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エーデルワイスの少女  作者: 千束
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「去っていった、じゃねえよバカ!」


 事情を聞いたジュリアの怒声が事務所に響く。


「これで何度目だバカ! いっつもタダ働きじゃねえかバカ野郎!」

「んなバカバカ言うなよ。ゲシュタルト崩壊する。第一、いつもじゃないだろ」

「ああそうだなじゃあ訂正してやる。――子供が関わるとタダ働きするの止めろ!」


 机を叩き、怒鳴りながらどんどんと付け足される。


「前回は夜逃げの依頼に赤ん坊がいたから養育費だっつって報酬を返して、その前は護衛の女の子が歌手になりたいっつったら親説得するだけじゃなくレッスン代渡しやがって、てめえは部下に金を払う気はねえのか!?」


 ぐうの音も出ない訂正もとい正論に、思わず深いため息がこぼれる。


「ため息をつきたいのはこっちだよ。このロリコン野郎」

「ロリコンじゃない。そういうのよくないぜ? 子供が好きなだけでロリコン。親が好きなだけでマザコン。姉妹が好きなだけでシスコン。犯罪に走らない限り素晴らしいことじゃないか」

「話をそらすなペドフィリア」


 性欲は抱いてない、と訂正するのも面倒になり、首を振って押し黙る。

 そんな康之の姿にジュリアは舌打ちと共に派手な音を立てて机に立ち上がり、


「ぶべらっ!」


 顔面を蹴りつけられた。

 目玉が飛び出る程の衝撃にソファごとひっくり返り、えげつない角度で後頭部が床に衝突して気味の悪い音が己の体内から聞こえた。


「……ってえ! お前今の俺じゃなきゃ死んでたぞ!」

「知るか!」


 ジュリアがキレた。やりすぎたと思った時にはもう遅い。


「アンタが給料を出さないってんならいいぜ。こっちから出すもん出してやる」


 ひっくり返った姿勢からも分かる程、ジュリアの表情は怒りに満ちている。

 冗談など言える雰囲気ではなく、申し訳なさで居心地が悪い康之の顔面の一通の封筒が叩きつけられた。

 ちゃんと渡せよという言葉は飲み込み、封筒を手に取り書かれている字をよくよく見る。


「退職願?」


 その三文字は、何度見ても、一字一句見間違えようもなく、退職を願うと書かれていた。

 一瞬、康之の中の時間が止まり


「おいジュリアこれ……」


 返事はドアを強く閉める音だった。何時の間にか、ジュリアの姿は消えている。

 返ってくる音は、他に何も無かった。

 汚い事務所がただ静寂に包まれる。

 一人の女が消えた。そして帰って来ることはない。


「……マジか」


 その事実を理解するのに、自業自得と自覚しつつも、しばしの時間が必要だった。



 流石にこれはマズいと感じ、便利屋創設以降初めての飛び込み営業を開始したが、結果は芳しくないものだった。

 建設中の工事現場や流行りの店、挙句の果てには閑古鳥が鳴いている骨董店まで練り歩いた。しかし個人業だろうとチェーン店だろうと、どこに行っても対応は同じ。突然やってきた派手な男に胡散臭がるだけだった。

 孤児院の時のように高を括っている時に限って仕事はあり、求めている時に限って仕事がない。世の中どうしてこうも不都合な事ばかり回っていくのか。はだはだ疑問である。

 小さく舌打ちをして腕時計を見れば、どうりで暗くなってきたわけだ、午後五時を回ったところだった。

 ジュリアが出て行って、もうすぐ半日が経とうとしている。

 諦めて収穫が無いまま帰ろうとすると、すぐ先に一軒の総菜屋が見えた。そいえばあったな、と懐かしい思いに浸り、つい足を伸ばす。

 三段のショーケースには手作りのPOP広告が並び、後ろにバットが並んで数種類の揚げ物が乗っている。商品はショーケースを挟んだすぐそこで作られ、今も店主であろうおばちゃんがコロッケを揚げていた。


「お譲ちゃん、コロッケ揚げたて下さいな」

「おだてたって注文の品以外は出ないよ」


 鼻で笑いながらおばちゃんは油から取り出したコロッケを紙袋に入れて差し出した。


「十円」

「あいよ。あちちち」


 財布から取り出した十円とコロッケを交換し熱々の出来たてを口に入れる。


「ふぉ、ふぉ、ふぉ、あっふい」

「……なんかアンタ、どっかで見た顔だねえ」

「っんぐ。逆ナンとか歳考えてくれ」

「うっさいね。あたしゃ旦那に操立ててんだ。浮気なんてするか」

「このコロッケみたいに情熱的だな。ところで芋変えた?」


 質問におばちゃんは豆鉄砲をくらったような顔で驚いた。


「よく分かったね。常連にも気付かれたことないのに。やっぱり前に来たでしょ。そんな目立つ格好してりゃ覚えてるはずなんだけどね」

「こう見えてグルメでね。前の方が美味かったよ」

「値上がりしたんだよ。今使ってるのがまた値上がりしたら戻すよ」

「値段まで上げないでよ」

「それはどうかね」


 他愛無い会話を続けていると、弾けた音が二人を遮った。

 一発目を皮切りに、それは続々と地響きのように大気を振るわせる。


「銃声?」


 近くはない。が、遠くもない。すぐに危険に巻き込まれることはなさそうだが、早々に避難した方がよさそうだ。


「助けてお譲ちゃん」

「お断り」


 どこからか取り出したシャッター棒で胸を押され、あっという間に店から追い出されてしまった。


「んな殺生な」

「悪いがウチは手狭でね。私と娘の分ぐらいしかスペースないんだよ」

「旦那さんの分も取っとこうよ」

「仏壇だから大丈夫さ」


 続けようとした反論は、甲高い音で閉じた防弾シャッターに拒否された。


「ガキの頃のアンタはもっと可愛げがあったぞー」


 相手からしたらまったく意味の分からない捨て台詞を残し背を向ける。

 銃声はどうやら北の方から聞こえてくるようだ。事務所はここから北西に向かった先だから、帰るなら少し遠回りをしないといけない。

 仕方ない、と一瞬考え、まてよ、と改める。

 数秒考えている内に銃声は近づいているのかどんどん大きくなっている。


「……ピンチはチャンス、って昔から言うしな」


 腹を括り、北へと足を伸ばす。

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