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7.救えなかった者たちへ

 左腕の痛みを堪えて私はようやく泉の淵から這い上がった。

 髪からは水が滴り、水分を吸収した衣服が肌に張り付いてくる感覚は少しばかり不快だ。

 水底から引っ張り上げてきた剣は、地上だと更に重量を増していた。

 赤髪の勇者は軽々と振り回していたが、実際に持ってみるとその難しさがよくわかる。

 程なくして私の生還に気づいたらしい巨大な植物がその大きな目玉をギョロリと動かす。

 わかってはいたが、このまま見逃してくれる気はないらしい。

 根のような無数の脚を動かし、魔物は着実に距離を詰めてくる。

 私はフーッと細長く息を吐いた。

 今更ながらなんて無謀なことをしてるんだろうと思った。

 だが恐怖は無い。狂ってもいない。身の丈以上ある異形を目の前にしても、自分は驚くほど冷静だった。

 私は握り締めた剣を持ち上げ、剣先を標的へと向ける。


 ──大丈夫。使い方は視てきた(・・・・)


 深く息を吸い込み、私はそれを使うための式句を紡ぐ。


「──焼き尽くせ、【ヘリオス】」


 刹那、一条の光が放たれた。

 まるで太陽の怒りを凝縮したかのような灼熱の光線が怪物の胴体、その少し右を撃ち抜く。勢い良く放出され続ける光の奔流はじわじわと怪物の身体を焼いている。


「Kgmrtqmvm!?」


 魔物はその身を焦がされながら甲高い叫び声をあげていた。このまま押し切れれば勝てる。そんな確信があった。

 しかしその火力を右腕だけで維持するのは不可能だった。勢いに流されるまま射線は上へと跳ね上がってしまう。


「くっ……!」


 だが予想外にも光線は光の刃と化し、意図せず魔物の太い触手まで焼き切った。割と致命傷だったのか、断面からはドバッと紫の体液が溢れる。


「Sdtmgzgjaaaa!」


 突然の奇襲に奇声をあげる魔物。残った右の太い触手と無数の小さな触手を乱暴に振り回している。

 黄金の剣の先端からは白煙が上がっている。流石は【祝福】、左腕さえ折れていなければ押し切ることも出来ただろう。勇者専用の武器というのも納得の威力だった。

 放熱する剣から視線を外し、前方を見詰める。

 気づけばあれだけ暴れていた怪物が随分と呆気なく倒れていた。その細い触手も、無数の脚も今はピタリと動きを止めている。

 光に焼かれた部分は黒く焦げており、断面からは今も粘ついた紫の液体が溢れ出していた。

 この光景を見れば誰もが口を揃えて「死んでいる」と言うだろう。

 だが私は知っている。これが“獲物を出し抜くための演技”だということを。

 私は動かなくなった怪物に向かって歩き始めた。十数メリル程空いていた距離が少しずつ縮まっていく。


「知ってるよ。そうやってやられたフリをして、あの娘を殺したんだよね」


 直後、狙いを暴かれた怪物の体内を突き破って芋虫のような触手が飛び出してきた。

 それを予期していた私は軽く身を捻って躱し、右手の剣で叩き斬る。


「Kqyry!?」


 ブヨブヨとした不快な手応え。触手の先端は綺麗に千切れ、汚らしい紫の液体が頬に跳ねた。

 腐った生物(なまもの)のような異臭が鼻腔を突き抜けていく。

 騙し討ちが失敗した怪物は怒りに身を任せて攻撃を再開した。私を叩き潰すべく残ったもう片方の太い触手を持ち上げる。

 瞬時に身を屈め、振り下ろされたそれを間一髪で回避した私は未だに熱を帯びる黄金の刃を滑らせた。


「せあッ!」


 包丁で果物を切るかのように、右腕を模した触手を切断する。弾力のある分厚い肉質もこの剣の前では無力だった。再び大量の体液が飛び散る。

 これで怪物は主武装である太い二本の触手を失った。とどめを刺すべく足腰に力を込める。

 だが太い触手に集中するあまり、私はその他の警戒をおそろかにしていた。いつの間にか迫っていた棘付きの細い触手が私の右脚に絡みつく。


 ──しまった……!


 皮膚に鋭利な棘が食い込んだ。赤い血液が脹脛(ふくらはぎ)を伝っていく。


「っ……!」


 獣に噛み付かれたような痛みに思わず声をあげてしまう。その後も際限なく伸びてくる棘付きの触手達。

 あっという間に私の身体は拘束されてしまった。棘は衣服を貫通して肌を傷つけ、締め付けられる度に痛みが全身を駆け巡る。

 二本の太い触手はもう両方とも失われているが、怪物は勝利を確信しているようだった。

 胴体にあるその大きな顎を開く。それはさっき夢の中で見たそれと全く一緒だった。

 ずらりと並ぶ牙の大きさは棘の比ではない。口内に投げ込まれたが最期、私は跡形もなくぐちゃぐちゃにされるだろう。

 怪物は私を縛り上げたまま持ち上げ、ゆっくりと口の真上まで移動させた。人間というご馳走を前にした怪物が汚らしい笑みを浮かべる。

 生と死を分かつ境界線。

 そんな状況に身を置きながらも、私は笑っていた。


「……勝ったと思った? 残念でしたッ!」


 直後、右手に掴んでいた剣が一際強く輝いた。

 刀身から熱量を伴った光が拡散し、あまりの高温に服の袖が発火する。それと同時に右腕に巻き付いている細い触手も燃え始めた。

 私は先程のように剣先から光線を放つのではなく、刀身全体から光を放出させたのだ。

 全ては剣を持つ右腕を解放するために。

 おそらく右腕の火傷は免れないだろう。しかしそれで構わない。目の前の敵を屠るためなら安いものだ。

 触手が焼け落ち、自由になった右腕を動かす。

 私は今度こそ怪物を仕留めるべく、その汚らしい口内へと標準を合わせた。


「さよなら」


 剣先から放たれた三度目の光は怪物の体内を深々と貫いた。断末魔すらあげず、怪物は全身から発火し始め、苦しそうに悶え始める。

 私はというと拘束を解除されて乱暴に投げ捨てられた。ゴロゴロと地面を転がった末にうつ伏せになる。


「うっ……いったぁ……」


 全身が痛むが今はそれどころではない。瞼を持ち上げ、燃える怪物の行く末を見届ける。

 これで倒れてくれなければ今度こそお手上げ。私の負けだ。

 だが、花の魔物が攻撃を仕掛けてくることはもう無かった。

 激しい炎に身を包みながらその大きな図体が地に倒れる。あれだけ威勢の良かった触手達も悲鳴をあげるように激しく唸り、やがて機能を停止した。

 鮮やかな色をしていた花弁も端から焦げ始め、怪物にとって唯一の長所だったものも消失する。

 そんな花弁に包まれていた大きな目玉が最後にギョロリと動いて私を睨んだ。

 その静かな視線には私に対する憤り、憎悪が込められているような気がした。



***



 雨が降っている。

 日は既に沈んでいるため空は黒い。星一つ見当たらないため、頼りになるのは一定の間隔で配置されている街灯ぐらいだった。

 そんな弱々しい光を辿りながら一軒の建物を目指す。雨に晒された傷だらけの身体はとっくに冷え切っており、右腕に抱えた二本の剣は鉛のように重たかった。

 やがて見慣れた薬屋の看板が視界に入った。僅かに躊躇ってから、その扉をコンコンと叩く。

 返事はすぐに帰ってきた。扉が勢いよく開き、そこには焦った様子の女性が立っていた。サナの母親だ。


「モモちゃん!? ずぶ濡れ……というか傷だらけじゃない! 何をしていたの!?」


 サナの母は心配そうに私を見詰める。

 何をしていたのか。自分でもよくわからない。いつものようにカタリスと剣の稽古をして、エルベに大聖堂へと呼び出されて。

 それからサナを止めるために森へ走って。その後は──


「そうだ、どこかでサナを見ていない? あの子まだ帰ってきていないの。あの人も近くの森まで探しに行っちゃってて……。

 てっきりモモちゃんと一緒だと思っていたんだけど。一体どこへ行っちゃたのかしら……」


 サナは北西の森を歩いていたのだろう。願いが叶うという大きな花を見つけるために。

 だがそんなものは存在しない。子供の間だけで広まった作り話に過ぎない。

 それがわかっていながら私は彼女を止めなかった。こんな身近に魔物などいないだろうと高を括ってたからだ。

 その判断が一人の子供を殺した。

 魔物の足元に広がる赤い海。乱暴に食い散らかされた肉。お日様のように暖かかった栗色の髪。存在と尊厳を滅茶苦茶にされたあの女の子の姿が今も脳裏に焼き付いている。

 その場面を鮮明に思い出したせいで、吐き出しそうになってしまった。

 ふらついた私を心配するように、サナの母は私の肩に触れる。


「だ、大丈夫!? とりあえず家に入って。そんなに濡れていたら風邪をひいちゃうから!」


 彼女の優しさが今はとても苦しかった。締め付けられるような胸の痛みを必死で堪える。

 唇は強く噛み過ぎて血が出ていた。雨と混じって鉄のような不快な味がする。


「さぁ早く。すぐに暖かいものを用意するから」


 そう言って彼女はいつまでも玄関前で棒立ちしている私を催促する。

 もうこれ以上黙っている訳にもいかなかった。身体の震えを押し殺し、カタカタと歯を鳴らしながら口を開く。


「サナ、ちゃんは……」


 言葉が喉の奥に引っかかって出てこない。

 明るくて元気一杯だった幼い少女の姿が頭に浮かんでは消えていく。まるで指の間から零れ落ちていく砂のように。

 拳を力強く握り、私は絞り出すようにありのままの真実を告げた。


「サナちゃんは、死にました」


「何を、言っているの? ……あぁ、わかったわ。きっと訓練で疲れちゃったのね。ほら、早く休んで──」


 催促する彼女に赤い靴を差し出した。

 花のような装飾が施された子供用の小さな靴。新品のように大事にされていた頃の面影はなく、生臭い匂いを放つ赤黒い血がべったりこびりついている。

 サナの母は目を見開いた。


「なん、で……これ……」


「私が向かった時にはもう、サナちゃんは魔物に……」


 その先は言葉に出せなかった。あんな惨たらしい光景を両親に事細かに話すことなど出来る訳が無かった。


 それからしばらくは雨の音しか聴こえなかった。サナの母は何も言葉を発しない。私は何も話せない。

 冷たく虚しい時間が過ぎ去っていく。

 それを先に破ったのはサナの母だった。


「……あなたのせいよ」


 彼女は震える声でそう言った。

 その瞳には涙が滲みんでいる。呼吸を荒げながら、憎悪を込めた視線で私を見詰めている。


「何が勇者よ! 子供一人守れないで! あの子はまだ五歳だったのよ!!」


 肩を強く突き飛ばされる。私はそのまま体勢を崩して地面に尻を打った。

 衣服に雨水が染み込んでいくが、もはや冷たさすらも感じない。

 私は掠れた声を絞り出す。


「ごめん、なさい」


「謝るぐらいなら娘を返して! 返してよぉ!!」


 泣き喚く彼女を目の前にしても何も出来なかった。慰める権利など私には無い。だってサナを殺したのは私なのだから。

 私が強く引き止めていれば、サナは森へ行かなかった。

 私の脚がもっと速ければ、魔物と遭遇する前にサナを連れ戻せた。

 私がもっと強ければ──

 途絶えることのない後悔が頭の中をぐちゃぐちゃと埋め尽くしていった。


「あなたが死ねば良かったのよ」


 彼女は最後にそう言い残し、扉は固く閉ざされた。扉越しにも咽び泣く声が聴こえてくる。

 それが余計に自分の無力さと愚かさを痛感させた。


「ごめん……ごめんね、サナちゃん……」


 降りしきる雨の中、夜空を仰ぐ。

 どうやら当分止みそうにない。

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