第5章 あの艦隊が来る
旅順艦隊が壊滅したという方はロシアを震撼させたに違いない。もはや艦隊に
日本艦隊を撃破することはできなくなったからだ。今更、精鋭艦隊を派遣した
ところですでに遅し、とも思える。
「今頃、サンクトペテルブルグはどうなっているかな?」
「そうもったいぶるなよ。もうイギリスは知っているのだろう?」
「やっぱり、わかったか・・・」
「君はごまかすのがヘタクソだ。」
「10月13日にロシアの大艦隊がリバウを出た。日本には伝達済みだ。」
既に大陸には冬の様な寒さが訪れ、日露両軍はその中で激戦を繰り広げていた。
旅順要塞は一部が陥落したとはいえ、いまだ健在だった。その中で日本が勝利、
あるいは有利な形で終戦を迎えるにはロシアの増援艦隊を撃滅する必要があった。
「艦隊の司令官の名はロジェストウェンスキー、中将だ。」
「ロジェストウェンスキー、覚えておく。」
「それにしても必死だな、日本は。」
「いや、これが日本人だよ。彼らは勤勉で、熱心に自らの任務を果たすべく、
動いている。これまでの戦いから見てもそれはわかる。」
ロシアの大艦隊の大航行はまさに偉大だったが、その偉大さゆえにトラブルが
起きた。そのトラブルは航行の遅れる原因となり、待つ側の日本艦隊を精神的に
苦しめていた。そのトラブルの中には大航行を頓挫させてしまうかもしれない程のものもあった。
「我が国の漁船に砲撃を加えたらしい、それも全体で。本国は怒り狂ってるよ、
中にはこの戦争に参戦し、日本と共にロシアを攻撃しようとか言ってるやつも
いるとか・・・。」
「そんなことをすればヨーロッパが戦場になって、大戦争になるぞ。」
「ヨーロッパは常にその可能性を秘めているから、その考え方は危険だと
私も思う。」
日本の軍船と思ったのだろうか、この誤射事件はリバウ出港後、すぐに起きた
事件だった。日本はイギリスの協力でこの増援艦隊の情報を把握し、いつ来ても
いいように準備をしていた。射撃訓練、艦隊行動の訓練、様々な訓練をし、
情報整理は参謀達を中心に常に行われ、増援艦隊が今、どの辺にいるか
予想していた。どこに敵がいるかわからない大航行、いつ来るかわからない
待つ側、日露双方の艦隊に所属する将兵は精神的に追い込まれている、そう、私は思った。
ロシアの増援艦隊の位置が日本に近づくにつれて、日本艦隊内部には
ロシア増援艦隊がどこを通ってウラジオストックに向かうかの議論が
白熱していた。考えられるのは対馬海峡を通るコース、太平洋に回って津軽海峡を
通るコースだった。もし、コースを読み間違えたらこの世界から消えてしまう、
それゆえに日本の将兵は議論を重ねたが、何も解決しなかった。
「普通なら太平洋コースを通る。しかし・・・。」
「何、独り言、言ってるんだ?」
「ペケナム、君がロジェスヴェンスキーなら対馬海峡と太平洋、どっちを通る?」
「私がロジェストヴェンスキーならかぁ~、う~ん?多少のリスクを背負ってでも
対馬海峡を通る。」
「それはなぜ?」
「最短距離だからだ。大航海を一刻でも早く終わらしたいはず、もちろん
日本艦隊が間違いなく待ち受けている対馬海峡を通ることはリスクだが、
突破に成功すればロシア艦隊の勝利だ。」
大艦隊を率いるロジェストヴェンスキー提督は私やペケナム、そして、
日本の将兵の様にどちらを通るか、脳内で激しい思案をしていることだろう。
彼の判断一つで大航海の執着地点が決まる。
1904年2月8日に始まったこの戦争も1年以上も経ち、すでに1905年と
なっていた。そして、今はその1905年の5月だった。そんな頃、
ロシア増援艦隊はインドシナ半島まで来ていた。しかし、インドシナ半島を
離れた後、突然、消息を絶った。日本艦隊の将兵は太平洋に回ったのではと、
焦りの表情を出していた。
「即刻、津軽海峡方面に向かい、ロシア艦隊の迎撃準備をするべきだ!!」
「いや、間違いなく奴らは対馬海峡を通る、待つべきだ!!」
「どちらにも対応できるよう、能登沖に移動しては?」
なんていう議論が連日、日本艦隊で行われているのでは、と思った。
消息を絶ったのが5月13日、すでに10日が過ぎ、23日となっていた。
その後、再び情報が次々に入る様になった。その中にはロシア艦隊が先頭に邪魔に
なるものが甲板の上に多く載せられていたことや石炭を多く積んでいたこと、
さらには士官が「対馬海峡に向かう。」と漏らしていたことなどがあった。後は
どのコースを通るか、確実にわかる情報が入ればと日本艦隊は動き出すと私は
思った。
「どうやら、ロシア艦隊が遅い理由は無駄に積んだ物資のようだな。」
「私も同意見だよ、ペケナム。もうとっくに日本近海に現れていなければならない
計算だったが、遅いからミスター・アキヤマもあの豆を口にしながら
カリカリしていた。」
「彼は津軽海峡方面移動派の人間らしいが、どこかで対馬海峡を通ってほしいと
思っているはずだ。」
「ああ、彼がロシア艦隊撃滅の作戦を考えたらしい。」
ミスター・アキヤマが考えた作戦がどんなものかは、今の時点で走る由もない。
トウゴウ提督が彼を信用していると思うと想像がつくものではなかった。だが、
着実にロシア増援艦隊は戦闘が困難な状態で彼が張る網に近づいていた。