闇の中の光
【左手の甲にシルシが現れると、迷い人として常闇の森に招かれる】
この国の住人ならば、誰もが知っている言い伝え。子供に読み聞かせる絵本の題材にすら挙がるほどの伝承である。
あまりにも有名な伝承ではあるのだが、常闇の森について詳しく知っているものは少なく、実際のところ存在するのかどうかも定かではない程度の認識である。
最も、この少年、カイリでさえ信じてはいなかった。
幼い頃から祖父からの昔語りに混じって登場する常闇の森は、招かれる迷い人は、あくまでも伝説の、物語の存在でしかなかったのだ。
そう、つい先ほどまでは。
それはあまりに突然だった。
「っ⁈痛っ‥‥」
チリッとした、ピリッとしたなんとも言えぬ皮膚を焼くような感覚が左手の甲にはしると、そこには黒く、アザのような紋章が広がっていた。
誰かに教えられたわけでも、見たことがあるモチーフだったわけでもない。それを目にした瞬間、頭に、脳に、直感として、彼の地に《行かねばならない》という使命感が広がり、ただただその感情に支配されたのである。
「僕が、迷い人‥‥?」
足は自然と動く。まるで行き先を理解しているかのごとく、歩き続けた。
気がつけばあたりは深い霧に包まれ、幻想的な森の風景が広がっている。
「どこだ、此処。こんな森、リーディアの近くにあったかなぁ‥‥?」
『‥‥じ‥‥え‥‥‥めし‥‥‥』
辺りを見回していると、不意に何かの声が聞こえる。
「もしかして、此処が常闇の森、なのか‥‥‥?」
はやる気持ちを抑えながら、深く息を吸い込んで神経を尖らせてみる。
『汝、応えを求めしモノ、迷い人を受け入れよう』
はっきりと声が聞こえた瞬間、カイリの意識は深く沈んだ。
常闇の森に招かれし迷い人はどうなるのか。物語の続きをせがむ子供達は決まって語り部に投げかける。
迷い人の行く末は3つとされている。
ひとつは新しく路を切り開き、帰還する者。
ひとつは帰還したものの、社会に溶け込めずつまはじきにされるのも。
さいごは、帰って来ないもの。
子供への読み聞かせとしては、一番始めの例をとりあげて、殊勝に生きるようにという語り口で紡がれることが多い。
カイリは浮上した意識で闇を見た。目を開けているのか、閉じているのか、立っているのか、座っているのか、それさえもわからないような闇だ。
ただ、闇が広がっている。
「あのー‥‥‥どなたかおられませんか?」
試しに声を発してみたが、何かの反応の有無と言う以前に、闇に声が吸い込まれたような静寂が辺りを包む。
襲うのは、孤独感、絶望感、悲壮感。
負の感情がカイリを取り巻く。心が急速に冷えていく、自分が誰かわからなくなる。
「僕はカイリ。リーディアの一般家庭に生まれた三男坊。父は厳格な武人。母は温厚な被服職人。父さんは少しニガテ。母さんの手料理が好き。一番上の兄は好きだけど2番目はニガテ。下に妹がひとり。母さんの作るシチューが好き、でもペルパラはニガテ。それから‥‥‥」
思いつくままに自分の、カイリと言う人間の情報を手当たり次第に羅列して行く。そうでなければ発狂してしまいそうだった。心が寒い。頭の中身が飛び出しそうだ。
「僕は、僕は。」
帰りたくない、帰りたい、返りたい、戻りたくない、戻したい、どこに?あの日に?どうして?やり直すため?なにを?言葉を?どうするの?僕は、僕は、僕は、僕は。。。。
「伝えたい」
小さく、でもしっかりと呟いた言葉は、ぽわりと灯りをともした。心の中の暗くて辛くて苦い部分から絞り出すような、でもなんだか心が軽くなったような、不思議な感覚がした。
「父さんと、話をしなくちゃ」
今度は、明確に言葉を発した。
心を、頭を覆っていたキモチワルイ感覚が飛散したのがわかった。
闇の先から、言葉が光を伴い、カイリの周りを包む。
『汝、己の信じた路を進め』
今度は意識を持って行かれることはなかった。気がつけば、リーディアの街のはずれの森の中に立っていた。
「家に帰らないと」
カイリの目には迷いはなかった。
こんなにドキドキと心臓が脈を打つのはどうしてだろうか。足早に家路を進むカイリの心は揺るがぬ決意で固まっていた。
普段は厳格な父を前に自分の主張をすることはなかった。答えを先延ばしにしていたのも自分自身の気持ちがよくわからなかったからだ。だが、今日は、今回こそは伝えなければならない。今後の自らの身の振り方について。
左手の甲に現れていた紋章はいつの間にか消えていた。カイリが後にした森の中を、淡い光の粒が浮遊していた。
『答えは、汝の心の中に。』
END
2015/3/21
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
闇の中の光