決着する因縁
「………」
思考が止まる。
絶望感が心を包む。羞恥心が心を燃やす。
失敗した…穴があったら入りたい。もしくはこのまま消えてなくなりたい。
「え? 何?
もしかして私達の誰かがアンタのラブレター書いたと思ってたの?」
「チョーウケるんですけど!」
嘲笑の刃が心に刺さる。
内心はパニック、顔は恐らく真っ赤。今回は毅然さが求められているがここから毅然さどころか落ち着きを取り戻すのは困難だろう。
「…下がってて。」
麗の手が俺を押しのける。
チラリと覗いた顔はいつも通りの鉄面皮だったが、内心では呆れかえっているだろう。音の無いため息が聞こえるようだった。
そのあたりについて何も言わないのは気遣いかもしれないが、それがかえって俺の肩身を狭くした。
「じゃあ、なんで屋上に行こうとしてたの?
確かに誤解した彼も十中八九悪いけど、誤解されるようなことをした貴女達も一、二割くらいは非がある。」
「あたし達は何も悪くないよぉお~? だって、元々あそこはあたし達がいつも来てたとこだし。」
「部活までのちょっとの間だけだけど? いっつもそこに集まってちょっと喋ってたから?」
「その日もそうしようと思ってたらアンタたち2人が居て、しかたな~く譲ってやったって訳。」
「広西はともかく、そこの勘違いヤローが居たからな!」
「…じゃあ、今週から嫌がらせがエスカレートしたのはなんでだ?」
この疑問は重い口をこじ開けてでも訊きたかった。
俺の勘違いの最たる原因はその疑問にあったのだから。
「ああ、彼氏が出来たって聞いてムカついただけ。
そこの勘違い君が言った悪くない顔のあたし達ですら出来てないってのに。下剋上でもしたつもりかって思ってね。」
「…酷い逆恨みね。そもそも私は貴女達を上として見たことは無いし、クラスメイトに上下は無い。」
「エラそーに。そう言うアンタこそ、クラスメイト見下してるんじゃないの?」
「……」
図星を刺されたか、広西は口をつぐんで黙り込んでしまった。
「反論できないんじゃない?」
「チョーウケるんですけど!」
「………」
…これじゃ、麗への嫌がらせを止めさせるどころじゃない。
このままでは、麗は先の俺の羞恥心なんて些細な物だと思わされるほどの目に遭わせられかねないだろう。
俺のせいで……
…それだけは、嫌だ。
「…麗だって聖人じゃない。
確かに、人は誰だって上下を作るし、好き嫌いもある。お前達みたいにな。」
だったら、せめて精一杯ぶつかる。
俺は決して口達者ではないが、それでもひたむきに気持ちをぶつけるしかない。
「はぁ? 何が言いたいの?」
「それが広西のフォローのつもり?」
「チョーウケるんですけど!」
「でも、麗はお前達みたいに嫌がらせなんてしてなかった。
麗は、本当はきっと良い人間なんだ。麗が思ってる以上にな。」
「…!」
「俺は麗のことはあんまり知らない。でも、嫌ってるはずの俺にも感謝の気持ちを忘れないし、本当は嫌だろうに、家族の為なら嫌ってるはずの俺を家に連れてくることだってする。結構家族想いなんだ。
そんな麗の善さは…ちょっとだけだけど知ってる。
今回だって、俺の自己満足の為にお前達をここに呼んでくれて、麗もここに来てくれたんだからな。」
俺にとって、麗は嫌な奴だけど悪い奴ではないのだ。
悪い奴じゃないと分かっているからこそ虐げられているのが我慢できず、それを止めるべくこうして行動に移れている。
守りたい相手と言うのは、愛がどうのとかそんなことを語る相手でなくても良い。
ただ助けたいと思ったから。救われてほしいと思ったから。俺は今ここに居るのだろう。
「……ふ…っは、はははははは…」
「ぷっ…」
「「「ははははははははははは!!」」」
三人は腹を抱えて嗤い始める。
「ひ、広西が、良い人間だって!」
「ははは、い、良い人間が、こんな奴が良い奴だなんて、そんな訳無いじゃん!」
「………」
歯を強く食いしばる。
こめかみが隆起し、頭に昇る血が増えていく。
拳は痛いほど強く握られている。ぶわりと全身の毛が逆立つような錯覚を覚える。
「…止めて。」
麗に肩を掴まれる。
沸騰している頭はわずかにクールダウンするが、それは束の間の話。肩を振り払わずにもう一歩踏み出そうとした時だった。
「…城津? こんなところでなにやってるんだ?」
フェンスの外から掛けられた声。
その声を聞いた瞬間、昇った血は降下していき、拳は握る力を緩める。
「…雲道、先輩?」
まさかの乱入にあっけにとられたのは俺と麗だけではなく。
何故か三人も腹を抱えた姿勢のまま、顔を雲道先輩に向けてあっけにとられていた。
「なんだ城津。お前は陸上部の後輩と知り合いだったのか?」
…数分前に思い出したのだが、雲道先輩は陸上部。麗に嫌がらせをしていた三人も全員陸上部だ。
すなわち、雲道先輩は三人と面識があるどころか部活の先輩後輩という間柄と言う訳だ。
「え、えと…知り合いだったというか、ついこないだ知ったというか…」
「き、聞いてくださいよ雲道先輩!」
話していた内容が内容だったため、情報量が多くてしどろもどろになっていると三人のリーダー格…確か、浦美だったか。彼女が声を上げる。
三人は先輩を前にしているせいか緊張している。先輩はいい成績を残していると聞くが、尊敬されているのだろうか。
「どうした?」
「コイツが、私達がこの広西さんをいじめてるって言いがかりをつけてくるんですよ!
止めないようならその…体で払えとか、身に覚えが全くないのに!」
「なに!?」
げっ…コイツ、先輩に嘘吹き込むつもりか。
先輩はその馬鹿っぽい性格のせいでかなり騙されやすい。それを突いて俺を加害者、彼女らを被害者と立場を逆転させるつもりか…
「…本当か? 城津。」
「違います。
彼女は本当に虐げられていましたし、体を要求したというのは真っ赤な嘘です。」
こういった場面では男側は不利になる。
それでも俺はまっすぐ先輩を見て、真実を答えた。
「……だ、そうだぞ。」
「「「「「え?」」」」」
俺を含めて先輩以外の誰もが拍子抜けしたような声を上げる。
「命の恩人の言葉だ。天秤にかけるつもりじゃないが、私は城津の方を信じるよ。」
「え…命の、恩人?」
「もしかしてそれって…」
「前に熱中症に注意しろって言った時に話しただろう?
私が熱中症で死にかけて、ある人に助けられたと。
その人がこの、城津照矢…私の、自慢の後輩なんだよ。」
「「「………」」」
三人の顔は真っ青になる。
尊敬する先輩の命の恩人に、罪を押し付けようとした罪悪感からだろう。
「「「す、すみませんでした!!」」」
三人はしばらく頭を下げっぱなしだった。
「信じてくれてありがとうございます、雲道先輩。」
あの後、部活の為立ち去ってしまった先輩に改めてお礼を言おうと部活が終わるまで図書館で時間を潰して昇降口の前で先輩と合流した。
明日でも良いじゃないか、と思わなかったわけじゃないが、俺の気持ちがそれを拒んだ。絶対に今日お礼を言いたいと聞かなかったのだ。我ながら頑固な心だ。
「いや、当たり前だよ。
それに、これであの時の借りは…少しでも返せたかな。」
「もう充分返してもらってますよ。」
出会ってしばらくは本当にお世話になった。
色々なところで親切にしてもらって、こちらが申し訳なくなるくらいだった。
「いや、まだまだ、命の代わりって言うには足りないよ。
……私はバカだから疑えない。
でも、信じる事なら出来る。それが私が出来る、城津への恩返しだ。」
「…雲道先輩。」
ジーンと、涙腺に響く言葉。
先輩は確かに、自分で言うようにあまり頭が良いとは言えないかもしれない。
でも、だからこそ。取り繕わないからこそ、こんなに心に響く言葉が言えるのだろう。
「先輩、校門で待ってる人が居ますよ。」
「校門で?」
昏くなり始めた空の下。校門に目を向けると、そこには黒い髪を小さな風に揺らせながら立つ一人の少女が居る。
「…行ってあげてください。俺はここで。」
きっと、麗は俺が居たら先輩に伝えることは出来ないだろう。
自身の気持ちを隠さずにはいられないだろう。そんなフィルターを通った言葉を聞かせたくないだろう。
俺の気持ちは既に伝えた。
だから、城津照矢はクールに去る。
「…照矢。
あの子が例の?」
「そうですよ。」
「……すまない、私は彼女と接点がまるで無くてな…
ちょっと話しづらいから、一緒に来てくれないか?」
「え? でも…そうしたら麗が素直に…」
「あの子の素直な気持ちは、後で聞くよ。
お前に紹介してもらって、仲良くなってから。」
「……そうですか。」
ふっ、と笑って先輩と一緒に麗の下に行く。
俺が家に着いたのは、すっかり日が暮れた後だった。




