1 ニンジャ死す!
なろう初投稿です!
「忍者」とは、「室町時代から江戸時代の日本で、大名や領主に仕え、また独立して諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを仕事としていたとされる」者のことらしい。
ネットで調べたらそう書いてあった。
60点だ、と九郎は思う。
後半はともかく、前半が違う。特に最初の「室町時代から江戸時代の日本」…大間違いだ。
始まりは知らないが、終わりは違う。
忍者はちゃんと21世紀まで生き残っていた。他ならぬ九郎がそう思うのだから、間違いない。
伊賀とも甲賀とも違う、世に出ず、血も絶やさず、脈々と続いた名も無き真の忍びの一族。九郎こそがその末裔だ。そしておそらく最後の1人でもあった。
九郎の祖父の代くらいまで他の流派にも生き残りがいたらしい。だが、二度の大戦やら押し寄せる現代化の波やらが忍者を駆逐した。
九郎の一族にしても数少ない先達は既に亡く、残すは一握りの後方支援要員と九郎のみ。その九郎も今年で齢103歳。
3桁の大台に乗っても鍛え続けたその肉体は、戦場を駆け抜けるに十分なスペックを維持している。
だが本人にしてみれば、全盛期に比べれば見る影もなく衰え、技術にしても今更伸びしろなどありはしない。
普通に考えて、30年も前には引退して良かったはず。それなのに九郎が現役を続ける理由はただ一つ。
主がそう望むから。
忍者は道具だ。たとえ、錆びて朽ちかけているとしても握り手が振るうのであれば、振るわれるに否やはない。
ただ器物も100年使われれば怪異となるように、忍者だって何十年もこき使われれば主に思うところもある。
先々々代は良かった。先々代とはいい関係だった。先代だって我が子のように思っていた。
だが、今代は如何なものか。
自分の生まれるずっと前から第一線で活躍し続ける「じいじ」に全幅の信頼を寄せてくれるのはいい。
だが、青い正義感に任せて次々と仕事を投げられては、たまったものではない。自分の子供はとうに諦めていたが、これでは次代を育てる暇も無かった。
今回の任務にしても、無茶振りが過ぎる。
第二次冷戦と呼ばれる大洋を挟んでの覇権争いは水面下で激化し、ついに角ならぬ核を突き合わせる睨み合いに発展した。
それを憂うのはまあ、良しとしよう。止める手立てを講じんとするのも見上げたものだ。
ただその手立てがたった1人の老骨に全ての核兵器の起爆装置を破壊させる、というのは正気の沙汰ではない。
それでも九郎は全力を尽くした。命が下ってから1週間で実戦配備されている両国の全ての核兵器と起爆スイッチの所在を調べ上げ、なんと更に3日でとりあえず近い方の国のスイッチを破壊した。
そして、もう更に3日で遠い方の端末も始末してみせたのだ。
某24時間海外ドラマの3クール分ぐらいの死線を乗り越え、ひとまずの平和を得た、と息をついたのも束の間。
白い建物の屋根裏に潜んで僅かばかりの達成感を噛み締めていた九郎の耳に飛び込んできたのは、大陸半島から核ミサイルが発射されたという絶望の報せと、それをなんとかして撃墜せよという、これまた正気を疑う命令だった。
それでもそれでも、九郎は死力を尽くした。
結果、5分後には九郎はとある戦闘機を操縦していた。
試作型大気圏外対応戦闘機。この一機に数百億ドルを注ぎ込んで作られた秘密兵器だ。
本来なら大陸間弾道ミサイルなど数多ある迎撃システムで撃ち落とせばいい。
だが他ならぬ九郎の手によって、白いお家も五角形のビルも、今は大混乱の真っ最中で、ろくに機能していない。
そのせいで九郎は人力で超高度において核兵器を撃ち落とすべく、凶悪なGに耐える羽目になっている。
これを自業自得と言っていいものか。九郎はコックピットで大いに悩んだ。
そもそもの話。冷戦など放っておけばいいのだ。
止めたければデモでも署名でも真っ当な抗議活動に精を出せばいい。
忍者の出る幕ではないし、間違っても年寄り1人でどうこうする話ではない。
なまじ子供に力を与えると、身の程を知らずに増長するというか。良からぬ万能感を与えてしまうのだと身にしみてわかった。
独立記念日でもないというのに、神風を吹かさねばならないなんて。
この戦闘機には攻撃兵器を積んでいない。試運転もまだの本当の試作機だ。燃料が積んであったのが奇跡のような僥倖だ。
つまるところ、この機体の唯一の攻撃方法は自らを弾丸と化すのみ。
自らが死ぬのはまぁ良い。
本当に十分過ぎるほど生きたのだから、朽ちた刀が叩きつけられ、折れるだけの話だ。
気にかかるのは、まだ幼い主のことのみ。
本当は自分が諌めて止めるべきだったのだろう。身の程を教えてやらねばならなかった。だがそれは「忍者」の生き方ではない。
今更、生き方は変えられない。他に生き方を知るわけでもない。
積み上げられた血脈の誇りが、最後の生き残りだという自負が、九郎を縛り付けていた。
もうじき大気圏を離脱する。
広い宙にあって、ミサイルなど一本の針に等しい。戦闘機も一粒の小石と変わらない。
飛ぶ針に小石を当てて落とすなど、冗談のような話だが、失敗など九郎の頭にはカケラもなかった。
自身のスペックと状況を完全に把握していれば、作戦の成否など始まる前に決まっている。
この作戦は成功する。九郎の命と引き換えに。
操縦桿を握り、レーダーを睨みつけながら、進路を維持する。
ミサイルは必ず規定のルートを通る。だからこそ狙った場所に飛んで行くシロモノだからだ。
九郎のすることはその軌道に機体を乗せることだけ。
衝突まであと数分。
イレギュラーはない。
九郎は"こういう時"の嗜みとして、死について考えてみるが、何の感慨も湧かない。走馬灯を見るわけでもない。
死ぬかと思うことなどこれまで無数にあっただけに、感覚が麻痺しているのだろう。
いつか当たるクジを引き続けて、最後に残った一本が今回なだけ。
衝突まで、あと1分。
高速で飛翔しているが故にまだ視界に標的は映らない。
だが、各種レイダーでミサイルは完全に捉えている。
どうやら進路に微修正を加えるまでもなく、衝突は実現するようだ。
少し、ほんの少しだけ九郎が気を緩めたその時。
ぞわり
と、慣れているけれど、あり得ない感覚が沸き起こる。
"見られている"
ここは大気圏外。知覚されるなど、絶対にあり得ない領域のはずだった。
だからといって気のせいだとは九郎には思えなかった。
自らの感覚には全幅の信頼を置いている。この感覚が狂っていれば、切り抜けられなかった死線がダース単位であった。
状況と矛盾する感覚に、困惑が沸き起こるが、状況は既に変えられない。
衝突まで30秒。
九郎の超人的な視力でようやく点のように認識できる遠くにミサイルが見えてきた。
見られていようがいまいが、関係ない。今の任務はアレを身をもって撃ち落とすこと。
隠密をもってよしとする身の上ではあるものの、もはやここで散る身には関係のない話。
どこに情報が盛れようが、数十年来の仲間にして、友と言える数少ない後方支援員が揉み消してくれるだろう。
遅まきながら、警報機が飛翔物との衝突を警告してきた。
狭いコクピットの中でけたたましく警報が鳴る。
残り10秒。
点のようだったミサイルはもうはっきりと肉眼で見える。
ここに至って九郎は全神経を集中させた。
聴覚が閉ざされ、視界から色が失われる。
時の流れが緩やかになり、ミサイルの外装の継ぎ目までがくっきりと見える。
残り7秒。
周辺に自機体と標的の他に障害なし。
残り5秒。
"見られている"感覚は継続。ただし何らのアクションもなし。
問題ないものとして、認識から排除する。
残り3秒。
角度極微修正、速度問題なし。
標的は既に慣性飛行中。自機体にトラブルなし。
2秒…
1秒…
ゼロ
至近距離で爆弾が爆発したかのような衝撃が、九郎を吹き飛ばした。
若い頃、対戦車ミサイルが直撃した時の数倍の威力だ、などとどこか冷静に分析する。
無数の破片が九郎の体に突き刺さる。
しかし痛みを脳が認識するよりも早く。
真っ白な光が九郎の全てを塗りつぶした。