7 舞踏会
舞踏会当日になった。
私は緊張しながらドレスを着せられ、支度をした。
ドレスやジュエリーの色だけで、クラクラしているってどうなんだろう。
自分の瞳の色に合わせたドレスを着ていることは、特別な人――恋人とか婚約者、そこまで行かなくても想い人――だと言う暗黙の了解があるのだけど、騎士団がくれたものだから、公爵が恋人として私にくれたものではないのは知っている。
でも――
マクシミリアン公爵の瞳と同じ色のジュエリーもまた、ドレスと同じ意味を持つわけで……。
騎士団から贈られたドレスの色に合わせただけ、ブルーダイヤモンドの宣伝もあるから、たまたまなのだろうけど、気持ちは耳元で揺れる宝石のようにそわそわして止まらない。
ふぅ。深呼吸してみる。
ベスがそれを耳にして聞く。
「今日の舞踏会も護衛なのよね? マリーが緊張するくらい何か危険があるの?」
「いや、特にはないと思うけど」
「このドレスとジュエリーの色が気になるのでしょうよ」
クスクス笑うカレンが聡い。
顔が少し赤くなるのを感じる。
恋心を分かった気になった十五歳の一目ぼれだったが、最近はさらに上の感情やドキドキにも種類があるらしいことを経験しては、その分、落ち込んだり嫉妬にも似た感情が芽生えることもあり、自分の中の感情を持て余してしまう。
ベスたちが手伝ってくれるので、今日の姿も自分とは思えない出来栄えだ。
化粧すると確かにぼやっとした顔がきりっとして、奇麗に見える気がするのだ。公爵がお気に召すかは分からないが。
最後にフローラが今流行りだという薔薇の香水をシュッシュッと振りかけてくれた。
この香水がトラブルの元になるとはこの時知りもしない私はローズの香りを胸に吸い込んだ。
「ありがとう。行ってきます」
「うん、いい舞踏会を」
フローラは婚約した。貴族だから、一年程期間を置くのが普通となっているけれど、半年後に結婚する。幸せそうなフローラを見ていると、こちらまで気分が上がる。
玄関に向かうと、公爵はすでに一見黒に見える勝色のフロックコートを着こなして待ってくれていた。左腕を後ろに回して、すらっと立つその姿が恰好よくて何度見ても、見惚れる。
こちらに気づいて一瞥くれたが、すぐに執事と話を再開している。
……あまり似合ってないのかな?
前回は驚かれた後、褒めてくれたんだけどな。「お前に似合うドレスがあったんだな」は褒め言葉のはず。少し微妙な前回の会話を思い出す。
ほんの少しシュンとなりそうになったところに、護衛兼執事たちから声がかかる。
「マリーが奇麗とか本当驚きだな」
「化粧で化けるって本当なのな」
「褒め言葉をありがとう、トビアス、ケイン」
うん、化粧のお陰だとしても、この顔は間違いなく私だもの。胸を張ろう。
公爵に腕を出されたので、エスコートしてもらい玄関から出て、外階段を降りる。後ろで「俺たち褒めたか?」「いや」とか言う言葉が聞こえたが、トビアスたちより公爵にどう思われているのか、のほうが気になる。
ちらっと盗み見る公爵の横顔は普段と同じ無表情でよく分からない。一人勝手に気持ちが揺らぐのはなぜかよくは分からないけれど、公爵が素敵すぎるから、ということにしておこう。
ドレスは邪魔にならないが、腰から歩くことと、いつもより少し歩幅を狭くすることに気を取られてしまう。寄りかかれる腕があるのはヒールを履いて降りる階段ではとても頼りになる。
馬車に乗るのは公爵と私の二人。
前回は窓部分がオープンのツタ模様が美しい四輪馬車だったが、今日は窓が小さめの箱型コーチ。
護衛として公爵に付いて行く身分ではあるが、着飾った姿で隣にいると、変な緊張をしてしまう。二人っきりの空間に慣れないせいもあるとは思うが。
うーん、隣の足が長すぎる。十分な広さのある車内だけどそれでも、足が前についている。姿勢が良くて、恰好いい。目をつぶっていると、目つきの悪さより、実は長いまつげが際立つ。
これだけ何でも揃っていて、なぜ三十二歳の今まで独身なのだろう。
実はどこか重大な欠点や欠陥でもあるのか?
腕を組んで考えこんでいたらしい。
「眉間にしわを寄せながら、腕組みをするのはドレス姿には似合わない、ということがよく分かるな」
「あら、私としたことが。おほほほ」
すぐに腕を戻し、口に扇子をあてて、どこかの令嬢がしていたように真似してみる。
「……香水は最近の流行りか?」
「強かったですか? よくご存じですね。フローラが今年の人気作ローズ・ド・メイの香水だとかけてくれたんです」
「ドレスに合わせたのだろう。なら、いい」
香りが強すぎたのかな。普段香水なんて付けないから、分からない。
でも、いい香りだと思ったのはなぜか途中でよく分からなくなってしまう。臭いのはいつまでも鼻につくのに。
公爵は目を瞑ったままで、私は公爵の姿をうっとりと見ていたら舞踏会会場にいつの間にか着いていた。楽しい時間はあっという間らしい。
会場入りしてからも、私は話しかけるけれど公爵は目も合わせてくれなかった。せっかくのドレス姿なんだけど、私にはブルーダイヤモンドが似合ってないのだろうか。
気になりながらも、警備として注意は怠らない。今日は危険は薄いとのことだったが、女性の視線が公爵にかなり集まっている。
やはり人気があるのに、公爵が相手を決めなかっただけなんだと気づかされる。今日は公爵もブルーダイヤモンドの宣伝のためか、女性の宝飾にも目が行っているようだけど、他の女性ばかりに気を取られているようで、少し悲しくなる。
いけない。今は護衛と宣伝だ。
私は首を軽く振り、背筋を伸ばした。
挨拶途中、多くの方に素敵なジュエリーだと褒められた。ここぞとばかりに、公爵の工場で着色したものだと宣伝した。
ブルーダイヤモンドに見た目はそっくり。関心をひくことができたようだ。
「まぁ! なんて素敵な輝き! まさかブルーダイヤモンドではございませんこと?」
「本当! これ程の大きさと煌きを持つブルーダイヤモンドなら国宝級ではございません? 耳飾りまで同じブルーダイヤモンドを二つも!」
ブルーダイヤモンドだと勘違いしたおばさまたちの目がキランと輝くのがおかしかった。値段のことは分からないから、公爵にお任せ。
本物と着色ものは二桁以上値段が違うから、ブルーダイヤモンドに興味があるのなら、いい顧客になってくれそうだ。
ただ、年配の男性たちにまでダイヤに興味をもたれ、ダイヤを触ろうとしてくるのには、思わず手が出そうになって困った。さすがに未来の顧客を叩いたらダメだと思いとどまり、さり気なく触られないように避けるのに忙しかった。
おばさまがたに便乗して若い女性たちも、どんどん公爵の周りに集まり話を聞いている。舞踏会に来たのに、一曲も公爵と踊れていない。
気持ちがもやもやするから、お手洗いにでも行きたいけれど、警備は必要だ。女性と言っても不審な動きがするものがいないかしっかり見張る。
途中、ゴードンが来てくれた。今日のゴードンは貴族仕立てだ。彼はすでに食事も済ませたらしい。私なんて飲み物だけなのに。交代してお手洗いにたつ。
化粧直し、と言っても口紅だけチェックして、会場に戻ると、公爵たちの姿が見えない。
給仕に聞くと、すでに公爵は出られたという。舞踏会に来て、挨拶だけで帰るのはたまにあるとは聞いているが、宣伝も兼ねていたはずなのに、帰るのが早すぎではないだろうか。
急ぎ玄関に行くが、公爵の馬車がない。護衛の馬たちもいない。
いくらオブジェや柱が多く、暗く見渡しが悪い玄関ポーチだと言っても、乗ってきた馬車を見落とすはずはない。
近くにいたこの屋敷の警備か、馬車案内と思われる男性に尋ねる。
「すみません、マクシミリアン公爵の馬車はどこに停まっていますか?」
「つい今出たところですよ。ほら、あそこに灯が動いている、あれですよ」
「え? 公爵は一人で馬車に乗られたまま出発したのですか?」
「いえ、ご令嬢が後で乗られて、出発されていました」
令嬢? 公爵が会場で女性を誘ったのだろうか。だとしても、一緒に来たパートナーの私に何も言わず置いていくことはないだろう。
もし、乗り込んだのが令嬢扮した刺客だったとしたら?……!!
「馬を一頭かしてくださいっ!」
「え? あぁ、あちらに厩務員がいますので、そちらへ」
最後まで聞かずに走り出す。さすがに腰下までマーメイドラインのドレスにヒールは走りずらいが、構っている暇がない。
「馬を一頭貸してください! マクシミリアン公爵家のものです! 後で返しますから!」
「へ……あ、そその馬は困る! あちらの奥にいるのを持ってくるからお待ちくださいよ」
奥から持ってくるなんて時間がもったいない。答えが返ってくる間に、ドレスの横縫い目沿いに股関節まで切り裂いていた。ナイフはドレスの下に隠してある。
私は最前列にいた駿馬に見える馬に跨り、腹を蹴る。駆け出す馬。
「ちょ、ちょっとーーーっ! それはダメだとーーっ!」
後ろで叫ぶ声は聞こえるが、私は馬を飛ばす。
程なく見える馬車。何もないのか、気づかないのか、護衛たちはゆったりと馬を進めている。それもいつもより馬車から離れて警護している。
「旦那様はご無事かーーっ」
大声で私は叫んだ。