表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の世界のドレアムド  作者: 長月チャカ
2/6

一.夢か現か

 チチチと歌う雀の囀りと共に、箱崎リョウは目を覚ました。あまり寝起きがいいとは言えないリョウは、二、三度その場で寝がえりを打った後、青と白のチェック柄の布団を持ち上げて上半身を起こした。

 大きな欠伸が冬の冷たい空気の中に溶け、カーテンを開くとまだ陽が出る前のようで少し薄暗かった。いつもより少し早く起きたということは、いつもなら鬱陶しいぐらいにけたたましく鳴り響く目覚まし時計が大人しくしていることで分かるのだが、どうにも血液が頭に昇り切っていないらしく、朝焼けの空をしばらく見続けてから貴重な睡眠時間を無駄にしたことに気付いた。


 時計を見れば午前六時三十分。通い始めてから八カ月が経とうとしている東坂高等学校のホームルームが始まるのが八時二十分で、学校まで歩いて二十分とすれば、少し早い時間だった。

 二度寝をするのは微妙な時間だと、上半身を起こしたまま肩を落として、そしてつい先ほどまで見ていた夢のことを考える。


 ――変な夢だったな。


 お城の中。変な男と巫女と女騎士が魔法と剣で戦って、最終的には女騎士が男の首を切り落として、


「うへぇ」


 そこまで思い出してリョウは唸った。

 その夢の光景はもうあまり覚えてはいない。そこにいた人たちの顔は思い出せないし、何かを話していたような気もするが何を言っていたのかも覚えていない。

 ただ、夢を見ていた時は妙なリアルさを感じていたのは覚えている。まるで自分がその場に居合わせたような……。


 リョウは視線を自室にあるテレビの方に向けた。ゲーム本体から伸びるコントローラーが机の上に無造作に置かれている。昨日深夜までやったゲームのせいかな、と一人納得し、リョウはベッドから這い出ると冬の寒い空気に肩を震わせた。



「ふぁ……」


 寒空の下の登校中で、思わず白い息が口から漏れた。

 朝早くに起きたのでコーヒーを二杯飲んだというのに妙に眠気が取れない。もっともリョウはコーヒーを飲んでも眠れなくなる体質ではないのだが。


「おはよう、リョウ。あんたまた夜更かししたの?」


 隣から馴染みのある声が聞こえてきて、リョウは寝ぼけ眼をそちらに向けた。

 

「ミナか、おはよう。別に夜更かしはしてないんだけどな、ちょっと早起きしすぎただけ。なんか変な夢見ちゃって、目が覚めた」


 子供の頃から家族ぐるみで付き合いのある、幼馴染の千早ミナがリョウの顔を覗き込んでいた。

 薄い茶色の髪が肩にまでかかっている。リョウの通っている学校はそこまで厳しくないのでこの程度の色なら怒られることはない。別のクラスの赤間律子は以前髪を真っ赤にしてこっぴどく怒られていたが。

 ぱっちりな目がリョウの顔を映して、"変な夢"という部分に食いついた。


「変な夢って、どんな夢?」


「それが全く覚えてない」


「なにそれ、覚えてないのに変な夢だったの?」


「う~ん、そう言われるとそうなんだけど」


 起きた時はかろうじて朧気だった夢の記憶も、今ではほとんど思い出せない。ただ変な夢だったという記憶だけが残っていた。

 夢の内容をほじくり返そうとしてもなかなか思うようにいかない。ミナはその夢の内容がいやに気になっているらしく、夢に誰がいたとか、空を飛んだりしたのかとか、色々とリョウの脳内を引き出そうと苦戦していたが、結局それぞれの教室に行くために諦めざるを得ないのだった。


「じゃあね。随分と眠そうだけど、授業中に居眠りなんてするんじゃないわよ」


「分かってるよ」


 正直言って眠らない自信はなかったが、リョウはめんどくさそうに階段を一段ずつ登り始めた。

 ミナの教室は二階にあり、リョウは三階だ。気だるげな体に鞭を打って階段を登っていると、


「リョウっ!?」


 背後から焦った声が聞こえてきて、リョウは振り返った。

 とっくに視界から消えていると思っていたミナはまだ階段下におり、何故か呆然とリョウを見ていた。


「ミナ?」


 リョウが声をかけると、ミナはハッと我に返ったようだった。


「あ、うん。ごめん、なんでもない。じゃあね」


 慌ててその場から去るミナの様子に、リョウは少し首を傾げた。自分に何か変なところでもあったのかと自分の体を見たが、結局何も変わったところはない。

 頭にはてなを浮かべ、教室が二階のミナが羨ましいと思いながら、自分のクラスに向かうために階段を登るのだった。


 教室に着くとやかましいばかりの喧騒が聞こえてきて、眠気が常に襲ってきているリョウには若干辛いものがった。

 クラスの席替えで勝ち取った窓際という好スペースにある自分の席に着くと、隣の席に座っている友人の古賀がリョウに気付いて声をかけてきた。


「よう、おはよう……なんかえらい眠そうだな」


「実際眠いんだよ。夜更かししたわけじゃないんだけどな。とりあえず寝るわ、先生来たら起こして」


 そのまま突っ伏した。眠くて、眠くて仕方がない。なのに、目を瞑っても眠れなかった。依然眠気ばかりが襲ってきて、なのに眠れないというのは、思いの外キツいとリョウは思った。

 結局、眠れないまま先生がクラスの戸を開く音でリョウは頭を起こした。隣で古賀も一瞬リョウを見たが、特に気にすることもなく前を向くのだった。


 一時限目が担任の先生の授業だったので、ホームルームから続いて授業に入った。だがリョウはあまりの眠さに、いつホームルームが終わって授業が始まったのかも分からないぐらいだった。頬杖をついてウトウトとする。とてもじゃないが授業の内容など頭に入ってこない。

 もう諦めて、先生に怒られるの覚悟してリョウは再び机に突っ伏した。もう、頭を持ち上げる気力もない。目を瞑り、眠気に身を任せる。意識がまどろんでいるのかどうかも分からなかった。


『――やあ』


 リョウは驚いて、がばっと頭を起こした。反動で椅子が後ろの机にぶつかり、机もがたんと音を鳴らした。授業中だったクラスが静まり返り、皆がリョウに注目している。

 リョウは若干息を荒げ、先ほどみた夢を思い返していた。光景というよりも、顔だ。凹凸の少ないのっぺりとした顔に、死人のような青白い肌、死んだ魚のようにぎょろっとした灰色の目。昨晩の夢で見た、あの男だ。あの男の顔が、自分を覗きこむようにして、声をかけてきたのだ。


「お、おい。箱崎、大丈夫か?」


 先生が自分を心配そうに見ていて、自分がおかしいことに気付く。まるでマラソンでも走ってきたのかと思うほどに汗が噴き出て、だというのに体の芯は冬の空気とは別に冷え切っていた。


「すいません、体調が悪いので保健室にいってきてもいいですか?」


 体調が悪いといった割には、はきはきとした口調だった。それでも先生が駄目だと言わなかったのは、それほど顔色が悪かったということだろう。誰か連れて行けと先生が言うと、古賀が付き添ってくれた。

 一階にある保健室まで行くと、よほど顔色が悪かったのか保険医の先生がリョウを見て驚いていた。保険の先生のイメージをそのまま映したような優しそうな女の先生は、タオルで汗を拭いてくれて、その後熱を測るように指示してきた。隣で古賀は口を開くこともなく、先生に介抱されているリョウを羨ましそうに見ていた。


 熱はなく、体調はどうかと聞かれて、身体がだるいとだけ答えた。そういえば、いつの間にか眠気が消えていることに気付く。

 何かの病気という訳でもなさそうなので、保健室のベッドで休ませてもらうことになった。体調が悪いままなら帰ってもいいと言われて、ベッドを囲っているカーテンが閉められた。カーテンの向こう側では先生と古賀が何か話しているようで、ドアが閉じられる音がしたのはきっと古賀が出ていったのだろう。


 ふう、と溜息を吐く。一体、あの夢はなんだったのか。いくら悪夢だとしても、まるで漫画のように汗が噴き出るなんて普通じゃない。何よりも、そこまで怖い夢でもなかった。


 ただ、リアルだった。


 夢の中の人物だというのに、まるで現実に存在するかのような錯覚がリョウの頭を混乱させた。乗り物に弱い人は動いている景色と動いていない自分との違和感で酔うらしいが、リョウの場合は現実と夢の区別がつかず、それで酔ってしまったかのかもしれない。

 保健室のあまり質のいいとは言えないベッドに横たわっていると、再び眠気が襲ってきた。またあの夢は見たくないと思ったが、抵抗虚しくリョウの意識は夢の中に沈んでいくのだった。



 先週から告知されていた通りに数学のテストが行われていた千早ミナのクラスは、カリカリと答案用紙に答えを記入することで皆が精一杯だった。試験時間の半分を過ぎたというのに、未だにミナの答案用紙は半分しか埋まっていない。

 ミナは別に数学が苦手だとか成績が悪いとかそういうことはなく、むしろ成績はいい方だ。なのに筆が進まないのは、今朝リョウに感じた違和感が尾を引いているからに違いなかった。


 やたらと眠そうなリョウは、確かにいつもとちょっと様子が違ったけど、寝不足なら誰もがこうなるだろうという程度で、それだけなら特に何かを思うこともなかった。

 ただ、階段を登っていくリョウの背中が、薄らと透けたような気がして、気味が悪かった。存在が希薄になり、そのままどこかえ消えてしまいそうな不思議な感覚だった。

 思いがけず声をかけたものの、当のリョウはなんでもないようにケロッとしていたのでミナは慌てて誤魔化したのだが、妙な胸騒ぎが止まらない。気のせいだ、と納得できない自分がいる。こういうのを、虫の知らせというのだろうか?


 結局テストは空欄をいくつか残したまま提出することとなった。テストの出来が悪かったことよりも、リョウのことが気になって仕方がない。

 残りの授業も頭に入らず、昼休みになっていつもお弁当を一緒に食べている友達の誘いを振り切って、すぐにリョウのいる教室に向かった。時間が経てば経つほど、不安で胸がいっぱいになる。

 教室の前で中を窺うと、リョウが座っているはずの席には別の女の子が座って友達とお弁当をつついているのが見えた。それを見て、不安が一層広がる。


「あれ、千早さん? もしかしてリョウを探してる?」


 不意に声をかけられて、ミナは振り返った。声をかけてきた古賀とは、リョウと仲がいいということもあってそれなりに親交もある。

 ただ――これは古賀に限ったことではないのだが――幼馴染ということで仲の良い二人を、何か特別な関係だと思っている節がある。だからか、妙に古賀がニタニタと笑いを堪えようとしているのが目に見えた。


 もっともミナはそういう態度には慣れっこで、古賀の思惑には触れてやろうとは思うはずもなかった。


「古賀君。リョウがどこいったか知ってる?」


 古賀は「やっぱりか」という表情を、隠すつもりもないらしい。


「あいつなら、一時限目で体調悪いって保健室に行ったよ。今見てきたけどまだ寝てた」


「え、体調悪いって、どうかしたの!?」


 焦った様子で問い詰めるミナに、古賀は驚いて一歩後ずさった。まさかそこまで心配しているとは思わなかったのだろう。


「いや、別に大したことはなさそうだよ? 熱もないらしいし、風邪じゃないっぽいし」


 そう言われても、不安が拭えないのは何故だろうか。実はリョウがとんでもなく重い病気にかかっているんじゃないか、という考えも浮かんで、縁起が悪いとすぐに打ち消した。


「そっか。うん、わかった。ありがと」


 素っ気なくお礼を言って、少し駆け足気味で別れた。遠くで階段を降りていくミナを見届けて、きっと保健室に行ったんだろうなとあたりをつけた古賀は、


「青春だなぁ」


 と呟いた。



「失礼しまぁす」


 恐る恐る、といったようにミナは保健室の戸を開いた。そういえば、保健室に来るのは初めてだと、中の様子を見てふと思った。案外質素な部屋だ。いや、保健室というものはそういうものだろう。部屋の中心に小さな机と椅子があって、棚にあるプラスチックの容器は、多分薬品だ。目に入ったものはそれぐらいで、先生の他には誰もいないようだった。


「こんにちは。どうかした?」


 部屋の奥の方にある事務机で作業をしていたらしい先生は、ミナに気づくと手を止めて、そしてにっこりと笑った。


「箱崎くん、います?」


 未だにドアから半分だけ体を出して、中をキョロキョロしながら尋ねた。少なくともこの部屋にリョウはいないようだが、奥の方に部屋が続いているから、もしかしたらそっちにいるのかもしれない。

 その考えはどうやら当たりだったようだ。


「いるわよ。奥の部屋で寝てるけど、何か用だった?」


 ミナはぶんぶんと首を横に振った。


「い、いえいえ。ちょっと心配で見にきたんです。奥の部屋、入ってもいいですか?」


「いいけど、起こさないようにね。別に、もう大丈夫なのかもしれないけど、随分と具合も悪そうだったしね」


 許可を貰ってホッと胸を撫で下ろし、部屋に入って後ろ手でドアを閉じた。


「そんなに具合悪そうだったんですか?」


 保健室の中を歩きながら尋ねと、先生は苦笑しながら言った。


「あら、同じクラスじゃないのね。そりゃあ、酷かったわよ。それこそゾンビか何かって思うぐらい」


 可愛らしい先生だが、その例えは保険医としてどうなんだと内心思いながら、苦笑いをしつつ先生の隣を通り過ぎて隣の部屋に入った。

 いくつかベッドがあって、手前の一つがカーテンで仕切られている。音を立てないように中を覗いてみると、リョウが幸せそうな顔をしてすぅすぅと寝息を立てていた。


 その顔を見て、なんだか気が抜けてしまった。完全に取り越し苦労で、気を揉んでいた自分に呆れてしまう。

 リョウの寝顔に安心すると、急にお腹が空いてきた。そういえばお昼休みに入ってから何も食べていないのだ。お昼ごはんを食べられなかった腹いせにリョウの頬を人差し指で突いてやると、リョウはそれを避けるように反対側に寝返った。


 クスクスと笑って、もうちょっと遊んでいたい衝動に駆られたが、これ以上やると起きてしまいそうなので辞めておいた。さて戻ろうかと思ったところで、胸元がチカッと光ってミナは目を瞬かせた。

 先ほどリョウの頬を突いた時に、胸元からネックレスが顔を出してしまったらしい。紐で結ばれた先に、綺麗な瑠璃色の石がぶら下がっている。これは子供の頃、リョウと喧嘩した時に仲直りの印としてもらったものだ。もともとリョウの家にあったものらしく、宝石の類ではなくただの石だったので貰うことにも特に躊躇はなかった。もっとも、リョウにとっては「取られた」という表現をしているようだが、ちゃんと同意の上である。


 チカッと光ったのは、外からの光が反射したからだろう。ミナはカーテンを閉めると、そそくさと部屋を出た。


「まだ寝てた?」


 先生が尋ねてきたので、ミナはこくりと頷いた。


「はい、小憎らしいぐらいに幸せそうな顔してました。心配して損しました」


 あははと笑いながら言うと、先生もつられるようにして笑った。


「それはそうと、え~っと……」


 手に持ったボールペンでミナを指しながら言葉を濁す。


「千早です」


「千早さんね。千早さんは、彼とどんな関係?」


 随分とはっきり言ってくる人だ。仲の良い友達でもここまでストレートに聞いてくる人は久しぶりだった。


「友達ですよ。親同士が同級生だったらしくて、昔から家ぐるみでの付き合いがあったんです」


 ただ、そういう質問は慣れっこなので、特に慌てる事もなく言った。リョウもそうだと思うが、どうも昔から一緒にいると異性としてみることに違和感がある。きっと、互いに子供だと思っているのだろう。それはそれで癪だと思ったが、それもやはりお互い様かと思い直した。


 先生は唇に手をあてて、ふ~んとミナの目をじっと見つめた。


「じゃあ、家は近かったりする? っていうか、家はどこ?」


「家は、まぁまぁ近いですよ。私、家が西区にある神社なんですよ。で、リョウ――箱崎くんの家はそのちょっと手前です」


「ああ、あの神社」


 先生がぽんと手を叩いた。


「あそこの神社、よくお参りにいくんだけど、階段がキツイのよね。どうにかならないかしら?」


「さ、さぁ……多分、どうにもならないかと」


 この先生、冗談を言っているのか天然なのかいまいち分からない。今までの発言を聞くと天然のような気がするのだが。

 苦笑いをしながら答えると、「そうよねぇ」と先生の方も笑っていた。


「箱崎くんは帰れそうならそうしてもらうけど、放課後まで寝たままだったら送っていってあげてくれないかしら? それとも、部活とかやってる?」


 ああ、そういうことかと、ミナは思った。


「部活は一応弓道をやってますけど、でも別にいいですよ。そこまで厳しい部でもないんで」


「そう? なら助かるわ。今の発言は東郷くんには秘密にしといてあげる」


 いきなり部長の名前が出てきたことに目をぱちくりとさせていると、先生は悪戯を成功させた子供のようにくすくすと笑うのだった。



 目が覚めて体を起こすと、軋む筋肉に少しだけ顔をしかめた。ぐっすり眠ったはずなのに気分が晴れない。夢は見たが、どことも知れない大自然が広がる光景を見ただけで何があった訳でもなく、だがやはり妙なリアルさを感じた。


 カーテンから外を覗けば夕陽が窓から差し込んでいる。随分と眠ってしまったようだ。

 覚め切らない頭を無理やり働かせて、リョウはベッドから這い出ると部屋から出た。


「あら、起きたわね。気分はどう?」


 ドアを開けてすぐの場所にある机で、先生がコーヒーを啜りながら尋ねてきた。そのコーヒー欲しいなぁと思いつつ、だがそれよりも気になるものが視界に入った。


「えっと、なんていうか、微妙です。っていうか、何でミナが?」


 別段具合が悪いわけでもないが、寝起きということもあり絶好調とはまた違うので、とりあえず微妙だと返事をして、そして先生と同じようにコーヒーを啜っているミナを見て目を細めた。

 ミナはキャラクターの絵が描かれたマグカップを机に置くと、さも当然というようにリョウに言った。


「あんたが体調崩したっていうから、迎えに来たんじゃないの。ほら、帰るわよ」


 リョウは眉をひそめた。


「お前、部活は?」


「一日ぐらい平気よ。ちゃんと部長には言ってきたし」


「別にそこまでしなくてもいいのに」


 リョウはポリポリと頭を掻いた。調子が悪いと言っても、ただ眠いだけでそこまで大事にするほどじゃないと、なかなか伝わらない様子に若干不満気だった。


「私が千早さんにお願いしたのよ。一人で帰らせるのはちょっと不安だったからね」


「そーいうこと。ま、いいじゃん。たまには一緒に帰るのもさ。一緒に帰るのって、中学校以来じゃない?」


 そうだっけか、とリョウは思い返した。なんだかんだで話す機会はあっても、一緒に帰るってことはほとんどなかった。リョウはずっと部活には入っておらず、中学校ではミナが部活に入って一緒に帰ることもなくなったが、三年になって同じ塾に通っていた時だけは一緒に帰っていたのを思い出す。


 それ以来か、とリョウは思った。ただ、もう少し人目を気にしてもらえないかと、リョウは少しげんなりした。ミナは周囲の目をあまり気にしていないようだが、リョウは違う。古賀なんかは自分たちの関係を誤解しているようだが、リョウはいい加減にしてくれないかとうんざりしているのだ。


 ただ、ここで断るわけにもいかないだろう。肩を落とし、降参の意を込めて深くため息を吐いた。


「分かったよ。じゃ、荷物取ってくるから校門で待ってて」


「はいはい。それじゃあ先生、コーヒーご馳走様でした」


 ミナが頭を下げると、先生はニコニコと笑って手を振っていた。


「どういたしまして。それじゃあ、気をつけて帰ってね。またいらっしゃい」


 保健室にまた来いとはどういう了見なのか。内心そんなことを考えながら頭を下げて保健室を出ると、だるい体で登らなければならない階段を見て、小さく溜息を吐いた。



「ふぁ……」


 荷物を取って校門でミナと合流し、帰る途中でリョウは隠すこともなく大きな欠伸をした。


「あんた、あれだけ寝ててまだ眠いの?」


 隣で呆れたように言ってくる。


「寝すぎて眠いって、よくあるだろ。っていうか、昨日から別に寝不足って訳じゃないんだよ。なんか知らんけど、とにかく眠い」


 保健室を出た時は寝起きだからと思っていたのだが、ここまでくると少し異常かもしれないと自分でも思い始めた。


「ふーん。ところでさ、あんたクリスマスはどうすんの?」


 そういえばもうそろそろかと、相手のいない高校生男子には寂しいイベントの予定を聞かれて少し気分が落ち込んだが、それでも話を振ってくれるのはありがたかった。少しでもこの眠気を紛らわせたい。


「別に、予定なんかねえよ。お前は?」


「うちは家族でパーティーする予定。りっちゃんたちにもパーティーに誘われたんだけどね。でもやっぱりクリスマスは家族と過ごしたいじゃん?」


「りっちゃんって、赤間さんのことか。っていうかお前ん家、神社だろ」


「それを言ったらリョウの家だって仏教じゃない。いいのいいの、今時の宗教はボーダーレスよ」


「ふぁ……」


 だめだ、眠くて仕方がない。なんとか会話を続けようとしても、出てくる欠伸が邪魔をする。

 ミナは心配そうな顔をしてリョウの顔を覗き込んでいた。


「ねぇ、大丈夫? そんなに眠いって、普通じゃないんじゃない? ちょっと休憩していく?」


 二人はちょうど公園の前を歩いていたところだった。夕暮れ時ということもあり誰もいないが、休憩ということは中にあるベンチで寝ろということか。多分ミナはそこまで考えていないだろうが、あともう少し歩けば家に着くのでそこまでする必要もないだろう。


「大丈夫だよ。家に帰ってから寝る……わ……」


「うわっ、ちょ、ちょっと!?」


 あまりの眠気に足腰に力が入らなくなり、リョウは前につんのめって、ミナが慌ててそれを受け止めた。


「ちょ、ちょっとリョウ!? 大丈夫!?」


 本気で心配してくれているようだ。歩いていた人がいきなり倒れれば誰でも驚くだろうが、朦朧とした意識では何も考えられなかった。

 ミナがリョウの体を支えながら、ポケットからスマートフォンを取り出した。


「と、とにかく救急車呼ぶわよ」


「大丈夫だって……そこまでしなくても、ちょっと眠いだけだから……」


「バカッ! ぶっ倒れるまで眠くなるのが普通なわけないでしょ! とにかくそこに横になって――リョウ!?」


 ミナが驚愕の表情を浮かべてリョウを見つめていた。どうしたのかと思っていると、チラチラと光が視界に入ってきて、一体何があったのかと周囲を見回して、そして異変に気づいた。

 光っているのは、リョウ自身だった。さらに、自分の体が薄っすらと透けている。手をかざせば、自分の手のひらの先でミナと目が合った。


「ちょっ、えっ、何それ? え? え?」


 ミナはパニックになっている。リョウも当然冷静とは言えないが、眠すぎて身体に力が入らないのでどうしようもない。

 そして、その光の量に比例して、眠気もどんどん強くなってきている。耐えられなくなった体はミナの体にのしかかり、肩から鞄がずるりと落ちた。


「リョウ!」


 ミナの叫び声に、気力を振り絞って頭をもちあげる。とろんとした目に映ったのは、泣きそうな顔でリョウの名を叫び続けるミナと、首もとでチカチカと光る瑠璃色のネックレス。

 そういえばそんなものをあげたなと、最後にそんなことを思った後、眠気は極限にまで強くなり、そして全てが白に包まれ、リョウの意識は遠い場所へと旅立っていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ