アンダーカーペット(1/3)
樹海と聞くと日本人は青木ヶ原樹海を想像するらしい。
富士の樹海。自殺の名所。迷いの森。電子機器が狂う、などなど。
だいたいが創作物やメディアが作り出したイメージや誤解によるものなんだろうが、実際にこうして樹海を歩いていると俺自身そのうち白骨死体でも見つかるんじゃないかと嫌な気分になってきやがる。
とある快晴の日。俺は独りで樹海の中を彷徨っていた。
黒いベストとズボンを身にまとった俺は大木の横で立ち止まると背負っていた軍用リュックサックを降ろし、その中からコンパスと地図を取り出した。ついでに取り出した水筒の水を飲みながら現在の位置を確認する俺。上を見上げたが鬱蒼と多い茂る巨木によって視界も日光も遮られている。
「ちっ。コンパスも使えないか」
俺は忌々しくそう呟くと、クルクルと針を回すだけのコンパスをリュックサックにしまった。
俺は一番近くにそびえる巨木へとよじ登り始めた。途中邪魔な枝を手刀で切りながら俺は巨木の先端へと到達し、久々の直射日光を浴びる。地上三十メートルくらいだろうか。眼下には似たような緑が広がるつまらない景色が広がっている。人工物はまったく見当たらない。わずかに岩場や細い川がある程度だ。
それでも現在地を知る情報としては十分。俺はさっさと木から降りると再びリュックサックを背負い歩き始めた。
歩きながら俺は左足にむず痒さを感じすぐさま手を使って調べてみた。
案の上、俺の指先は体毛へと侵入していたダニを捕えた。ったく、これだから森は嫌いだ。俺は無慈悲にダニを潰すと、自分の足と尻尾を調べた。幸いにもダニは見つからなかった。
トチ狂った研究機関ーーMS機関によって人間から狼獣人へと改造された俺だがこの体になったことで色々と不便も増えたもんだ。特にダニには人間だったころ以上に悩まされる。有効な薬と日頃の手入れのおかげで今のところ大問題にはなっていないが、面倒なことに変わりはない。
現在地を把握した俺は歩きながら人間以上の嗅覚を誇る自慢の鼻をひくつかせた。不便になったこともあるが、狼獣人になって良いこともある。匂いでターゲットを探れるのはその一つだった。
二日前のことだ。
MS機関の日本支部を出発した俺はM県を訪れていた。赤嶺地方と呼ばれるこの地には一軒の豪邸が建てられていた。西洋風のその建物には日本の自動車産業で財を築いた男がいる。男は世間から会長と呼ばれていた。
MS機関の職員が運転する車に乗ってやってきた俺は家政婦に連れられて会長のいる応接間へと案内された。赤と金の糸で編み込まれた絨毯。ライオンの剥製に金色の額縁に入った奇天烈な絵。金持ちの定番とも言えるような部屋だ。
会長と俺はソファで向かい合う形で座ることになった。七十近い爺さんと聞いているが、会長は実年齢以上に若々しく見えた。姿勢や服装。そしてこれまで積み重ねてきた実績と自信に満ちた目がそういう印象を与えるのだろうなと俺は思った。
「狼獣人とは驚いたよ。長生きはするものだな」
「俺と合う爺さんはだいたいそう言うぜ会長さん。それにしても大グループの会長がこんな狼に直接会ってくれるとは驚きだ」
「はは。まぁ、私も追い詰められているということかもしれんな」
自虐的な言葉を口にした会長は急に年相応に老け込んで見えた。
「大牙という名前だったかな? お前さんは色々とトラブルを解決した実績があるそうだね」
「解決したとは限らねぇな。力づくで有耶無耶にしてきたことの方が多いかも知れない」
「なるほど。私も似たようなことをしてきたな」
「そうかい。で、今回も力づくで解決しようってわけか?」
「そう見えるなら別に構わない。私としては息子が見つかればよい」
「‥‥‥10年前に樹海で遭難して未だに見つかっていないそうだな」
会長は俺へ事情を説明し始めた。当時二十二歳の息子が樹海へ探索に出かけてから行方不明になったこと。警察や消防が懸命に捜索したが息子は見つからなかったこと。捜索が打ち切られても諦めきれず、息子の手がかりを見つけた人に懸賞金を出すことにしたこと。説明し慣れているのか、淀みなく会長は喋り続けた。
「年々懸賞金の額を増やしてね。今では1億円を懸けている。衣類や持ち物を見つけても500万円は払うつもりだ。そういうことを初めて9年が経つが息子は見つからない」
「とっくに樹海を出て人知れず生活しているとか?」
「その可能性もあることは分かっている。探偵を数グループ雇い日々調査させているよ。そして成果なしだ」
「なるほど。しかし、あんたは成果をあげていないがこの地方は潤っているみたいだな? 赤嶺樹海だっけか? その周辺の赤嶺地区はだいぶ観光業で儲けているそうで?」
「そのようだね。ツチノコ騒動のようなものだ。知っているだろ? 未確認生物で町おこししている地域があることを」
「そういう盛り上げ方があるのは知っている。つまりあんたの息子がツチノコ扱いされているわけだ」
「最近は噂を聞きつけて海外のトレジャーハンターがやってくるほどだそうだ。『赤嶺樹海! 消えた青年を見つけて賞金獲得ツアー』なんていう旅行代理店の企画まで開催されていると聞いている。まぁ、地域の役に立っているとも言えるが」
「まぁ、俺も同類なんだけどな。たまたま日本支部での仕事が無くなっちまってさ。暇つぶしに何かないかなと思ったらこの遭難騒動を聞きつけてな。参加してみようと思ったわけさ」
「理由はどうであれ息子を探し出してくれると言うのなら歓迎だよ。そうそう、頼まれていたものは用意できているよ。息子の衣類で良いんだね?」
「ああ。匂いを辿れば見つけられるかも知れないからな。借りていくぜ会長さん」
「期待しているよ、狼」
そんな会長とのやり取りを経て今現在俺は赤嶺樹海というだだっ広い樹海を彷徨っていた。
俺が背負うリュックサックの中には会長が用意した息子のズボンが入っている。
正直男の衣類なんて嗅ぎたくはないのだが、特技を活かさない手はない。定期的に俺はズボンの匂いを嗅ぎながら息子の行方を捜索していた。絵面的に変態チックに見えなくもない行為だがその甲斐あってか俺はついに痕跡となる残り香を嗅ぎとることに成功した。
流石に10年前の残り香なんてあるわけないか、と思っていただけに大成果だ。
俺は口元を緩ませ残り香を追跡し始めた。頭の中はすでに懸賞金の使い道で満ち始めていた。狼獣人になってから纏まった金なんて手に入らなかったからな。いつも借金ばかりだし、お目付役に金銭は管理されちまうし散々だった。よし。いっちょ派手に豪遊してみるか。
豪遊内容を想像していたためか、俺は油断をしていたらしい。
前方から飛んできた何かに直前まで俺は気づくことができなかった。
ゴルフボールくらいの球が俺目掛けて飛んできたのだ。俺はとっさに避けようとしたが間に合わなかった。球は俺の肩へとぶつかり、パリンという音を鳴らして割れた。
痛みはなかった。ダメージは全くない。しかし、球の中には液体が入っていた。透明なその液体は俺の毛皮を濡らしながらあっという間に気化したようだ。別に強酸というわけでもなく、俺の体は無傷。しかし、気化した物質が俺の鼻腔へと侵入した瞬間、
「ぐあああああああああああああああっ!!!!」
俺は絶叫した。鼻を押さえ、体を丸める。鼻から脳へと強烈な刺激が送り込まれ思考が一瞬停止した。しかしそれは一瞬であり次の瞬間に俺の心臓は鼓動を早め、胃袋がざわついた。ぴくぴくと嫌な胎動を繰り返した俺の胃袋は刺激に耐えきれずその中のものを食道へと逆流させる。
俺は吐いた。たくさん吐いた。嗚咽を漏らし、目には涙が流れた。
息を荒げた俺は深く深呼吸する。そして再び気化した物質が俺の鼻へと暴力をしてきた。
「臭えええええっ!! なんだこれぇええ!」
ペットポトルの水を一気に飲み干し、俺は胃酸で痛む喉を洗う。涙が止まらないが俺は周囲へと警戒を広げる。そして鬱蒼と茂る木々の間から俺の方へと向けられた視線に気づいた。
森の奥に迷彩色の軍服を身にまとった女が1人いた。背中には四本のロボットアームのような装備をしており、アームの先端には砲塔のようなものが付いている。ふんわりとした茶髪の若いその顔立ちに俺は見覚えがあった。というか知り合いだった。
「てめぇか、さくらぁあああ!」
MS機関所属の職員であり、この俺ーー狼獣人のお目付役。
木下さくらが小悪魔スマイルで存在していた。
次話は11/12の12:00ごろに投稿します




