切迫する魔手
「なんだ、照矢君の彼女じゃないんだ…」
安心しているのか、がっかりしているのか。
俺と先輩の関係を聞いた愛依はよく分からないため息を吐いた後、ポテトを口に含む。
「か、彼女の訳がないだろう!」
「へぇー…」
妙に慌てた様子の先輩を見た愛依の目は怪しい通販番組を見る目と同じだ。最近の若いもんはネットばっかでそんなん見てるやつあんまりいないだろうけど。
「そもそも、俺彼女いねーし。非リアだし。」
「世間的には二股男だけどね。」
「…事実無根だ。」
「ダウトだ城津。」
「根拠はあるんだよね…」
根拠は思い当たってしまうが、佐那と麗はマジでなんもないただの友人関係だ。
だから俺はいつまでも否定する。非リアから謂れの無い視線や罵詈雑言を浴びせられたくはない。
「あ、でも明日木さんを含めたら三人か…」
「明日木とはマジでなんもねーよ。」
っていうか一番無いだろ。明日木はマジで何も無かったし。
確かに、佐那は幼馴染だし麗は一、二回(一回目俺が助けた事にして良いのだろうか?)は助けはした。
でも、だからって俺に惚れてるかと言われれば違う。
佐那はいつも通りだし、麗はちょっと丸くなったし名前も呼ぶようになったけどそれ以外はあんまり変わって―――めっちゃ変わっとるやん。
―――麗が俺に対する扱いを変えたのは恩があるからだろう。決して惚れた腫れたとかの問題じゃないはずだ。
「ついでに私も加わって、四股だね。」
「加わるな加わるな、冗談キツイぞ。」
そこまで来たらそこらの奴からホントに刺される。死んじゃう。死にたくない。
「バレた?」
そりゃな。
お前とはなんもねーんだよ。きっかけ的な奴が。
「それより、お前なんでここに居るんだ?
ここまで来ると偶然でも怖いんだけど。本当に付けて来てないのか?」
「何回も言ってるけどそんなことしてないって。
それに、もしストーキングしてるとしても、家族ぐるみでそんなことしないでしょ。」
「家族ぐるみ?」
「ん。」
愛依が横を向いて顎をしゃくりあげる。
その先に居たのはバーベキューの時お世話になった愛依の両親。2人とも恐すぎるんですけど。
二対の視線はこの浮気者と叫んでいる。無実です無実ですと視線を送ってもその視線を弱めることは無かった。むしろどんどん般若に近付いていく。あ、般若って女性限定だった。とーちゃんは普通に恐い顔ってことで良いか。恐い恐い。
「……戻らなくて良いのか? っていうか戻れ。そして先輩と俺とついでにお前がただの友人関係だって伝えて来てくれ。」
「どうしよっかなー…」
「悩むことは無いだろ、即刻誤解を解きに行くんだ。」
「あー…それは良いんだけど、ちょっとその前に頼みがあって…」
「…なんだ?」
『実は今までストーキングしてたけどこれからも黙認してくれない?』とかか?
「ママから水族館のペアチケット貰ってたんだけど…一緒に来てくれない?
照矢君と2人で行ってこいって聞かなくて…」
………面倒な誤解をされたもんだなぁ…
「この前の焼き肉のお礼だって! あの後トイレが混まなかったから助かったって、パパも言ってたよ!」
「え? あのおっかない親父さんが?」
「うん、家トイレ二つしかないから、皆お腹壊した時は毎回パパだけ近くのコンビニに行ってて…」
パパさん苦労してるなぁ…
「話を戻すけど…水族館、どう? 来てくれない?」
まあ、予定は無いんだけどな…乗っていいものか。
乗るな照矢! 戻れ! って心のどこかで誰かが叫んでるような気がするんだよな。
「………」
ここで、先輩が頬をぷにぷにつついてきた。
何だと思って見てみるとぐっと親指を立てていた。
『知らないから嫌なんだろ?
もっと話をして、もっとお互いを知って、友達になれば何度会っても嬉しくなるさ―――』
……
「水族館か…俺も同行しよう。いつ出発する?」
「え!? 一緒に来てくれるの!?」
…乗ってくれるだけのオタク力は無かったらしい。
ちなみに私のオタク力は53(当社比)です。
「……ああ、うん。行く行く。いつだ?」
「明日!」
急。
まあ、俺の夏休みは予定ゼロの行き当たりばったり。そのくらいの急用に対応できる程度の柔軟性くらい持ち合わせておるわ。フッハッハ。
「分かった。集合場所は?」
「迎えに行くから、照矢君は家で待ってて良いよ、ママが送ってくれるって!
九時まで準備しててね! また明日!」
「了か……ん?」
なんで俺んち知ってんの? やっぱアイツストーカーなんじゃ…
そうは思っても、残念ながら彼女は立ち去った後。問いただすことは出来ない。
…親の目の前でストーカーかとか言う勇気なんて無いです。
「城津、やったな。早速親睦を深める機会が出来たぞ。」
「……そっすね。」
重くなった気分をごまかすようにストローを吸う。
口に入ったのは微量の氷水が混じったジュースと、ズズッという不快な音だけだった。
「城津…照矢…」
とある座席で、一人の男が聞えて来た名前をぽつりと呟く。
彼の顔には徐々に憎悪が浮かんでいく。その脳裏に浮かんでいたのは呟いた男の顔だった。
「アイツのせいで、アイツのせいで…!」
心の声が口から漏れだす。しかしそれは静かで、誰にも聞こえていない。
そんな彼の横を一人の女が通る。
つい先程、照矢と水族館に行くと言っていた女だ。
(随分な仕打ちをしてくれやがって…しかも、女を何人も誑しやがって。)
男の苛立ちは強くなっていくばかり。
心が黒く、深い闇に染まっていく。いつしか食いしばっていた歯の感覚すら不快だった。
(……そうだ。)
…それに思い至るまでに時間はかからなかった。
彼への怒りと嫉妬、その僻みを持てば。
(…ハハ、明日が楽しみだ…
復讐の時は近いぞ…城津照矢!)
昏い笑みを浮かべた男は、店を後にした。
それを照矢達が知る由も無かった。
翌朝。本当に俺の家まで迎えに来た愛依の母の車に乗り、水族館へ行く。
なんで俺の家を知っているのかと聞いても、テキトーにはぐらかされるばかりだった。
娘からの情報提供だろ、どうせ…その娘もしらばっくれてるけど。
「見えてきたよ! 水族館!」
水族館は……うん、大きいな。感想終わり。
強いて言うなら特徴的な形かな~とは思うが、水族館にはあまり行った事が無いので水族館の形なんて普通も特徴的も知らない。まあでかいことくらいは共通してんだろ。
夏休みシーズンに加え、今日は日曜日。その為か、親子やら大人のカップルやらの姿が多いように見える。
日曜日になってしまったのは恐らく愛依の母の都合だろう。とは言っても送迎だけで付いて来ないみたいだけど。
ちなみにおっかないとーちゃんは送迎に来なかった。愛依の母曰く柱に縛ってきたとか。割と本気でやりそうだから返答に困った。
水族館の駐車場の前は、渋滞とまで行かなくても混んでいたため近くの道で車を降り、そこからは歩くことにした。とは言っても目と鼻の先なのでさっぱり負担にはあっつい。
太陽はギラギラと攻撃的な光を浴びせ続けている。ちょっとの距離でも歩けば汗は出る。
が、それもすぐに終わり冷房の効いている屋内へ。
チョー気持ちいい。濡れタオルは帰りまで出番無しだな。ビニールに入れてしまっとこ。
「……照矢君、なにしてるの?」
ガサガサしてたらそりゃ見られるわな。
「見ての通り、タオルしまってるだけだけど。」
「もうそんなに汗かいたの?」
「いや、家で濡らしてきたやつだ。
首に掛けると涼しくなるぞ。皆じじ臭いとか言ってやらないけど。」
「へー…運動する時とかには良いかも。」
「いつもしとけ。」
「えー…おしゃれじゃないし。」
「ちょっとは実用性を見ろ。」
と、他愛も無い会話を続けてしばらく。
ようやっとチケットを提示してエントランスから抜け出した。
最初に出迎えたのは通路だった。左右には水槽があり、様々な海洋生物が展示されている。
「ちっちゃい魚~!」
「そうだな。」
水槽の下にはその海洋生物の名称と、その説明文が書かれた紙をラミネートされた物が貼られている。
小っちゃい魚は別に興味が無かったので紙をよく見なかった。最近の水族館はこうなんだなーって感じできょろきょろしている。都会に出てきた田舎者、という印象を抱かせるかもしれない。
「あ、タツノオトシゴ!
…オスが出産する!? そうだったんだ!」
「そうだな。」
前にテレビかなんかで見たなそれ。確かメスがオスに卵産みつけてるんじゃなかったか。
雌雄同体とか、成長したら性別が変わる魚とかが居るんだ。オスが出産する習性を持っている生物がいても別におかしいことは無い。
「あっちに大きい水槽があるよ! 行こう!」
「そうだな。」
廊下を曲がると壁のほぼ一面を占拠している巨大な水槽があった。
そのガラスの向こうには多くの種類の生き物が泳いでいる。っていうか多いな。一つ一つ解説すんのだるい。
あ、せっかくだし写真撮ろっと。
「照矢君!
私、楽しいよこのデート!」
「…そうか。」
デートって言うより子供と保護者って感じだけど。
キャーキャー騒ぐ子供と、それを見ながらのんびり付いて行く親。このテンションの差は彼氏彼女のそれとは思えない。そもそも彼氏彼女の関係じゃないんだけど。
もちろん、俺も滅多に来ない水族館に来ているとあればテンションは上がっている。
全く表に出ないって言うか、愛依みたいにギャーギャー騒ぐ気になれないって言うか…そんなところはあるけど。
すっげー! すっげー! じゃなくて、おお、みたいな感じ。分かる?
「綺麗ね…」
「ああ…」
そうそう、デートっつったらあんな感じだ。静かに語らいあって、手を繋いで………
…って言うかあれさっき見た大人カップルじゃねーか畜生。子供と孫に看取られながら安らかに爆死しやがれ。
…どんな手順を踏んだらそんな状況になるんだよ。流れ星でも叶えられんわ。
「…照矢君、妙にテンション低くない? もしかして、楽しくないの?」
「もちろん楽しんでる。
楽しみ方の問題で伝わってないだけだ。そこは気にしなくても良い。」
「温度差ありすぎて気になるよ…」
気にされてもなぁ。
と、そんなこんなあれこれそれこれどれこれ話しながら2人で水族館を歩いて行く。
テンションは逆転することも無く、俺はおーおー、愛依はキャーキャーといった具合で進んでいった。
「ちょっとお花を摘みに…」
「行ってら。」
その途中、わざとらしく恥ずかし気に言う愛依に対して素っ気ない返事を返す。
彼女は一瞬ムッとした表情になるが、すぐに踵を返してトイレに行った。
「……離れたか。」
彼女に迫る魔手には、まだ気付かなかった。




