゃない?」
手の平の小石に座って、ミナは頬を膨らませた。よくよく考えてみれば角砂糖程度の大きさでもミナにとっては大岩のようなものだ。自分のサイズで考えれば膝上ぐらいまである岩になり、なるほど確かに思慮が浅かった。
「分かったよ。んじゃ、そろそろ行こうか」
ミナは頷いて翅を羽ばたかせる。リョウもパンパンと手を叩いて、そして再び瓦礫の山を登りだす。
「よし、行こう」
不安がなかったわけではない。通路を歩いていて先ほどのライオンみたいなのがガバッと出てくるんじゃないかという恐怖もあった。
だが、この部屋に残っていてもろくな事がないことは分かっていたし、何よりもここがどこか分からないということが一番の不安を駆り立てていた。
リョウは通路に足を踏み入れる。大人が二人並べるぐらいの通路の先には光が見える。
その先に何があるのか。ここは一体どこなのか。リョウとミナは互いに見合わせて頷き、その足を進めるのであった。