魔法とか歴史とか過去とか
科学が進展し、完全に魔法が忘れ去られた現代日本。
魔法なんてものは空想の産物で、ありもしない夢物語だと誰しもが思っているのに、夢見ることは諦めきれない、理想の架空現実。
そんな魔法が実は実在して、魔法使いも普通に学校通ってて、でも魔法自体はろくなことに使ってなかったりする。
恋にバトルにライバルに、今日もドタバタ大忙しの、若き少年少女の学園魔法物語!
中世の時代に、魔女狩りって運動が起きた。
あれは父ちゃんや母ちゃんに言わせると、事件じゃなくて運動なんだって言ってた。じいちゃんは情報の操作で惑わされた民衆の矛先が向いたんだって言うし、ばあちゃんは大勢や権威者たちはつまはじきものをつくることで団結しようとするのよって言ってる。
むつかしいことはおれには分かんないけど、そういうことがあったことで、魔女たちや魔法使いたちはいなくなってしまったんだって思われるようになったのはなんとなく分かる。テレビや映画や漫画なんかで、まるで夢物語みたいに描かれてる「魔法」が、実在した、あるいは実在するなんて誰も思っちゃいない。
だけど別にそんなことない。現に魔法使いは存在する。
おれがそうだもん。
魔女狩り、なんて素人が起こした暴動に巻き込まれて、おれたち魔法使いが本当に滅びるわけがない。だいたいあんなのは税金を吊り上げまくって悪政を強いて、国民の指示をいよいよ得られなくなったお偉いさん方が、宗教を盾にふりまいた嘘っぱちじゃん。
おれたちがそれに応じて、「はい。そうですか」とわざわざ血祭りにあげられてやらなきゃいけないなんて、ちゃんちゃらおかしいと思わないか。
それにおれたちの祖先はまじない師として、むしろ人々を助けてやっていたんだ。病気になれば薬を与え、恋するうら若き乙女には秘策を授け、呪いのかかった人がいたらちゃんと呪詛返しをかけてやったもんだ。しかもその謝礼だって、貧乏な村人からとれるもんはないと、わずかなパンと干物くらいしか受け取らなかったんだぞ。
襲われなきゃいけない覚えなんてこれっぽっちもないんだ。
そんなわけでおれたちは身を隠したわけだ。ここ数百年の長きに渡ってな。
とはいえおれたちの仲間は一般人どもが思っている以上にたくさんいたし、気づかれないように連絡をとる手段もたくさんあった。だから身分や生まれを見事に誤魔化して、おれたち普通ならざるものは現代社会にもこうして生き残っている。
だが一般大衆に紛れ込むということは思いのほか不便なもので、戸籍や住民登録をしなきゃいけないだろ。すると当然のように強要されることになるんだ。そう、いわゆる・・・
「人間社会の営みってやつをよおぉ」
はああ、とため息とともに吐き出されたのは、思いがけず言語化された行き場のない本音であった。
おれ、曲月 歪(まがつき ひずむ)はそういうわけで、やりたくもない非魔法界と化した現代日本で、世界でも進んだ「科学」的なお勉強をさせられている。ちなみに歳は17。県立農林高等学校の二年生になる。
なんで普通科じゃなくて農業科なのか。そんなのは決まってるだろ。少しでもあの訳わからん「科学」とかいう技術信仰から逃れたかったからだ。「農業」。いいじゃないか。この牧歌的な響き。
先進国日本にいながらにして、弥生時代のようなスローライフの日々を送れることを期待して、おれはこの学校に入学したんだ。
ところがどっこい。そんなの冗談じゃなかった。最近の農業ってやつは、農薬の濃度だとかpHの計算だとかモル濃度だとかなんだっつって、計算機なしじゃお話にならないくらいの、超科学的な世界になってるじゃありませんか。いつからそうなったんだ?ばあちゃんの時代じゃ、そんなことはなかったハズだぞ!?
そうやって逃げ場となるはずの学校選択をミスり、逃げ場を無くしたおれはといえば、他の生徒たちの御多分に漏れず、計算機にかじりついて過ごすしかなくなったわけだ。無念、ここに極まれり。
そんなろくでもない学校生活の中で、唯一心の安らぐひと時がある。まあ、その他大勢の生徒も同じ意見なのだろうが。そう、部活である。
本校者の南側四階、美術室。
漫画イラスト美術文芸オカルト研究手芸園芸同好会。長い。
その名も高き通称・「カオス部」である。
その名前と意味不明かつ予想不能な活動内容から、一般生徒は全く近づかないこの部は、実は歴史とか伝統とかのある由緒ただしい部活なんだ。何を隠そう、おれたちの仲間が集うために先人が作った、愛と真心のこもった居場所なのである。
放課後になると発動する、人除けの呪文がかかっているため一般生徒は絶対に入ってこない。
そうでなくとも入りはしないか。「カオス部」だし。
コツコツと南側階段を上がって四階まで登ると、真っ正面にぬく黄ばみかけた白い引き戸がある。
これが美術室。いわゆるおれたちの、魔の巣窟である。
おれはやっと一息つける気持ちになって、ほっとして引き戸に手をかけた。長い長い一日だった。やっとあのわけの分からん数式やら電卓とのにらめっこやらから解放されたかと思うと、校舎移動してからわざわざ四階までてくてく登ってきた苦労も、なんのことはないように思えてくるよ。
おれは鼻歌を歌いながら、引き戸を開こうと手に力を込めたのだった。だが、その瞬間だった。
空気が、一変したのだ。
辺りの空気が振動を始めたのに気づき、ハッとして振り返ると魔術の跡が階段と廊下の境目にうっすらと残っている。忘れてた。あいつの仕業か。
しまった、と思ったその時には、すでに手遅れになりつつあった。
極度に振動数を増した空気の元素は鈍く発光し、空間に赤い亀裂が走りだした。先じてこの場にかけられていた呪文の詠唱文が、金色に輝きながら辺り一体に展開されてゆく。
「この詠唱文は・・・正空間と負空間の転換式、簡略版元素陣、形態は(虚無転輪の法則)・・殺す気か!」
慌てておれは学生服の裾を捲り上げた。むき出しになったおれの腹には、幾何学的な紋様が浮かび上がっている。これはおれの血筋と個人的な生まれが関係する少し特殊なものなのだが、今はそれどころじゃないから説明は省く。ビシビシと音を立てて空間が破壊されていく。時間がない。おれは腰に巻いたベルトの内側に無数に刺さっている針を一本抜き出し、脇腹の円状になった紋様の中心に思い切り突きたてた。
ブツっと肉を金属が食い破った感触。ぐっと歯を食いしばり、おれは手を伸ばし手のひらを大きく開いた。
紅い欠片を散らしながら、隔絶されたようにおれを覆うヒビの籠が脆く崩れていく。これは並列時間上の一点空間破壊魔法。簡単に言えば、ブービートラップ的に仕掛けられて、引っかかった奴をその周囲の空間ごと引き剥がして消滅させ、取り繕うように同じような空間だけが再展開される。そんな魔法だ。
なら・・・
おれは伸ばした手を最初に感じた魔力痕に当てた。ここがこの呪文式の核だ。これを壊せばこの呪文は止まる。止まりはする。が、元通りに戻る訳ではない。最悪の場合、この壊れかけ隔絶された閉鎖空間に閉じ込められる可能性もある。この状況を打破するには。
「クソ。仕方ねえけど・・これ痛いんだぞ・・・」
おれはぼやきつつ、脇腹に刺した針を引き抜き、魔力痕にかざした手の甲ごしにずぶりと突き刺した。
「痛ぅ・・・ッ」
痛みに呻きながら、釘付けになった手で魔力の源を鷲掴みにする。
血が流れている脇腹の紋様が、怪しい色の光を放ちはじめる。次第に光が渦を巻き始め、中心に仄暗い漆黒の穴が開いた。
「悔い改め喰い改めよ。罪を数えよ我が血を糧に。そのう名を以ちて汝我が盟約を果たせ。我をここへ彼を除け。焼き潰し砕き直せ。我が名のもとにその命を成せ」
おれの唱える文言の詠唱に伴い、おれの瞳と脇腹の紋様が同じ光に染まる。そのうちにかすかに、次第にとてつもない力でめきめきと脇腹を何者かにこじ開けられる感覚がおれを襲う。来た。ちゃんと応えた。
「おおおおおおおおお!!」
押し寄せる違和感がうねるように身体の奥から表面へ駆け抜ける。この叫び声はおれじゃない。「違和感」の方だ。
その瞬間、脇腹に空いた渦から、ずるりと太く長いものが這い出てきた。そう、これは腕だ。おれの呼び出し応えたのはこいつだ。
おれはにやりとした。剥がれ落ちて行くヒビの籠はもうおれの周り薄皮一枚まで迫っている。間に合った。俺の方が一歩早かったな。
ぬらぬらとした紫色の半分透けたような腕はずるずるとおれの紋様から這い出してくる。
それは太く筋肉質で、しかし蛇のように長く、人間のものによく似ているが決して違うものだと確信させるものものしさが滲み出ているようだった。
「ルルゴンドルン、この魔法を食い破れ」
おれは這い出してきた腕だけの怪物に高らかに命令した。それに応えるように腕はその全体をもたげ、魔力痕を握りしめるおれの手を包むように大きな手のひらをかぶせた。
「我が糧として喰うぞ。よいな」
低く底冷えのする、身の毛のよだつような声が腕から轟く。おれは大仰に頷いてみせる。
「構わん。喰え」
腕は喜びの雄叫びをあげて、燃えるような邪気を辺りに撒き散らした。ルルゴンドルンと呼ばれた腕は、むしゃぶりつくようにおれの手の上から魔力痕を思い切り握りつぶした。
その途端つんざくほどの悲鳴が空気を震わせた。赤くヒビ割れた空間もそれに呼応して眩い閃光を放った。音と光が連鎖爆発を起こして、頭が割れるようだ。
魔力痕を飲み込んだ腕が、満足したようにずるずると脇腹の紋様の奥へ引っ込んでいくと、悲鳴も次第に力を失い、小さく消えて行った。そして完全に腕が紋様の奥へと消え、渦巻いていた光も薄く消え去ってしまうと、音と閃光は完全に止み、辺りを包んでいた呪文の効力も音を立てて弾けた。
そして完全に静寂が戻ってくると、おれは何事もなかったかのように元の美術室の引き戸に手をかけている姿で静止していた。
「またか・・・」
はあ、とおれは今日一番の疲れを込めたため息をついた。
別にこれはなにも、驚くようなことじゃないんだ。おれにとっては。
いや、おれたちにとっては、と言うべきか。
実を言うと、このテの騒動は結構日常茶飯事だったりするのだ。
忌々しい我が部の現部長様が、何を思ったか定期的におれたちに仕掛けてきやがるのだ。こういった魔法の罠を。そしてこれは、奴曰く抜き打ちの遊び心なんだそうだ。たちの悪いことにな。
人間社会への適合と魔術師としての日々の鍛錬の両立ぬ。それが奴の部長たる自分と部員に求めるモットーなのだという。それは別にいい。しかし、一週間に一度くらいのペースで、このような本気で命に関わる罠を仕掛けてくるのはいい加減迷惑だ。
もはや部員全員で抗議したこともあったが、部長は当然だが気にもかけなかった。
「私はお前たちを信じてる。だから命がけで頑張れ」と眩しい笑顔をふりまいて、次なる魔法の創造にせっせと勤しむのだ。
何という女だ。
ああ、言い忘れたが、その悪逆非道な部長は生物学上、女になるのだそうだ。容姿端麗、眉目秀麗、成績優秀、スポーツ万能。
一見して完璧すぎる学園のマドンナにしか見えないが、おれたちはみんな知ってる。そんな奴が魔女じゃないわけがないんだ。
そんな鬼畜すぎる部長に常に危険に晒されながらも、それでもおれたちがこの部に集まり続けるのは何故だろう。
いや、本当は分かっているんだ。
おれたちはみんな、孤独なんだ。
この無駄に増殖した人類の中では、おれたちの仲間は数が少ない。たくさん生き残ったとはいえ、滅びない程度に生き残ったにすぎない。おれたちは仲間同士でしか守り合えないから、純血にこだわり、次第に数は減っていったんだ。
理解し合うことができない隣人と手を取り合う術がないままに、数百年が過ぎた。おれたちは気づかれないよう、見つからないように常に気を張りながら、隠れ続ける日々を過ごしてきた。だから、せめて仲間といるわずかな時間くらいは、安らぐ時間を求めてしまうんだ。きっと。
それに部長だって、おれたちに自分の身を守る力をつけさせたいんだって、おれたちも本当は分かっている。
分かっているから、憎めないんだよなあ。あのアマ。
はああ、と力ないため息をつきながら、おれは部室の引き戸を開いた。
そう、部室だ。
ここはおれたちの部室だ。
誰にも邪魔されず、夕方までのほんの数時間、おれがおれでいられる数少ない居場所だ。
まあ、仲間たちは問題のある奴ばっかりでさ。それなりに大変なんだけどな。それが楽しかったりもするから、困りものだ。
ため息ばかりつくと、幸せが逃げると聞いたことがある。それに反抗するように、おれはため息ばかりついている気がする。
どのくらいの幸せがもう逃げてしまったのか、考えるとなんだか虚しくなる。でも、今ある幸せは何故だか逃げて行ったりしない。
今のままの状況に、なにか更なる幸せでもプラスされることがあったなら、それはそれで悪くないかもしれない。
おれは小さく深呼吸をしながら、のんびりと部室の中へ入って行った。
続く