第3章 旅順閉塞作戦
1904年2月24日、日本は奇策に出た。日本は先制奇襲によって旅順艦隊の動きを封じたのはいいものの、強力な要塞に守られ、それ以降、攻撃できずにいた。そこで軍港の入り口を封じてしまえということだ。
「いったい何を始める気なんだ、こんな夜中に!?」
「あんなお古の汽船で何ができる?」
「入口に沈めて、ロシアの艦隊を閉じ込めるつもりじゃないか?」
日本の奇策に懐疑的な言葉が観戦武官達の中で飛び交う。今から約6年前の1898年に起こったキューバを巡るアメリカとスペインの戦争でアメリカがスペインの艦隊に対して似た様な作戦を行っている。
「アメリカの観戦武官が言っていたんだが、日本の参謀の一人にキューバでのアメリカの作戦を見たやつが いるらしい。」
「本当か、ペケナム?じゃあ、そいつが今回の作戦を立案したのか?」
「さぁ、どうかな?でもそれを教えてくれる程、軍隊というものはオープンではない、そうだろう、マヌエ ル?」
正直、私も今回の作戦に関しては他の観戦武官と同様に懐疑的であった。キューバの時とはまるで状況が違う。軍港の周りには強力な砲台が設置され、それと共に厳重な警戒網が張られていた。
「ああ、そうだ。いいことを教えてやるぞ、マヌエル。」
「いいこと?」
「英語が堪能な日本の士官に教えてもらったんだがな、その参謀は総司令官のトウゴウから絶大な信頼を得 ているらしいぞ。確か名前は・・・サネユキ・アキヤマ。」
名前を覚えておこう。サネユキ・アキヤマ・・・トウゴウ提督の信頼を得ているのであれば、彼に注目していれば今回の観戦の成果も良いものとなるだろう。そんな考えを巡らせている時、物凄い音が鳴り響いた。ドーンッ!!という音と共に水柱が上がる。どうやら日本の汽船が見つかったらしい。砲台と少し前に軍港入り口付近で座礁してしまっていたロシア軍艦からの激しい攻撃が始まっていた。その攻撃は予想以上に激しかった。
結果は誰も予想した通り、失敗だった。5隻の汽船がこの作戦に投入されたが、その全てが軍港の入り口に到達することはなかった。唯一、着目する点はこの作戦を行ったことによる日本とロシア双方に及ぶ精神的影響であろう。
「なになに・・・この作戦の評価するところ、日本人の勇敢さ・・・」
「おい、何、覗き見てる?!」
「いや、すまない。ペケナムがいつも君に話しかけているのを見て、君に興味を持ったんだ。」
ペケナムの同僚らしい。しばらくこの男と今回の日本の作戦について話した。特に話が盛り上がったのは私が着目していたこの作戦による精神的影響だった。
「この作戦は奇策中の奇策だ。ロシアはビビったかもしれんな。」
「日本人の勇敢さはロシアを威圧したと思います。ますます警戒は厳重になるでしょう。」
「いや~、君と会話は楽しかった。また頼むよ。」
「こちらこそ、ありがとうございした。」
その男は仲間のところへ戻った。彼と会話している間に日本艦隊の下に作戦部隊の生還者が戻ってきた。作戦部隊を出迎えている将校が目に入った。その将校は士官から末端の兵にまで一人一人敬礼し、言葉をかけていた。そんな部下思いの将校こそ、この日本艦隊の総司令官であるトウゴウ提督であった。私は彼に近づいてみた。
「ん?あなたは確か・・・?」
「アルゼンチン海軍大佐マヌエル・ドメック・ガルシアであります。」
「長官、作戦の報告のため、各船の指揮官が待っております。」
「待たせておけ、この方は何かお話があるのだろう。」
「はっ!」
「ありがとうございます。お忙しいところ、申し訳ない。」
「いえ、かまいません。お話があるように見えたので。」
「では一つだけ、今回の作戦の結果についてあなたはどう考えますか?」
「結果はあなたがご覧になった通り失敗です。しかし、これは我が海軍将兵の忠誠心と勇気を示し、士気の高揚につながったと私は思います。」
彼の答えは作戦の失敗を正直に認めている一方で日本側への精神的影響を簡潔に述べている。私との会話を終えるとトウゴウ提督は船内に入っていた。今回の作戦はロシアの十分な大砲とサーチライト、そして入り口付近で座礁していた艦の活躍によって阻まれてしまった。しばらくは膠着状態になる、そう思ったがそうはならなかった。日本は2回、3回と繰り返したのである。私は信じられなかった。
2回目の閉塞作戦は同年3月27日に決行された。4隻が投入され、各船を指揮する士官も1回目とほぼ変わらなかった。その中で私が注目していたのはタケオ・ヒロセだ。日本兵によれば彼は部下思いで人気の士官らしい。彼の話を聞きたいと思っていたが彼は帰ってこなかった。彼の指揮した兵達の話では、死の直前まで、見当たらない兵士を沈みゆく船の中で探していたらしい。見つからず脱出用のボートに乗り移った時に砲弾を受けてしまったようだ。部下思いの英雄的行動で我々も学ぶべきだと思った。そんな英雄的行動があったにもかかわらず2回目の作戦も1回目と同様、失敗に終わった。
3回目の作戦のきっかけはとある事件だった。日本とロシアの両軍は旅順の攻防の間にいくつもの機雷を巻いていた。機雷の威力はすさまじく触れれば戦艦といえども沈む運命をたどる。2回目の作戦から数日後の4月13日、その機雷によって事件が起きたのである。
「マヌエル、聞いたか!?」
ペケナムが驚いている表情で走ってきた。彼が呼吸を整えたところで話しかけた。日本の将兵もいつもより騒々しいと感じていたが、彼も騒々しかった。
「どうしたんだ、ペケナム?そんな表情で、何かあったか?」
「どうやらその様子では聞いてないようだな。耳を貸したまえ。」
「えっ?」
「旅順艦隊の旗艦ペトロパブロフスクが沈没した。おそらく触雷によるものだが、その際に総司令官のステパン・マカロフが死んだらしい。」
総司令官の戦死によって士気が落ちたであろうロシアの隙を突こうと日本は動いた。そして、5月2日、3回目の閉塞作戦が行われた。その結果は惨憺たるもので全3回の内、最も部隊の被害が大きかった。この閉塞作戦は3回も行われたにも拘らず、何の成果もない無益なものになった。しかし、私は激しい砲撃の中に繰り出し、なんとか成功させようとした将兵、そして日本人の恐れを知らない勇気と勝利への熱意を感じ取った。