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 ~未だ青き剣士の不遇~

 『パンク・ダ・パンプ伝 Ⅱ』 ~未だ青き剣士の不遇~





Ⅰ  海の女  フルートゥ暦一三七七年 五月 


害虫の襲来から一冬を越し、春を迎えたパンクは十九歳になった。

襲来について天災か人災か、はたまた何者かによる謀略かの調べが様々なところで行われたが、当時調査した者たちには何が原因かわからなかった。しかし、それでは街の商人たちに示しがつかないという事で、全てはあやふやなまま、なんとなく第一発見者であるパンクに責任を負わせることになった。

パンクは港湾警備隊へ異動させられる事になる。

血気盛る騎士たちは西方のビャーナナ領との戦争に赴き、それ以外の騎士たちは出来るだけ争い事のない配属先を好む。港湾は今、害虫の被害とそれを復興するための土木作業員で喧騒に満ち溢れていた。

しかし、この転任はパンクにとって好ましいものだった。

半年間、休暇以外は森を眺めるだけの生活だったのだ。荒れくれ者相手であろうと、人と接したかった。それにこの頃の港は、被害から復興するために活気があった。


     ※※※


 転属が言い渡され、数日が経った。

 武術大会での優勝から三年経ったとはいえ、パンクの事を英雄視する市民は未だ多く、そのような人々はパンクを見つけると一様に同じ頼み事をしてきた。

「なんだか異邦人が増えて怖い」

「冬を越え、蛾の食害も治まったけど、こんな治安じゃ商人が寄り付かない」

というようなことだった。

 戦争のためアナポーの若者は戦地に借り出されてしまっていた。しかし、港の復興は王命により、焼き払うという単純だが効果的な方法をとれず、一つ一つの建物を解体しては焼き、また新たな資材により立て直すというやり方をしていた。これには相当量の労働力が必要で、異国から雇い入れなければならなかったのだが、森と海と害虫というなんの魅力もない国に来るのは、必然的にすねに疵を持つ流れ者ばかりになってしまっていた。

 そんな頼み事をされても、パンクに出来る事は目の前の揉め事に対処する事ぐらいで、その対処の仕方も相手の首筋に剣を当て「私が引くか、貴様が退くか」と問いかける元も子もないというか、解決しているようで、その根にあるものは全く解決していないというものだった。

 その日も二、三そんなやり方で任務を遂行したパンクは埠頭から水平線に目を向けていた。別にバロックが恋しいわけではなかったが、バロックはパンクが赴任する数週間前から海上警備に出ており、一月ほど会っていなかった。

「あいつなら、何か良い案を考えてくれそうなのだが……いや、そうでもないか。変にロマンチストだからな。『喧嘩し、殴り合い、語り合うところから生まれるもんがあるんだぜ……例えば愛とか、な』とか言いそうだな」

 パンクはバロックを想像して、自分の独り言に笑ってしまう。

「何、一人で笑ってるんだい? まぁ、私がいるから一人じゃないんだけどさ」

 その声にパンクは辺りを見回すが、人影は見当たらない。

「ここだよ、ここ」

 声は橋桁の下からする。そこを覗き見ると小船に仰向けになった異国風の女がいた。

「お、あんた……最近ここらでイワしてる人だね」

 陽を遮るように目蓋に腕を当て、その隙間から視線を送ってくる。

「何をしている、貴様」

「何って、舟遊びだよ。この揺れが気持ちいいんだ。陸は汚いしさ。あんたもどう? 人二人分くらいなら並べるスペースあるよ」

 そう言って女が船の片方に寄るので、船は傾く。

「お、おい、危ない」

「フフンッ。これくらいじゃ引っくり返らないって。あんた何も知らないんだね。んじゃ、ちょっと手を貸してくれない? 私がそっちに行くからさ」女はパンクの手を借り桟橋へと飛び移る「サンキュ。私ジャズってんだ」

「サンキュ?」

 女は片方の八重歯を見せ笑うと、踊るように市街へと歩いていく。

「おい、ちょっと待て――」パンクは急いで女に追いつく「入港許可証はあるのか? 異国の者はそれがなければ――」

「あるある。っていうか、あんな小船で来るわけないじゃない。もう許可済みなのよ。それよりさ、あんたこの国最強の剣士、パンクなんでしょう。なんでこんな所にいるわけ? 戦争中なのにさ」

「……色々とあるのだ。貴様こそ、この国に何をしに来た」

「私は旅芸者っていうか、踊り子っていうか、不幸な国を渡り歩いてほんの少しの笑顔と元気を咲かせましょうってね」

 ジャズは通りの真ん中でくるくると舞い始める。

 すると、港で作業していた人々が手をとめ、何事かと集まりだした。

 それは異国情緒に溢れていて、見物人の手拍子しか鳴っていないのに、自分でも知らない音楽が頭の中に響いてくるような舞だった。

 しばらくパンクを含めた人々が異国の風に吹かれていると、積荷を載せた馬車が通りがかり、ジャズの舞を止めてしまった。

「まぁ、こんな感じ。みんなぁ、続きはこの通り沿いの酒場ラ・プリムラでねぇ!」

 そう言ったジャズは、しかし、その酒場の方へは向かわず大通りから小道に入るので、パンクはどこへ行くのかとついていく。

 ジャズの後姿を追いながらパンクは考える。しっかりとした技術もある者が、どうしてこのような国へわざわざ来るのか。もっと華やかな場所で踊る事も出来るだろうに、不幸な国を渡り歩くなど、そんな酔狂なまねをする必要があるのか。

(しかし、目的がそもそも違うのだとしたら――)

「あんた、どこまでついてくるんだい。私に街を紹介してくれる気があるのなら、前を歩いてくれないかね。そうじゃないなら、また夜にでも店で会おうよ。仕事サボるわけにもいかないだろう」

 確かに港からそう離れるわけにもいかず、このままついてまわったところで、彼女の何かを知れるわけでもなさそうだったので、パンクはそこでジャズと別れた。

 その夜、パンクはジャズが踊る酒場ラ・プリムラへと向かった。

 ジャズという踊り子はパンクよりも二つ歳下で、はるか東方の小さな漁村出身だという事がわかった。踊りはその地方の伝統的なもので、自分が特別優れているわけでもないとおどけていた。

幾日か通ううちにどうしてここへ来たのか、どうやってここに来たのか、誰かツテはあるのかなど様々な問いをぶつけたが、ここに来る以前の事をジャズはあまり話したがらなかった。

しかし、過去をいくらはぐらかされても、現在隣にいて、歳下であるにも拘らず物怖じしない言動に、パンクは心地よさを感じていた。


     ※※※


 比類なき剣士と呼ばれていても、未だ十九歳。

当時の局員のメモによると、完全に恋するただの青年であったという。

最強という肩書きは彼を英雄へと導くのに都合が良かった。

しかし、少し考えてみて欲しい。

人を殺すのが誰よりも巧い者と、誰が人としての付き合いをするであろうか。機嫌を損ねれば確実に殺されてしまう。そんな考え方をしている時点で、彼を同じ人間として周りの人々は見ていないのだが、結局のところ、誰もがパンクを剣士という記号でしか捉えられなかった。

パンクに摺り寄ってくる者は多かったが、その多くは利用しようとするか、命を狙うものかのどちらかであった。


     ※※※


 酒場に通い続けて十日が経った。

 パンクはこれを港湾警備隊としての調査の一環だと理由付けていたが、何か心沸き立つものを自身にも隠しようがなかった。一昨日など、気がつけば輸入雑貨店の小物の前で小一時間ほど立ち尽くしていた。その姿に恐怖を抱いた店主が差し出した小さなヒヤシンスの髪留めが今手の中にある。

(喜んでくれるだろうか……いや、私は……どうしたいのだろうか?)

 胸の奥にもやもやとした形にはならないが、確かにそこにある感情を携えて、パンクは今夜も彼女の元へ向かった。

「おう。久しぶりだな」

 パンクが扉を開けるのを待っていたかのように、聞き覚えのある声がかけられる。

「まずいだろ。まずいよなぁ……世の中みんな戦争やら、復興やら忙しいってのに、我が国最強の剣士が一人の女に骨抜きにされてちゃあ。あ、お嬢ちゃんおかわり貰える? 大盛りでさ。お嬢ちゃんもさっき海が好きって言ってたけど、やっぱり帰る場所があってこそだろ。たまには地に足つけて、落ち着いて飯を食わなきゃ」

「お嬢ちゃんって、二つしか変わらないのにやめてよね。それにパンクはそんなんじゃないって。あんたみたいに私をいやらしい目で見ないし。どちらかって言うと、罪人をみるような視線を絡ませてくるんだから」

「パンクだなんて、もう呼び捨てにしちゃって――春先だというのに随分とここは気候が良いんだな」

 カウンターを挟みパンクの見知った二人がキャッキャウフフとじゃれ合っている。

「おい、ただの豚から黒豚にクラスアップしたのか?」

 パンクは不機嫌を装い、二人の方へと向かう。

「しかし、せっかくクラスアップしても少し痩せてしまったのではないか? これでは良い値で出荷出来ないぞ」

「何をニヤニヤしながら皮肉を言っているんだ。聞いたぞ。毎日埠頭で水平線を眺めてブツブツ呟いていたらしいじゃないか」

 パンクはカウンターの向こうのジャズを睨みつける。

 おどけて首を傾げ、ジャズはそれを受け流した。

「……いつ戻ってきたんだ?」

「ほんのさっきだ」

「それで私に連絡も入れず、一目散にここへ来たのか」

「お前がここに入り浸っているのは港中で噂だからな」

「はぁ……紹介しよう。踊り子のジャズ。バロック三世だ」

 パンクの紹介に、二人はそれが二度目であるかのように慣れた手つきで握手し、軽い挨拶を交わす。

「それで二人は、どこまでいったんだ? 俺は嬉しいよ。娼館へ行っても、何も出来ずに帰ってくるような男がやっと女に興味を持ったんだからな。いや、実はあまりにもお前が女に興味を示さないから、俺はお前との関係性を少し見直そうとまで思っていたんだからな。まぁ、二人で愛を育みたいだろうが、今日は俺の帰還祝いに付き合ってくれよ。ほら、注げ注げ」

 バロックの乾杯の唱和を合図に三人は他愛も無い話を始めた。

 久しぶりの陸が嬉しかったのか、バロックはいつにも増して饒舌になっていた。パンクにも話した事のない貴族の生活実態などを面白おかしく話す。

「――狭い世界だからなぁ、手を出した女が腹違いの妹だったなんてよくある話さ。だからこそ、悲劇のような喜劇がたくさんあるんだけどな。拝領できる土地も少ないから、すぐに戦争したがるんだけど、元を辿ればみんな親戚だったり――」

 そうやって話すバロックにつられ、ジャズも話したがらなかった故郷の話をする。

「――そんな事言ったら、うちなんてもっと酷いよ。ここじゃ私の踊りをみんなが楽しんでくれるけどさ、あっちじゃ踊れて当たり前。っていうか、踊れなけりゃ他にやることは身体を売るくらいしかないからね。そうやって娘を売って、自分が他のところの娘を買うんだから。本末転倒だけど、それが普通で当然のお金の回し方ってやつだから――」

 シラフではどこまでも鬱展開な内容の話を、酒の力で吐き出す。

 そうやって盛り上がってくると、店主が来てジャズに耳打ちをする。

 ジャズは二人にウインク一つ残すと、カウンターを飛び越え店の真ん中に降り立った。すぐに周りの席の客達が机を退かし空間をつくる。

 手拍子から始まり、店に来ていたロマと呼ばれる者たちの音楽がそれに乗る。

 踊りだしたジャズは、それまでバロックとともに酔っ払っていたのが嘘のように、しっかりとした足さばきでいつものように廻る。

 それをパンクとバロックはしばらく黙って眺めていたが、不意にバロックが口を開く。

「……本格的な戦闘が始まるぞ……」

「本格的……?」

「あぁ。様子見程度の小規模な衝突ばかりだったが、こちらは未だ復旧途中……長期戦になれば分が悪いからな。キャバーニ平原からアレクシス峡谷まで兵を退き、そこで一気に決着をつけるつもりらしい」

 バロックはアルコールで熱くなった息を忌々しそうに吐く。

「指揮をとるのはミュゼットだ。しかし、俺の予想じゃまともにやっても勝ち目はないし、少々の小細工を交えた奇策を弄しても勝ち目はない」

「どういうことだ?」

「まず、相手を峡谷に引き込まなければ話にならんが、相手だって馬鹿じゃないからな。わざわざそんな狭いところに兵力を集中させる気はない。相手は我が国が放っておいても弱体化していくと思っているだろうし、事実その通りだ。国内の復旧にはまだ時間がかかる上、外貨を稼ぐ手段がない。前線までの輸送隊を異国人に任せている状況では、いずれ補給線上のどこかでそのまま食料を持ち逃げする者も出てくるだろう」

「だが、決着をつけるつもりだと言ったではないか」

 パンクは軍の要職を占める貴族たちの顔を浮かべる。今、軍の実権を握っているのはサンマリノ侯爵。ミュゼットは今や彼の腹心とも言える存在で、ミュゼットがこの戦に負けてしまっては彼の失脚に繋がる可能性がある。圧倒的に不利な状況で、負けが確定しているのだとすれば、本格的な戦闘が始まる前に和睦を結ぶべきではないのか。いや、既にその申し出は断られているのかもしれない。もしくは、飲めないような条件を突きつけられ、戦う以外の選択肢を奪われているのか。

 アルコールで頭が働かないため、パンクはそのような事を口に出してポツポツと考えてみた。

「細かい事はわからん」バロックがパンクの独り言に答える「だが確かな事は、サンマリノ侯は負けても良いと思っているだろうという事だ」

「何故解る?」

「それなりの兵力を用意すればまだ戦えるであろうに、それを用意せずミュゼットを送り出している」

「どういう事だ? サンマリノ侯はビャーナナと繋がっているという事か?」

「そういう証拠は挙がってない以上、わからんとしか言えんが……好意的に取れば、負けて――盛大に負けて戦争を早く終わらせようとしているのかもしれん」

 そう言ったものの、バロックはすぐに厭きれたように鼻から息を洩らし、自分で示した可能性の否定を行った。

「海軍はどうなっているのだ?」

 パンクのこの問いに、バロックは先ほどよりさらに深い溜息を洩らす。

「少しはまともに物事を考えるようになったと思ったら……ビャーナナ領は鉱山採掘で成り立っているのだぞ? 船で山を登れというのか?」

 目の前ではジャズがいつものように、ラ・プリムラに異国の風を吹かせているというのに、二人の周りだけはアナポーの潮風が包んでいた。

「まぁ、俺たちがああだこうだと考えても仕方ない。力が無ければ何も出来んのだ」


 酔いつぶれたバロックを城砦までパンクとジャズで運び届け、今度はジャズを酒場近くの宿屋まで送る。

「なんだか恐い顔してたけど?」

「……」

 パンクは何も答えられなかった。

 騎士にならなければ――一兵卒であればこのような国の大事に煩わされず、目の前の事だけをやっておけばよかったのに。そうすれば、何かをどうにかしたいなどと思わず、無力な自分に気付く事も無かったのに。胸に痞えるものを誰かに話してしまいたかったが、どう伝えたところで、それが消え去らないこともわかっていた。

 何も答えないパンクの数歩前を鼻歌交じりにジャズは歩く。

 揺れる髪が月明かりに照らされると、随分と潮風に当てられていることがわかった。

 どれだけの時間、船の上で揺られてきたのだろうか。

 そうまでしてこの国に辿り着いたというのに、この国は明日をも知れぬ重病だ。

懐にしまっていた髪留めの存在を思い出す。

 パンクはジャズを呼びとめそれを差し出す。

「雑貨屋で貰ったものなのだが……」

 振り返ったジャズは髪留めとパンクの顔を交互に眺め、困ったような顔をつくった。

 

     ※※※


 結論から言えば、この年起こったアレクシス峡谷の戦いはミュゼット率いるアナポー軍の勝利に終わった。

 圧倒的不利な状況で、ミュゼットはどのような方法で敵を打ち破ったのか。それは『ミュゼット・デ・ラ・クルス伝』を読んでいただければ分かる事なので、パンク伝の中で説明する事はしない。しかし、一つだけ言えるとすれば、パンクの前でのミュゼットはどこか惚けた天然キャラのような位置づけをされているが、戦場での彼はとても狡猾で、勝つために手段は選ばないところがあった。

 これにより、ミュゼットは英雄として祭りあげられ、異国からの留学生だったにもかかわらず、軍部で確固たる信頼と地位を得た。

 しかし、現代から歴史を俯瞰してみると、この勝利はアナポー王国を永く続く戦いの道へと誘った。この勝利に気を大きくした軍部は国内の復旧を後回しにし、戦争の継続を国王へ直訴した。これに王もやむなく許可を出す。失った諸国からの信頼を未だ衰えない国としてアピールすることによって取り戻そうとしたのである。

 それからまた一年が経っ――あ、困った顔をつくったジャズにパンクが何を言ったかを記していなかった。

 当時の局員のレポートには感想として『見ているこっちが恥ずかしかった』とある。

 昔も今も変わらず下衆の集まりである国家安全保全局の人間でさえ、甘酸っぱさに目を背けてしまうような青々とした光景であったのだ。

 レポートには『しかし、愛を語るには些か真剣すぎる声色であった』とも記されている。

 一体どういう事であろうか。

 この時点でどこまで本気だったのだろうか。

 読者の皆様にも一緒に考えて貰いたい。

 パンクはこう言ったのだ――。


     ※※※


「お前にこれが似合うような世界をつくるから……」

 そう言ってパンクは、ジャズのごわごわと傷んだ髪を紫のヒヤシンスで留めた。


 Ⅱ  短銃使い  フルートゥ暦一三七八 ブロッサムの月


 胸に期するものがあろうと、鍛冶屋に猪の品種改良は行えないし、花屋に羊を追う事は出来ない。港湾警備隊のパンクにもそれは同じだった。

 城外で人が殺しあっていたとしても、彼に出来たのは港地区で喧嘩の仲裁をするか、せいぜい小悪党を懲らしめる程度だった。

 夏にはハエを斬りおとす芸を身につけ、冬には蛾の翅を生きたまま空中で削ぎ落とす芸も身につける事ができた。

 しかし、そうして剣の腕を磨いても、迎えた春に交付された辞令で配属されたのは、前線ではなく騎士学校であった。


※※※


 騎士学校は城砦内の一角にある。

 久しぶりに建物を見ても、パンクは懐かしいと言えるほどの思い入れはなかった。

「まともに講義を受けなかったお前が、今度は講師としてここへ通うとはな」

 懐かしくも無い教授室に入ると、こちらも違う意味で懐かしくない声が響いてきた。

「なぜ、貴様がいる」

「保護者だからな。新学期にはついていかないと」

 バロックがパンクの座るであろうはずの真新しい椅子に腰掛けている。

「誰が保護者だ、誰が」

「俺だ、俺」

 パンクは教授室に一歩も踏み入れることなくその場を後にする。

 剣術教練のため外へと向かうパンクに慌ててバロックが着いてくる。

「何用なのだ? だいたい山は嫌いじゃなかったのか? さっさと海へ帰れ」

「いつまで経ってもツンデレ心を忘れずいてくれて俺は嬉しいよ」

「ツンデレ……?」

「あぁ、緊張しているのか。友達すくないもんな。お前は人前でどんな顔して話すんだろうな。任せろ。ジャズにはしっかり報告してやるからな」

 渡り廊下で擦れ違う騎士見習いたちが、振り返りヒソヒソと話すのが背中越しにわかる。

「おぅおぅ。あっちやこっちで見られているぞ。さすがに今いる奴らは四年前の武術大会を生で見ているからな。お前に憧れている奴は多いんじゃないか? 親にはあれこれ言われているだろうが」

 教授棟から講義棟を抜け、武術教練場へ出ると、そこにはまだ開始時間には早いというのに、十名程の騎士見習いが綺麗に整列していた。

 パンクは自分の記憶の中に教練開始の合図がない事に気付き、どうしていいか解らず、とりあえず一人一人の顔を眺めてみた。

 そして、その視線が他の者とはどう見ても違う、一人の騎士見習いにとまる。

「……貴様いくつだ?」

「……十二……」

 問われた騎士見習いは幼い声で無愛想に答える。

「おい。子どもがおるぞ、子どもが」

 パンクが後ろにいるバロックに振り返ると、バロックが演技がかった口調で言った。

「言ったろ。保護者だって」

「貴様、こんなデカイ子どもがいたのか!?」

 同じ歳のバロックに十二歳の子どもがいたとは、パンクは唖然としてしまう。

「……八つで父親に……?」

「出会って四年も経つのに、相変わらずお前は馬鹿だな……今年の武術大会に行かなかったのか?」

「……貴様が誘わないからだ……」

 背筋を伸ばして整列している騎士見習いたちを置いて、バロックはパンクに説明する。

「今回の大会は戦時中でさらに復興中だし、参加者自体が少なかったため、例年通り貴族の子弟が優勝すると言われていた。しかし、前回のお前のようにまさかがあると困るからあまり開催を一般に広報もしてなかったんだが……優勝したのはその子だ。貴族じゃない」

「こんな小さな子どもが出場してもいいのか?」

「命が奪われるかもしれない大会に、そんな子どもを出場させる親は普通いない。だが、その子には親がおらん。東南地区出身だからな。おらんというより、わからんと言ったほうが正確だが」

 どうやら整列している者達はその辺の事情を理解しているようで、眉一つ動かさずバロックの言葉を聞き流している。

「で、お前のときと同じように、優勝したその子を陛下が騎士にしようとここに入れたわけだ。そのために後ろ盾が必要だから、じゃあ、海軍若手のホープたる俺がなろうと」

「未来の護衛を増やしたいだけだろう」

パンクは小さな優勝者の方へと向き直る。

「名前は?」

「……テクノ……」

 やはり幼い声で答えるが、眼光は鋭い。

「何か願いはなかったのか?」

「ない」

 はっきりと答えたが、バロックに訂正される。

「ありません」

「……ありません」

 パンクはテクノを観察してみる。

 明らかに栄養が不足している華奢な身体。薄い金色の細い糸のような髪を後ろで一つに結び、柔らかな緑の瞳。綺麗な召し物でも着せれば、同じ城砦内でもこんな埃臭いところではなく、優雅な社交界にでも出られそうな端整な顔立ちだった。

「強そうには見えないが――」

と、パンクはテクノの周りを回って、見覚えのある形状の武器をテクノの腰に見つけた。

「なるほど、短銃使いか。しかし、そのような高価なものをどこで手に入れた」

「東南地区には正規の港でもなかなか手に入らないものが出回っているからな」

 バロックがテクノの代わりに口を挟む。

「まぁ、出回っていようが、手に入れるには金をだすか、盗むかしかないけどな」

 泥棒扱いされようと、テクノは卑屈な表情をみせない。

それが当然の権利であるかのように、ただまっすぐ前を見ている。

 パンクはテクノから目を逸らさず、バロックの側に戻ってくると囁いた。

「手なずけられるのか? 幸福を知らずに育った者は誰も信用する事が無い」

「そうかもしれんが、まだ若いからな。その辺の情操教育はこれからだ。それに……空腹を知って育った者は、腹を満たすために何をすべきか知っている。とりあえず一つだけ仕込んでいる。試してみるか?」

「……面白い」

 その場でテクノの方へと振り返ったパンクは、一跳びでは僅かに間合いに入れない距離で剣を抜く。

 その姿をみたテクノ以外の騎士見習いに動揺が奔る。

「ちなみにテクノは大会でワンショットキラーの異名をつけられたが、その距離では二発撃つチャンスがある。いいのか?」

「どうせ貴様がつけたのだろう。あまり可哀相な名前をつけてやるな」

「お前が死ぬとは思わんが、テクノに手加減など期待するなよ。まだ力の抑え方は知らんからな」

 バロックは真剣そのものの表情をしている。

「さっさと終わらせよう。貴様も早く潮風を浴びたいだろう。おい、騎士見習いども。パンク・ダ・パンプ最初の教練だ。私を殺すつもりでかかってこい。ただし、これから騎士となり、人に刃を向けることが仕事になる貴様らに一つだけ注意しておこう。無傷で人を殺せると思うな。そういう奴が真っ先に死ぬ。さぁ、構えろ」

 そうは言われても、見習いたちは誰一人構える事ができない。

「貴様らが構えずとも私は遠慮なくいかせてもらうがな」

 一人二人と練習用の木剣を構える。しかし、テクノだけは微動だにしない。

「お前だけ真剣を使うなんてずるくないか?」

「本気で斬りつけるわけではないのだ。別にいいだろう。それより、全く反応がないがいいのか?」

「あれでいいんだ」

 バロックはゆっくりと頷く。

 それを見てパンクは高揚する。パンクが本気で剣を振るったのは武術大会の決勝――その最後の一振りまで遡る。それが教練とはいえ、気を抜けば自分を殺すことのできる相手と手合わせできるのだ。

「では遠慮はいらないな……かかってこい――」

「――テクノ!」

 パンクの合図にかぶるようにバロックが声をあげる。

 刹那、テクノは腰から短銃を引き抜き射撃。

 それをパンクは飛び込みながら回転して交わす。

未だ届かぬ剣を地面と接地させ、前方宙返りをする。

空中で回転しながら距離をつめるパンクから、テクノは後方へ飛び退きながら距離をとる。

パンクの着地とともにテクノは寸分違わず眉間に狙いを定める。

しかし、この弾丸はパンクに斬りおとされる。

さらに飛び込むパンクに今度はテクノも前へと出る。

パンクはテクノの予想外の動きに捉えきれず二人は擦れ違ってしまった。

テクノは背中合わせのまま、左脇から後ろに向かって射撃した。

ここでパンクの出来る事は、振り返ってからの一撃、もしくはテクノと同じように脇の間から後方へ剣を出す。この二つだったが、前者は時間がかかり過ぎ、後者は重心が前へとかかりすぎているため、剣が届く距離から離れてしまい諦めるしかなかった。

必殺を確信したテクノはゆっくりと振り返る。

しかし、そこにはパンクの姿がない。あるのは地面に突き刺さった剣だけだ。

テクノと擦れ違ったパンクは前進する勢いを殺すため地面に剣を突き刺し、柄頭に足を掛け後方宙返りをこなしていた。テクノが振り向いた時には既にパンクの身体は彼女の後方上空へと跳んでいたのだ。

パンクは着地の音で気付かれないよう、着地寸前で全体重の乗った拳骨をテクノに振り落とした。

「……お前鬼だな……手加減しろよ……」

 あまりの衝撃に短銃を落とし、頭を両手で頭を抱えうずくまるテクノを眺めながら、バロックが溜息混じりに呟いた。

 周りの騎士見習い達も一連の動きに、自分たちのかなう相手ではないと木剣をだらりとさげる。

 パンクは地面に刺さる剣を引き抜きに行きながら、

「こちらも剣を失った。それに初めに知らしめておかないとな。それが教育というものだ」

と、引き抜いた衝撃で折れてしまった剣と、一瞬でも自分を窮地に追いやったテクノという相手に満足そうな顔をして言った。

「教育ね……んじゃ、よろしく頼む。俺は長期の海上警備やらであまりここには来られないからな。お前が色々と教えてやってくれ」

「色々?」

「その子が人としてまともに生きていけるように……馬鹿がうつらん程度にな」

 バロックはニタニタとした笑いを顔に貼り付ける。

「テクノ、わかったな。これからはパンクの言う事を聞いて頑張れ」

 うずくまり首の付け根まできた痛みを和らげるように肩を揉んでいるテクノは、返事もせずただヒックヒックと鼻を啜っている。

「じゃあ、俺は潮風を浴びに行くわ。そして、お前の弱い者いじめをジャズに語ってくる」

「お、おい――」

 少年とも青年とも言い難い男たちの集団の中で、一人の女の子がうずくまり泣いているというなんともシュールな光景を背にバロックはその場を去っていく。

 残された者たちは残りの教練時間を、悔しさと痛みで震えている女の子を慰めるという思春期の男の子としての訓練に当てた。


 それから四ヶ月ほど経ち、パンクの元へバロックから一通の手紙が来た。

 それにはミュゼットが久しぶりに街へ帰ってくるというので、テクノを連れて港まで出て来いと書いてあった。

 ちょうど騎士学校も夏の休暇に入り、貴族の子弟は自分の屋敷に帰り、学校内の寮にはテクノとパンク、それに他国からの留学生という名の人質だけであった。

 学校内という閉ざされた環境の中で世事に疎くなっていたパンクは、外の情報を得るいい機会だと思ったし、テクノの情操教育上もたまには外へ連れ出すのも良い事に思えた。

 手紙をテクノにもみせ、記してあった期日にテクノとともに城砦を出る。

「久しぶりの外の空気はどうだ?」

 テクノが無愛想なのは変わらないが、初めて出会った自分より強い人間であるパンクにはなついているようであった。

「城壁一枚くらいでは変わりません」

 そう言ってパンクの後をついてくる。

 パンクは自分も相当無愛想である自覚はあったが、目の前に自分以上の者がいると苦笑を禁じえない。そして、こんな自分に付き合ってくれているバロックやジャズ、ミュゼットにそっと心の中で感謝した。

 パンクは待ち合わせ場所までの道すがら、城砦内では出来ない話をテクノにしてやった。

 それは城壁の中と外では同じ国にありながらその文化は全く違うこと。同じ城壁の外でも地区によってその生活が違うこと。街を囲う外壁の外にもまた違った立場の人間が住んでおり、さらに遠くには別の国があること。今、この国は戦争をしていて、しかし、それを支える市民は街の復興を優先して欲しいと願っていること。

 たくさんの違いをまだ十二歳の女の子にゆっくりと話してやる。

 だが、それは全て表面的な事ばかりで、その違いを埋めるためにはどうすればよいのか、いや、そもそもその違いは埋めなければならないものなのかといったことは話すことができなかった。

 パンク自身にも何が最善で、何をすればその最善を成せるのかが見えていなかったのだ。

「そうですか」

 長い話の最後にテクノがした相槌はそれだけであった。

 しかし、随分と長い話をしたつもりであるパンクには納得できない。

「……それだけか?」

 怒るというよりも残念な気分になっていた。自分ならこのような話を聞かされれば、では自分に何が出来るのかという事を問うだろう。答えが出ずともそれについて考えるだろう。いかに幼少期から目の前の事しか考えられず、明日より今日の事、運よく食事にありつけたなら、その瞬間に次の食事の事を考える。そのような生き方をしてきたとはいえ、生活を一変させて四ヶ月も経てば、本能的な欲求以外のものに気がうつるはずである。

 数歩先を歩いていたパンクはテクノが自分の側まで歩み寄るのを待つ。そして、腰を屈め穏やかにテクノの瞳を覗き込んだ。

「何かないか?」

 パンクの掌が優しくテクノの額にあてられ、汗で張り付いた前髪を払う。

 すると、テクノは今までに見せた事のない表情をみせ、声を震わせ搾り出すようにこう言った。

「……な、なにも……ありません……お兄様……」

 それを聞いたパンクはしばらく硬直した後、やっとの事で口を開けた。

「……あ?」

さらに少し間を空けて、

「……あぁ?」

と驚愕の意を表すので精一杯だった。

 テクノは一度恥ずかしそうに目を逸らしたが、上目遣いでパンクに瞳を潤ませる。

 妙齢の女性がやればドキリとしそうな仕種でであったが、テクノのそれはトイレをせがむ女の子のようにしか見えなかった。

「兄妹がいたのか?」

「いえ。おりません」

「では何故、私を兄と呼ぶ?」

「バロック様の手紙にそうしろと書いてあったからです」

(豚野郎……今頃酒場でほくそ笑んでいるな……これも教育の一環か?)

「ダメでしょうか……お兄様……?」

「そう呼びたいのか?」

「私には兄という存在がわかりません」

「……お前が私をどう呼ぼうと勝手だが、人前ではやめておけ」

 深い溜息の後、パンクはそう微笑んだ。

「かしこまりました。パンク様――いえ、お兄様」

(……あいつはこの子をいったいどう育てたいのだ……?)


 Ⅲ  林檎の園  フルートゥ暦一三七九年 十月


 ビャーナナ侯爵領との戦争は終わる気配がない。ミュゼットがアレクシス峡谷で敵を打ち破って二年半が経っていた。その間、二度の冬にはお互い軍を退き、二度の春には相塗えるというのを繰り返していた。そして、今三度目の冬を迎える。

 パンクの剣術師範の任は解かれていた。理由は単純で、誰も彼の剣術を学べなかったからである。

誰よりも強い剣士は初めての教え子たちの叙任を見守ることなくまた異動させられた。


※※※


 パンクの赴任前夜、ミュゼットの前線からの帰還祝いも兼ねて、バロックが艦長を務める艦の上で壮行会がささやかに行われた。

 テクノを連れて港まで着くと、ジャズが待っていた。

「なかなか落ち着かないね、あんたは。今度はどこにとばされるんだい? お嬢ちゃんも久しぶり」

 ジャズが頭に伸ばした手を、テクノは二挺の短銃を交差させ拒む。

「あら、どうしたの、その短銃?」

「パンク様にプレゼントされたのだ」

「へぇ、短銃って高いんでしょう?」

 テクノは私には貰い物の髪留めだったのにとでも言うかのような視線をパンクに向ける。

「ちょっと見せてよ」

 今度は短銃に伸ばされた手から隠すように、テクノは短銃をくるくると回し腰のホルダーにしまう。

「相変わらず可愛くないわね」

「踊り子風情が易々と触れて良いものではないのだ」

 パンクを真似て大人びた口調とはアンバランスに子どもっぽい仕種で、テクノはそっぽを向きすたすたとバロックの艦へと歩き出す。

「そういうところ好きだけどね」

 ジャズはそう言って後ろからテクノを捕まえようと駆け出す。

 実際のところパンクには二人が本当は仲が良いのか悪いのか解らなかったが、仲が良かろうと悪かろうとああいった感じの姉妹というのはいるだろうなと思っていた。

 先導する二人に続き艦上に上がるとバロックとミュゼットが迎えてくれた。

 ミュゼットは冬の間にしか街に戻ってこられないが、他の四人は時間があれば集まっていたので、このように集まったとしても懐かしい思い出話などは話題にのぼる事はなかった。

集まって話す事と言えば、ジャズが戦場帰りのミュゼットに最近の流行の物について教え、バロックがテクノに海の上での生活を面白おかしく話せば、ミュゼットは戦況や貴族間のパワーバランスをバロックに情報提供するのであった。

パンクから話題を振ることはなく、テクノも生来の性質と自分が一人だけ子どもである事を認識して遠慮しているのか、余程の事がない限り聞き役にまわっている。バロックたちはそんな二人を見るにつけ、似なくてもいい所まで似てしまったと言って嘆いていた。

その日も一通りそんな話題で盛り上がった後、目蓋の重くなったテクノをバロックが艦長室へ運んでいくのを見ながら、ミュゼットが寂しそうに口を開いた。

「……いつまでこんな風にしてられるんだろうな……?」

 それにジャズが答える。

「こんな風って言ったって、あんな子どもが短銃二挺も振り回してるくらいなんだから、そんなにいい時代でもないでしょう。さっさと戦争を終わらせなきゃさ、あの子が戦場に出なきゃいけなくなるんだよ?」

「戦争を終わらせるか……」

「そのために貴様が戦っているのだろう?」

 パンクの問いに、しかしミュゼットは答えない。じっと艦長室の方を見つめている。

 ジャズがパンクの方へ首を傾げるが、パンクは言葉を続けられない。二人もなんとなく艦長室の方へと視線を向けてしまう。

 すると、間も無くバロックが戻ってきて三人の視線に驚く。

「――何もしてないぞ!?」

「誰もそんな心配していない。ミュゼットが何か……変なのだ」

「こいつが変なのは今に始まった事じゃないだろう?」

「そうなんだけど。そっち側じゃなくて、なんか妙に深刻ぶっちゃってんのよ。なんていうの? なんか急に一人で黄昏ちゃってるっていうか、遠く見ちゃったりして」

「それはいかん。熱でもあ――なんだ?」

バロックがミュゼットの額に手を伸ばそうとすると、港の方で大きな炸裂音がなった。

 驚く男三人に、ジャズは顔をしかめて吐き捨てる。

「いつもの事だよ。最近は特に多いね」

 港地区の港湾周辺は以前から喧騒に満ちていた。

 しかし、それは昼間の話で、夜になれば皆家や宿に帰ってしまうため静かなものだった。それが最近は深夜まで人の声が消えることはない。

「あの一角にあんなものあったか?」

 ミュゼットが指差した方向には、切れ端のような材木で作られた粗末な建物が乱立していた。

「少しずつ兵士達が帰ってきててさ、私ら異国人は街中から追い出されてんだよ。去年まではそうでもなかったんだけどね。今から冬になってまた蛾が出るだろ? どんなに駆除してもきりがない。そのせいでみんな苛立ってるんだ。もう二年になるからさ、こっちはこっちのコミュニティも確立してきたし、兵士達は兵士達で厭戦気分が高まってるしね。自分の女を取ったのどうだのって話も聞くよ。これから帰ってくる兵士が増えれば、もっと争い事も増えるだろうね」

「お前は大丈夫なのか?」

 パンクがジャズに訊ねる。

「店もこの国の人用と異国人用とに分かれてきてるね。ラ・プリムラもこの国の人は来なくなってきてる。あんた気付かなかったの? 私達の集まりも最近じゃここばかりじゃないか」

「……そう言えば、お前の踊りもずっと見ていないな……」

「ま、あんたに勇気があるならいつでもおいでよ」

「お前、こいつの次の赴任先聞いてないのか?」

 バロックの言葉にジャズは首を振る。

「こいつ、次は国境警備なんだぜ。しかも、西でも東でもなく北のな」

「北の山岳地帯は安全じゃなかったの?」

「安全さ。あんなところからどこも攻めてこないだろう。だからこそ、こいつなんだよ。武勲を挙げる機会を与えず、人前で剣を振るう事を許さず。叙任後たらいまわしにされたが、結局市街にいる限り誰もこいつを忘れられない。だったら、外に出しちまおうってことだ。誰の目にも触れない場所にな。俺は順調に出世しているし、ミュゼットはまた勲章を貰うことが決定している。まぁ、こいつが海軍に来る事はないから、いずれミュゼットの部下にでもなるんじゃないか? 今の内にゴマをすっておいた方がいいぞ? あんな寒い林檎園から早く引き戻して貰えるようにな」

 バロックの皮肉にも聞こえる言葉は、パンクに向けられたというよりも、ミュゼットの方へお願いしているようにそこにいた者達には聞こえた。

 しかし、それに対するミュゼットの返事は明確なる拒絶だった。

「それは無理だ」

「そう言わずに連れ戻してやれよ。それぐらいの権限は与えられるだろ?」

「無理だ」

 あまりに強すぎる否定のため、なんとか場を取り繕おうとバロックは薄い笑みを浮かべるが、ミュゼットの有無を言わせぬ雰囲気に言葉を続けられない。

 仕方なく、ミュゼットを除く三人は席に着き直し、酒を注ぐ。

 三人は港に視線を落とすミュゼットを眺めながら、しばらく黙って酒を飲んでいた。

 そうしていると、また炸裂音が鳴り響き、すぐに喚声とともに別の炸裂音が続けざまに鳴った。

「……これもいつもの事なのか? 人が集まりだしたぞ……」

 ミュゼットの言葉に三人が側に寄り視線の先を追うと、少なくない集団が二つ、今にもぶつかりあいそうになっていた。

 すぐにパンクは船を降りようと身を乗り出したが、その肩をバロックに掴まれる。

「やめとけ。お前が行ったところでどうにもならん」

「あれくらいの集団を黙らせる事が私には出来ないと?」

「剣で黙らせることしか考えないようじゃ駄目だ。お前が剣を抜けばこの国の人間はもちろん、異国から来ている者達も黙るだろう。だが、今夜止められても、明日からはどうする? お前はいなくなるんだぞ。それに、お前は一応人気者だからな。万が一どちらかを傷つけた場合、争いがもっと大きくなる」

 パンクは肩にバロックからは感じた事のない力を受け引き下がる。

「では、俺が行こう」

 ミュゼットはそう言って船の側面を滑るように降りていく。

 港に降り立ったミュゼットはすぐに駆け出し、二つの集団の間へ入っていった。

 船に残った三人には何を言っているか聞こえなかったが、ミュゼットはおそらく兵士達を中心にしたこの国の人間に向かって一方的に何か語りかけているようであった。

 だが、ミュゼットがいくら人々を押し戻しても、その空間は異国の者達によって埋められ、二つの集団の距離は開かない。

「私も行った方が良いみたいね」

「おい、お前も飛び降りる気か? 一応梯子がかかっているんだがな」

 船べりに飛び乗ったジャズにバロックが眉を寄せる。

「ここらじゃ一番の踊り子をなめないで欲しいわね」

 そう言って、砲座の辺りを一度蹴り飛ばし綺麗な着地をする。

「あんたちはそこで見てなさい」

 遠目に見ると、ミュゼットは異国人の集団に背を向けているため、いつ襲われてもおかしくないようであった。そこへジャズが入る事によって二つの集団は少しずつ後退し距離をとる。

「答えは出たか?」バロックが口を開く「あまり時間はないぞ。収まらない害虫被害と戦争でこの国はかなり疲弊してきている。復興のためと活気がよかったこの港町も、今では倦怠と沈滞で覆われている。あの時見た東南地区の惨状は今やこの街全体に広がりを見せているんだ」

「私は政治家ではない」

 力のない言葉を返す。

「どうすればいいか、どうにかしたいと言ったのはお前だろう、パンク?」

 どうすればいいか。

 父のつくる食器を幸せそうに使う人々の笑顔を守るために。

 どんな所属先に配属されようとずっと考えてきた。

「だが、力がなければ何もできん。そう言ったのは貴様だ、バロック」

 前線指令官と踊り子が市民の暴動をとめるのを遠くから眺める騎士二人。

 二人はこの時、いまだ二十一歳だった。


 艦上での集いから二週間が経ち、パンクは新たな赴任先にようやく慣れてきていた。

 ここでの仕事は国境警備とは名ばかりで、冬入り前のこの時期、この国唯一とも言える生産物――林檎の収穫を手伝うのが主だった。

 朝起きると駐在所から山を少し降り、南側の斜面に広がる林檎園へと向かう。そして、午前中をいっぱいに使いひたすら林檎をもぎ取る。

赴任初日は一つずつ丁寧に収穫していたパンクだったが、二日目以降は剣で柄と実の部分を切り離していた。しかし、それも五日目には農業主に見つかりこっぴどく怒られたため、また手でもぎる事にしていた。

この作業はパンクにとってそれほど嫌なものではなかった。

作業中は何も考えず無心になる事もできたし、ゆっくりと様々な事を考える事も出来た。

人を斬る事しか出来ない自分が、今は林檎を収穫している。戦うべき相手もここにはいないし、現状に何か不足や不満があるわけではない。人を斬る事が巧いといっても、人を斬る事が好きなわけではない。だが――と考える。ここで林檎をもぎり続けたとしても、街での争いや他国との戦争を止める事は出来ない。そして、そもそも自分にそれらを止める力があるのかと自問すれば、おそらくあると答えるのだろうが、その手段はやはり剣を振るうことしか考えられなかった。誰かが斬り合うのを止めるために、自らがそれを行わなければならない。では、何もしない方がいいのか。林檎をもぎりながら思索にふける。自分がやらなくても、バロックやミュゼットがいずれ自分より良い方法を考え出し実行してくれるのではないか。人を斬る特技などない方がよいのではないか。そのように考えると楽にもなれたが、不安にもなった。自分は何もしなくてもよいのだ。だが、何もしなくて良いのならば、何故自分は生きているのか。誰かの笑顔を守るために兵士になろうとし、騎士にもなった。『敵』や『悪人』を斬ることが、目的を達成するために最善であるとも必要であるとも考えていた。他に方法があるのならば、他の方法を見つけ出したかったが、今の自分にはわからない。それに、もしかすると自分が斬るのをやめる事によって、誰かが笑顔になるかもしれないし、他の誰かが自分の代わりに人を斬る役目を担うかもしれない。その役割は幼いテクノのものになるかもしれないし、年老い隠居した隠れた名剣士のものになるかもしれない。何もしないというのは、汚れ役を他の誰かに押し付ける事になるのではないか……だが……。

そんな事を考えては止め、無心になっては考える。

ある日、斜面の林檎を収穫し終えると、農業主はパンクを隣の山に案内した。そこにはまた斜面一帯に林檎園が広がり、収穫の時を待っていた。

パンクが農業主にあとどれ程あるのかを訊ねると、農業主は山三つ分と答え、さらに本格的な冬が来る前に収穫し終えなければならないため、ペースを上げなければならないと付け加えた。

新たな山へ向かうと、その山の林檎は一つずつの果実に袋が掛けられていた。

「袋をかけるとなぁ、色合いが良くなるんだぁ。それに日持ちもするようになるぅ。たぁだよぉ、甘味がちょいと落ちちまうんだぁな。だからよぉ、こっちとあっちとそっちの山はよぉ輸出用につくってんだぁ。色のいいもんの方が売れるからなぁ。味なんて異国の奴らにゃわかんねぇしさぁ。へへへ。ほんにうまい林檎さ食えるのはぁ、うちらと街の人間だけなんだぁ。貴族様たちゃこっちの輸出用を食べるけどなぁ」

 光を浴びる事により見栄えを悪くするが甘くなる。

光から隠す事により見栄えを良くするが甘味が抑えられる。

光……。

光……?

何かがわかりそうで、何もわからないパンクは、農業主が他の山に行ったのを見計らって、木々の間を駆け回りながら剣で実を落としていった。

(私は、何を斬ればいい? 人か、果樹か、それとももっと別の何かか?)

 落下の衝撃で潰れた果実は当然農業主にみつかり、国境警備隊長を通じ、上層部へ報告された。


Ⅳ  青い鳥の少年  フルートゥ暦一三八〇年 五月


林檎の花が咲く頃、もはやお決まりのようにパンクは転属を言い渡された。今回の異動がこれまでと違っていたのは、半分以上自業自得だということくらいだった。

下級騎士が転属を言い渡される広間を出て、上級騎士と政治を司る貴族たちが会議を行う大広間の前を通りがかると、中から大きな声が聞こえてきた。

『どうしてこの時期に税収を上げねばならないのですか! 国民は疲弊し、復興も――いえ、復旧さえもまともに進んではいないではありませんか! しかも、旧来の我が国民と異国民との軋轢は広がる一方です。これでは前線で戦う兵士達も安心して剣を振るうことができません」

 それに対し、扉の外にいるパンクには小さすぎて聞き取れない言葉の応酬があり、また大きな声が響く。

「わかりました。では、御勝手に。私の役目は終えたということですね」

 大広間の扉がすごい勢いで開き、人が出てきた。

「――っパンク!?」

 現れたのは前線指令官であり、パンクの旧友ミュゼット・デ・ラ・クルスだった。

 パンクが何事かと口を開きかけると、もう一人大広間から人が出てくる。

「待て、ミュゼッ――パンク……?」

「二人して何を騒いでいるのだ。というよりも、ミュゼットはまだしも三世がここに入れるようになるとはな。全く、上に行くにはどのような手を使えばよいのだ? 私はまた下っ端をたらいまわしにされているというのに。どちらかが私の上官になる日も遠くないな。まぁ、海軍は断固拒否させて貰うので、その時はミュゼット、よろしく頼むぞ」

 パンクがミュゼットの肩に手を置くと、ミュゼットはその手を見つめた後、しっかりとパンクに向き直る。

「そういうことにはならない。俺は軍を辞める事にしたからな」

「どういう意味だ?」

「その通りの意味だ」

「おい、二人とも。ここではまずい。場所を変えるぞ」

 バロックに促され、三人は市街を見下ろす城壁の上へと移動した。

 大広間でどのような会議が行われていたかを知るはずもないパンクは、どのような経緯でミュゼットがこんな事を言っているのかわからないため、二人が口を開くのを黙って待った。

「……どうして、今税収を上げねばならんのだ……そうまでして戦争を継続させねばならんのか……?」ミュゼットが呟くように言葉を搾り出す「冬に帰ってくる度に、年々この国が疲弊してきているのを感じる。戦場に出たところで半年間のそのほとんどが睨み合いだ。そのために大量の補給物資が前線に送られ、ここで復旧に携わっている者たちは貧しい思いをする。しかも、一向に害虫被害は収まる気配がない……パンク、知っているか? お前が国境警備に行っているこの冬の間、帰還兵士と異国民との間に三度の大きな争いがあったのだぞ? 異国民は東南地区にも流入し、もはや今見えているこの街の南半分は無法地帯になっている。そんな彼らから何を徴収するのだ? 何のために戦争を継続させる?」

「……国民の不満を外に発散させるためだと言っているだろう」

 バロックの答えは、おそらく大広間内で多数を占めた意見であることがパンクにはわかったので、彼自身の真意を聞いてみたかった。

「バロック、貴様はどう考えている?」

「俺は戦争自体はやめるべきだが、税収は上げなければならないと思っている」

 ミュゼットがバロックに苛烈な視線を送るが、バロックは気にせず続ける。

「海軍も今やその半分が漁師みたいなもんだ」

 それを聞き、パンクは最近までの任地での仕事を思い出す。

「国境警備隊は林檎農家だ」

「慢性的な人手不足なんだ。戦える国民は徴兵され、徴兵先で農業や漁業を行い自らの食い扶持を稼ぐ。足りない分は街で働く異国民から徴収する」

「だから、早々に和睦を結び、兵を退かなければならないのだろう。前線にいる感覚では相手のビャーナナもこれ以上の継続を望んでいないように感じる」

「だが、兵士を街に帰せば、今いる異国民はどうする? 出て行かせるのか? 二年もここに住んでいるんだぞ? 元々、祖国には居られず出てきた者達なんだ。新しい土地でやり直すためにこの国の風土にも慣れようとし、やっとそれが落ち着いてきたところだ。それを今さら出て行けなどと誰が言える?」

 バロックの言う事は人道的には正論のようだが、これまで戦場に出て戦っていた者達にその論理を押し付けるのは酷なようにパンクには感じた。

 しかし、それを言葉にして伝えると、バロックは顔を赤らめ怒鳴るようにまくし立てた。

「では、焼き払えば済んだものを、この街のために石を積み上げ、木を切り倒してきた者達に出て行けというのは酷ではないのか? 肌や髪、瞳の色の違いにどれ程の意味がある? そんなくだらないものさしの所為でジャズはどうなった!? 山で農夫をやっていたお前は知らんだろうが、さっきミュゼットが言っただろう。大きな争いが起きたと。あいつは暴動を治めようと走り回ったせいで、異国民からも白い目を向けられた。居場所がなくなったあいつに、俺が遠く東の国へと船を用意してやったんだ」

 確かにパンクは何も知らなかった。

 ジャズが、今見下ろしている街の中に居ないなど想像もしなかった。

山の上から小さく見えるこの街は、いつ見ても変わらず、永遠の眠りについた遺跡のようにさえ感じていた。

彼女に髪留めが似合う国にすると約束したのに、別れの挨拶さえ出来ずに寄り道をしてしまっていた。パンクは抑えきれない動揺を胸に抱えていたが、話題を戻すことによって平静を保とうとした。 

「……だ、だが、バロック。貴様は戦争をやめるべきだと思っているのだろう? それは兵士達を街に帰すことではないのか?」

「街に帰すとは言っていない。土地は限られているんだ。戦争をやめるのに兵を退く以外にも術はあるだろう? 本気をだせよ、ミュゼット。アレクシス渓谷で奇跡を起こしたお前なら出来るはずだ」

 それはパンクも思っていた。あの劣勢の中で大勝利を収めたミュゼットが、なぜ一進一退の攻防しかできないのか。

「……お前らは現場の殺し合いを知らないから、そんなものの言い方が出来るんだ。とにかく、俺は軍を抜ける。もう指揮を取る事も、剣を抜く事もない」

「身勝手な奴だ。そうだな。そもそも留学生だったお前に指揮させていたのが間違いだったんだ」

 バロックが吐き捨てるように言う。

 それにミュゼットは何も答えず、ただバロックの視線を受けとめる。

 しばらく視線を交わしたまま動かない二人に、パンクは一人考えていた。

 現場の殺し合いとは何であろうか。一対一の斬り合いとは違うのであろうか。一瞬で消えていく命の数は当然違うのであろうが、それを目の当たりにするとどのような感覚に襲われるのだろうか。人を一人斬れば胸が痛む。十人斬ればその十倍胸が痛むだろう。では、百人の死を目の当たりにして、それを自分の傷みとして受けとめる事が出来るだろうか。パンクは想像しようとしてみるが、うまく想像する事ができなかった。つまり、ある一定以上の死を目の当たりにしても……。

「……はぁ……」

 そこまで考えると、パンクの思考を断ち切るようにバロックの溜息が漏れた。

「……軍を抜けてどうするんだ?」

 先程までの険しい表情はない。

「酒場でもやろうかと思っている。誰もが――本当に誰もが憩えるようなそんな酒場を。客同士がお互いの違いに気を向けないように、俺自身が女にでもなってさ、うふん」

 一瞬の静寂の後、パンクはバロックと盛大に笑った。

 心の底から、息の続く限り笑った。

「そうやってみんなが笑顔でいられるようになれば、この国も少しは変わるだろう?」

 ミュゼットはそう言って、城壁から降りる階段へと向かう。

 その後姿にバロックが声を掛ける。

「俺はこっちからこの国を変えてみせる」

「……楽しみにしてる」

 振り返ることなくそう言ったミュゼットの姿は城壁の影に隠れてしまった。

 バロックは街の方へと視線を戻す。

「さて、俺も海へ帰るか。あ、そうだ。テクノの事だが、無事叙任を済ませたぞ。しばらくは俺からもお前からも離して成長させるために、王の親衛隊に配属されるように手配した。お前と同じであまり大きな集団向きじゃないしな」

「そうか」

 テクノの性格を考えれば、一番良い配属先に思えた。いまいち頼りない王ではあるが、気さくではあるし、もしかすると、進んでテクノの祖父代わりをしてくれるかもしれない。

「あと、ジャズからも伝言がある」

 バロックはニヤニヤとした表情を隠そうともせず、ジャズの声真似をして言った。

「次、会う時は、私の髪もたわしになってるから――だってよ」


     ※※※


 結局、ミュゼットが軍を抜けても、戦争は継続される事になった。

 何か大きな力が働いたというよりも、大きな力の流れを誰にも変えられなかったと言う方が正確で、アナポー王国はもちろんビャーナナ侯爵領の誰も望まぬ方向へ事態は向かっていた。

 市街の南半分は朝夕関係なく暴動が起き、正規の港には海軍の軍艦以外の入港はほとんどなくなっていた。戦える男の市民は徴兵され続けていたが、多くの者はそれから逃れるために路地裏の奥深くへと姿を隠していた。

 海洋貿易がとまったため、物流は北の山岳地帯を抜けてくる物のみになり、それは城砦内で留められた。一方、市街では食糧不足が深刻化し、市民は東の森で大麻栽培を行い密売する者や、海賊になり近海を行き交う商船を襲う者へとならざるを得なかった。また、義賊を名乗る異国海賊が頻繁に現れるようになり、どこかで奪ってきたものを東南地区の入り江に置いていくという事例もよくみられるようにもなった。

 パンクの父親もこの頃、アナポー王国を出たという史料が残っている。


     ※※※


 パンクは近衛兵となり城砦警備についたが、配備場所は外壁と城壁のちょうどつなぎ目の部分で、三年前に見ていた東の森を今度は少し高い位置から見下ろすという変化があっただけであった。。

 普段は他の者が嫌がる夜勤警備を命ぜられているが、市街で暴動が起こり、その鎮圧に近衛兵も借り出される日は、城壁の上で留守番を言い渡された。

 ある日、日差しを遮るものもないこのような城壁の上で森など見ておらず、自分も暴動鎮圧のために市街へ出た方が良いのではないか。そのような事をぼんやりと考えて、すぐに、自分は同じ国民に刃を向けられるのか。いや、しかし――などと、もはや、お決まりになった自問自答を繰り返していると、城壁から森へ出るための小さな扉が開いた。

 出てきたのはテクノと同じくらいか、もう少し年少の少年に見える。

 少年は周囲を警戒し、音を立てないように扉を閉めると、森へと駆け出した。

 一瞬引きとめようかとも考えたが、少年の身なりの良さから、貴族の子弟と判断できたため、おそらくもうすぐ騎士学校に入れられるか、宮廷で政治の勉強をさせられるかするのだと思ったら、残された自由な時間に限られた自由を満喫させるのをとめる気にはならなかった。

 夕方になると、少年は手に抱えきれないほどの植物や昆虫を持ち帰り、城砦内への扉をあけるのに苦労していた。そのために、そこで昆虫を何匹も逃がしていたが、わざわざ降りていって扉を開けてやったりはしない。それは意地悪というよりも、バロックから貴族との関わりには慎重になれと言われていたのが大きかった。

 市街で暴動が起きる度にパンクは昼間の城壁警備につき、そこで少年が出て行くのを見守った。

 見ていると、少年の持ち帰ってくるものは森にある自然のものとは限らなかった。

 ある日は港でよく見られる太いロープや網を抱えてきたし、別の日は古びた酒瓶や足の欠けた椅子を拾ってくることもあった。

 何も持ってこない日もあったが、そういう時は泥だらけになっていた。

 昼間の警備を命ぜられる間隔が短くなるにつれ、パンクはいくつかの事に気がついた。

 少年は毎日と言えるほど頻繁に城砦内から抜け出している。死ぬまで城砦から出ない貴族もいる中で、これは貴族の子弟には極めて稀であった。

 森の中だけでなく、暴動が起きている市街にも出ている。しかも、半日をそこで過ごし、何かしら彼にとっての戦利品を獲てくる。

 手ぶらで泥だらけになって帰ってくる日は、決まって手に弓矢を持っている事から、森の中で狩猟を行っていることがわかる。しかし、パンクの知る限りそれが成功した事はない。

 そして、同じものを持ち帰ってくることはないという事。自分のコレクションにするには一貫性がなかったし、誰かにプレゼントするにしてはガラクタ過ぎた。

 東側の城壁警備は他に注意を引かれるものが何もない事もあったが、パンクは次第にこの少年に興味を惹かれていった。単純に少年の意図する事が知りたかったのもあるが、少年自身に不思議な魅力が感じられたのだ。それに、森はまだしも暴動の起きている市街に出ることは注意しておきたかった。同じ子どもとはいえ、テクノならば勝手にさせたであろうが、狩猟も成功した事のない少年が相手では些かその身を案じてしまう。

 その日も東南地区で大きな暴動が起こった。どうやら海賊による港への襲撃に呼応した形となっており、規模の面ではこれまでで最大という事だった。パンクも借り出されるという話もあがったそうだが、結局いつも通り城壁警備に回された。

 連絡が遅れた事もあり、パンクが配備についた時には少年は外に出て行ってしまった後らしく、出掛けに注意する機会を得る事ができなかった。

 城壁の上をうろうろとしながら、少年が帰ってくるのを待つが、日暮れ間近になっても帰ってくる気配がない。パンクは東南地区から上がる煙を眺める。遠くに聴こえる喚声が赤く染まる空と相俟って非現実的な雰囲気を醸し出す。おそらく大量の血が地面に流れ、空は鏡のようにそれを映し出しているのかもしれない。詩的な表現を思いついても、現実としてそれを思い描く事が出来ないでいた。そんな自分に腹が立てばまだ救いもあるが、父親やジャズは離れてしまったとはいえ、身近な者が健在であるパンクには本当の意味での喪失を知る事は出来なかった。

 ぼんやりと西の城壁に隠れるように落ちていく太陽を見つめていると、背後の森から気配を感じた。

 振り向くと少年が城壁へと向かってきている。

 無事を安心するのも束の間で、良く見ると少年は擦り傷だらけで、頭から流れた血で髪がべっとりと固まって肌にくっついている。しかも、走り方が妙で胸を押さえているようにも見えた。

 少年が城壁近くに来ると、パンクは声を掛けた。

「おい、少年。大丈夫か?」

 少年は一瞬どこから声を掛けられているか判らず、周囲を見回すがすぐに上を向きパンクの姿に驚く。

「えっ何!?」

「君を見かけたのは初めてじゃない。あぁ、別に誰かに報告したりはしていないから安心しろ」

 パンクの言葉に少年は警戒を緩めない。

「随分と怪我をしているようだが大丈夫なのか? 今日は東南地区で大きな暴動があったからな。もしかして、巻き込まれたのか? いつも街で何か拾ってくるだろう」

「……いや、今日は街へは行ってないんだ」

「だとしたら、森か? しかし、いつも持っていく弓矢はどうした。もう狩猟は諦めたのか? まぁ、人には向き不向きがあるからな。何かを諦め、新しい何かを始める事は悪い事ではないと思うぞ」

「随分と僕の事を知っているようだね。僕が誰かを知っているの?」

「いや。私が君について知っている事は、森や街でガラクタを拾ってくる狩猟下手な少年だという事だけだ」

「だったら、一つ訂正して貰おうか、ほらっ」

 少年は胸を押さえていた両手を開きパンクの方へと差し出した。すると、少年の手から青い鳥が飛び立つ。

「あぁ! せっかく捕まえたのに!」

「あぁ。訂正というか付け加えておこう。少々間が抜けていると……」

「でも、鳥を捕まえたんだ。青い鳥を」

「色が悪かったな。幸運の青い鳥はすぐに逃げていく」

「そうなの? 青い鳥は幸運?」

「ま、そう言われているな。私もよくは知らぬが」

 少年は嬉しそうに笑って頷くと、首の後ろを揉みだした。

 見上げるのがつらいのだと察したパンクは城壁を駆け下りる。

「うわっ! なにそれ? そんな事出来るの?」

「君にはまだ無理だ。それより、いくつか聞かせてもらえるかな。いつも持ち帰っているものはどうしているのだ?」

「あれは妹に見せてるんだ。あいつ部屋で本ばかり読んでてさ、まったく外に出ようとしないんだよ。だから、僕が外の世界をかき集めて教えてやってるんだ」

「なぜ、この扉を使う? 街に降りるときは正門を使った方が安全だろう。ここからだと街へは東南地区にしか繋がっていない。ただでさえ胡散臭い地区なのに、最近は暴動も多発している。貴族の坊ちゃんがそんな格好で歩くのは危険だぞ」

「綺麗なものしか見たくなかったら、城砦から出る必要なんてないんだよ。痛かろうがつらかろうが、僕は全てを見たいし見ておきたいんだ。そして、それを妹と共有したい。じゃあ、もう行っていいかな。一応兵士さんの忠告は胸に留めておくから。大丈夫。仕事は果たしたよ」

 そう言って少年は扉へと向かい、鳥を逃がした事を思い出し溜息をついた。

「……妹の事が好きなのだな。本が好きなら、青い鳥の話も知っているだろう。たまには君が妹の話を聞くのもいいじゃないか」

「そうだね。だけど、一つ訂正しておいて」

 少年は苦笑をした後、顔つきを変えて続ける。

「僕は妹が好きなんじゃない。この国が大好きなんだ。汚いものも綺麗なものも。貴族も平民も。争う人も穏やかな人も。この国の全て。全てが大好きなんだ」

 そう言って少年は扉の向こうへと消えていった。

 それがパンクの見た少年の最後の姿だった。

 それからは昼間の城壁警備についても少年が出入りしているのを見かけないばかりか、同僚の警備兵に尋ねても少年の姿を確認する事は出来なかった。

 城砦内を歩く時は自然とそれくらいの年頃の少年に目がいくようになっていたが、とうとう見つける事はできなかった。

 そんなある日、バロックが城砦内の大広間で行われる御前会議に出席するというので、その後久しぶりに飲もうという事になった。

 世間話をしながら一通り料理を平らげ、酔いもまわったところで、バロックが話のトーンを変えた。

「……どうやら戦争が終わるぞ」

 唐突な物言いに驚いたパンクだったが、それが御前会議での議題であったことは明白だった。

「我が国から北西にあるのがビャーナナ侯爵領だな。では、そのさらに西には何があるか知っているか?」

「ノーツ伯爵領だろう。芸術――特に音楽が有名だな」

「あぁ。付け加えるなら軍も強力だ。芸術家が集まるからな。軍の装備も我等とは発想が違う。ノーツ伯は元々アナポー王国内の一貴族だったんだがな。バッハ一世と敵対して追い出されたんだ。そのために、ながらくアナポーとは国交がなかったんだが、向こうには男の世継ぎがいないらしい。そこで、我がアナポーから養子を出すことになったんだ」

「ほう。それで挟まれたビャーナナは兵を退かざるを得なくなったという事か」

「まぁ、こっちも戦争どころじゃないしな」

「それで、養子に出されたのはどこの貴族の子なんだ? それなりに名門でなければ向こうも納得しまい」

「それは俺とお前の仲でも教えてやるわけにはいかん」

 バロックは珍しく口を濁す。

「いや、興味本位というよりも、私が最近知り合った子が行方不明でな。もしかしてその子ではないかと思って……名前も知らぬのだが」

「だったら、俺が教えてやってもわからないじゃないか。だいたい、城壁警備のお前なんかの目に触れられる御方ではないのだ、皇太子様だからな。いや、いつもどこほっつき歩いているかわからん放蕩息子って話もあるし、よく城を抜け出して生傷が絶えないという話も聞くな。まぁ、妹の王女様の方がしっかり本を読んで勉強されているらしいからな。これも宮廷内の権力争いからでた策謀の一つらしいぞ……」

 バロックは自分の失言にグラスを二杯空けるまで気付かず、気付いたあとはなにやら喚いていたが、パンクにはそれどころではなかった。


     ※※※


 当時の局員の調査によると、その夜東の城壁の方で何者かの雄叫びがあがったそうだ。局員や近衛兵が駆けつけてみると、城壁の扉近くに銀色に輝く何かの破片が散らばっていたとされている。


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