2 ニンジャ転生す!
宇宙でミサイルを撃墜した(された?)と思ったら、気づけば森の中にいた。
無傷の全裸で。子供の姿で。
九郎はもはや、どこからツッコミを入れればいいのか分からなかった。
(ここは、どこかの?)
周囲の木々にも全く覚えがない。
記憶にある植物と似てはいるが、細部の特徴が完全に一致するものがない。
空に太陽と思しき光源が見えるが、その位置から推測される緯度経度で候補となる土地が地球上にない。
(なぜ、裸?百歩譲ってなぜ傷がないんじゃ?)
戦闘機に乗っていたときの気密服は、衝撃で吹き飛んだとか、そういうことだとしても。
九郎は撃墜時にかなりの重傷を負ったはずだ。その傷がないばかりか、体に刻まれていたはずの無数の古傷すら、残っていない。
(視界が低い。手足が短い。見える範囲の身体的特徴からして、10歳前後…かのぅ?)
極め付けはこれだ。
顔に触れても、皺の手触りはない。瑞々しく弾力のある子供の肌だ。
深呼吸して、体の隅々まで"気"を行き渡らせても、まるっきり自然な肉体だ。内臓も筋肉も骨も、何も違和感がない。
夢かと思ったが、九郎の感覚は現実であると主張している。
100年を超える人生経験の中でも、想定していなかった状況だった。
しかし、それでも九郎の動揺は一瞬だった。
(落ち着かんといかんな。小僧のように慌てても致し方ないからの)
もともと、無数の偽装身分を有していた身だ。子供に扮したことこそないが、性別も国籍も欺いてきた。
(なんだったか、"体は幼児、頭脳はアダルト"…だったかのう?)
いざとなればどうとでも誤魔化せる。
ずいぶん昔に教養として読んだ漫画みたいな状況だが、漫画の主人公がなんとかできて、九郎にできないということはあるまい。
装備一式全てを失って、敵地に放り出されることなど、両手の指に余るほどある。
十全に動く体がある、それだけで不足はない。
(まずは周囲の環境を把握。その後に安全を確保せねば)
問題ない、慣れたものだ。
方針が決まれば行動あるのみ。
九郎は再び深呼吸をして、今度は"外"に向けて"気"を流した。
まずはソナーのように、拡散し反射する波で周りの生物の反応を探す。
地上半径100メートル圏内には、土中の昆虫や鳥にネズミに近い小動物。大きなところで鹿のようなものが数頭。
九郎を害せるような生物は生命反応はなし。
次に放った"気"の浸透度合いから、より広く地形を探る。
"気"は川や海などの水があればより素早く流れ、鉄などの鉱脈や人工物であれば流れにくい。
返ってきた手応えからすれば、南の方向に小川がある。反対の北には大きな邸宅と思しき建造物、距離は1キロほど。
ここは邸宅を偵察すべきだと、九郎は判断した。
状況を知るには誰かに聞くのが手っ取り早い。だが、なにも知らないで接触するにもリスクが高い。なにせ全裸だし。
しかし、接触せずとも得られる情報は多い。
(で、あるならば…)
"隠形の術"
九郎はまた呼吸一つで今度は流れ出る"気"を押しとどめ、かすかに周囲に馴染ませるように循環させる。
この時九郎をじっと見ているものがいれば、自分の目を疑っただろう。人が突然、布地に水が染み込むように背景にかき消えたのだから。
その状態を維持しながら、九郎は木々の間を縫って風のように動き始めた。
たった1キロの距離。並外れた脚力の九郎にしてみれば、ほんの数十秒で邸宅を視界に収められる距離まで近づいた。
木の陰に隠れながら邸宅を伺えば、
建築様式では九郎の知るものと大きな差異はなかった。
外観は西洋風の屋敷と何も変わらない。
"気"を探れば、中には人間と思しき生命反応が20人ほど感じ取れた。
邸宅の規模から考えて、大部分は使用人であろう。それらしく、慌ただしく動いているものも多い。
だが、動かない気配のうち、どれが家主のものかは分からない。
(…強者であれば"気"もまた大きくなるはずなんだがの…)
気配には多少の差はあれ、これと分かるほど大きな力は感じられなかった。
じっと観察しているうちに、チラチラと窓越しに人影が見えた。いずれも使用人らしく、白と黒を貴重にしつつも汚れの目立たない動きやすい服装をしている。
(服装からも、地球と大きな文明の差は見られない、な…)
そして、屋敷の中の人々も九郎の知る"人"となんら違わないように見受けられた。
植物や動物が九郎の知るものと違わなければ、地球と本当に何も変わらないように思われ、もしや自分の思い違いではないかという疑念が湧いてきた。
単に、自分は核ミサイルを撃ち落とした末、奇跡的に無傷で地球に落下した。子供の姿なのは、何かしらの衝撃で九郎の気脈が狂い、変わり身の術や小身の術が暴発しただけ。
無い、と言い切れないのが困る。
実際に九郎の修めた忍術の中には、筋と骨格を歪め別人のように変装する術や、一時的に特定部位の大きさを操作する術もある。
だが。
その時、ふと視界に影が落ちた。
即座に動ける体勢を整えつつ空を見上げた九郎の目に、にわかに信じがたいものが映った。
はるか上空、九郎の生命探知を超える高度を飛ぶものがあった。
太陽を背にしたその形は、飛行機やパラグライダーのようにも見えたが、それよりずっと生物的、言ってしまえば爬虫類的だ。
長く逞しい首に翼、太い胴体に四肢、そして尻尾。
正確なサイズは不明だが、全長は少なくとも数十メートルは下らない。
全身を覆う鉱石のような鱗がキラキラと日の光を弾いている。
威風堂々たるドラゴンが、空を飛んでいた。
その様をまじまじと眺めていた九郎に、ぞわり、と死の間際にもあった感覚が起こる。
"見られている"
今度の視線の主は探すまでもなく、分かった。竜が、はるか空から九郎を見ていた。
隠形は間違いなく発動している。
しかし、竜はそんなもの関係なしに九郎を認識していた。
そして、視線とともに滝のようなプレッシャーが九郎に降り注ぐ。
九郎は慌てて、片膝をつき首を垂れた。
竜に、その桁外れの"格"に敬意を表する姿勢である。
獣であれ、人であれ、不躾にジロジロと見るというのは、不敬を意味する。
姿勢を正し、視線を切ることで不敬を拭えれば良いが…
果たして、竜は服従を示した小さな生き物から興味を失ったようで、そのまま飛び去っていった。
視線と圧から解放されて、九郎は一息つくと、先ほどまで胸の内にあった疑念を払拭することにした。
ここは、地球ではない。少なくとも、現在の地球において、あのような生物はあり得ない。
地球にあってはあのような生物は存在しえないし、ましてやあんな巨体が空を飛ぶなど物理的にあり得ない。
九郎は気を引き締め直した。
ここは、異世界。
未知の"理"が存在する魔境である。