第4章 黄色の海で~旅順艦隊、堕つ~
第4章 黄色の海で~旅順艦隊、堕つ~
日本の海軍がロシア旅順艦隊を攻略するのに悪戦苦闘している頃、陸軍による要塞攻略が始まっていた。
凄まじい砲撃や銃撃の音が聞こえる。やはり戦争というものは軍人といえども好きにはなれない。陸軍は
ロシアの圧倒的な差の兵力相手に互角以上の戦いをしていたが、常に満身創痍の状態であった。とりわけ
この旅順を攻めている部隊は既に途方もない犠牲者を出していた。
「ミスター・アキヤマ、この要塞は陥落すると思いますか?」
「陥落すると思います。いや、陥落させなければなりません。そのためにも我々がロシア艦隊に睨みを
利かし、そして何よりこの要塞を攻める乃木さんを信じるだけです。」
彼は要塞を見つめながら小袋から豆の様なものを出しては口にしていた。彼の足元にはいくつか
こぼれており、彼の心情が読み取れる。不安で仕方がない・・・彼だけではなく全ての将兵がそうであろう。
「マヌエル、要塞の様子はどうだい?」
「ここからじゃわからないよ、ペケナム。戦闘は向こう側の丘の斜面で行われているんだ。」
「堕ちると思うか、この難攻不落の大要塞が?」
「同じ質問をミスター・アキヤマにしたよ。味方を信じると言っていた。」
「しかし、彼は結構、陸軍に口出ししているという話だぞ。」
「味方を信じるからこそだろう。」
味方を信じる思いに神が応えたのだろうか、旅順艦隊が動き出す。
1904年8月10日、旅順艦隊はウラジオストックに移るべく軍港を出港した。まるで要塞を守る陸軍に
追い出されたかの様な慌ただしい出港だったにもかかわらず、日本艦隊は逃さなかった。旅順の前に広がる
黄海が戦場となった。この海戦が開戦以来、初めて本格的な海戦となった。
「おい、マヌエル。ロシアの艦の大砲、少なくないか?」
「おそらく、要塞防衛のために人員と装備を割いていたのであろう。」
日本艦隊は進路を塞ぐ方向へと動いたが、旅順艦隊はその反対方向へ動いた。旅順艦隊には戦意が
なかった。
「おい、敵が逃げていくぞ!!」
兵達が口々に叫ぶ。日本艦隊はすぐさま回頭し、旅順艦隊の追撃に入った。旅順艦隊は必死に逃げた。
あらゆる方向に艦隊を動かし、ウラジオストックに向かった。一方、日本艦隊はウラジオストックに
行かせまいと追撃、常に有利な位置に着こうと艦隊を動かした。さらに各地に散らばっていた戦隊が
合流し、砲撃を加えた。
「マヌエル、この戦闘をどう見る?」
「ロシア艦隊は致命的なミスをしている。まず、装備と人員が少ないため十分な反撃ができない・・・。」
私は話しかけてきたペケナムに思うところを話した。
「私も同意見だ。そして、ロシアの総司令官は既に冷静な判断ができなくなっている。見ろ、あの陣形では
同士討ちが起こる。この海戦は日本の勝ちだな。」
「いや、まだだ。トウゴウ提督はおそらく撃滅あるいは戦闘不可能になるまでやるはずだ。そうしなければ
日本のロジスティックは崩壊する、ひいては日本全体の敗北につながる。」
「君はそこまで考えているのか。」
私の考えた通り、日本艦隊は攻撃を続けた。無傷ではいられず、旗艦「三笠」もかなりのダメージを
受けているのが遠くからでも分かった。私自身も砲弾の雨が降る中でいろいろとメモしたり、双眼鏡を
覗いていたりしたが奇跡的にケガはなかった。ふと旅順艦隊に目を戻すと信号旗が視界に入った。
その信号旗は指揮権移譲の意味するものだった。
「どうやら総司令官が死んだらしい。これからどうするんだ、彼らは?」
「その指揮権移譲にも手間取っている。もはやバラバラだ。」
旅順艦隊の中にははぐれる艦、ダメージを受けすぎて味方に放置される艦が出始めた。見た目で判断すれば
この黄海における海戦は日本の勝利と言って良かった。しかし、なおも艦隊は残っていた。日本は
旅順艦隊をこの海戦で撃滅することはできなかった。そして翌日、戦意を失った艦隊が旅順に戻った。
「旅順艦隊はまた、あの要塞に逃げ戻ったそうだ。」
「ああ、聞いている。トウゴウ提督はどうするのだろうか?」
「いや、先に動くのはどうも陸軍らしい。何やら巨大な兵器を持ち込んだとか・・・。」
「巨大な兵器?」
巨大な兵器とは何だろうか・・・要塞の向こう側から港にいる旅順艦隊を攻撃できる兵器を日本の陸軍は
わざわざ運んできたのか。その答えを日本はすぐに答えてくれた。
その日、要塞の向こう側からいつもとは違う爆音が聞こえた。そして、その爆音は絶え間なく聞こえ、
着弾点の地面を大きく砕いた。陸軍は長期間に渡り、すさまじい数の戦死者を出していた。なおも攻め続け、
ようやく要塞の一部を制圧する。その制圧した場所は軍港を一望できる位置にあり、そこを観測点に
旅順艦隊に砲撃を加えた。山を飛び越えてきた砲弾が旅順艦隊の運命を決めたのである。
「ウラジオストックの部隊も14日にその力を失った。極東にあるロシアの海上戦力は事実上、
壊滅したわけだ。」
「日本は鋭気を養うため、帰国するはずだ。そして十分な準備をして増援艦隊を迎撃する。」
「本当に来ると思うか、わざわざ大航海をしてまで?」
「私は来ると思う。しかし、私は既に時を逸していると思うがな。ペケナム、イギリスは既に情報を
掴んでいるのでは?」
「さぁな・・・。」
日本艦隊の国の存亡をかけたロシア艦隊との決戦が目前に迫っていた。極東における一時期的な日本の
勝利がさらなる緊張を生み出していた。日本の将兵達は既に次の敵といかに戦うかを考えていた。