隠れ鬼
もぉいいーかい?
寺の境内に響く子どもの声に誰かが「まぁあだ、だよー」とかえした。
その声を聞きながら、フミは釣鐘堂の横を通り本堂の裏へと急いで移動した。
本堂の裏は竹林になっていて、風にそよぐ葉音が騒ぐ。
隠れ鬼の範囲はお寺の境内の中。竹林に入ったらルール違反になる。
本堂の縁の下に小さな体を丸めて隠れた。
もぉいいーーかぁーいー?
響く声に何人かが「もぉいいよ」と返す。
フミも蹲ったまま「もぉいいよー」と返した。
玉砂利を踏む足音が微かに聞こえる。
ドキドキして声が出そうになったので慌てて両手で口を塞ぐ。
目だけキョロキョロと動かして、鬼が近くまで来てないことを確認していたらほんの少し先の土が盛り上がっている。ゆっくりと手を伸ばして触るとふにっと柔らかい感触には覚えがある。
竹の子だ。
季節的にはまだ早い。慌てん坊なのかもしれない。
少し掘ってみようかと思ったが「サクラちゃん見つけた!」という声が聞こえたので慌てて手を引っ込めた。
隠れるのが下手なサクラちゃんはいつも最初の方に見つかってしまう。
フミはふふっと笑うと、再び息を潜めた。
再び玉砂利を踏む音と、風が吹いたのか笹の葉が大きく揺れる音が聞こえる。
ザザッという音は妙に大きく、少し気味が悪くてフミは目を閉じて一層身を縮ませた。
ギュッと目を瞑ったフミの耳が笹の音の中に誰かの声を拾う。
「もういいかい?」
さっき、もういいと返して、隠れ鬼が始まったはずなのに。
もしかして、新しい子が来たからやり直したのかな。
だからフミはそのままの姿勢で言ったのだ。
「もぉいいよー」
笹の葉が荒れ狂うように葉音を鳴らす。
なのにフミはちっとも風を感じなかった。
ほんの少しの恐怖にぶるりと体を震わせたフミの耳元で知らない大人の声が囁いた。
「みぃつけたぁ」
その日、境内で遊んでいた子どもの1人がいなくなった。
大人たちは境内も本堂も竹林もその先の山の中も捜したが見つからない。
警察や自衛隊が捜索を始めたが、見つかったのは本堂の裏に落ちていた片方の靴だけで、他には何一つ見つからなかった。
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石段を16段登った先には古びた門扉があり、右横には釣鐘堂が見える。正面には本堂があり、その右側に納骨堂があり霊園へと続いている。少し離れた左側に母屋がある。
石段を登ってきたタケオは本堂に向かい手を合わせると建物に沿って本堂の裏へと歩いて行く。
建物から数歩離れた場所に垣根があり、その向こう側は竹林が広がっている。荒れやすい竹林の管理は意外と大変なのだと寺の子どもが呟いていたのを思い出す。
春になったらみんなで筍掘りをして、一人一個ずつ持って帰っていた。その晩は大抵の家が筍ご飯と味噌汁だった。
サクラはいつも重い重いと大げさに言って体の大きかったミツハルに運ばせようとしていた。
フミは自分の分もあるのに、サクラを手伝って持って帰っていた。
懐かしい思い出にタケオは苦笑する。
竹林に入ろうとして寺の奥さんに怒られた事も何度かある。
寺の奥さんとは和尚の母親の事で、背の低い老婆だった。親たちがお寺の奥さんと呼ぶので子どもたちもそれで覚えてしまった。
寺の奥さんはなんと言っていただろうか。
ひどく怒られたのは覚えているが言われた言葉は曖昧だ。
「もう来てたのか」
声をかけられて、振り返るとミツハルが手を上げてニッと笑っていた。その大きな背中からサクラがひょっこりと顔を出した。
みんな大人になったはずなのに、変わってないと感じるから不思議だ。
「この辺だったかな」
「フミって必ずギリギリのとこに隠れるのよね」
ミツハルがフミの靴が落ちていた辺りを見回し、サクラが思い出して笑った。
あの日、フミだけ見つけられなくて全員で探した。それでも見つからなくて、困って親に相談したら警察が来たり学校の先生とか校長とかやってきて、たくさんの大人に何度も知っている事を話した。
村中の大人と自衛隊と警察と消防の人たちが竹林から山まで捜索したけれど、フミは見つからなかった。
そして、今も見つからないまま。
「あの時、お寺の奥さんが何か言ってなかったか?」
「そう?覚えてないわ。私、奥さん怖くて苦手だったんだよね」
「俺、覚えてるぜ。昔、竹林に入ろうとしてすっげぇ怒られたからな」
それは自慢じゃないでしょ。とサクラがミツハルの背中をバンバンと叩く。
「えっと、『鬼に見つかるぞ!鬼に連れて行かれたくなけりゃ竹林に入っちゃならねぇ』だったかな。鬼より奥さんの方が怖かったけどな」
ああ、そうだ。あの時も決して子どもだけは竹林に近づくなと言われてたんだ。
三人で荒れ放題の竹林を見る。手入れがされていないせいか以前よりも鬱蒼としていてなんだか気味が悪い。
「フミ、連れて行かれたのかな…」
サクラの呟きに誰も答えられなかった。
何を馬鹿な。と笑ってしまえばそれまでなのに。
たぶん荒れた竹林が不気味に見えたせいだ。
フミの両親は捜索が打ち切られてからもチラシを配り、竹林や山に入って探していた。
おばさんは心身共に弱ってしまって、一家で引っ越してしまった。
見つからないフミ。
生きているのか、死んでしまったのか、何も分からない。
ザザァ、ザザァと竹の葉が鳴る。
帰ろう。とミツハルが言った。
ミツハルとサクラに続いて歩き出す。ふと振り返ったが、誰もいない。
当たり前かと苦笑いをして二人の後を追った。
フミがいる気がしたんだ。
―――そんなはずがないのに。
帰り道の石段を降りながら、そう言えば…とサクラが話し始めた。
「フミがいなくなって1年過ぎたぐらいかな。おばあちゃんが『今度は帰ってこなかった』って言ったの。
気になって聞いてみたらね、お寺の奥さんも子供の時にフミみたいに突然いなくなったんだって。
神隠し?っていうの?1年後に竹林から帰ってきたんだけど、いなかった間の事は何も覚えてなかったんだって」
フミも神隠しにあっちゃったのかな。
サクラの声のない問いに誰も答えられなかった。
神隠しでも、フミが幸せに生きているならいい。
そう考えると少しだけ救われる気がする。
閑散とした村を眺める。
駆け回った段々畑。通った小学校。帰り道に食べたグミの木のある家。自分の住んだ家、ミツハルの家、サクラの家……フミの家。
懐かしいもの全部、全部、来週には水の中だ。
三人して涙ぐんで新しい家へと帰る。
帰り道に微かに
「もういいかい?」
と聞こえた気がしたが誰も返事をしなかった。
ーーーもう、いいよ
と、誰もいないはずの寺で子どもが応えた。
*終わり*