応答する暴力
放課後、俺は渉に訊いていた麗のクラスに急いで向かう。
1-C。それが彼女のクラスだ。
教室を見ても既に彼女の姿は無い。もう帰ったのだろうか。
しかし、ホームルームが終わってからそれほど時間が経っていないようなので多くの生徒が教室でたむろしている。彼女もそれほど遠くには言っていないだろう。
「おい!アイツ広西さんの彼氏じゃないのか!?」
「そういやあんな奴だったな!
あ、逃げたぞ! 追え!」
野郎共が勘付きやがったのでそそくさと退散する。
あんなんに捕まってたら麗と話が出来なくなるのは確実だろう。複数の意味でその場に居られなくなった俺は廊下も階段も駆け抜け、あっという間に下駄箱へ。
下駄箱には既に麗が居た。お早いお着きだ。
「麗、ちょっと話良いか?」
「…よくない。今から帰るから。」
「頼む、聞いてくれないか? 大事な話なんだ。」
「……何?」
本当に渋々、という感じで俺を見る。
「あの、さっきの三人の事なんだけど…」
「じゃあ良いわ。帰らせて。」
「先週のラブレターにも関係あることなんだよ!」
「それこそどうでも良い。
自分から約束しておいて、それ破った男の告白なんて受けるわけないじゃない。
そんな人間の言葉なんてどうでもいい。ましてや告白しようとしてた相手にそんなことする人なんてね。」
「……」
ぐうの音も出なかった。
俺だって好きな相手の約束を破る人間の告白なんて受けないだろう。
その想いが本物なのかどうかすら、疑うだろうから。
もし、あのラブレターの差出人が分かったら。
その時俺は、その人に何を言えば良いのだろうか。
「じゃあ、帰るから。さよなら。」
遠ざかっていく背中を追うことは出来なかった。
小さくなっていくその背中を、ただただ眺めていた。
「照矢ー! 今日もウチでご飯食べないー!?」
沈んだ気持ちのまま自室で勉強をしていると、佐那が部屋に入ってきた。
昔はいつものことだったが、最近は部屋に来る頻度が著しく減少していた。年頃だから気恥しいのだろう。俺だって佐那の部屋に入る時はちょっとドギマギする。
「え? 今日もか?
そりゃありがたいんだけど、大丈夫なのか? テストが近いはずだろ?」
我が校の一学期の期末試験まで一週間を切っている。
だから普段はあんまり向かわない机に向かい、尻に火がついたように慌てて勉強しているのだが…
「え? あんなの教科書さらっと読んだくらいでそこそこ点取れるじゃない。」
「は?」
…今、佐那は全国の平凡もしくはそれ以下の学力を持つ者と努力家を敵に回しかねない問題発言をした。
聞いてたの俺だけだから誰も敵になってないけど。
「え、ま、まさかお前…結構頭良いのか?」
「まあ、平均点以上は取ってるよ。
でも、それくらい普通じゃない?」
その普通が平均点なんだよ。
俺はというとこんな感じで勉強して、得意な教科は中の上、それ以外は中の下以下と言った感じだ。
だから必死に勉強しないとまずい。サボったら赤点の危険もあるのだ。補修とか勘弁してくれでござる。
「佐那はそれで良いかもしれないけど、俺は勉強しないと点が取れないんだよ…
だから頼む、勉強はさせてくれないか?」
「別に、勉強の邪魔をしに来たつもりじゃなかったんだけど…
ただ、夕ご飯の時は私の家に来てって言いに来ただけだったんだ。邪魔してごめんね。」
「あ、いや、別に邪魔しに来たとは思ってなかったんだ。でも、勉強する時間が欲しかっただけで。」
「それなら良かった…じゃあ、また後で!」
「ああ、美味い飯期待してるぞ。」
足音が遠ざかるのを聞きながら考える。
…佐那の奴、どんな風の吹き回しだ?
昨日カレーを作ってくれたと思ったら、今日も夕食を作ると…
大体親が料理してくれるだろうに、どうしてアイツはわざわざ自分で作るんだ?
『お、お前! それ、胃袋掴みに来てるやつじゃないのか!?』
渉の声が脳内に響く。
…いや、まさかそんな訳…無いよな。佐那は俺のことが好きじゃないらしいし。
『照れ隠しじゃねーの?』
……まさか、まさか本当に?
俺はしばらく勉強の手を止め、考え続けた。
しかし結論が出ることは無く、本人に訊く勇気も出てくることはなかった。結局のところ無為に時間を潰しただけだった。
「照矢、あの三人の事なんだけどさ…どうした?」
悩みに悩みを重ねた俺の雰囲気は著しく沈殿していた。
渉にそれを悟られてしまったらしい。
「…ちょっと分からなくなったんだよ、色々と。」
「わからなくなった? 何悩んでんだよ、言ってみ~や。」
「今俺がしてることは麗の為になってるのか?
ラブレターの差出人が分かったら、その人に何を言えば良いのか?
佐那は本当に俺が好きなのか?
何も分からなくなったんだ…」
「青春してやがるなこの野郎。ぶん殴ってやろうか?」
「俺は真面目に悩んで…」
頬に一つの衝撃。
振りきられた拳は結構本気で振られていたらしく、かなり痛い。
「……迷いは消え…」
無言で渉を殴り返した。
「ああ、おかげで悩みが吹っ飛んだよ。
今のはお礼だ。ありがたくとっとけ。」
殴られた頬は痛いが、殴った拳も痛い。
2人平等に痛み分けって訳だ。
「お前…手加減したんだろうな? 結構痛かったぞ。」
「お前と同じくらいの力で殴ったつもりだ。俺も痛かった。」
「…そうか。
テメー手加減して無かっただろ! めっちゃくちゃ痛かったぞ!」
「お前も手加減して無かったんだろ!? だから俺も手加減なんてしてねーよ!」
「ああぁ!? お悩みを物理的にぶっ飛ばしてやったんだ!相談料みたいな感じで手加減くらいしろよ!」
「相談料はリフレクトしただろバーカ!」
「相談料は手加減にしろよ!」
「ああ分かったよ! 手加減して殴ってやるからちょっとそこ動くな!」
「余計に一発追加すんな!」
どうやら、俺は悩み事を見過ぎて視野が狭くなっていたらしい。
そう言った場合、一度離れて視野を広げて、もう一度見つめ直せば良いアイディアを思いついたり、新たな発見をすることが出来たりする。
しかし、視野が狭くなっているときに限ってそのことを忘れることが多い。
渉の暴力のおかげでそれを実践することが出来た。相談は仕事に置いても連絡や相談に並ぶほど重要な物だと再認識できた。
さて、あれらの悩みについて、見つめ直してみて思ったことと言えば…
俺にはわからん!
俺一人で深く考えたところで分かるものでもないし、本人に相談するような案件でもない。
他人に相談しても正確な回答が得られるとも限らないのだ。だったら行き当たりばったり、俺が良いと思ったことをやる。それ以外に方法は無いだろう。
失敗したならそこから学んでやると、それくらいの心意気は持った方が良さそうだ。
少なくともさっきみたいにウジウジ悩んでいても仕方ないだろうしな。
「…じゃあ、改めて渉。
三人の情報頼む。」
「ああ。
三人が麗に嫌がらせをしてるって裏が取れたぞ。内容もバッチリだ。」
流石と言うべきか、いい仕事をしてくれる。
将来は新聞記者とかのマスコミ関係の職が期待できるだろう。
「で、内容って言うのは?」
「内容としては、いじめって言うより嫌がらせに近いな。
靴隠したりはしないけど、わざと靴のかかとを後ろから踏んだり、全校集会の時に足を蹴ったり…
わざわざ嫌がらせしに来るって言うより、近くに来たらするって感じだな。」
「…いずれにせよ感じが悪いな。」
「で、ここからが重要な情報だ。
その嫌がらせ、今週に入ってからどうもエスカレートしてるみたいっつーか…嫌がらせの頻度が高くなったらしいんだよ。」
「今週…って、まさかとは思うが…」
偶然の可能性もあるけどな、と予防線を張って渉は続ける。
「先週の告白と、今週のスキャンダルが影響してる可能性が高い。
っていうか、『彼氏できたからってチョーシに乗ってない?』とか言ってたって証言が取れたから、ほぼ確実だろうな。」
…と、言うことはまさか…
あの三人のうちの誰かが俺にラブレターを書いて。
待ち合わせ場所に行ってみたら麗と俺が一緒に居たのを見て。
それが原因で麗への嫌がらせがエスカレートした…?
……じゃあ、もしかして俺のせいで?
「…悪いな、俺、その可能性は否定できないんだ。
お前が考えてることは分かるよ。俺もそう考えたから。」
罪悪感が心を苛む。
しかし、同時に俺が何とかしなくては、という使命感も燃え始める。
麗には俺が助けてやるとは言ってやれない。俺が元凶なのだから。
でも、あの三人のうちの誰かに――
――ノーを叩きつけてやる。